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第158話

 ギルド戦は異世界ギルドの勝利で終了した。


 しかし、それですべてが終わったわけではなかった。


 終戦後、永遠長はまっすぐリタイアエリアへと向かっていた。その手に、再びチェーンソーを握りしめて。


 そしてリタイアエリアに現れた永遠長を見て、連合メンバーが逃げ散らかる。その中で「グランドマスターズ」だけは、その場に留まり続けていた。が、それは本人たちの意思ではなかった。


 永遠長は「封印」しているホワイトの前で立ち止まると、


「では、本番を始めるとしよう」


 チェーンソーを起動した。


「う、あ……」


 ホワイトはオーガに変身させられた後のことを、すべて覚えていた。


 プレイヤーたちの悲鳴。

 食らいついたプレイヤーたちの血と肉の味。

 プレイヤーたちの四肢から伝わる苦痛と恐怖。


 まさに悪夢だった。


 しかし何を言っても、この男が止まることはない。


 そのことも、このギルド戦でホワイトは嫌というほど思い知っていた。

 押し黙っているホワイトに代わり、


「待ってくれ、ミスタートワナガ」

「さっきの発言は撤回する」

「オレたちも本気で言ったわけじゃないんだ」


 仲間たちが必死に弁明する。しかし、


「立場が悪化してから覆された言葉になど、なんの説得力もない」


 案の定、永遠長は取り合わなかった。


「俺を止めたければ力尽くで止めることだ。アメリカのお家芸だろう。力で相手を黙らせるのは」


 永遠長は会場を見回した。


「おまえたちもだ。この中にもアメリカ人はいるだろう。このままだと母国がなくなることになる。それが嫌なら止めてみるがいい。できるものならな」


 永遠長の体を混沌が取り巻く。


「言われるまでもないのです!」


 沙門が立ち上がった。しかし、


「ダメよ、マリーちゃん」

「そうだよ、マリーちゃん。ここは、もう少し様子を見たほうがいい。永遠長君に、何か考えがあるのかもしれないし」


 花宮と十六夜に引き下ろされてしまった。


「そんなものはないのです! あれは、ただブチキレてるだけなのです!」


 沙門は2人を振りほどこうとしたが、


「たく、しょうがねえな。おまえも手伝え」

「は、はい」


 九重と六堂も制止に加わり、


「ふがほが!」


 身動き取れなくされてしまった。

 そして会場には、沙門以外に名乗り出る者はいなかった。


「あんた、止めないの?」


 荒れ狂う永遠長の背中を眺めながら、秋代は天国に言った。


 もはや、誰が何を言おうと永遠長は止まらないだろう。それでも、もし永遠長を止められる者がいるとすれば天国だけだった。


「あんた、もうあいつに人殺しをさせないことを信条にしてんでしょ? このままだと、あいつマジでアメリカ人皆殺しにするわよ」


 まあ、そうなっても自業自得だけど。


 秋代は心の中で付け加えた。実際のところ、秋代が永遠長を止めないのは、止められない以上に、止める気にならないからだった。


「だって必要ないもの」


 天国は軽く答えた。


「必要ないって。あんたも、あいつら死んだほうがいいと思ってるってこと?」

「そうじゃなくて、流輝君に、あの人たちを本気で殺す気はないってこと」


 天国がそう答えた瞬間、永遠長の動きが止まった。


「何を勝手なことを言っている」


 永遠長は天国に向き直った。


「俺が、いつそんなことを言った?」


 永遠長はホワイトたちを一瞥した。


「こいつらはアメリカの名を出して、自分たちに物申したければ、アメリカに勝ってからにしろと言った。だから俺は、望み通りにしてやることにした。そして、これが本当の戦争であれば、どちらかの降伏によって終わることもある。だが1人で戦う俺を、おそらくアメリカはテロリストと認識するだろう。そしてアメリカは、テロには決して屈しないと豪語している。つまり俺とアメリカの戦いは、俺が死ぬか、アメリカ人が死に絶えるまで終わらないということだ」


