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第170話

 常盤学園に巨大ナメクジ現る。


 報道機関が知れば一面トップを飾りそうな事態は、学生たちに驚きと、それ以上の生理的嫌悪感をもたらしていた。特に、虫嫌いの人間に。


 その最たる例である秋代は、


「げ!?」


 会田の体から漏れ出た何かがナメクジだとわかった瞬間、


「げ!」


 トップに君臨する司令部は急速に戦意を喪失。


「げげ!」


 上官から即座の退却を指示された下士官は、


「げげげげ!」


 命令を速やかに実行した。


 校舎の隅へと全力で後ずさる秋代に代わって、


「あれって永遠君の仕業、じゃないよね?」


 小鳥遊が口を開いた。かと言って、会田が自分の意思で変身したとも思えない。


 永遠長に「同調」している会田であれば、自分をモンスター化することも不可能じゃない。そして、この場合、永遠長に勝てないと判断した会田が、モンスター化することで起死回生を図ることも、ないとは言い切れなかった。

 しかし、だ。

 だとしても、ナメクジはないだろう、と。


「ええ」


 天国の答えには確信がこもっていた。


「それじゃあ、また誰かが会田君をモンスターに?」


 かつての真境のように。


「本人の意志じゃないってところはそうだけど、あのときとはちょっと違うみたい」

「どういうこと?」


 小鳥遊が尋ねたところで、


「みんな、あのナメクジを止めるのです!」


 沙門たちがグラウンドに飛び出したが、


「うわ!?」


 行く手を永遠長の炎に遮られてしまった。


「何をするです!?」


 抗議の声を上げる沙門に、


「余計なことをするな」


 永遠長は憮然と答えた。


「こいつとの決着は、まだ着いていない」

「な!?」


 沙門が怒りの声を上げる前に、


「んなこと言ってる場合か!」


 秋代の罵倒が飛んできた。


「誰が倒すとか関係あるか! んなことどうでもいいから、早くなんとかしろ!」


 物陰からわめく秋代を、


「うるさい奴だ」


 永遠長は切り捨てた。


「俺がどう戦おうと俺の勝手。他人にとやかく言われる筋合いはない」

「あるでしょうが! あんたがグズグズしてる間に被害が出たら、どう責任取んのよ!」

「むろん、そんなもの取る気はない」

「この……」

「そもその、そんな惨事にはならん。なぜならば」


 永遠長はナメクジに向き直った。この間、ナメクジは動きを停止していたが、それはナメクジ自身の意志ではなく、永遠長が結界で動きを封じていたからだった。


「こいつを無害化すること自体は、さして難しい話じゃないからだ」

「え?」

「「回帰」で元に戻した後「分離」で体内からナメクジを取り出せば、それで終わる話だ」

「あ、そうか。じゃあ、すぐ」

「が、その気はない」

「は?」

「言ったはずだ。この戦いで他人の力は使わないと」

「だから!」

「今ここで「回帰」や「分離」を使うと、後で生徒会の連中に反則負けと言われかねない」


 永遠長は近衛を一瞥した。


「今そんなこと言ってる場合じゃないって言ってんでしょうが!」


 秋代はあらん限りの大声で怒鳴りつけたが、


「そんな場合かどうかを決めるのは、俺であっておまえではない」


 永遠長は聞く耳を持たなかった。


「こうなったら、土門君と羽つ…て、そうだ! 今休んでるんだった!」


 羽続は3学期中、育児休暇を取っているのだった。


「ゴチャゴチャうるさい奴だ。要するに他人の力を使わずに、あいつを止めればいいんだろう」

「わかってると思うけど、殺すんじゃないわよ! 会田って奴まで死んじゃうから!」

「…………」

「ちょっと! 返事しなさいよ!」

「顕現」


 永遠長は秋代に答えることなく右手を振り下ろすと、


「驚浪雷奔」


 自分の足元から吹き出した雷をナメクジに浴びせかけた。そして電流が散々に体内を駆け巡り、ナメクジが完全に動かなくなったところで、


「おい」


 永遠長は近衛に声をかけた。


「これで俺の勝ちということでいいな?」

「け、結構ですわ」


 近衛が渋々ながら永遠長の勝ちを認めると、


「回帰」


 永遠長はナメクジの時間を巻き戻した。そしてナメクジが完全に会田の体内に戻ったところで、回帰を解除した。すると、


「そんなこと言われても、あんな速さ」


 会田の口から再び泣き言が漏れ出た。


「て、あれ?」


 会田は永遠長を見て、目を瞬かせた。今の今まで光っていた永遠長が、元に戻っていたからだった。


「まだ続けるか?」


 問いかける永遠長に、


「いやいやいやいや」


 会田は激しく首を横に振った。


 会田が今回の依頼を引き受けたのは、100万円と異世界ギルドの収益の1パーセントをキックバックするという報酬以上に、今の永遠長なら楽に勝てるという近衛の話を真に受けたからなのだった。

