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第185話

 やってしまった。


 あれだけ白羽に止められてたし、事を荒立てないように注意していたというのに……。


 だが、やってしまったものは仕方ない。

 これで白河へのイジメは、とりあえず鎮静化するだろうし、結果オーライだ。

 それに、激しい法廷闘争の末、白河の無実も勝ち取れたから、そこから白羽の責任問題に発展する可能性も、まずないだろう。


 今回の事件は、被害者と加害者が入り交じる大変微妙な裁判となったが、最終的に裁判長が白河の正当防衛を認めたのだ。

 俺の誠心誠意の弁護が、クラゲ判事の心を突き動かしたと思われる。

 確かにクラゲは正しかった。人間、話し合えばわかり合えるものだ。うんうん。


 まだ地方裁だから、高裁、最高裁で引っ繰り返る可能性もあるが、俺がロバの言質も取り付けたので、その可能性は限りなくゼロに近いだろう。

 ただセコガニだけは、この判決に納得しないに違いない。しかし多数決で、セコガニの控訴は棄却されることになるだろう。それが日本の民主主義というものだ。


 こいつらは、それを今日まで平然と実行してきたのだ。いつか立場が逆になる可能性を想像できなかったほうが悪い。


 裁判が閉廷し、無罪を勝ち取った白河は家路についた。


 白河の家は、学校から2キロ程離れた住宅街にあった。

 3階建ての一戸建。なかなか立派な家だ。


 白河は家に入った。すると、2階から1人の女性が降りてきた。クラゲによると、白河の両親はすでに亡くなっていて、叔父に引き取られているという話だったから、おそらく叔母だろう。

 年の頃は40前後といったところか。神経質そうな細面の顔だが、なにより印象的なのは、その目だ。眼鏡の奥から白河を見下ろす瞳の冷ややかさは、それこそ液体窒素も真っ青だった。


「た、ただいま帰りました」


 挨拶する白河の声は、消え入りそうな小ささだった。


「あら、帰ってきたの? 遅いから、もう帰ってこないのかと思ってたわ」


 伯母の言葉には、あきらかに毒がこもっていた。

 白河は無言で立ち尽くすのみだ。


「何いつまでも、そんなところに突っ立ってるのよ。さっさと上がりなさい。まったく、何やらせてもグズなんだから」

「……はい」


 白河は靴を脱ぐと、玄関に上がった。


「まったく、どうしようもない子ね。勉強もダメ。運動もダメ。まったく、なんのために生まれてきたんだか」


 ジャブ! フック! ボディーブロー!

 叔母の連打が、容赦なく白河を打ちのめす。


「……ごめんなさい」


 すでに白河はノックアウト寸前だ。


「もういいわ。夕食はいつも通りだから、部屋で食べるのよ。あんたの陰気臭い顔は、見ているだけで気分が悪くなるから」


 伯母が右ストレートを叩き込んだところで、第1ラウンドが終了した。


 伯母は、意気揚々とコーナーポストに引き上げて行く。

 白河もフラつきながら、なんとか自力でコーナーポストに引き上げた。よーし、よく耐えた。偉いぞ、よくがんばった。


 俺は、白河について台所に入った。

 白河は冷蔵庫を開けると、手前に置いてあったサンドイッチを手に取った。そして、その足で3階にある自分の部屋へと引き上げていく。


 俺は部屋を見回した。

 部屋は質素なものだった。あるのは勉強机とベッドだけ。鏡台ひとつ置いていない。とても女の子の部屋とは思えない色気のなさだ。


「いい加減にしろ!」


 突然、部屋に男が踏み込んできた。年の頃は16、7といったところか。おそらく、あの叔母の息子だろう。顔が、あの叔母とそっくりだ。母親同様、眼鏡をかけていて、線が細く、いかにもガリ勉といった兄ちゃんだ。


「気が散るから、音は立てるなと、いつも言ってるだろ! 今週は大事な模試があるんだ! もし成績が落ちたら、おまえのせいだからな! このバカ女!」


メガネザルは母猿同様、猛ラッシュで攻め込んできた。どうやら知らない間に、第2ラウンドのゴングが鳴っていたらしい。


「……ごめんなさい」


 白河は素直に謝った。しかし俺が見ていた限り、白河は隣に聞こえるほどの物音なんて1度として立てていない。


「僕は、おまえみたいな負け組とは違うんだ! 死にたきゃ1人で死ね! 僕を巻き込むな!」


 メガネザルは右ストレートを繰り出した。


「おまえなんて、あのときバカ親どもと一緒に死ねばよかったんだ! そうすれば、僕がこんな目に遭うこともなかったのに!」


 おまえが死ね!


