第202話
中学生による殺人事件は、翌日さっそく報道された。
イジメ被害者だと思われていた馬場が犯人だったという特異性は、世間を大いに騒がせた。
馬場を異常者として非難の声が上がる一方で、そこまで馬場を追い込んだイジメ加害者たちへの非難も高まり、世論は大きく二分された。
そして、その非難の矛先は学園裁判所にも向けられることになり、学園裁判所は今度こそ完全に廃止が決定した。
俺にとっては誤算続きだったが、それでもまったく成果がなかったわけでもない。
確かに「白河を学園裁判所の検察官役に任命して、その安全を確保する」という、俺の目的は果たせずに終わった。
しかし、俺が学裁を創設するために動いたことで、白河の存在は生徒会に認知され、気遣われるようになったのだ。
特に此花などは「貴様の歪んだ性根、わたしが叩き直してやる!」と、白河の教育係を買って出るほどだった。まあ、これはこれで不安だが、此花が傍にいる限り、少なくとも白河に危害が及ぶことは2度とないだろう。
そして最後に久世だが、今まで通り生徒会長を続けている。本人は今回の1件の責任を取って辞任するつもりでいたのだが、周囲から説得されて続行することにしたのだ。
ちなみに、今その久世は朝比奈と遊園地でデート中だ。今回の事件に責任を感じている久世を見かねて、朝比奈が元気づけようと誘ったのだ。
そして夕方、遊園地で遊び尽くした久世たちは、最後に美和家の墓参りに来た。よし、時間通りだ。
「今日はありがとう、朝比奈さん。遊園地に誘ってくれた上に、お墓参りまで付き合ってくれて」
お参りを終えたところで、久世が言った。
「ううん。気にしないで、久世君。わたしは久世君さえ元気になってくれれば、それで」
「ありがとう、朝比奈さん」
「それに、ここに来て、美和神楽さんて人に直接お願いしたいこともあったし」
「お願い?」
「うん。もう、久世君を解放してあげてくださいって」
「え?」
「あの弁護士の人が言ってたよね。久世君が、学園裁判所のことをあんなにがんばってたのは、この人たちのような不幸な人を2度と作らないためだって」
「…………」
「久世君が、あんなに生徒会長になることにこだわってたのも、この人たちのことがあったからなんでしょ?」
「結局、何もできなかったけどね」
久世は苦笑った。
「そんなことないよ。久世君はがんばったよ。そのことは、みんな知ってる。だから、久世君が生徒会長を辞めるって言ったときだって、みんな止めたんだよ」
「ありがとう、朝比奈さん。君に、そう言ってもらえるだけで、僕もがんばった甲斐があったと思えるよ」
「でも、それもすべては、このお墓にいる人たちのため、ううん、原因なんだよね、久世君」
「え?」
「久世君が、学園裁判所にあんなに固執するのは、自分が何もできずに死なせてしまった美和さんたちへの贖罪の気持ちからなんでしょ?」
「それは……」
「それって、久世君は、ずっと過去に縛られて生きてるってことでしょ? 久世君は、この人たちに何もしてあげられなかった自分の無力さを、ずっと心のなかで責め続けてきたんだよね? 久世君は、そうやって自分を責め続けて、この先も美和さんたちへの贖罪のためだけに生きていくつもりなの? そんなこと、美和さんたちだって、きっと望んでないよ」
朝比奈の目に涙がにじんだ。
「このままじゃ、美和さんたちの存在は、久世君にとって呪いになっちゃうよ。そうしないためにも、もう自分を許してあげて、久世君」
「ありがとう、朝比奈さん。そんなに心配してもらえるなんて。それだけで、清川中学の生徒会長をやってよかったと思えるよ、ほんと」
「別に、久世君が生徒会長だから心配してるわけじゃないよ。久世君だから心配してるんだよ」
朝比奈は目を潤ませた。
「い、いやー、冗談でも、朝比奈さんにそう言ってもらえるなんて光栄だよ。そもそも励ますためとはいえ、朝比奈さんとデートしたなんて学校の男子が知ったら、さぞかし悔しがるだろうなあ。ホント、一生の自慢になるよ」
久世は照れ笑った。
「そんな、わたしなんて……。それに、それを言うなら久世君だって、女子には人気あるし」
「いやいやいや、そんなの僕は全然ないから。バレンタインのときだって、チョコもらったことないし」
「わたしはあげたよ?」
「え? ああ、そうだった。もらったね、義理チョコ」
「義理じゃないよ」
「え……」
久世は再び言葉に詰まった。