 にも関わらず、この有り様。痛い思いをするだけでも嫌なのに、このままだと命にすら関わりかねない。

 そこまでして近衛の依頼を遂行する義理など、会田にはないのだった。


「これで、あなたも少しはわかったんじゃない?」


 天国は会田に言った。


「たとえ流輝君と「同調」して、流輝君と同じ力を使えるようになったとしても、それだけで勝てるほど戦いは甘くない。それを使いこなす肉体と判断力。努力と研鑽の積み重ねこそが、流輝君をチート足らしめているんだってことが。要するに、どんな力を手に入れようが、それを使いこなせる力量がなければ、宝の持ち腐れってことね」


 天国の指摘に会田は力なく頭を垂れ、


「俺はチートじゃないと言っている」


 永遠長は不快感を顕にした。


「んなことより、さっきのはなんだったわけ?」


 秋代が割って入った。永遠長のチート論より、そっちのほうが秋代にとっては、よほど重要なのだった。


「あれは、おそらくエルギアの召喚獣だ」


 永遠長が答えた。


「エルギア?」

「それが体内に入ったまま、こいつは地球に戻ってきたんだろう。そして俺との戦いで命の危機を感じた召喚獣が、身を守るために表に出てきた。そんなところだろう」

「そんなことができんの?」

「試したことがないから知らん。が、常識的に考えた場合、召喚武装された状態で地球に帰還した場合、本人だけが帰ってくる。と考えるのが妥当だろう」


 でなければ、今頃地球は召喚獣だらけになっているはずだった。


「まあ、そうよね。て、じゃあ、こいつの中にいるアレは、どうやって地球に来たわけ?」


 秋代は会田を指さした。


「知らん。そんなことより、今は他にやるべきことがある」

「他?」


 この問題より重要なことなど、秋代には思い当たらなかった。


「週末戦の続きだ。まだ、今日戦う予定の人間が残っている」

「は?」

「代理人が負けた以上、その責任を当事者に取らせるのは当然の話だろうが」

「あんた、まだあいつらを」


 秋代の頭に藤間兄弟の顔が浮かんだ。しかし永遠長の口から出たのは、


「近衛幸子」


 生徒会長の名前だった。さらに、


「松永義人。田所梨花。船戸巌ふなどいわお。市橋譲」


 副会長、会計、書記、庶務と、永遠長は生徒会メンバーの名前を列挙した。


「どうした? まさか自分が名指しで指名されるとは考えてもいなかったか?」


 永遠長は鼻白んでいる近衛に皮肉を投げつけた。


「どうせ、ここでそいつが負けても、第2第3の代理人を連れてきて、俺にぶつけるつもりでいたんだろうが」


 永遠長は会田を一瞥した。


「自分は安全なところから口だけ出し、負けてもデメリットを負うことなく、勝てれば自分の作戦勝ち。功労者面して、生徒会の権威を高め、あわよくば異世界ギルドの運営権もかすめ取る。ど厚かましく甘ったれた、世間知らずのお嬢様の考えそうなことだ」


 永遠長は吐き捨て、近衛の顔が強張る。


「どうした? 戦う前から戦意喪失か? 他人はいくらでもけしかけられても、自分が傷つくのは嫌か? そんな奴が、代表者面してふんぞり返っていられるとは、つくづくこの学園はド阿呆しかいないようだな」


 永遠長は周囲に侮蔑の視線を走らせた。


「この世の人間すべてが、ここの連中のように自分の思い通りに動くのが当たり前だとでも思っていたか? 五摂家だ名家だと言われていても、どうせ戦争のときには他人を矢面に立たせておいて自分は後ろでふんぞり返り、自分では参戦してる気になってたんだろう。自分で血を流す覚悟がないのなら、最初からだいそれたことなど考えるなと言うんだ。この恥知らずの寄生虫が」