 俺はメガネザルに飛び蹴りを食らわせた。いかん。思わずリングに上がってしまった。俺としては、もうしばらくはセコンドに徹するつもりだったんだが。


 ん?


 見ると、メガネザルが2人いた。どうやら俺が蹴ったことで、メガネザルの霊体が肉体から飛び出してしまったらしい。魂じゃなく霊体なのは、蹴り飛ばしたからか?

 そんなつもりはなかったんだが、まあいい。このまま開廷、いや第3ラウンドに突入するとしよう。


『なんだ? 一体どうしたんだ?』


 メガネザルは周りを見回し、俺と目があった。


『うわあああ! 化け物!』


 案の定、メガネザルはパニック状態だ。あー、うるさい、とりあえずバナナでも食わせて落ち着かせよう。


 俺はメガネザルの横面に、右フックを叩き込んだ。バナナが、よほどうまかったのだろう。メガネザルは歓喜に打ち震えている。


『い、痛いい。た、助けて、ママア』


 メガネザルは逃げ出そうと、ドアに手を伸ばした。が、その動きが不意に止まった。どうやら、倒れている自分の体に気づいたようだった。


『こ、これ、僕じゃないのか? ぼ、僕が倒れている? なんで? 僕はここにいるのに?』


 メガネザルは完全に興奮状態だ。仕方ない。鎮静剤を打ち込んで、落ち着かせよう。


 俺はメガネザルに鎮静剤を打ち込んだ。1本! 2本! 3本! 4本! 5本! ふー、これでよしと。


『あ、うう……』


 さすがに今度は効いたらしく、メガネザルはぐったりとして騒がなくなった。


『今のおまえは霊魂なんだよ。つまり、おまえは死んだんだ』


 俺がそう言うと、


『ぼ、僕が!?』


 メガネザルの目が、飛び出さんばかりに見開かれた。まさにメガネザルだ。


『嘘だ!』


メガネザルは頭を抱えた。


『嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 僕が死ぬなんて、あり得ない! 僕の人生は、これからなんだ! 東大の法学部に入って、キャリア官僚になって、エリート街道を突き進むんだ! その僕が、こんなところで死ぬなんてあり得ない! 絶対嘘だ!』


 メガネザルは唐突に動きを止めた。


『そ、そうか、これは夢、夢なんだ。勉強疲れで、ついつい僕は眠ってしまったんだ。そうだ。そうに違いない。だいたい、幽霊なんで存在するわけないんだ。そうさ、この科学の進んだ世界でも、幽霊の存在は立証できていないんだ。それはつまり、幽霊なんて存在しないってことなんだ!』


どうやらメガネザルは鎮静剤が効き過ぎて、夢の住人となってしまったようだった。


 仕方ない。そういうことなら、俺が目覚まし時計を鳴らしてやろう。


『あが! いぎ! ぶ! うべ! ぶば!』


俺がアラームスイッチを押すと、時計は小刻みにベル音を鳴らした。ところが、しばらくすると、うんともすんとも言わなくなってしまった。


 壊れたか? と思ったが、耳を澄ますと、まだかすかにチクタク動いている。

 どうやら電池が切れかけているだけのようだ。まあ、あれだけベルが鳴りっぱなしだったんだ。電池の消耗が激しいのも無理はない。仕方ない。手間だが電池を入れ替えてやろう。


