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第113話

 七星たちの入国から3日後の正午、運営から本選の組み合わせが発表された。


 十六夜は第1試合、対戦相手は高崎良だった。


「相手は、あのボンボンか。また随分と都合のいい展開だな」


 運営によれば、本選の抽選は、あくまでもCPによるランダムという話だったが、実際のところ、参加者にそれを確かめる術はないのだった。


「まーいい。あれが相手なら、こっちも対策を立てやすいし。絶対、金に物を言わせたプロ集団でくるだろーからな」


 七星は龍華を見た。


「それとお嬢様」

「なんですの?」

「パターン的に、あのボンボン、お嬢様に賭けとか持ちかけてくるかも知れねーけど、絶対乗るんじゃねーぞ」

「賭け?」

「自分と十六夜の、どっちが勝つかの賭けだよ。負けたほうは、勝ったほうの言うことをなんでもきく、みたいな条件でな。お嬢様、プライド高いからな。あのボンボンに挑発されたら、勢いでOKしそーだから心配でな」

「し、失礼ですの。わたくし、そんな単細胞じゃありませんの」

「なら、いーけどな。あの手のタイプは、自分が勝ったら約束を守らせるが、自分が負けたら平気でうやむやにするだろーからな。賭けなんかしたところで、バカを見るだけだ」

「そんなこと、あなたのような甲斐性なしに言われるまでもなく、わかっていますの」


 龍華は奮然と言い切った。


 だが、この七星の危惧は、その日のうちに現実となるのだった。


 事は夕方、十六夜たちが最上階レストランで、高崎と鉢合わせしたことから始まった。


「やあ、君たちも今からディナーかい? 残念だな、僕は今終えたところなんだ。もう少し早ければ、一緒にディナーを楽しめたんだけど。どうだい? よかったら、ディナーの後で」

「結構ですの」


 龍華は一蹴した。


「つれないな。けど、僕としても心を痛めているんだよ。せっかくインドネシアまで来た君に、僕が引導を渡さなければならないなんて。まったく、運営も罪なことをしてくれるよ」


 高崎の言葉に、龍華の眉が揺れた。


「たいした自信ですの。もう勝った気でいるとは、よほどいい駒を集められたようですの」

「おかげさまでね。まあ、すべては僕の人徳のなせる業さ」

「親のコネと資金力、の間違いじゃないんですの?」


 龍華は皮肉った。


「なんとでも。けど、僕は紳士だからね。できれば女性が悲しむ顔は見たくないんだ。それが愛する女性ともなれば、なおさらだ。だから君たちには、できれば今のうちに棄権してもらいたいところなんだけれど」