 永遠長は「グランドマスターズ」に視線を走らせた。


「一方的に相手を殴り倒すのが当たり前。もし殴り返されたら「殴り返してくるなんて、なんて酷い奴なんだ。この人でなし」と、犯罪者のレッテルを貼りさえすればいい。そんな「都合」のいい話が、いつでもどこでも誰にでも通用すると思っているならば、思い続けていればいい。アメリカ人が1人残らず死に絶えるまでな」


 会場が静まり返るなか、


「確かに流輝君の言うことはもっともだけど、それはあくまでもアメリカが、本当に流輝君に戦争を仕掛けてきたら、の話でしょ」


 天国は軽い調子で切り返した。


「でも、これまでのことは、身も蓋もなく言ってしまえば、子供の口喧嘩。喧嘩中に「絶対ブッ殺してやる!」って言ってるのと変わらない」


 たとえ、ホワイト以下「グランドマスターズ」の大半が、アメリカの大物議員や軍人、実業家の子供だとしても。


「流輝君も前に言ってたでしょ。自分に悪意を持つ者を全員殺してたら、地球人を皆殺しにしなければならないって」


 それは裏返せば、悪意を持たれただけでは、殺す気はないということなのだった。


「これが、もし本当にアメリカ政府が日本政府を通じて圧力をかけてきたんだとか、流輝君をテロリスト認定して抹殺しようとしたんだとすれば、そりゃ全滅させるのもやむなしだけど、その人たちはアメリカの政府要人でもなんでもないわけで」


 実際に国を動かす力など、彼らにはないのだった。


「そもそも、ここまでのことは、すべてギルド戦の最中に行われてたことで、言わば駆け引きの一環。それを決着が着いた後まで引きずって、別の場所で仕返しするのは、それこそマナー違反ってものでしょ。そんな悪しき前例を、異世界ギルドの統括者がするわけにはいかない。でしょ、流輝君」

「……いいだろう。今回だけは引いてやる」


 永遠長はチェーンソーを手放した。


「だが次はない。別に覚えておかなくて構わない。必ずやる。ただ、それだけの話だ」


 永遠長は「グランドマスターズ」に言い捨てると、その場から姿を消した。


「まーた、あんたに救われる形になったわね、地球」


 秋代は天国を横目に言った。実際、もし天国が永遠長を止めていなければ、アメリカ人は皆殺し。その争いに、下手に他国まで介入してくるようなことがあれば、最悪地球人は絶滅していたかもしれないのだった。


「私は本当のことを言った。ただ、それだけの話」


 天国が軽く受け流したところで、


「天国さん」


 美水が声をかけてきた。


「あなたには、お礼を申し上げなければなりませんね」


 美水は天国に頭を下げた。


 白銀が倒された後、美水は天国からリタイアするようにアドバイスを受けたのだった。

 永遠長の考えを知った上での助言だったが、美水たちとしても二つ返事で従える内容ではない。そこで天国は、美水にも永遠長の考えを「共有」させたのだった。

 結果、永遠長の真意を知った美水は、急いで「ピースメーカー」全員にリタイアを指示。ギリギリのところで被害を免れたのだった。


「気にしないで。私は私のしたいことをした。ただ、それだけの話なんだから」


 たとえモンスター化しているとはいえ、人が人を喰らう光景など見ていて気分のいいものではない。当事者なら、なおさらだろう。

 天国としては、そんな目に遭う人間を少しでも減らしたかっただけなのだった。


「だとしても、あなたのおかげで助かったのは事実ですから」


 美水はそう言ってから、


「それはそれとして、あのときは途中になってしまいましたが」


 本題を切り出した。


 美水は天国にリタイアするよう促される直前、自身が提唱した異世界への一時避難について、天国の意見を聞こうとしていたのだった。あわよくば、天国からも永遠長に口添えしてもらうために。