「和彦ちゃんの声がしたようだけど、あなた、また和彦ちゃんの邪魔をしたんじゃないでしょうね?」


 俺が子猿の股間を蹴り上げようとしたとき、母猿が部屋に入ってきた。ちょうどいい、おまえも来い。


 俺は母猿を張り倒した。すると、やはり魂でなく霊体が出てきた。やっぱり、そうだ。衝撃を与えると、魂でなく霊体が出てくるらしい。


『な、何!? きゃあああ! 化け物お!』


 檻から連れ出された母猿は、子猿同様大変な興奮状態に陥った。まったく、手のかかるエテ公どもだ。


『和彦ちゃん? 和彦ちゃんが、もう1人!? 一体どうなってるのおお!?』


 母猿は半狂乱だ。どうやら、こっちにも鎮静剤が必要らしい。


『やかましい!』


 俺は母猿の横っ面に、思い切り鎮静剤を打ち込んだ


『しゃ、しゃべった?』


 母猿は目を見開いた。親子だな。反応が小猿とそっくりだ。


『な、なんなの、あなた!? どうして、こんなこと酷いことを!? あたしたちが何をしたって言うの!?』


 子猿を抱きかかえながら、母猿が涙ながらに訴えてきた。やはりエテ公だな。酷いという言葉の意味を、まるで理解してないようだ。


『酷いだと?』


 俺が射すくめると、


『ひっ』


 母猿は身をすくめた。


『どの口で、ほざいてんだ、このエテ公どもが。おまえらが今までその娘にしてきたことを考えれば、まだ甘いぐらいだろうが』


 どうせ今までも、今日みたいなことを続けてきたんだろ、おまえら。


 俺がそう言うと、母猿は鼻白んだ。


『そして、そう聞きゃ、どうして俺がおまえらの前に現れたか、察しがつくってもんだろう?』

『う……』


 親子猿はバツが悪そうに目を伏せた。


『とりあえず正座しろ』


 俺は親子猿を被告人席に着かせた。


 では、これより開廷する。


『さてと、それじゃ言い分があれば聞いてやる。まずは母猿、おまえからだ』


 被告人、証人台へ。


『は、母猿?』

『なんか文句あんのか?』

『い、いえ、それで結構です』


 母猿は証人台に立った。


『それで? これまで随分と好き放題、ドふざけた真似してくれたんだ。何か、よっぽどの理由があるんだろ? 聞いてやるから、言ってみろよ、ほれ』


 これも教育、とかほざいたら、その場で死刑判決を下してやる。


『そ、それは……』


 被告人は口ごもった。


 俺は肩をほぐした。言っとくが、この裁判に黙秘権は存在しないので、そのつもりで。


『み、みんな、この娘が悪いのよ!』


 突然、被告人は原告である白河を指さした。追い詰められて開き直ったらしい。


『勉強もダメ! 運動もダメ! 家の手伝いをやらせても、まともにできやしない! もごもごと何言ってるかわからないし、いつもうつむいて何考えてるかもわかりゃしない! この子を見てるだけでイライラするのよ!』


 被告人はキーキーと、ヒステリックに主張した。まさに猿だ。


『そ、そうだよ! ママの言うとおりだよ! あいつが来たせいで、僕らの生活はめちゃくちゃにされたんだ! あいつのせいで僕の勉強ははかどらないし、成績も落ちてく一方なんだ! あいつは我が家の疫病神なんだよ!』


 子猿が母猿に便乗した。仲睦まじくて、けっこうなことだ。


『夫は自分の親戚のくせに、相談してもまともに取り合ってくれないし、先生からは注意されるし、どうしてあたし1人だけが、こんな目に遭わなきゃならないのよ! 嫌よ! もう嫌! もううんざりよ!』


 母猿は泣き崩れた。猿芝居で情状酌量を狙う魂胆のようだ。


『ママの言う通りだよ! だいたい身寄りのないあいつを可哀想だと思えばこそ、引き取って育ててやってるんじゃないか! 感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなんてあるもんか!』


