第180話
今日、俺は人間をやめた。
きっかけは「世界救済計画」とかいうプロジェクトだが、この際それはどうでもいい。
重要なのは、その計画に参加したことで、俺がシェイドになれたことだ。
ちなみに、シェイドとは人が生身の肉体を捨てて、影化した存在だ。そのため、シェイドは食事や睡眠をとる必要もなく、殺されない限り死なないという、超お得キャラなのだ。
そしてシェイドとなった俺は、さっそく影の世界に足を踏み入れた。
見渡す限りの暗闇は、それこそ大宇宙と見間違うほどに果てしない。この雄大な空間を、1人漂う解放感は爽快の一言だ。
いっそ、本当にこのまま宇宙に出るか? 宇宙も闇と言えば闇だから、行こうと思えば行けるはずだ。
いや、その前に海底探検するのも悪くない。宇宙に出るのは、地球を探索し尽くしてからでも遅くない。
何しろ、時間は無限にあるんだ。
ともあれ、これで生まれ育った東京ともお別れだ。ま、別に郷土愛など微塵もないし、別れを惜しむような人間も……1人いないことはないが……。
やっぱり、最後に挨拶ぐらいしておくか。このところは音信不通だったが、なんだかんだで小学生からの付き合いだし。もしかしたら、俺がいなくなったら心配したり、捜したりするかもしれない。
えーと、確か、あいつの家は……。
俺は、梵白羽の家へと向かった。
俺と白羽は、一言で言えば、腐れ縁の幼なじみだ。
最初に白羽と関わることになったのは、小学1年生のとき。あいつがイジメられているのを助けたことがきっかけだった。
まあ、正直なところ、白羽を助けたっていうより、調子こいてた連中にムカついたから、ぶっ飛ばしたってのが、本当のところなんだが。
今でこそ聖女様のようだが、当時のあいつは何かといえば「どうせ、わたしなんて」とか「わたしには、なりたいものなんて何もないから」が口癖の、完全な陰キャだった。
で、あまりにもウジウジしてるもんで、気分転換させるために、当時やってたアーチェリーを無理矢理やらせたのだ。
なぜアーチェリーかというと、当時の俺がハマっていたからだ。
理由は、単純明快。1人でできるから。
テニスとかだと、個人競技と言っても実質相手がいないとできないが、アーチェリーは弓と的さえあれば、本当に他人は一切必要ない。まさに、オンリーワンを愛する俺にピッタリの競技だったってわけだ。
もっとも、その理屈で言えば、日本人だから弓道やればよかったんだろうが、あれは礼儀作法が面倒くさいし、弓自体も長くて持ち運びが面倒だから、やめたのだ。
その点、アーチェリーは分解して持ち運べるから、お手軽だし。
その代わり、使うたびにイチイチ組み立てなきゃならんし、矢も壊れやすくて高いから、トータルで考えると差し引きゼロなんだが。
まあ、それはともかく、そんなわけで白羽にとって俺は恩人であり、その腐れ縁は小中高から大学生の今に至るまで続いている、いや、いたのだった。つい最近までは……。
夜の住宅地のなかに、梵の表札を見つけた俺は、さっそく家に忍び込もうとした。そのとき、
「それじゃ、行ってきます」
聞き慣れた声とともに、玄関のドアが開かれた。
見ると、それはやはり白羽だった。
化粧をしてブランド品で着飾った姿は、昔の白羽からは想像できない姿だったが、その容姿は間違いなく本人のものだった。
こんな遅くに、どこに出かける気だ? いや、遅いと言ってもまだ8時だし、大学生なら不思議じゃないか。
俺は白羽を追いかけた。
別に、白羽のことが気になって尾行することにしたわけじゃない。
それじゃ、ただのストーカーだ。
俺が後をつけているのは、さっさと別れの挨拶を済ませたい。
本当に、ただただ、それだけなのだ。
そして、バスと電車を乗り継ぐこと一時間。白羽がたどり着いたのは、繁華街のバーだった。
まあ、もう白羽も20歳を超えているんだし、別になんの問題もないと言えばない。
俺は、白羽を追って店に入った。そして物陰から様子を伺うと、店内には10人以上の先客がいた。
営業中なんだから、当たり前と言えば当たり前だが、気になるのは、その客の顔触れだ。顔にピアスや入れ墨だらけの奴など、どいつもこいつも趣味の悪そうな輩ばかりなのだった。
「こんばんは。どうやら、あたしが最後のようね。今夜も楽しみましょう」
白羽が皆に呼びかけた。偶然居合わせただけなのかと思ったが、どうやら全員知り合いのようだ。
「あ、ああ、楽しもう」
アル中なのか、ジャンキーなのか。20代半ばのガリガリ男が、痙攣しながら相槌を打つ。他の連中も、馴れ馴れしく白羽に話しかけてくる。
なんなんだ、こいつら? マジで全員白羽の友達なのか?