「あなたの考え、私も悪くないと思う」


 天国は自分の率直な感想を伝えた。


「では」


 好感触を得て、美水は永遠長への口添えを期待した。しかし、


「でも、今のままじゃダメね」


 天国にバッサリ切り捨てられてしまった。


「一時的に避難するだけなら、問題ないと思う。それこそ、なんなら全員をラーグニーに避難させればいいんだから」


 人口が少なく、周囲に砂漠しかないラーグニーならば、仮に地球人すべてが1度に転移しても、それほど問題にならないと思われた。しかし、


「永遠長君も言ってたように、避難が長期間に及んだ場合の対処法が、あなたにはない」

「そ、それは……」

「あの場では、なんだか流輝君1人がワガママ言ってるような空気になってたけど、私に言わせれば、あなたの言ってることこそ、ただの感情論に過ぎなかった。特に、避難が長期間に及んだ場合の食料について」

「そ、それなら今はあります」

「どんな?」

「ラーグニーは、自分の世界の爆弾を地球に運んで攻撃したんですよね? でしたら同じ方法で、地球の食料を異世界に移動させれば」


 ラーグニーは地球への攻撃に爆弾を使用した。という話を聞いてから、美水はずっとその可能性を考えていたのだった。


「確かに、それなら理論上は可能だろうけど、その場合別の問題が起きること、わかってる?」

「べ、別の問題?」

「そ。今の地球に、80億を飢えさせずに済むだけの食料がないってこと」


 天国の指摘に、美水は鼻白んだ。


「日本やアメリカみたいな先進国だけなら、あるいは問題ないかもしれない。国民すべてを数日は飢えさせずに済むだけの備蓄はあるだろうから」


 あくまでも、今ならば、の話ではあるが。


「でも、全世界となると話は違ってくる。世界には明日はおろか、今日食べるものもないような人たちが大勢いる。その人たちは、どうするつもり?」

「そ、それは……」


 美水は再び言葉に詰まった。地球の食料を異世界に移動させる、というところまでで思考が停止して、そこまで頭が回っていなかったのだった。


「これを解決するためには、それこそ世界が総力を上げて穀物の生産量を増やして、備蓄を増やす必要があるんだけど、それだって限界があるし。それ以前に、そんな余分な食料があるなら、今足りないところに回せって意見が諸外国から出てくるだろうし、そもそも魔物がいつ復活するかわからないのに、備蓄し続けることもできないでしょ。それとも備蓄が完了したところで、わざと結界を解いて魔物を復活させる?」

「そんなこと」

「まあ、それもこれも本当に全人類分、食料を確保できれば、の話なんだけれど」


 現時点でさえ、地球の食料は全人類には行き届いていない。

 そんな現状で、いつ現れるかもわからない魔物の出現に備えるために、食料の備蓄高を増やせるかは微妙だった。それどころか、美水の考えが世界に浸透すれば、最悪先進国だけが必要な食料を確保し、自分たちだけが異世界に避難する、という事態が起こりかねなかった。


「あなたが、もし本当に自分のアイディアを流輝君に採用させたいなら、まずこれらの問題を解決すること」


 天国は、キッパリ言い切った。


「でなければ、何か別の方法を考えるか、ね。地球を再封印するっていう考えも悪くはないけど、今の状況じゃ絵に描いた餅だし」

「…………」

「あ、後は、あなたのクオリティを使うのもアリね」

「わたくしのクオリティーですか?」

「そ。あなたのクオリティは「理解」でしょ。その力で、流輝君にあなたの考えを無理矢理「理解」させる」

「そ、そんなこと……」

「考えたこともなかった? だけど、できなくはないでしょ?」

「…………」

「もしくは、流輝君の考えを「理解」するとか? 流輝君って、普段から色んなこと考えてるから、流輝君の頭の中を「理解」すれば、それこそ地球人すべてを異世界に移動させる、うまい方法を考えついてるかもしれないし、もっと賢い人の頭の中を「理解」すれば、もっといい解決法が見つかるかもしれない」