「わたしがチョコを上げたのは、久世君のことが本当に好きだからだよ」
朝比奈の目は、まっすぐに久世を見据えていた。青春してるなー。
「ごめん」
久世は苦渋の表情で、しかしキッパリと断った。
「僕も朝比奈さんのことは好きだ。でも、付き合うことはできないんだ」
「どうして?」
「僕が、もう婚約してるからだよ」
「こ、婚約?」
マジでか。
「そう、だから君とは付き合えないんだ」
「……その婚約者って、もしかして美和神楽さんのこと?」
「うん」
「でも、美和さんは、もう死んで」
「そうだね。でも、重要なのはそこじゃない。神姉とした婚約は、僕と神姉との絆の証なんだ。それに、婚約のことがなくても、それでもやっぱり君とは付き合えない」
「ど、どうして?」
「それは、君が僕を信じてくれていないからだよ」
「え?」
「朝比奈さん、君は今回の件に関して、僕に隠してることがあるよね」
いよいよ本題か。
「な、何を言ってるの、久世君? わたしは隠し事なんて……」
「君が話したくない気持ちはわかるよ。僕も、あの人から真実を聞いたときは、どうしていいかわからなかったからね」
気持ちはわかる。
「今回の事件の黒幕が、君だなんてね」
久世の指摘に、朝比奈は鼻白んだ。
「な、何を言ってるのか、わからないよ、久世君? わたしが黒幕って? え?」
朝比奈は惚けた。しかし、その狼狽ぶりは久世の疑惑を深めただけだった。
「……朝比奈さん、君は以前から木戸グループと交流があったんだね。きっかけは、君が万引きしているところを木戸たちに見られたこと。そうだろ?」
おそらくは、優等生でいることのストレスを発散するためだったんだろう。
「でも、そこを木戸たちに見つかってしまった。そして、なかば脅される形で付き合いを強要されることになった」
「や、やだな、久世君。わたしが、そんなことするわけないじゃない」
朝比奈は苦笑った。
「そんなとき、僕が学園裁判所を創った。それを知った君は、これを木戸グループと手を切るために利用できると考えたんだ。そして木戸に入れ知恵して、学裁を潰すよう唆した。馬場君に嘘の被害届けを出させ、それを土壇場で引っ繰り返せば学裁を潰せるってね」
「そ、そんなこと」
「元々、イジメ対策として創られた学裁を快く思っていなかった木戸たちは、その案に乗ってきた。そして差出人不明の告発文を偽造して、馬場君の存在を僕に気づかせた。あの暴行現場の映像も、木戸たちと示し合わせたんだね?」
今にして思えば、あのとき気づくべきだったな。あれだけの人数がいて、誰も朝比奈の尾行に気づかないなんて、不自然すぎることに。
「君が僕に、馬場君の家に直接説得に行こうって言い出したのも、裁判のときに僕が馬場君を脅したという既成事実を作るためだったんだろう? そして予定通り裁判に持ち込んだ君たちは、馬場君に証言を翻させることで、学園裁判所の信用を地に落とすことに成功した。計画通りにね」
本当に、まんまと引っかかったわ。
「けれど君の計画は、ここからが本番だった。君にはわかっていたんだ。学園裁判所を潰せば、木戸たちが馬場君との約束なんて守りはしない、ということを。そして案の定、木戸は馬場君との約束を反故にし、またカツアゲしようとした」
もしかしたら、それすらも朝比奈の入れ知恵だったのかもしれない。
「そして、君は馬場君にもささやいたんだ。このままでは破滅するだけだ。この状況から抜け出すには、木戸を殺すしかない、とね。そして、追いつめられた馬場君は、本当に木戸を殺してしまった。君の思惑通りにね」
「さ、さっきから、何を言ってるのか、わからないよ、久世君。わたしは万引きなんてしてないし、木戸君たちとグルになったりもしてないよ。信じて、久世君」
朝比奈の訴えを拒むように、久世は目を伏せた。
「……そして計画は、すべてうまく運んだ。結果的に、君は木戸たちに入れ知恵をしただけで、邪魔者をすべて排除することに成功したんだ」
「いい加減にして!」
朝比奈は声を荒げた。
「わたしは、そんなことしてない! それでも、どうしても久世君がわたしを悪者にしたいなら、証拠を見せて!」
「証拠はないよ」
「ほら」
「でも、証人ならいるよ」
「え?」
「木戸の連れだよ。彼らに聞けば、少なくとも君が木戸に脅迫されていたってことは証明されるはずだ。彼らは、ずっと木戸と行動を共にしていたんだからね」
実際、このことは俺が木戸の仲間から聞きだしたことだしな。
