第164話
「藤間達也だ」
藤間達也は突き出されていた永遠長の右手を掴むと、
「よろしく」
笑顔で挨拶した。
「で、弟のことなんだけど、この辺で勘弁してやってくれないかな? 他人を駒扱いして無理矢理戦わせたことは、俺が後できつく叱っておくから」
「ことわる。本当に叱るべきときに叱っていれば、おまえの弟は今ああなっていない。今おまえの弟がのうのうとのさばっている時点で、おまえの言葉にはなんの説得力もない」
「確かに」
藤間は、ハハッと快活に笑った。
「俺自身、誰かに命令されるのが嫌いだからさあ。たとえ相手が弟でも、他人にアレコレ命令したくないんだよね。だから伸也は伸也の意思で、自由に生きてほしいんだ」
「自由と傍若無人は、まったく別の話だ」
「確かに」
藤間は再び白い歯を見せた。
「でも、それを言うなら、君の言ってることにも説得力がないと思うんだけど? この週末戦は君のことが気に入らない生徒が、君を追い出すために開催してるんだろ? だったら、本人がその意思を取り下げた時点で終了となって、どっちかが戦闘不能になるまで戦う必要なんてないはずなんだからさ」
「その通りだ。そして、おまえの弟は俺を脅しこそすれ、俺の教職権に関しては何も言及していない」
「あー、確かに」
「つまり俺を追い出すという、おまえの弟の意思は今も継続中であり、継続中である以上、戦いも終わらないということだ」
「なるほど。なるほど。じゃあ、こうしよう。俺が、あいつの代わりに君と戦うよ。それなら問題ないだろう?」
「問題はない。なんなら2人まとめて相手をしてやる」
「オーケイ、交渉成立だ」
藤間はニッコリ笑った。
「あ、ただし来週ね。俺、ここのところ運動不足だったし。君も少しとは言え力を使っちゃってるだろ。どうせ戦るなら、100パーセントの君と戦り合いたいからさ。できれば君も万全の体調で、全力で戦ってほしいんだよ。他人の力を使えるっていう君のクオリティを含めて、あらゆる縛り抜きでね」
「いいだろう」
「ありがとう。じゃあ、1週間後を楽しみにしているよ」
藤間は永遠長に背を向け、この日の週末戦は終了した。
しかし当然のことながら、事はそれで収まらなかった。
週末戦終了後、
「どういうおつもりですか、校長!」
3ーAの担任にして生徒会の顧問でもある三原琴美は、校長室に乗り込んでいた。
「未成年を教職員として採用したばかりか、あんな喧嘩、いえ、もはやあんなもの喧嘩とさえ言えない! ただの公開リンチを許可するなど! 即刻中止にして、あの男もクビにしてください!」
三原は机を両手で叩いた。
「い、いや、しかし……」
校長である御厨治は、禿げ上がった頭から滲み出る汗を、ハンカチで拭き取った。
「その勝負は強制したものじゃなく、彼はあくまでも生徒側の希望に応じただけなんだろう? 本人がサインした同意書もあるという話だし」
校長は隣に控える寺林を一瞥した。
「そんなもの、あの男の捏造です!」
三原は再び机を叩いた。
「捏造じゃないさ。ここに、その証拠もある」
寺林は、筆跡鑑定の報告書を三原に差し出した。
「だ、だとしても、それはあの男がなんらかの力を使って、本物そっくりの筆跡を偽造したに決まってますわ!」
「証拠は?」
寺林は淡々と言った。
「え?」
「偽造と断言するからには、証拠があるんだろうね?」
「そ、それは……」
「あれ? ないのかい? 教師ともあろうものが、証拠もなしに他人を犯罪者扱いするとは。あまり感心しないねえ」
「か、仮にサインが本物だったとしても……。いえ、それだけじゃありませんわ。彼が授業中に生徒に暴行したという証言が、多くの生徒から上がっています。今のところ、被害を訴え出る生徒は現れていませんが、このまま彼を放置しておけば、いずれ大惨事を招きかねません!」
「そう言って、永遠長君をクビにするよう、校長にねじ込んでこいと生徒会長に言われたかい?」
寺林の指摘に、
「な!?」
三原は鼻白んだ。
「何を失礼な! 私はそんなこと! それこそ証拠もない言いがかりですわ!」
「まあまあ、別に君を責めてるわけじゃないからさ。宮仕えの大変さは、私も嫌というほどわかってるからねえ」
寺林は憐憫の眼差しを三原に向けた。
「と、とにかく、あの永遠長という男には問題があり過ぎます! 即刻、クビにするべきです!」
三原は再び校長に迫った。
「き、君はそう言うが、法的に問題がないうえ、実際に被害届が出ていない今の状況で、いきなりクビというわけには、ねえ」
校長は口ごもった。
「もし君の言う通り、不正の証拠でも見つかれば、話は違ってくるわけだが」
「…………」
「だ、だいいち、彼の採用は、理事長直々の推薦で、私の一存で彼をどうこうするわけには……。わかるだろう? 君も、私と似たようなものなんだし」
校長は共感の眼差しを三原に向けた。