 永遠長の言葉に、近衛が気色ばむ。


「……いいでしょう。受けて立ちますわ」


 ここで引いたら末代までの恥となる。

 近衛の名にかけて、ここで逃げるわけにはいかなかった。

 それに不測の事態とはいえ、今の永遠長は会田との戦いで、かなりの力を使っている。まともに戦り合うよりは、勝算が高いかもしれなかった。


 戦いの場に赴こうとする近衛を見て、


「待ってください!」


 1人の女子が進み出た。


「会長が戦うなら、わたしも戦います!」


 そう名乗りを上げたのは、近衛のギルド「百花繚乱」のメンバーだった。すると、


「なら、私も!」

「あたしも!」

「オレもだ!」


 周囲からも次々と参戦の声が上がった。


「あなたたち……」


 近衛は目を潤ませながら、


「ありがとう。あなたたちの命、わたくしがお預かりしますわ」


 深々と頭を下げた。


「文句はありませんわね、永遠長先生?」

「ない。ただしその場合、こちらも調が一緒に戦うことになる」

「結構ですわ」


 話がまとまりかけたところで、


「なら、わしもじゃ!」


 復活した木葉が名乗りを上げたが、


「あんたはダメよ」


 秋代に門前払いされてしまった。


「なんでじゃ!? ズルいじゃろ、永遠たちだけ! わしだって戦いたいんじゃ!」

「あんたが参戦したら、永遠長の反則負けになるからよ」

「じゃあ、天国はどうなんじゃ!?」

「天国は、こういう場合は一緒に戦うって、最初から言ってたでしょうが」

「そうじゃったか?」

「そうよ」

「むう、なら、しょうがないの」


 木葉は渋々引き下がった。そして木葉たちがグラウンドから退場したところで、永遠長&天国VS生徒会&支援学生55人の勝負が始まった。


「時間の無駄だ」


 永遠長は右手を地面に向けると、


「顕現」


 驚浪雷奔で学生たちを一掃しようとしたが、


「ダメ!」


 天国に口を塞がれてしまった。


「神器の力を使ったら、あっという間に終わっちゃうじゃない。せっかく久々のパーティープレイなんだから、もっと楽しまないと。ね」


 天国は異世界ナビを取り出した。


「面倒臭い奴だ」


 永遠長は渋々ながら了承すると、自分も異世界ナビを取り出した。そして2人は異世界ナビを地面に向けると、


「出現」


 永遠長はファイアーバード、シーサーペント、ロックバイパー、サンダークラウド、暗黒竜を。

 天国は、地水火風、そして光のドラゴンを、それぞれ召喚した。次いで、


「化現」


 永遠長と天国の声に呼応して、それぞれの召喚獣が主の体内へと吸い込まれると、


「連結合体」

「共有合体」


 主を守る鎧へと変化していく。そして、


「ファイブサモンズアーマー」


 永遠長と、


「ドラゴンバージョン」


 天国の召喚獣による召喚武装が完成した。


「ご、5体の」

「召喚武装だと?」


 学生たちの間から驚きの声が上がる。特に「召喚武装は1体の召喚獣と行うもの」という固定観念があった異世界組にとって、2人の召喚武装は衝撃だった。


「みんな、驚いてるね」


 小鳥遊は周りを見回し、つぶやいた。


「そういや、何気に初めてだったわね」


 永遠長が5体の召喚武装を披露したのは、魔女戦と寺林戦のみ。そのため、あの戦いを知らない大多数の者にとっては、今回が初のお披露目なのだった。もっとも、


「うおおおお! ドラゴンじゃ! 5匹のドラゴンとの合体じゃ! かっこええ! わしもしたい!」


 すでに見知っていた者の中にも大興奮している者はいたが。


 周囲が自分たちの召喚武装に度肝を抜かれている間に、


「変現」


 永遠長と天国は、


「半獣白狐」

「半獣白虎」


 獣人化を発動した。

 そして戦闘態勢が整ったところで、

 