「もっとも、それだけじゃ、君が馬場君を唆して、木戸を殺させたことの証拠にはならない。だけど、このことを黙っていたうえ、学園裁判所を潰すことに加担した君と、このまま何も知らないフリをしたまま付き合うわけにはいかないんだ」
「……そう、よくわかったよ、久世君」
朝比奈の目が赤く光った。すると、
「え?」
久世の口から戸惑いの声が漏れ出た。やっぱりか。
「あ、朝比奈さん?」
「ごめんね、久世君。でも、すぐに忘れるから」
どうやら久世は、朝比奈の力で金縛りにあっているらしい。さしずめ、朝比奈のプロビデンスは「人心操作」といったところか。
「本当に、君も「救済者」だったのか」
「え?」
久世の口から出た固有名詞に、朝比奈の顔に動揺が走った。
「ど、どうして、それを? もしかして久世君も?」
朝比奈は警戒心から後ずさった。
「いや、僕は違うよ。ただ「救済者」だった馬場君が、そんなことを言ってたんでね」
馬場が「救済者」になったのは、話の流れ的に学園裁判の後だろう。おそらくは学園裁判所が話題になったことで、世界救済委員会に目をつけられたんだ。
そして、そのうえで裁判が終わるまで、あえて接触しなかった。そうすれば、孤立無援になった馬場が、ヘビを殺す確率が高くなるから。
どんな人間でも、本当に人を殺すには、相当覚悟がいる。気の弱い馬場ならなおさらだろう。
もし、ハンパなところで馬場を「救済者」にしていたら、それこそヘビたちを痛めつけただけで終わりにしてたかもしれない。そうさせないために、馬場が追い詰められるまで待ってたんだ。
そして馬場に接触があった以上、同じような境遇にあった朝比奈にも接触を図った可能性があると踏んだ。で、そのことを久世に話すと、朝比奈に真相を問うというので、こうして人気のない墓場でスタンバッてたというわけだ。
万が一、朝比奈が「救済者」だったとしても騒ぎにならないように。
「そうなんだ。だから馬場君、あんなことしたのね」
「馬場君が「救済者」だってこと、知らなかったのかい?」
「うん。わたしが、この力のことを知ったのは、あの事件の後だもん。馬場君も、そんな力を手に入れてたんなら、話してくれたらよかったのにね。そうすれば、もっとうまい解決法があったかもしれないのに。それとも、わたしみたいに裁判の後に力を手に入れたのかな? だとしたら、不器用な上に運もないよね、彼」
そこまで言わんでも。
「でも、他のことは久世君が言った通りだよ。もっとも、もう木戸君の仲間たちは、そのことを忘れてるだろうけど」
「え?」
「そして久世君も」
朝比奈の目が、再び赤く光った。
「心配しないで。ただ忘れてもらうだけだから。わたしと木戸君たちのこと。そして、美和神楽さんとの思い出を」
そこまでだ。
俺は朝比奈の体を影で包み込んだ。そして朝比奈からプロビデンスを「分離」した後、再び影を地面のなかに戻した。
「い、今のは、一体?」
朝比奈は困惑しきりだ。まあ、そりゃそうだろう。
「……今のは、君とは違う「救済者」の力だよ」
「え?」
「そして、今の闇に包まれたことで、君は「救済者」の力を失った。普通の人間に戻ったんだ」
「ええ!?」
朝比奈は再び力を行使しようとした。しかし馬場と同じく、朝比奈の目が赤く光ることは2度となかった。
「そ、そんな……」
朝比奈は、その場にへたり込んだ。
「朝比奈さん……」
久世は、落胆する朝比奈を悲しげに見つめていた。とにかく、これで一件落着。と俺が思った矢先、朝比奈がポシェットからナイフを取り出した。
「あ、朝比奈さん?」
久世も動揺しきりだ。
「ごめんね、久世君。でも久世君も悪いんだよ。学園裁判所を創ろうなんて、突然言い出すんだもん」
朝比奈は微笑んだ。それは、いつも朝比奈が見せる、優しく穏やかな笑みだった。
「わたしは常に優等生でいなくちゃいけないの。でないと、わたしはパパに捨てられてしまうから。だってパパにとって必要なのは、優等生のわたしだけだから」
朝比奈はナイフを両手で握りしめると、刃を自分の喉に向けた。やめ、
「ダメだあ!」
久世は朝比奈に駆け寄ると、ナイフを掴み止めた。やれやれだ。
「や、やめるんだ、朝比奈さん」
久世は朝比奈の手を掴むと、強引にナイフを手放させた。
「ど、どうして邪魔するの? わたしなんて、もう生きてたところで意味なんてないのに……」
朝比奈は膝から崩れ落ちた。まるで昔の白羽だ。
「それは、僕には君が必要だからだよ、朝比奈さん」
言ったあ!