「で、ですが」

「他人の頭の中を覗くなんて失礼? でも、少なくとも流輝君は気にしないから安心して。だって流輝君、前に言ってたもの。クオリティは、それぞれに与えられた力であり、それを有効活用して何が悪いって」

「そ、それは、そうかもしれませんが」


 ものには限度というものがあるのだった。


「なら考えるしかないんじゃない? 自分なりのクオリティの使い方ってやつを。とにかく、今のままじゃ宝の持ち腐れってこと」

「そ、そうですね。考えてみます」


 美水は天国に一礼すると、仲間と共に会場から引き上げていった。


「あ、忘れるところだった」


 天国は周囲を見回すと、まだ会場にいた尾瀬に歩み寄った。


「はじめまして、尾瀬さん」


 天国は笑顔で尾瀬に挨拶した。


「はじめまして。何か、わたくしに御用でしょうか?」


 尾瀬は言葉使いこそ丁寧だったが、言葉の節々にトゲが含まれていた。


「ええ、あなたに言っておきたいことがあって」

「なんでしょうか?」

「もったいなかったなって」


 それは皮肉ではなく、天国の本心だった。


「もったいない?」

「ええ。流輝君にギルド戦をOKさせ、他のギルドを巻き込んだ手際と「同調」を使った「遮断」と「封印」で、流輝君を無力化するってアイディアは悪くなかったんだけど、詰めが甘かったことが惜しまれるっていうか」

「言い訳はしませんわ。それよりも、あなたは「背徳のボッチート」の婚約者だそうですけれど、考え直したほうがよろしいのではありませんか。あんな、幼女と合体するような変態と結婚したら、必ず後悔いたしますわよ。もっとも、今回はその変態性が功を奏したわけですけれども」


 尾瀬は鼻で笑った。


「少し勘違いしてるようだけれど、私が言ってるのは、あなたが流輝君の中に楽楽ちゃんがいることに気づかなかったことじゃないから」

「では、なんだと?」

「「同調」の使い方」


 天国の言葉に、尾瀬の眉がかすかに揺れた。


「あなたは流輝君の「連結」を最大の脅威と判断して「同調」を使った「封印」と「遮断」で、その力を封じようとした。その着眼点は悪くなかったんだけれど、そもそも論で言えば、そんな回りくどいことをする必要はなかったってこと。流輝君に同調しさえすれば、ね」


 天国の指摘に、尾瀬の顔が渋みで一杯となった。


「まず流輝君に「同調」して「連結」の力を使えるようにする。そのうえで「封印」と「遮断」の持ち主と「連結」すれば、封印役と遮断役を固定化する必要はなかったし、それこそ1人でも流輝君の力を封じることができた。「遮断」と「封印」のコンボを使ってね」

「…………」

「仮に、それができなくても「同調」して自分たちも「連結」が使えるようになれば、流輝君1人に対して、そっちは2人。2対1なら十分勝ち目はあったし、もし流輝君がそれを防ごうと思ったら、あなたたちを「遮断」し続けなければならないから、結果として流輝君自身の「連結」を封じることができ、無力化とはいかないまでも、流輝君の力を大幅に削ぐことできた」


 仮に永遠長が「封印」によって、尾瀬たちの「同調」を封じようとしても、2人同時に封印されさえしなければ解除は可能なはずなのだった。永遠長が「阻害」によって妨害された「連結」を、天国が「阻害」を「封印」することで無効化したように。