 子猿は自分たちの正当性を、誇らしげに主張した。こういう奴が、将来官僚答弁を作るんだろうなあ。


 その後も、親子猿は自らの正義を主張し続けた。しまいには、白河の目つきが悪いだの、顔がかわいくないだのと、容姿にまでケチをつけ出す始末だ。


『……そうか。おまえらの言い分は、よくわかった』


 俺は被告人の最終弁論を打ち切った。そして判決文の読み上げに入る。判決、


『知るかあああ!』


 俺は子猿を蹴り飛ばした。


『いやあああ! 和彦ちゃあん!』


 母猿は血相変えて子猿に飛びついた。


『やかましいわ!』


 俺は母猿の後頭部を蹴り飛ばした。


『黙って聞いてりゃ、勝手な御託並べやがって! てめえらの言ってることは、結局全部てめえの都合だろうが! あの娘が来たから勉強がはかどらねえ? 成績が落ちた? ふざけんな! そんなもん、ただ単に、てめえの頭が悪いだけだろうが! てめえのバカさ加減を棚に上げて、他人に責任転嫁してんじゃねえよ! このウスラバカが!』


 俺は子猿に蹴りの雨を降らせた。


『何が東大だ! てめえが東大入れようが入れまいが、そんなことがあの娘になんの関係があるってんだ! なんで、そんなことのために、あの娘が気い使わなきゃならねえんだ! 甘ったれんな、ボケクソが!』


 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!


『いやあ! やめてえ! 和彦ちゃんを蹴らないでえ!』


 母猿が子猿に覆いかぶさった。


『何が和彦ちゃんだ! このヒステリーババアが!』


 俺は母猿を蹴りはがし、子猿に集中砲火を浴びせた。その方が母猿にも効果がありそうだからだ。


『だいたい、何が引き取って育ててやってるだ。晩飯がサンドイッチひとつだあ? それぐらいなら、いっそのこと施設に入った方が、よっぽど人間らしい生活送れるわ! 寝言は寝て言え、生ゴミが!』


 俺は子猿の頭を踏み付けた。


『それに今の御時世だ。あの娘の両親も、保険のひとつやふたつ入ってたはずだ。それに蓄えだって少しはあったろうしな。それ使やあ、高校ぐらい余裕で出れたはずだ。それを恩着せがましいセリフ吐きやがって』