「必要? でも、さっきは付き合えないって……」
そういえば……。
「うん。その気持ちは今も変わらない」
なんだ、そりゃ?
「だったら」
「でも必要なんだ。僕の目的を実現させるためにね」
「久世君の目的?」
「学園裁判所の復活だよ」
なに?
「で、でも、あれはもう……」
「うん。確かに今回の失敗で、学裁は廃止になった。でも、それですべてが終わったわけじゃない」
「終わったわけじゃない?」
「そうだよ。今回の失敗で改正すべき問題点はわかったし、その解決策もすでに考案済みだ。もっとも、だからといって死人まで出してしまった以上、清川中学に今すぐ復活してくれと言ったところで不可能なのはわかってる。だけど、この先10年20年スパンで考えたら、方法はいくらでもあるだろ。教師や校長になって学裁を導入するよう働きかけることだってできるし、官僚になって学裁を導入する方法だってある。もし、それでもダメなら政治家になって実現させればいいし、もしそれでもダメなら、それこそ総理大臣になって学裁を実現させてやるまでだ」
壮大なスケールだな、久世。
「……本気で言ってるの、久世君?」
まったくだ。
「もちろん本気だよ。でも、それを僕1人の力で実現できないことは、今回のことでよくわかった。だからこそ、それを実現させるためには1人でも多くの協力者が必要なんだ。それも頼りになるね」
なるほど。どんな形であれ、朝比奈に生きる目的を持たせようというわけか。
「その点、君は気配りがきくし、人に好感を持たせる術を心得てる。さっき言った朝比奈さんの暗躍だって、裏を返せば自分の置かれた状況を最大限に利用して、証拠を残さず邪魔者を排除したってことだろ。それって考えたら凄いことじゃないか。普段は人気者で、その実裏では他人を陥れる狡猾さを持ってるなんて、仲間として、これほど頼もしい存在はないよ」
「……でも、わたしは久世君をだまして、今だって久世君に酷いことを」
「そんなこと、たいしたことじゃないよ。それに、朝比奈さんの気持ちも少しはわかるし」
久世は朝比奈に笑いかけた。
「僕も、この2年ずっと優等生を演じてきたからね。失敗できないプレッシャーのなかで生きてると、どこかでガス抜きしたくなるよね。まして朝比奈さんの場合は学校だけでなく、家でも完璧であることを強要されてきたんだろうから、並大抵のストレスじゃなかったはずだ」
久世は朝比奈の手を取った。
「安心していいよ、朝比奈さん。僕は、このことを誰にも言うつもりはないから」
俺もな。あ、俺は久世に言っちゃったか。まあ、いいや。
「まあ、言ったところで誰も信じないだろうけどね。それどころか、そんなことを言ったら、僕のほうが全校生徒から吊るし上げを食うのがオチだ」
確かに。ヘビの仲間の記憶も朝比奈が消してしまった以上、証拠も証人もいないからな。
それとも、朝比奈が普通の人間に戻ったことで、朝比奈が連中にかけた記憶操作もリセットされたのか?
後で調べておこう。
ま、どちらにしても、連中が朝比奈のことを言いふらしたり脅迫してくることは2度とないだろう。朝比奈が連中の記憶を操作する前に、俺が徹底的に教育的指導を行っといたから。
「それに、たとえ僕の協力を断ったとしても、今回のことをネタに朝比奈さんを脅すようなこともしないから安心していいよ。確かに朝比奈さんが僕のやることに手を貸してくれたら心強いけど、それはあくまでも朝比奈さんがその気になってくれたら、の話だからさ。脅迫して自分に従わせるなんて趣味じゃないし、そんな真似したら、それこそ木戸たちの同類になっちゃうからね」
それは確かに冗談じゃないな。
「それと……ごめんね、朝比奈さん」
「え?」
「1年以上も一緒にいたのに、僕は君の苦しみに、まったく気づいてあげられなかった」
久世は苦笑った。
「でも、こうして気づいた以上は、もう誰にも君を傷つけさせたりしない。だから、もう1人で苦しまなくていいんだ。君は僕が守るから」
久世は朝比奈を、そっと抱きしめた。
「う……」
久世の腕のなかで、朝比奈は嗚咽した。そして、その嗚咽は間もなく激しい号泣に変わった。
朝比奈は久世の胸のなかで泣き続けた。
それは、朝比奈が初めて見せた感情の爆発だった。
そして事の顛末を見届けた俺は、その場を離れたのだった。