こいつとは小学生からの付き合いだが、こんなダチがいるなんて聞いたこともないぞ。いや、俺と疎遠になってからできた友人かもしれないし、他人の交友関係に口を挟む気はない。だが、それにしても、もう少し友達選んだほうがいいと思うぞ、白羽。
白羽がカウンターに座わると、鼻にピアスをした男がグラスを差し出してきた。
「ありがと」
白羽は笑顔でグラスを受け取ると、迷わず口をつけた。
「それにしても、変われば変わるもんだな。最初に見たときは、垢抜けない地味な娘だったのに」
鼻ピアスは、白羽の顔をマジマジと見た。
「言ったでしょ。磨けば光るって」
白羽は微笑した。
「本当にな。なあ、いいだろ、今夜こそ、その体、味見させてくれよ」
鼻ピアスは下なめずりした。
「せっかちねえ。そう、あせらないでもいいじゃない。夜はまだまだ長いんだし」
白羽は鼻ピアスにしなだれかかった。その肢体から大人の色香が漂ってくる。以前の白羽からは考えられない妖艶さだ。
「ほんと、いいわね、その体」
金髪女が、白羽の側に寄ってきた。
「ねえ、その体、私にも使わせてよ。その体なら、どんな男でも選り取りみどりだろうから」
「だめよ、これはあたしのなんだから」
「もちろん、タダでとは言わないわ。その代わり、前にあなたが欲しがってたバッグ、アレあげるから」
「あれを?」
「そう、悪い話じゃないでしょ」
「そうね。でも、今はダメよ。いくら学生とはいえ、そう短期間でコロコロ性格が変わったら、さすがに回りに怪しまれちゃうもの」
「わかったわ。でも、できるだけ早くお願いね。私たちには無限に時間があるけれど、人の若さにはタイムリミットがあるんだから」
金髪女は、白羽を物欲しげに見つめた。
「はいはい。わかったから、もう少しだけ待ってちょうだい」
なるほど。
「そういうことだったのか」
俺は物陰から踏み出した。
ようやく合点がいった。
ここ最近の白羽の行動は、およそ白羽らしくないものばかりだった。
化粧っ気などまるでなかった白羽が、口紅やマニキュアを塗りたくり、イヤリングやネックレスで着飾った姿は、確かに違和感ありまくりだった。
それでもその変化を、俺は白羽の心変わりが原因だと思っていたんだが、これが本当の理由だったわけだ。
「なんだ、こいつ?」
「影?」
寄生虫どもは、気色ばんで俺を取り囲んだ。
「俺のことは、どうでもいい。そんなことより、さっさとそいつの体から出ろ。寄生虫」
俺は白羽を指さした。
「ああ、そういうこと」
寄生虫は薄笑った。
「あなたも、この器が欲しいのね」
「は?」
何言ってんだ、この寄生虫?
「でも、お生憎様。あたしは、当分この体から出ていく気はないから」
あのな。
「でも、そのうち飽きたら、あなたに譲ってあげてもいいわ。だから、それまでは、あなたも別の器で我慢しておきなさいな」
だからな。
「そうだ。いっそ、あなたもあたしたちの仲間に入らない? パーティーは、人数が多いほうが盛り上がるし」
おい。
「あなたも、あたしたちの同類なんでしょ? あたしたちは、こうして人間に取り憑けば、その人間の感覚を共有することができる。それはつまり、人間の得られるどんな快楽も思いのままということなのよ」
おい、おい。
「しかも、そこにはなんのデメリットもない。どんなに酒や麻薬に溺れても大丈夫。もし、それで使っている体が壊れたら、そのときはまた新しい体に移り変わればいいだけなんだから」
おい、おい、おい、おい。
「つまり、あたしたちはなんの代償も払うことなく、永遠に快楽を享受し続けることができるのよ。こんな素晴らしいこと、他にはないわ。そうでしょ」
いい加減、
「うっとうしいわ!」
黙って聞いてりゃ、好き勝手ほざきやがって。おまえのクソふざけた理屈なんざ、こっちはハナから聞いてねえんだよ!