「あ、言っとくけど、今言ったのって、私じゃなくて流輝君の発想だから。バカな奴だ。どうせ同調するなら、俺と同調すれば、どんな力も使い放題だったろうにって」


 天国は永遠長経由で、これ以外にも新しい「継承」の使い方があることを知っていた。が、そのことには触れなかった。

 尾瀬が尾瀬グループの令嬢である以上、いつまた異世界ギルドの敵となるかわからない。その尾瀬に、これ以上余計なパワーアップの材料を与えるのは得策ではない、との判断からだった。もっとも、それを言うなら「同調」と「連結」のコンボ自体、わざわざ教える必要などなかったのだが。


「つまり、あなたは力だけでなく、頭でも流輝君に及ばなかったってこと」

「……言いたいことは、それだけですの?」

「ええ」

「では、わたくしたちは、これで失礼させていただきますわ」

「ええ。引き止めて、ごめんなさい。それに気を落とさないで。足りないものだらけってことは、それだけ伸びしろがあるってことでもあるんだから」


 天国は満面の笑みを浮かべた。対して尾瀬は、


「……ご忠告痛み入りますわ」


 内心はともかく、水面には一切の波紋を立てることなく、


「では、ごきげんよう」


 一礼すると仲間とともに姿を消したのだった。


「あー、スッキリした」


 天国は、晴れ晴れとした顔で伸びをした。


 あのまま尾瀬を帰していたら、きっと尾瀬は「自分たちが負けたのは、永遠長が楽楽という子を同化するなんて変態だったから」と決めつけて「それがなければ自分が勝っていた」と虫の良い解釈で自分を正当化したあげく、この先事あるごとに永遠長をあげつらう材料に使いかねなかった。

 それを見越して、天国は先手を打ったのだった。たとえ、それが結果として尾瀬へのアドバイスになるとしても。


「……あんた、何気にいい性格してるわよね」


 秋代がしみじみ言った。あの白銀とかいう奴を手玉に取った手並みといい、


「永遠長と、どっこいどっこい。下手したら永遠長以上」


 そこまで言ったところで、秋代は口をつぐんだ。が、時すでに遅く、


「当然」


 天国は満面の笑みを浮かべると、


「だって私たちは2人で「ウィズ」なんだから」


 いつもの決めゼリフを返したのだった。


 そして、そんな天国たちの様子を、ディサースと隔たれた異空間から見つめる目があった。

 1人は永遠長に絶縁宣言した朝霞であり、もう1人、いや1柱は「マジックアカデミー」の学園長にして「悪魔王」風花だった。


「楽しそうだこと」


 正面に映し出した天国の顔を眺めながら、風花は目を細めた。


「あなたから永遠長君を奪い取り、異世界ストアの運営権も守りきれて、めでたしめでたしと言ったところかしらね」


 風花は頬杖をついたまま、隣に座る朝霞を一瞥した。すると、朝霞は身動き1つすることなく、天国の顔を凝視していた。


「そして、そのことを永遠長君は元より、彼の周囲にいる誰も咎める様子がない。それどころか、あなたのことなど気にも止めていない。いいえ、この場合もう存在自体忘れていると言ったほうが正しいかしら。本当に酷い話。仮にも、同じ異世界ストアの仲間だっていうのに」


 風花は、天国を使った計画が失敗した後、朝霞に今回の事件のあらましを話して聞かせたのだった。


 沢渡の自殺。刑事の自殺。小鳥遊たちの異世界ストア退職。そして朝霞の永遠長へに絶縁宣言。

 そのすべてが天国の仕業であり、朝霞は天国の仕掛けた罠にまんまとハマッてしまったのだと。


 そして永遠長は天国の罠と知りながら、朝霞には本当のことを話そうとはしなかった。天国とヨリを戻すには、そのほうが都合が良かったから。


 そして、それは永遠長の周囲にいる人間も同じだったこと。永遠長から真実を聞かされた後も、誰も朝霞にそのことを説明して、異世界ストアに連れ戻そうとはしなかった。散々、友達面をしていた小鳥遊さえも。


 天国は朝霞の居場所を奪い、周囲の人間もそれを良しとした。

 