 俺は子猿にヘッドロックを決めたまま、母猿に詰め寄った。


『いくらあったんだ、親の遺産? 言ってみろ、オラ!』


 もし親の遺産がねえってんなら、俺の貯金をくれてやるまでだ。1千万あれば、高校ぐらいなんとか卒業できるだろ。


『そ、それは……』


 母猿は目をそらした。こりゃ、相当あったな。


『殺されなきゃ、わからねえらしいな』


 俺は子猿の首を締め上げた。


『やめてえ! 言う! 言います! 6000万円ありましたあ! だから和彦ちゃんを殺さないで! お願いよお!』


 母猿は泣き崩れた。


『それだけあれば、高校はおろか大学だって出れるだろうが。てめえらに、ガタガタ文句言われる筋合いはねえってんだ』


 俺は子猿を投げ捨てた。


『よこせ』


 俺は母猿に右手を差し出した。


『え?』


 母猿がバカ面をさらした。


『え? じゃねえよ。親の遺産が振り込まれた、あの娘の預金通帳だよ』


 どうせ預かるとかぬかして、てめえらが巻き上げたんだろ。


『そ、それは……』


 母猿は言い澱んだ。自分の立場ってもんが、まだわかってねえらしいな。


 俺は子猿に向き直った。


『待って! やめてえ!』


 母猿が俺に取りすがった。なに被害者ぶってやがんだ、このエテ公が。


『なら、さっさとよこせ』


 その金持って、この家を出てってやる。6000万ありゃ、十分暮らしていける。こんな家にいるよりも、ずっと心穏やかに暮らせるってもんだ。


『よ、預金通帳はありますけど……』


 また母猿が口ごもった。


『けど、なんだ?』


 さっさと言えってんだ。


『ざ、残金が、ゼロ』


『ああ!?』


 俺は、子猿の頭を踏み付けた。


『許してえ! この家を買うために、全部使ってしまったのよお!』


 そういうことか。


『ふざけやがって、この寄生虫どもが』


 マジで引導渡してやろうか。


『あの娘の金をネコババして、そのうえ育ててやってるだの疫病神だの、勝手なことぬかしてやがったのか』


 俺は母猿の髪を鷲掴みにした。


『そもそも、あの娘の成績が悪いから、それがどうしたってんだ? ああ!?』

『ひいいい!』

『てめえには、なんの関係もねえ話だろうが! あの娘のことなんざ、微塵も心配してねえくせに、都合のいいときだけ身内面してんじゃねえ!』


 だいたい人間なんてもんはなあ、学校の成績が悪かろうが、将来幸せになれりゃそれでいいんだよ。学校なんか、ぶっちゃけ、そのためだけに存在してんだ。


『夫が家庭を顧みないだの、成績が落ちただの。結局のところ、てめえら自分のストレスを、あの娘で解消してるだけだろうが!』


 俺は母猿を蹴り飛ばした。


『ひいいい!』


 母猿は震えるのみだ。だめだ、こりゃ。


『あー、もういいわ、おまえら』


 こういう手合いは、相手にするだけ時間の無駄だ。とにかく自分を正当化して、他人に責任押し付けることしか考えてない。しかも、そのことを自覚すらしてないんだから、いっそうタチが悪い。


『じゃ、じゃあ、あたしたちを、元に戻してくれるのね?』


 母猿が、お花畑でスキップした。いい年こいて、なに虫のいい夢見てやがる。


『誰が、そんなこと言った?』

『え?』

『おまえらみたいな親戚なら、いっそいねえほうが、あの娘のためだ。おまえらは、このまま地獄に叩き落としてやる』

『そ、そんな……』

『なにが『そんな……』だ。被害者ぶりやがって』


 虫酸が走る。


『お、お願い! 許して! もう決して、あの娘をイジメたりしません! 食事だって、きちんと取らせますし、服だって買ってあげます! だから、お願い! 殺さないで! 地獄なんて嫌あ!』


 母猿は泣きわめいた。自分の身が危うくなったら、とたんに手のひら返しやがった。性根の底から腐ってやがる。


『そうかい。だったら1度だけチャンスをくれてやる。だが、次はねえぞ』

『は、はい! ありがとうございますう!』


 母猿は、こめつきばった。その姿を見ているだけで地獄に叩き落としてやりたくなるが、ここは我慢だ。ここでこいつらを殺したら、まず間違いなく、俺が白羽の説教地獄を食らうことになる。


 俺は親子猿の魂を肉体へと突っ込んだ。すると、親子猿が起き上がった。そして辺りをキョロキョロと見回す。

 ちなみに、今俺は床下に身を隠している。俺の姿が見えない状況で親子猿がどうするか。反応を見るためだ。


「夢、だったの?」


 案の定、母猿は、またまた自分に都合のいい設定をこしらえた。


「なんて、嫌な夢。あんな夢を見たのも、この娘の部屋に入ったからに違いないわ」


 母猿は白河を睨みつけた。ほー、そうきたか。そうか、そうか。


「僕も不愉快な夢を見ちゃったよ、ママ。変な影の化け物が現れて、僕とママを地獄に落とすって言っちゃってさ。バカバカしいったら、ありゃしないよ」


 子猿は眼鏡をかけ直した。


「え?」


 母猿が鼻白んだ。


「か、和彦ちゃん。い、今なんて言ったの?」


 母猿は、震える手で子猿の肩を掴んだ。


「何って、影の化け物が現れて、僕たちを地獄に連れて行こうとする夢を見たって言っただけだけど?」


「そ、そんな……。それじゃ、あれは夢じゃなかったって言うの?」


 母猿は、よろめいた。


「え? じゃあ、ママが見た夢っていうのも」


 そういうことだ!