「じゃ、始めましょうか」


 天国は敵陣へと突撃し、


「まったく」


 その背中を永遠長が追いかける。


「うわ! 来た!」


 動揺する生徒会陣営に、


「ひ、怯むな! 数は、こっちのほうが上なんだ!」


 副会長の激が飛ぶ。しかし召喚武装と獣人化の能力に加え、


「カオスブレイド!」

「セイクリッドブレイザー!」


 ディサースのジョブ能力や魔法を駆使して戦う永遠長と天国の前に、


「うわ!?」

「ぎゃ!」


 生徒会側は倒れる者が相次いだ。


「変現」


 敵の数が半減したところで、


「砲口白虎」


 永遠長は前方に突き出した右手に狐の頭を生み出した。そして、その手に天国が左手を添え、


「フォックスファイアー」


 永遠長は炎を、


「タイガーストーム」


 天国は風の力を発動する。直後、2人の腕から飛び出した炎と風は合体し、


「ファイアーストーム!」


 炎の嵐となって生徒会メンバーへと襲いかかる。


「うわあああ!」


 吹き荒れる炎の渦から、生徒会メンバーは必死に逃げ散らかる。その光景を傍目に、


「なんだかケーキ入刀みたいね」


 秋代が呑気な感想を述べ、


 盛大なケーキ入刀だなあ。でも、あの2人らしいかも。


 そう小鳥遊も思っていた。


 そして炎で散り散りになった生徒会陣営を、永遠長と天国が各個撃破していく。


「ちいい!」


 松永は舌打ちした。

 全員のクオリティをうまく活用すれば、生徒会側にも十分に勝機はあった。しかし即席メンバーではそれもままならず、結局数の利を活かせないまま、生徒会陣営は総崩れとなってしまったのだった。


「くそ!」


 残っているのは、自分を含めた現生徒会メンバーのみ。それも、おそらくは偶然ではなく永遠長たちの意図によるものと思われた。


「どうあっても、我らを学生たちの前で吊し上げねば気が済まんらしいな」


 生徒会メンバーのクオリティは自分が「指導」会長が「伝統」田所が「効果」船戸が「遵守」一橋が「従順」と、どれも戦闘向きではない。身体的にも全員が異世界組で、ある程度鍛えられているとはいえ、召喚武装した永遠長たちとは比べるべくもなかった。


 ここまでか。だが、ただではやられんぞ。


 意を決した松永は、会長の盾となるべく永遠長を迎え撃とうとした。が、それより早く、一橋が永遠長にロックオンされてしまった。


「た、助けて……」


 見るからにひ弱そうな一橋は、弱々しい声で永遠長に哀願した。しかし、


「が!」


 永遠長に容赦なく蹴り倒されてしまった。


「う、うう……」


 腹を押さえてうずくまる一橋の顔を、


「ぶ!」


 さらに永遠長が蹴りつける。


「も、もうやめて」


 一橋は涙声で訴えたが、


「うば!」


 再び永遠長に腹を蹴り上げられてしまった。


「ど、どうして?」


 執拗に自分を攻める永遠長を、一橋は怯えた目で見上げた。


「どうした? 計算が狂ったか?」


 冷ややかに自分を見下ろす永遠長に、


「え?」


 一橋の顔が強張る。


「弱者として振る舞っていれば、ちょろく殴られて終わるはずだったのに、と」

「な、何を言って……」

「それとも俺が油断した隙をついて、クオリティで従わせるつもりだったか? 生徒会長たちに、そうしたように」


 永遠長の指摘に、


「え!?」


 生徒会のメンバー全員が鼻白む。


「だ、だから何を言ってるか、僕には」


 あくまでも惚ける一橋を、


「おまえの三文芝居に付き合うつもりはない」


 永遠長は容赦なく切り捨てた。


「おまえのクオリティである「従順」は、一見素直に付き従うというイメージを他人に与えるが、それは裏を返せば、他人を自分の意のままに従わせる力でもある、ということだ。そして」


 永遠長は生徒会メンバーに視線を走らせた。


「おまえは、その力をここにいる連中に使った。そうと気づかれないように」


 永遠長の指摘に、一橋は絶句した。そんな一橋に代わって、


「ふざけるんじゃありませんわ!」


 近衛が声を上げた。


「そ、それではまるで、わたくしが譲に操られているようではありませんか!」

「だから、そう言っている」

「じょ、冗談じゃありませんわ! わたくしが今ここにいるのは、わたくしの意思! 今までもそう! 譲の命令に従ったことなど、唯の1度としてありませんわ!」

「当たり前だ。操っていることに気づかれたら、洗脳の意味がない」


 永遠長は冷ややかに言い捨てた。


「そもそも最初から疑問だった」

「な、何がですの?」

「近衛家といえば、かつて摂政、関白に任じられた5大名家の一角。その血筋と名前には誇りを持っているはず」

「と、当然ですわ」

「にも関わらず、生徒会長になったまではよしとして、教師を買収して学園の権力の掌握を図るなど、時代錯誤も甚だしい真似を平然と行って、そのことにまったくなんの疑問も抱いていないなど、普通に考えれば思考能力が欠落してるとしか考えられん」

