第183話
空は陽気に笑っている。
先週見た天気予報だと、今日は雨のはずだったのだが、御上の都合で1日延期になったらしい。
しかし、そんな御天道様の粋な計らいの下にあっても、白羽の顔は晴れないままだった。おそらく、まだいじめのことを気にしているのだろう。
「じゃあな、白羽」
俺は白羽に声をかけると、一足先に1年3組に向かった。すると、ちょうど問題の少女が登校してきたところだった。
確か、名前は白河流麗だったか。
後ろ髪を背中まで伸ばした細身の少女で、クールビューティというのが俺の第一印象だった。
教室に入った白河は、そのまま自分の席へと向かった。すると、不意に白河がつまづいた。本人の不注意じゃない。1人の男子が横から足を出しやがったのだ。そして転んだ白河を見て、回りの連中もほくそ笑んでいる。
どうやら、このクラス全体が白河の敵らしい。上等だ、コラ。今すぐ、1匹残らず血祭りにあげてやる。
と、いきたいところだが、ここは我慢のしどころだ。
こいつらを皆殺しにするのは造作もないし、めっちゃ殺りたい。が、それでは本末転倒だ。
俺がここにいるのは、大事にせずに問題を解決するためなのだ。
それに、まだクラスの状況を完全に把握したわけでもない。動くのは、もう少し様子を見てからでいいだろう。
そう、いったんは矛を収めた俺だったが、1時間目の授業が始まって早々、新たな事態が発生した。白河の後ろの女子が、シャーペンで白河の背中を刺しやがったのだ。
大変だ。こんなところに、凶悪なスズメバチが入り込んでいるぞ。これは、さすがに様子見なんて悠長なことを言っている場合じゃない。スズメバチの毒は、下手すれば命に係わるのだ。早急に駆除しなければ。
しかし、具体的にどうする?
このスズメバチに殺虫剤を吹きかけるのは簡単だが、ここでいきなりスズメバチがくたばったら、間違いなく事件に発展してしまう。
となると、残る手段は……。
あれでいくか。
俺はスズメバチの足元まで移動すると、椅子の下からスズメバチの魂を掴み出した。
『な、何? なんなの、一体』
うるさい奴だ。
俺は、混乱しているスズメバチを廊下に連れ出した。そしてスズメバチを掴んだまま、
『死ね!』
右膝蹴りを食らわせた。
『痛あ、いきなり何すんだよ』
スズメバチは敵意をむき出したが、俺の姿を見て凍り付いた。
『バ、化けも』
『やかましい!』
俺はスズメバチに、もう一度殺虫剤を食らわせた。
『誰が、おまえの発言を許した』
殺虫剤の直撃を受け、スズメバチは床の上でのたうった。
とりあえず飛び回れないよう、針を刺しておこう。
俺はスズメバチに、蹴りの雨を降らせた。1本! 2本! 3本! 4本! 5本! 6本! よし、こんなもんでいいだろう。
俺は動かなくなったスズメバチを掴み上げた。
『も、もうやめてよお。あたしが何したって、ゆうんだよお』
うわあ、言うか、そういうこと? まあ、そういう種族だからこそ、平気でミツバチを襲えるんだろうけど。
『じゃあ、聞くがな。白河が、おまえに何したってんだ?』
俺は教室を指さした。
『そ、それは……』
スズメバチは、とたんに元気がなくなった。と思いきや、
『なんだよ! そんなこと、あんたには関係ない話だろ!』
悪びれもせず食ってかかってきた。これだから、害虫は始末が悪い。
『おまえ、まだ自分の立場がわかってないらしいな。なんで俺が、おまえごときに説明してやんなきゃならねえんだ? ああ!?』
『ひいい!』
『このまま握り潰してやろうか?』
俺はスズメバチに手を伸ばした。
『いやああ! 止めてえ! お願い、助けてえ!』
『お願い致します、だろ』
『お、お願いします。助けてください』
『わかればいい』
俺は、とりあえずスズメバチを被告人席に着かせた。
では、開廷する。
『さて、言い分があれば聞いてやる。なんで白河にあんな真似してたんだ? 言ってみろ』
『だ、だって、しょうがないだろ。み、みんながやれって言うんだからさ』
被告人は脅迫されての犯行であると、情状酌量を訴えた。
『もし断ったら、今度はあたしまで的にされちまうんだ。だから……』
被告人は無罪を主張した。自分の命にかかわる非常事態なら、他人を見殺しにしても許される。確か、刑法37条だったか?
『やれと言われたから、仕方なくやってたってわけだ?』
『そ、そう、そうだよ』
『に、しては、随分いい顔してたじゃねえか』
調子のいいこと、ぬかしやがって。そんな言い訳が通用すると思ってんのか? ここに、ちゃんと目撃者がいるんだよ。
『そ、それは……』
被告人は口ごもった。今度は黙秘権を行使するつもりでいるようだ。
どうやら自分の立場が、まだわかってないらしい。
仕方ない。もう1度、殺虫剤を吹き付けてやろう。
『ま、待って! 暴力はやめてよ!』
どの口で、ほざいてやがる。
『そ、そりゃ、あたしだって、少しは調子に乗ってたところもあったかもしれないけどさ。だけど、元はといえば白河が悪いんだよ。あいつ、話かけても無視するし、しまいには「あなたたちなんかと話すことなんてない。興味がないし、関わる価値もない」なんて言うから。あいつには、他人と仲良くしようって気が全然ないんだよ。だから、みんなムカついて。そりゃ、調子に乗ったあたしらも悪かったけど、白河も何されても文句言わないから、みんな歯止めがきかなくなって、どんどんエスカレートして……。だからさ、あいつがもう少し、自分の性格を変える努力を』
『もういい。よくわかった』
以上で、被告人の最終弁論を終了する。
『じゃ、じゃあ、許してくれるんだね?』
『ふざけんな!』
俺はスズメバチを蹴り飛ばした。
『俺はな、おまえの言い分は、わかったっつったんだよ。つまり、おまえはこう言いたいわけだ。自分たちをムカつかせた白河が悪い。そんな奴は的にされて当然だと』
俺はスズメバチに歩み寄った。
『い、いや、来ないで……』
スズメバチは後ずさった。
『だったら、俺も遠慮はいらねえわけだ。なにしろ、俺も今! 激しく、おまえにムカついてるからなあ!』
『あ、う……』
『関わるなと言われたんなら、関わらなきゃいいだけの話だろうが! 誰が、おまえらに白河と付き合ってくれと頼んだ、ああ!?』
俺はスズメバチに手を伸ばした。
『だ、誰か! 誰か助けてえええ!』
スズメバチのSOSは、しかし仲間の耳には届かなかった。
そして、この日を境に白河がスズメバチに襲われることは、2度となかったのだった。