 俺は子猿の魂を、もう一度掴み出した。


「嫌あああ! やめてえ! 和彦ちゃんを連れて行かないでえ! お願いよお!」


 倒れた子猿の体を抱きかかえ、母猿は泣き叫んだ。


「ごめんなさい! ごめんなさい! もう2度と言いません! 約束も、ちゃんと守ります! だから和彦ちゃんを返してえ! 地獄に落とさないでえ!」


 母猿は土下座して、何度も頭を下げた。まさに土下座のバーゲンセールだ。


 その姿が必死であればあるほど、俺の怒りは否が応にも増していく。その愛情の1パーセントでも、白河に回そうって気にならなかったのか、この母猿は?


『よう、また会ったな』


 俺は子猿の顔をのぞき込んだ。


『あ、う……』


 子猿は顔を引きつらせた。


『これで、夢じゃないとわかってもらえたか?』

『は、はいい』

『なら、けっこうだ。言っとくが、本当に次はねえぞ。わかってるな?』

『はいい!』

『ようし、いい子だ』


 俺は子猿の魂を、もう一度肉体に突っ込んだ。


「和彦ちゃん!」


 子猿が復活すると、親子猿は一目散に白河の部屋から逃げ出した。いっそ、この家から消えてなくなれ。


 生ゴミが掃き出されて、部屋は再び白河1人となった。


「……なんなの、あんた?」


 白河は、うさん臭そうに俺を見た。まあ、当然の反応だ。


「俺の名前は羽続翔。シェイドだ」

「シェイド?」

「まあ、話せば長くなるが、簡単に言うと、今この世界は過去に施した魔物封じの結界が解けかけてて、その対抗手段として人間を魔人化する計画が進行してて、俺はその参加者の1人なんだよ」


 世界救済委員会とやらの言うことを信用すれば、の話だがな。


「ふーん。で? そのシェイドさんは、なんであんな余計な真似してくれたわけ?」


 白河は冷ややかに言った。余計な真似ね。


「簡単に言うと、あるところにお節介焼のお人よしがいて、おまえのことを放っておけないと言って、きかなかったからだ。たとえ、その結果、自分の立場がどんなに悪くなろうとも、な。だから、そいつの代わりに俺が動いたってわけだ。納得したか?」

「そいつって?」

「それは言えん」

「……ま、いいわ。普通なら到底信じられない話だけど、同じぐらい信じられないものが、今目の前にいるわけだし」


 わかればよろしい。


「つーか、俺にそれだけハッキリ物が言えるのに、どうしてあいつらの前じゃ、あんなにおとなしかったんだ? 言い返すなり、やり返すなりしてやりゃよかっただろうが」

「曲がりなりにも世話になってるのに、言えるわけないじゃない。それに、どうせ中学を卒業するまでだし。中学を卒業したら、あたしは自立することに決めてるから。この家を叩き売れば、当座の生活費には困らないだろうし」


 なるほどな。あいつらも天下も、それまでだったってことか。


「じゃあ、学校の連中の前で、おとなしかったのはなんでだよ?」


 あいつらは赤の他人なんだから、遠慮する必要はねえだろうに。


「ちゃんと言ったわよ。あんたたちみたいな輩とは関わる気もなければ、そんな価値もないって」


 ああ、そう言えばスズメバチが、そんなこと言ってたな。


「だからあたしは、そのあたしの言葉を忠実に実行してたのよ。あんな奴らに挑発されたからって反応したら、それこそあたしが、あいつらの思い通りに動かされたみたいだから」


 気持ちは、わからんでもないが。


「関わる価値がないってことと、やられっぱなしになることとは違うだろ。確かにクソになんて誰も近付きたくはないが、クソが向こうから飛んで来たら避けるし、目障りになったらゴミ箱に捨てるだろうが」


 それと一緒だ。


「そんなこと、できるわけないでしょ!」

「なんでだよ? そりゃ面と向かって戦えば、多勢に無勢でやられるだろうが、別に勝つだけなら、いくらでもやりようがあるだろ。階段から突き落とすとか、後ろから椅子で殴り倒すとか」