 誰も、あなたのことなど考えていない。それどころか邪魔者でしかないのだと。


「そして、それはあなたの家族も同じ」


 風花は、朝霞の母親がいる場所へと空間を繋いだ。すると、朝霞の母親は真っ昼間から男を寝所に連れ込んでいた。そして事が済んだ後「昼間から、こんなことしてていいのか?」と問う男に「金は娘が稼いでくるから問題ない」と悪びれた様子もなく答えると、


「どうせ体を売って稼いだ金だろうけど、金さえ持ってきてくれればそれでいい」

「若いから、きっと高値で売れるんだろう」

「ここまで育ててやったんだから、そのぐらい当然だ」


 自分の行動を正当化するセリフを並べ立てた。


「酷いお母さんね」


 風花は同情的なセリフを口にしたが、朝霞本人は小揺るぎもしていなかった。


 まるでゴミを見る目ね。まあ、実際ゴミなのだけれど。


 風花は微笑すると、


「そして、あなたの弟君も」


 今度は朝霞の弟のいる場所に空間を繋いだ。しかし、そこに映し出された弟の容姿は、朝霞の目には大人びて見えた。


「そこに見えているのは5年後の弟君よ」


 風花は、いぶかしんいる朝霞に説明した。


「高2になって、ずいぶんと逞しくなっているけれども、面影は残っているでしょう?」


 風花に言われるまでもなかった。最愛の弟の成長した姿に、朝霞の目に涙があふれる。


 しかし、その顔は直後に凍りつくことになった。


 弟と、その仲間と思われる少年たちの側に、裸の少女が倒れていることに気づいたからだった。そして漏れ聞こえてきた弟たちの会話から、朝霞は知ってしまったのだった。その少女は弟たちが無理やり拉致して、強姦したのだということを。


「あなたの弟君ね。あなたの前では純情そうにしていたけれど、それは猫を被っていただけのこと。内心では、あなたのことをバカにしていたし、影ではかなりお行儀の悪い真似もしていたようね。でも無理もないわね。なにしろ、あのご両親の血を引いているんですもの」


 ショックを受けている朝霞に追い打ちをかけるように、風花は朝霞の耳元でささやいた。そして、その間も、弟と仲間のダベりは続いていた。


「なあ、そろそろおまえの姉ちゃんともヤラせてくれよ」


 仲間の1人にそう言われた弟は、


「だから、もう少し待てって言ってんだろ。高校卒業したらヤラしてやっからよ」


 面倒そうに答えた。その顔には、朝霞の知る弟の面影は微塵もなかった。


「今はまだ姉貴の稼ぎが必要なんだよ。それまでは、いい子ちゃんでいなきゃなんねんだ」

「悪い奴だよな、おまえ」

「オレが悪いんじゃなくて、あの女がバカなんだよ。ちょっといい子のフリしてたら、コロッと騙されてよ。あなたさえ幸せなら、それでいいのよって涙声でよ。自分を悲劇のヒロインかなんかと、勘違いしてやがんじゃね。実際は、散々親父たちにコマされたビッチなのによ。オレが知らねえとでも思ってたのかね。ほんと毎度毎度、顔見るたんびに笑いこらえるのに苦労したぜ」


 弟は笑い飛ばした。


「高校卒業パーティーってことで、人集めてよ。そこに姉貴も呼んで、1人当たり千円ぐらいでヤラしてやろうと思ってんだよ。そのとき、あの姉貴がどんな顔するか、今から楽しみだぜ」