「とりあえず出てこい、おまえら」
俺は、寄生虫どもに無数の手を伸ばした。本体が影なので、手を増やすも減らすも自由自在なのだ。
俺は寄生虫どもを捕まえたところで、
「分離」
さっきシェイドの「キャラ」とともに手に入れたクオリティを発動した。
そのまま引っ張り出してもよかったんだが、もし無理矢理引きずり出して宿主にダメージがあると困るので、念のためにクオリティを使ったのだ。
そして「分離」された寄生虫どもは、狐やひとつ目など種族は千差万別だったが、全員人間ではないという点で一致していた。
あ、宿主の魂も一緒に掴み出しちまってる。
俺は、あわてて宿主の魂だけ体に戻した。
あー、ビックリした。影であるシェイドは、一種のアストラル体だから、人の魂も引っ張り出せるのか。こりゃ、うかつに触れんな。
「く、くそ……」
「こ、こんな影ごとき……」
寄生虫どもは、なんとか俺の拘束を破ろうともがく。無駄なことを。
「この虫けらどもが……」
俺は寄生虫どもを、巨大化させた手で締め上げた。
「誰を相手にしてるつもりでいたんだ、おまえら?」
俺は寄生虫どもの腹に指を突き入れだ。
「グギャアアアアア!」
寄生虫どもは、口々に悲鳴を上げて身もだえた。
「や、やめて、も、もう許して……」
白羽に寄生していた妖狐が、涙ながらに哀訴してきた。
「は? なに甘ったれたことぬかしてんだ、おまえは?」
俺は寄生虫の首を締め上げた。
「抵抗できない相手には、何をやっても許される。これが、おまえが望んだ世界だろうが」
せいぜい苦しんで、
「死ね」
俺が寄生虫どもを握り潰そうとしたとき、
「待って、翔君」
白羽の声がした。目を覚ましたか、白羽。
「翔君、だよね?」
「……ああ、そうだ」
「お願い。その人を、許してあげて……」
あのなあ。
「おまえな、お人好しもたいがいにしとけよ。おまえ、あのまま乗っ取られたままだったら、それこそ散々弄ばれたあげく、いいように使い捨てられてたんだぞ?」
「お願い」
「……たく」
俺は渋々寄生虫どもを解放した。
「リベンジしたけりゃ、いつでも来い。次は、殺してくれと泣き叫ばせてやる。もっとも、それでも殺しちゃやらねえがな」
俺は寄生虫どもを睨みつけた。すると、さっきはあれだけ騒がしかった寄生虫どもが、今度は1匹も言い返して来なかった。
「ありがとう、翔君」
白羽は嬉しそうに微笑した。て、
「そういえば、なんで俺だってわかったんだ?」
名乗った覚えはないんだが?
「……それは、えーと、あれ? そういえば、どうしてかしら?」
白羽は小首を傾げた。相変わらず惚けた奴だ。
「まあいい。それより、さっさと出るぞ。立てるか?」
これ以上ここにいたら、やっぱりこいつら殺したくなる。
俺は白羽と一緒に店を出た。
「翔君」
駅に向かいながら、白羽が無駄に緊迫感のこもった声で話しかけてきた。
「一体どうして、そんな姿に?」
白羽が、今さらなことを聞いてきた。
「どうしてって、なりたかったからだよ」
「なりたかったって、どうして?」
うるさいな、もう。
「シェイド化したら不老不死なうえ、好きなことだけして暮らせると思ったからだよ」
「だからって」
「とにかく、詳しい話は後だ。こんなところで1人でブツブツ言ってたら、回りから変な目で見られるぞ」
「う、うん」
白羽は歩き出した。
まったく、口うるさい奴だ。どうせ他人事なんだから、放っておけばいいものを。
あの寄生虫どもも、このまま黙って引き下がるか怪しいもんだし、博愛精神もここまでくると害悪でしかない。
本当に困った奴だ。