「そういうセリフは、勝ってから言うことですの」


 つれなく言い捨てる龍華に、


「へえ、僕に勝てると思ってるんだ」


 高崎が挑発を重ねる。


「当然ですの」

「じゃあ、賭けないかい。条件は、負けたほうは勝ったほうの言うことを、なんでも聞くということでどうだい?」

「いいですの」

「ちょ」


 口を挟もうとした幸の口を、龍華が右手で塞ぐ。


「よし、これで賭けは成立だ。これで、もし僕が勝ったら、君にはかねてから申し込んでいる僕のプロポーズをOKしてもらうよ」

「いいですの。ただし、わたくしが勝ったら、2度とわたくしに近づかないでくださいの」

「承知した。もっとも、そんなことには万にひとつもならないだろうけどね」


 まんまと餌に食いついた獲物にほくそ笑みながら、高崎はレストランを出ていった。

 そして高崎たちがいなくなったところで、


「アホちゃうか!」


 幸は龍華を怒鳴りつけた。


「あれだけ七星君に言われとったのに、なんで受けてまうねん! しかも、あないな条件で!」

「う、うるさいですの。あそこまで言われて、黙って引き下がっては龍華家の家紋に傷がつきますの。それに、要は勝てばいいんですの」


 龍華家の次期当主に、敗北や後退の文字はない。まして、その相手が高崎ごとき下衆となれば、なおさらだった。 


 そして龍華の未来を賭けた1回戦当日、十六夜チームが会場入りすると、すでに高崎チームが来ていた。


「やあ、逃げずに来たんだね」


 高崎は龍華を見つけると、笑顔で話しかけてきた。 


「当たり前ですの」

「嬉しいよ。君も、ようやくと僕の気持ちを受け入れてくれる気になったんだね」


 高崎の顔は、すでに勝者のものだった。


「誰が。そちらこそ、約束を違えたら承知しませんの」

「もちろん。君が勝ったら、僕は2度と君に近づかないよ。もっとも、そんなことは100パーセントありえないけれどね」


 高崎は十六夜チームの顔ぶれを見て微笑すると、対戦席へと戻っていった。


 そして始まった本選第1試合だったが、その舞台となる対戦席は予選よりも実戦に近い形へと改変されていた。


 具体的には、本選ではタッチパネル式の専用テーブルを使用することにより、対面式での対戦を実現させたのだった。反面、この対戦テーブルでは相手に手の内を隠す必要がある勝負は行なえないため、各種専用のゲーム機が別に用意されていた。


 その新たな盤上で、定石通りキングの守りを固めていく十六夜に対し、高崎は守りなど気にせず、次々と駒を前線へと押し上げていた。たとえセットゲーム勝負になろうと必ず勝てる。その自信があってこその戦術だった。


 そして、その高崎が誇るセットゲームは「将棋」「囲碁」「チェス」「オセロ」「空手」「ボクシング」「柔道」「剣道」「テニス」「サッカー」「バスケット」「ラグビー」「卓球」「野球」「ゴルフ」「ビリヤード」と、七星の予想通りプロや名人が存在する競技で占められていた。

 そんな最強のセットゲームのなかで、高崎が初戦に選んだのは空手だった。


 十六夜チームに男が七星しかいない以上、格闘戦には必ず七星が出てくる。そう踏んでのチョイスだった。


 僕をコケにしたことを、たっぷり後悔させてやる。


 高崎は内心でほくそ笑んでいた。しかし、


「パス」


 あっさり勝負を回避されてしまった。


「に、逃げるのか、この卑怯者! 君も男だったら、堂々と受けて立ったらどうなんだ!」


 肩透かしを食らった高崎は、なんとか七星を引っ張り出そうと挑発したが、


「アホか」


 七星の返事は素っ気なかった。


「おーかた、空手の有段者出して、オレを痛めつけてやろーとでも思ってたんだろーけどよ。負ける可能性が高い上に、この先の勝負にも支障を来しかねねー勝負なんて、受けるわけねーだろーが。常識で考えろ、バカ」


 この七星の判断は真っ当で、高崎は気色ばみつつも引き下がるしかなかった。


 そして守りを固め終えたところで、十六夜が反撃に出た。


 十六夜のセットゲームは「将棋」「囲碁」「チェス」「オセロ」「連珠」「クアルト」「中将棋」「シャンチー」「チャンギ」「イグニス」「ハイアンドロー」「バカラ」「戦争」「ジャンケン」「コイントス」と、メンバーの特性を考慮した組み合わせとなっていた。


 そして十六夜は、まずバカラ戦を幸の力で勝利すると、次にチェス戦を仕掛けた。


「ようやく、わたくしの出番ですの」


 龍華は悠然と対戦席に着いた。


 高崎も龍華のチェスの実績は承知していた。しかし、それがもはや過去の栄光でしかないことは、龍華が2回戦で負けたことからも明らかだった。加えて、チェス戦のサポート役として用意したのは、今年度日本大会の優勝者。過去の遺物と現役王者。勝敗など、戦う前から明らかだった。