「バカなの!? そんな真似したら、あたしが警察行きじゃない!」

「じゃあ、こっそり家に放火」

「だから、そういう問題じゃないって言ってんのよ!」

「じゃあ、どういう問題だよ?」

「他人の目から見て、あたしがどういう人間かなんて、どうだっていいのよ! 大事なのは、あたしが、あたし自身に恥じない行動を取ってるかどうかってことなのよ! そして今日のアレは、あたしにとって明らかに恥ずべき行動なの! 何より、そんな真似したら、あたしもあいつらの同類になり果てちゃうじゃない! あんなヘドカスどもに煽られて闇堕ちするとか、冗談じゃないってのよ!」


 いや、とっくに闇堕ちしてると思うんですけど……。


「だからスルーしてたのよ。なのに……」


 白河は、再び俺に非難の眼差しを向けた。


「よくも、余計な真似してくれたわね!」

「なるほど。要するに、なんだかんだ言いながら、おまえはあいつらを自分と対等の存在だと思ってるってことだな」

「は? なに言ってんのよ、あんた? あたしが、いつそんなこと言ったのよ? バカじゃないの?」

「だって、そうだろ。おまえは自分の回りを飛んでるハエや蚊に殺虫剤を吹き付けるとき、それで自分が闇落ちすると思ってるか? 違うだろ? ただただ害悪だから駆除しようとしているだけだ。そこに、なんの感情もありゃしねえ」

「…………」

「なのに、おまえはあいつらをブチのめすと、闇落ちすると思っている。それは、おまえが口でどう言おうと、あいつらのことを対等な存在だと認識しているという証拠だ」

「バカバカしい」

「そうやって否定してるだけじゃ、前には進めねえぞ。まあ、話すだけ無駄な奴は確かにいるけどな。それは、あくまでも話してみた結果であってだな」

「いきなり飛び蹴りかましたり、ホウキで殴り倒した奴が、どの口でほざいてんのよ」


 ごもっとも。いや、違う。


「あれは、緊急事態だったからであってだな。現に、最後はクラゲも納得してただろうが」

「あれの、どこが納得よ。ただ、ビビッてただけじゃない。力づくで黙らしただけのくせに。あんたなんて、あいつらと同類よ。力があれば、何やっても許されると思ってるクズ野郎が。話してるだけで、魂が汚れるわ」


 酷い言われようだ。


「おまえの毒も相当なもんだと思うぞ。あいつらも悪かったが、おまえも、もう少しな」

「うるさい! 着替えるから、部屋から出てって!」

「へいへい」


 俺は白河の部屋から退散した。


 しかし、ちょっと事情を説明するだけのつもりが、思わぬ大掃除になってしまった。

 まさか白河の家が、ここまでの伏魔殿だったとは。


 まあ、やってしまったものは仕方がない。それに、まだ大黒柱の修繕が残っている。

 こちらも働き過ぎて、相当ガタがきているみたいだから、大規模な補修工事が必要となるだろう。

 とはいえ、夜は白羽のボディーガードがあるし。

 となると……。

 朝、大黒柱の出勤前にでも出直すことにするか。その時間なら確実に帰宅してるだろうし。


 そして翌朝、白河家に出直した俺は大黒柱の補修作業を決行した。

 開廷し、罪状を読み上げる俺に対して大黒柱は、


「あれは妻が勝手にやったこと。流麗ちゃんだって、狭いアパートよりいいと承諾した」


 などと、その場しのぎの言い訳を並べ立てた。が、無論、そんなクソみたいな言い逃れが通用するわけもなく、逆に反省の色なしとして大規模な補修工事を強行した。


 その結果、大黒柱はそれなりに補強されたが、白河の家庭環境は想像以上に荒廃していることがわかった。


 ふう。この2日で、それなりに再建計画は進んだが、まだまだ油断はできない。

 あの手のエテ公どもは、ちょっと目を離すと、すぐ野生に帰ってしまうからだ。そうさせないためにも、当分の間は俺が調教し続ける必要がある。


 まったくもって面倒な限りだ。が、仕方ない。

 これも、白羽に教員免許を取らせるためだ。

 それを達成できて、初めて俺はなんの憂いもなく、後腐れもなく、心置きなく宇宙に旅立つたことができるのだ。







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