「さすが、次期幹部候補。やることがエグいねえ」

「たりめえよ。いずれは頂点に立つ男だぜ、オレは」


 弟たちの会話を聞きながら、朝霞の涙はいつしか枯れ果てていた。


「悪い子だこと。あれだけ、あなたに大切にされてきたっていうのに。恩を仇で返すとは、このことね」


 風花は朝霞を横目に見た。しかし朝霞の顔には、風花が期待したほどの絶望の色は見られなかった。


「もしかして疑っているのかしら? この光景が、私の作り出した幻だと」


 風花は微笑すると、


「いいわ。そういうことなら、自分の目で確かめていらっしゃい」


 朝霞を弟のいる場所へと転送した。


 突然、眼の前に現れた朝霞に、


「へ?」


 仲間たちが困惑するなか、


「あ、姉貴!? い、いや、お姉ちゃん」


 朝霞の弟だけが狼狽していた。


「い、いや、違うんだ、お姉ちゃん。今のは」


 弟は、なんとかこの場を取り繕おうとした。しかし、この状況で言い逃れるのは不可能だと悟ると、


「あー、もういいわ、どーでも」


 本性を現した。


「どーせ、後2、3年のことだしな。おい、おまえら、姉貴とヤリたがってたろ。ヤッちまっていいぞ」


 弟の許可を得た仲間たちは、


「本当かよ」


 目の色を変えた。


「ま、コレを見られた以上、どうせタダでは帰せねえわけだしな」


 仲間の1人が倒れている少女を見た。


「そういうこった」


 弟もうなずき、仲間たちが朝霞を取り囲む。そして朝霞に襲いかかろうとしたとき、


「え?」


 仲間たちの足が地面に沈み込んだ。


「な、なんだ、これ!?」

「どんどん沈んでいく!?」

「で、出られねえ!」


 朝霞の仲間たちは、なんとか底なし沼と化した地面から抜け出そうとしたが、


「た、助け……」


 1人残らず地面に沈み込んでしまった。

 朝霞の「透過」の力であり、この使い方は永遠長の入れ知恵によるものだった。


 地面に「透過」を使えば、周りにいる人間を残らず生き埋めにすることができる、と。


 しかし、そんなことなど知る由もない弟は、


「え?」


 ただただ困惑していた。そして、


「辰巳」


 姉に声をかけられたことで、


「あ……」


 ようやく自分の置かれた状況を理解した。


「ひいいい!」


 弟は姉に背を向けると、


「た、助けてくれえ!」


 腰が抜けたのか。這々の体で朝霞の元から逃げ出した。


 そんな弟を追うこともなく、朝霞はその場に立ち尽くしていた。直後、


「これで信じてもらえたかしら?」


 朝霞は風花のいる異空間に戻っていた。


「可哀想な子。友達には裏切られ、両親には金蔓としか思われず、唯一愛情の対象だった弟君の思いさえ偽りだったなんて」


 風花は朝霞に憐憫の眼差しを向けた。


「どう? あなたが望むなら、私があなたに力をあげる。憎いのでしょう。腹立たしいのでしょう。あなたを道具扱いした家族が。あなたをないがしろにした友人が。そして、あなたを邪魔者扱いした永遠長と、あなたから永遠長を奪った天国が」


 風花の話を聞く朝霞は、顔こそ無表情だったが、その拳は固く握りしめられていた。そんな朝霞を満足そうに眺めながら、


「だったら、私があなたに力をあげる。あなたに、あなたを蔑み軽んじた全ての人間たちを叩き潰せる力を」


 風花はそう言うと、朝霞の前に魔法陣を描き出した。


「その中央にお行きなさい。それだけで、あなたは何者をも打ち倒せる、最強の力を手にすることができる」


 風花に誘われるまま、


「…………」


 朝霞は魔法陣の中央に身を置いた。そして、


「いい子ね」


 風花はほくそ笑むと儀式を始めた。


 直後、魔法陣から赤い閃光がほとばしり、その光柱が収束した後には赤い球に包まれた朝霞の姿があった。


「今はお眠りなさい。そして、その眠りが覚めたとき、あなたの世界は一変している」


 風花は朝霞が眠る球を、優しく撫でさすった。


「そして、そのときこそ、この世界に真の「敵」が誕生することになる」


 風花は目を細めた。


「そう、最強最悪の魔王少女が」


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