 高崎はチェス戦の間中、龍華にかける慰めの言葉を考えていた。

 しかし、いざ試合が始まると、龍華にブランクの影は微塵もなかった。それどころか、常に現役王者相手に優勢な試合運びを続け、


「チェックメイト」


 最後はルークで止めを刺したのだった。


 この敗北は高崎にとって予想外のものだったが、それでも彼にはまだまだ余裕があった。チェスを除いても、まだ14の強力な手駒が残っている自分が、たった4人の素人集団に負けることなど、万にひとつもありえないと。


 しかし、そんな高崎の思惑に反して、十六夜チームは次のオセロ戦でも勝利すると、続く連珠戦でも高崎の手駒を打ち負かしたのだった。


 そして、この連敗は高崎の戦略を根底から覆すことになった。


 圧倒的に優位に立っていたはずのセットゲーム戦で負けたことで、一方的な蹂躙戦から一転、純粋なチェス勝負に変わってしまったのだ。そして、ここから戦況を覆せるだけの棋力を、高崎は持ち合わせていなかったのだった。


 こ、こうなったら。


 高崎は携帯を取り出すと、外の執事にメールを送った。


 これでよし。


 高崎はほくそ笑むと、サポート席から対戦席へと戻った。


 一方、十六夜にとっては、ここが攻め時だった。相手が考えなしに駒を前進させてきた結果、今キングの守りは手薄になっている。ここで一気に攻め込めば、チェックメイトまで持っていけるはずだった。しかし、


「え?」


 自分の手番を終えた直後、十六夜は困惑顔で盤面を見直した。


「どうかしたのか、十六夜?」


 七星が声をかけた。


「今ビショップが、わたしが打った場所とは違うところに動いたの」

「なに!?」


 七星たちは十六夜の元に駆けつけた。


「わたしは、このポーンを取りにいったのに、その手前で止まってしまったの」

「誤作動か? だったら運営に言って、もう1度やり直せばいい。こっちで運営に伝えるから、とりあえずおまえはそのまま続けろ。でないとタイムオーバーになる」


 七星は会場にいた運営に、その旨を申し出た。しかし運営本部からの返事は「誤作動はない」というものだった。


 駒が意図しない位置に進んだのだとすれば、それは十六夜の誤ったタッチパネル操作によるもの。それが運営本部の見解だった。


「そんな……。わたし、確かにちゃんと」


 十六夜は1手1手、常に慎重に指している。指し間違うことなど、ありえない話だった。


「ああ、わかってる」


 七星は高崎を見た。十六夜の打ち間違いでないとすれば、考えられる理由は1つしかなかった。


「あなたの仕業ですの、高崎さん」


 龍華は高崎に侮蔑の眼差しを向けた。


「こんな卑劣な真似をしてまで勝ちたいんですの? 恥を知りなさいの」

「おやおや、これはとんだ言いがかりだ」


 高崎は肩をすくめた。


「僕が一体何をしたって言うんだい?」

「運営を買収して、十六夜さんの駒の移動先を変更したんですの」

「そう言い切るからには、ちゃんと証拠があるんだろうね?」

「そ、それは……」


 龍華は鼻白んだ。


「やれやれ、龍華家の次期当主ともあろう御方が、証拠もなしに人を卑怯者呼ばわりするとはね」


 高崎に皮肉られ、龍華は唇を噛んだ。


「証拠がない以上、君たちが何を言おうが、運営の判断が覆ることなどないんだよ。つまり、君たちに残された道は、このまま戦うか、棄権するかしかないのさ。ああ、あと試合後に僕の不正の証拠を見つけて、この試合を無効にしてもらうって手もあるね。ま、できれば、の話だけど」


 高崎は鼻で笑った。


「わかったら下がってくれないかな。これ以上、根拠のない中傷で僕のプレ-を妨害したら、それこそ反則負けになってしまうよ。もっとも、そのほうが僕は手間が省けて助かるけどね」