「…………」

「これが政界や社交界であれば、あるいは有効かもしれん。だが、有名私学とはいえ、1学校法人でしかないこの学園を支配して、一体なんの意味がある?」

「そ、それは……」

「しかも、この時代、もしそんな真似が明るみになってSNSなどで広められでもしたら、五摂家の名は地に落ちることになる」

「う……」

「そんなバカな真似を、藤原の時代から誇りを持って生きてきた五摂家の人間がするわけがない。それをあえてした、いや、させた理由は1つ」


 永遠長は一橋を射竦めた。


「自分の「従順」の力が、今の段階でどれだけの人間を動かし、どれだけのことができるか。この学園を実験場にして試していたというわけだ。この先、より大きな舞台で、より大きな野心を実現させるためにな」

「う、嘘ですわよね、譲?」


 まだ半信半疑でいる近衛に、


「どうやら、これ以上は惚けるだけ時間の無駄のようですね」


 一橋は苦笑で答えた。


「ゆ、譲?」

「この人の言う通りですよ。幸子お嬢様。あなたは従順な下僕として、ほんとうによく働いてくれました」

「そんな……」


 愕然とする近衛を尻目に、


「けど、それがわかったから、なんだっていうんだ?」


 市橋は不敵に笑った。


「すでに、この学園の大半の人間は、すでに僕の支配下にある。つまり、僕がその気になれば、ここにいる人間が全員君たちに襲いかかることになる。いくら君たちでも、ここにいる人間すべてに一斉攻撃されたら、ひとたまりもないだろ」


 勝ち誇る市橋に、


「そう思うなら、やってみるがいい。できるものならな」


 永遠長は言い捨てた。


「なら、お望み通りにしてやる! 全員、あの2人を攻撃しろ!」


 市橋は周囲の学生たちに命じた。しかし、


「え?」


 動く者は誰もいなかった。


「ど、どうして?」

「この戦いが始まる前に、全員の洗脳は解除しておいた。ただ、それだけの話だ」

「そ、そんな……」

「つまり、おまえのチンケな野心も、これで終わりということだ」


 永遠長の右手から雷撃がほとばしり、


「うわああああ!」


 市橋を含めた生徒会メンバー全員が打ち据えられ、


「…………」


 その場に倒れ込むことになった。


「これで、今日の週末戦は終了とする」


 永遠長の週末戦終了を宣言を受け、


「回帰」


 天国が生徒会メンバーのダメージを回復させていく。だが復活した生徒会メンバーの心境は複雑だった。特に市橋は。


「終わったな」


 市橋は近衛の元へと歩み寄ると、


「幸子お嬢様、長い間、お世話になりました」


 近衛に深々と頭を下げた。そして、


「お、お待ちなさい、譲!」


 近衛の呼びかけに答えることなく寮に引き上げた市橋は、まとめておいた荷物を手に常盤学園を後にした。その足取りには、一切の迷いも後悔もなかった。しかし駅を目前に、その足が止まった。そして、その視線の先には天国の姿があった。


「本当に後悔はない?」


 天国は最後になるであろう問いを投げかけた。


「はい」


 市橋は迷わず答えた。


「あなたがたには感謝しています。僕の願いを聞き入れてくれて」

「流輝君に言わせれば、願いじゃなくて、依頼を受けただけなんでしょうけどね」


 前回の藤田戦の後、市橋は密かに永遠長と接触し、ある依頼を持ちかけたのだった。


 教師の買収を含む、この学園で近衛幸子が行った不祥事のすべては、自分が「従順」のクオリティを使って、無理やり近衛にやらせていたことにしてほしい、と。

 そして、この依頼を永遠長も了承したのだった。


「あのときの永遠長さんの話を聞いていて、その通りだと思ったんです。その人のことが本当に大事なら、誰かが止める前に自分が止めろって」


 しかし、たとえ自分が何を言おうと近衛が止まることはない。そのことも、市橋は十分わかっていた。


 そこで市橋は、一芝居うったのだった。永遠長に近衛の悪事を暴露してもらい、その罪を自分が認めることで、近衛に害を及ばないように。自分が悪の汚名を被ることを覚悟の上で。