「ま、そういうことだから、帰って御主人様に報告するんだね。もし永遠長君が気に入らなければ、不正の証拠を見つけるか、実力で排除しろって。でなければ」
寺林は三原を指さした。
「君自身の手で、永遠長君に引導を渡せばいい」
「な、何を言って?」
「別に驚くことじゃないだろう。あのとき永遠長君は、気に入らなければ実力で排除しろと言ったけど、その対象を生徒に限定してはいなかった。つまり、その気になれば君たち教師陣も、永遠長君を実力で排除することができるってことだ」
「バ、バカバカしい。力、力って、ここは法治国家の日本ですのよ。そんな原始時代のような真似、できるわけが」
「そのありがたいお説教を、復活する魔物も聞き入れてくれればいいんだけどねえ」
寺林の皮肉に、
「……わかりました。どうやら、これ以上話しても無駄のようですわね」
三原はあきらめのため息をついた。
「失礼します」
三原は校長と寺林に背を向ると、校長室を後にした。そして、その足で生徒会室へ向かった三原は、
「申し訳ありません、近衛様」
生徒会長である近衛幸子に事の次第を報告した。
「気になさる必要はございませんわ、三原先生」
近衛の声は穏やかだった。
「あなたが何を言おうと、校長があの男をクビにしないことは、最初からわかっていたことですから」
しかし、だからと言って何もしなければ、生徒会の存在意義が問われることになる。そこで、とりあえず生徒会からの抗議という名目で、三原に直談判に行かせたのだった。
「そ、そう言っていただけると」
三原は安堵のため息をついた。
三原は、近衛に便宜を図る見返りとして、彼女の卒業と同時に好条件で近衛グループに再就職できることになっている。それだけに、今このお嬢様のご機嫌を損ねるような失態を犯すわけにはいかないのだった。
「ご苦労様でした。もう下がっていいですよ」
「は、はい。では失礼します」
三原は一礼すると、生徒会室を退室した。
「それで? この後は、いかがなさるおつもりですか?」
顧問が消えたところで、副会長の松永義人が口を開いた。
「そんなこと、決まっておりますわ。わたくしたちの手で、あの男を退学、いえ退職させる。そうですわよね、近衛会長」
会計の田所梨花は、敬愛する生徒会長を見た。
「ええ。ですが、それは今ではありません」
「お言葉ですが近衛会長、あの男は来週には獣人組とエスパー組のトップと戦うことになっております。もし、あの2人の内のどちらかが勝ってしまったら、生徒会は何もしなかった。遅れを取ったと生徒たちから陰口を叩かれ、生徒会の権威が失墜する恐れがあるのではありませんか?」
田所としては生徒会が率先して永遠長を叩くことで、生徒会の、ひいては近衛会長の偉大さを改めて全校生徒に知らしめたいのだった。
「そのときは、わたくしどもが出るまでもなかったというだけのこと。ですが、おそらくそうはならないでしょう」
近衛の目は確信に満ちていた。もし、あのギルド戦の前であれば、あるいは万丈や藤間が勝つと考えたかもしれない。だが、あのギルド戦を目の当たりにした今の近衛には、永遠長が万丈や藤間に敗北する光景など想像できなかった。たとえ永遠長が、他人の力を使わないとしても。
「あなたがたも、実のところ、そう思っているのではなくて?」
近衛の言葉を、周囲は沈黙で肯定した。
「では、どうなさるおつもりです? まさか、このまま捨て置かれると?」
松永は近衛の真意を正した。
「まさか。この学園のトップとして、あの男をこのまま野放しにしておくことなどできませんわ。ただ、今動く必要はない。そういうことですわ」
まず間違いなく、万丈も藤間も永遠長に敗れる。自分たちが動くのは、それからでいい。
獣人組とエスパー組のトップが、揃って倒せなかった永遠長を生徒会が倒せば、生徒会の権威は一気に高まることになる。
「ですが、それはあくまでも、我々の手で「背徳」を打ち負かすことができれば、の話。何か妙案が?」
懸念を示す松永に、
「当然ですわ。わたくしを誰だと思っておりますの」
近衛は自信満々に答えた。
「あの男を排除、いいえ、わたくしの足元にひれ伏させる算段は、とうにできておりますわ。そうですわね、譲?」
近衛は、庶務兼執事である市橋譲を見た。
「はい。万事つつがなく」
市橋は、うやうやしく頭を下げた。
「欲しいものは力ずくで奪えと言うのであれば、お望み通りにしてさしあげますわ」
完全な永遠長であれば、あるいは勝ち目はなかったかもしれない。しかし今の永遠長は、さにあらず。
自分の力を過信し「週末戦においては他人の力を使わない」と豪語したことが、永遠長の命取りとなった。
そのことを、間もなく永遠長は思い知ることになる。そして自分は常盤学園における不動の地位と、異世界ギルドの全権を手に入れることになる。
その時の尾瀬の悔しがる顔が、目に浮かぶようだった。