 高崎に反論を封じられた龍華たちは、やむなく引き下がった。


 しかし、その後も十六夜の「打ち間違い」は続き、ついに彼女は後1手でチェックメイトというところまで追いつめられてしまった。


 そして高崎が、最終戦に選んだゲームはボクシングだった。


 ここで負ければ後がない以上、十六夜としては勝負を受けるしかなかった。


「あれ? パスしないのかい? 僕はてっきり、今回もパスすると思ってたんだけど?」


 高崎にどう皮肉られようとも、ここは彼のシナリオ通りに動くしかない。


 怒りを抑え、一同は場所を3階のスポーツジムへと移した。そして、そこで十六夜チームからは七星が、高崎チームからはアダムスというアメリカ人がリングに上がることになった。


 アダムスはライセンスを持つ現役のプロボクサーで、その筋肉量は七星の2倍を超えていた。


 そして試合は、予想通りアダムスのワンサイドゲームとなった。それでも七星が倒れずにいられたのは、アダムスの手加減によるところが大きかった。


 自分をコケにした七星を、簡単には楽にさせるな。


 その高崎の命令を、アダムスも楽しみながら遂行した結果だった。

 そのため七星はKOこそ免れていたものの、8ラウンドが終わった頃には顔中が腫れ上がり、もはや立っているのがやっとの状態となっていた。


「どうする、美姫ちゃん? そこの彼は、もう立ってるのがやっとの様子だけど、まだ勝負を続けるかい?」


 高崎は満身創痍の七星を見下ろした。


「まあ、僕は別にかまわないんだけどね。たとえ、リング上で何が起きようと、それは不幸な事故でしかないんだから」


 高崎は冷笑した。


「……もう、いいですの」


 龍華は肩を震わせた。


「え? 今なんて言ったのかな? よく聞こえなかったから、もう1度言ってくれないかい」


 高崎は、わざとらしく耳に手を当てた。


「もういいと言ったんですの」

「それは、負けを認めるということかな? だとすると、賭けは僕の勝ちということになるけど?」

「わかってますの。でも、ひとつだけお願いがありますの」

「なんだい?」

「この試合の勝ちを、十六夜さんに譲ってあげてほしいんですの」

「え?」

「どうせあなたにとっては、元々こんな大会どうでもいいもののはずですの」

「まあね」

「むろん、あなたが棄権しても、賭けを反故にする気はありませんの。高崎家としても、ここであなたが棄権したとしても、それで龍華家とのつながりができれば、見返りとしては十分のはずですの」

「確かに」

「では」

「でも、お願いするにしては、誠意が足りないんじゃないのかな」

「どうすればいいんですの?」

「そうだね。ここにひざまずいてくれれば、すべて君の望み通りにしてあげてもいい」

「わ、わかりましたの」


 龍華が覚悟を決めて膝を折ろうとしたとき、七星が彼女の体を抱き止めた。


「な、何するんですの、破廉恥な!」


 背後から抱きつかれた龍華は、真赤になって抗議した。


「それは、こっちのセリフだよ。十六夜じゃあるまいし、自己犠牲精神なんて、お嬢様には似合わねーんだよ」

「わ、わかったから、とにかく離しなさいの! ていうか、どさくさに紛れて、変なところを触るんじゃありませんの!」

「変なとこ?」


 七星は前を覗き込んだ。すると、グローブが龍華の胸を押し上げていた。


「抱き上げてんだから仕方ねーだろ。それに触ってるったってグローブなんだから、感触なんかわからねーし」

「そういう問題じゃありませんの! とにかく放しなさいの!」

「わかった、わかった」


 七星は龍華から手を放した。


「けど、今さら照れることもねーだろ。何度も同じベッドで寝た者同士」

「誤解を招く言い方するんじゃありませんの!」


 龍華は目を血走らせた。


「まー、とにかくだ。なんだかんだ言って、お嬢様とは同じ職場で働いてきた同僚だからな。オレは確かに糞ニートだが、仲間が目の前で不幸になるのを見過ごすほど腐ってもねーんだよ」