 そして永遠長たちの協力もあり、市橋の計画は成就したのだった。


「お嬢様は、優しく真っ直ぐな方だったんです。家が没落した僕を、執事に雇ってくれるぐらい」


 市橋と近衛は、幼い頃は友達だった。しかし親が事業に失敗して自殺したことをきっかけに疎遠となり、自分も親戚中をたらい回しにされることになった。近衛は、そんな市橋に手を差し伸べ、住み込みの執事として側に置いて、学校にまで通わせてくれたのだった。


「でも、この学校に来て、お嬢様は段々とおかしくなっていったんです。他の名家と呼ばれる方々と張り合うようになってから、自分をよく見せることにのみ終止するようになり、ついにはお金で人の心を買うような真似まで……」


 市橋は目を伏せた。


「でも今回のことで、きっとお嬢様も目を覚ましてくれると思います」


 近衛家の名誉も守ることができた。


 市橋は、それだけで十分だった。


「そう。なら私からは、もう何も言うことはないけど」


 天国は市橋の後ろに視線を向けた。


「後ろの人は違うみたい」

「え?」


 市橋は後ろを振り返った。すると、そこには柳眉を吊り上げた近衛が立っていた。


「さ、幸子お嬢様!?」


 市橋の目が丸くなる。


「どうして、ここに!?」

「どうしてもこうしてもありませんわ!」


 近衛は市橋に詰め寄った。


「何を勝手にいなくなってるんですの! わたくしが、いつそんなことをしろと、あなたに言ったのです!」

「で、ですが、あんなことをした以上、学校にはいられませんし、執事も首に」

「だから、勝手に決めるなと言ってますの! あなたがわたくしの執事を続けるかどうか。それを決めるのは、わたくしであって、あなたではありません!」

「で、ですが、お嬢様がよくても旦那様や奥様が」

「お父様たちは関係ありませんわ! あなたは、わたくしが雇ったのです! そのあなたのことに関して、何人と言えど口出しする権利などないのですから!」

「お、お嬢様」

「わかったら、帰りますわよ」

「は、はい」


 市橋は常盤学園に引き返そうとした。


「どこへ行く気ですの?」

「ど、どこって、常盤学園に」

「何を言ってるんですの? 帰ると言ったら、近衛家に決まってますでしょう」

「え? ご自宅にお戻りになられるんですか?」

「そうです。常盤学園は、ここまでです。2年からは、別の学校に通います」

「ええ!?」

「何が「ええ!?」ですか! 当然でしょう。近衛家の長女であるこのわたくしが執事に操られて、いいように踊らされていたなど末代までの恥。その学校に留まり続けるなど、恥の上塗り以外の何物でもありませんわ」

「は、はあ」

「生徒会長の役職を、途中で放り出すのは不本意ですけれども、今の生徒会ならば、わたくしがいなくなってもうまくやることでしょう。どうせ任期も、後わずかですし」


 本心を言えば、生徒会長の役職を途中で投げ出すことは、近衛としても忸怩たる思いであり、無責任の誹りを免れないことも承知していた。しかし、このまま学園に残れば、市橋は周囲から迫害を受けるに違いなかった。おそらく市橋は、それすらも享受するだろうが、そんなことは近衛が我慢ならないのだった。


 自分の名誉と市橋。どちらを取るかなど、考えるまでもなかった。


「そ、そうですね」

「わかったら帰りますわよ。そして帰ったら、その歪んだ性根を、わたくしが直々に叩き直して差し上げますわ」

「はい。ですが、お嬢様、荷物がまだ」


 近衛は急いで学園を出てきたため、まったくの手ぶらだった。


「そんなもの、後で使いの者に取りに来させれば済むことですわ」

「はあ」

「わかったら帰りますわよ!」

「は、はい!」


 市橋は背筋を伸ばした。


「そういうことですので、わたくしどもはこれで失礼させていただきますわ。お連れの方にも、どうぞ良しなにお伝え下さい。この借りは、いつか必ず返すと」


 近衛は満面の笑顔で天国に言うと、


「では、ごきげんよう」


 市橋とともに天国の前から姿を消したのだった。天国から「共有」で伝えられた真相を、内に秘めたまま。


「さて、それじゃ私も」


 天国は常盤学園へと引き返した。


 新たに出現した、彼方からの悪意を迎え撃つために。




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