「…………」

「それに、これでも一応、ドS女にお嬢様たちの護衛を任されてる身だしな。そのオレが、お嬢様をムザムザあんな奴の餌食にさせちまったら、それこそドS女に殺される」

「そういうことです」


 突然飛び込んできた女性の声に、十六夜チームの視線がリング下に集中した。


「ドS女」


 声の主は、やはり今は日本で留守番をしているはずの静火だった。


「無様ですね、七星君。いくらプロ相手とはいえ、そこまで一方的にやられるとは」

「うるせーよ。2ヶ月かそこらの付け焼き刃でプロボクサーに勝てりゃ、誰も苦労しねーんだよ」

「相変わらず、口だけは達者ですね。まあいいでしょう。とにかく棄権など論外です。勝てとは言いません。とにかくあなたは後2ラウンド、逃げ切って判定に持ち込みなさい。あなたがどんなに不甲斐なくとも、それぐらいはできるでしょう」

「簡単に言いやがって」


 七星は舌打ちした。


「あ、あなたが、あの女を呼んだんですの?」


 龍華は七星にささやいた。


「いや、呼んでねーよ。連絡は取ったけどな。つーか、オレが呼んだとしても、それであのドS女が動くわけねーだろ。キモオタが命令しても、下手すりゃ動かねー奴なのに」

「それもそうですの」


 龍華は、あっさり納得した。悲しい常盤家当主だった。


「それで? 結局どうするのかな? 試合はまだ続けるのかい?」


 すっかり存在を忘れられていた高崎が、改めて切り出した。


「当たり前だ」


 七星はリング中央へと進み出た。


「どうやら、バカは死ななきゃわからないようだね。まあ、勝手にすればいいさ」

 高崎は鼻で笑うとリングを降りた。しかし、そんな高崎の期待に反して、七星は残り2ラウンドを耐えぬき、勝敗は審判団の判定に委ねられることになったのだった。


「100対70。100対70。100対70」


 レフェリーは、集計した採点結果を淡々と読み上げていった。そして、


「勝者、七星」


 レフェリーは七星の腕を高々と上げた。


「バカな!?」


 高崎は気色ばんだ。


「どういうことだ!? この試合、誰がどう見てもアダムスの勝ちだろう!」


 高崎は審判団を睨み付けた。しかし事前に買収したはずの審判団は沈黙したまま動かず、彼の意見に耳を貸す者はいなかった。


「き、貴様ら……」

「何を怒っているのです?」


 静火は高崎の前に進み出た。


「審判は七星君の勝ちと判断した。ただ、それだけのことでしょう」

「ふざけるな! こんな判定、認められるか!」

「納得がいきませんか?」

「当たり前だ!」

「では、再試合をするしかありませんね」

「再試合?」

「そうです。もう1度試合をして、今度こそはっきりと決着を着けるのです。KO勝ちなら審判のジャッジなど関係ありませんし、あなたも文句はないでしょう?」

「……いいだろう」


 高崎は薄笑った。七星は、すでに半死半生。それに対して、アダムスにはまだまだ余力が残っている。再試合は、むしろ望むところだった。


 今度こそ息の根を止めてやる。


 高崎は、そう思っていた。しかし、


「ただし、七星君はあの通りグロッキー状態です。そこで、こちらからは別の者を出場させることになりますが、よろしいですね?」

「別の者?」

「そうです。こちらとしても、負けるとわかっている再試合を受ける義理はありません。それが嫌だというなら、この話はここまでです」

「……いいだろう。それで受けてやる」


 七星にとどめを刺せないのは残念だが、残っているのは女だけ。この段階で、もう勝利は約束されたようなものだった。


「メイド長、他のモンて、一体誰が出んねんな? 七星君でさえ勝てへんのに、うちらに勝てるわけあらへんやん」


 幸の意見は至極もっともだった。


「わたくしが出ます」

「ええ!?」


 あっさり言う静火に、常盤家使用人全員の声が重なった。


「かまいませんね、十六夜さん?」

「は、はい」


 実質の家長である静火の申し出に、十六夜は即答した。


「けっこうです」


 静火はグローブをはめると、メイド服のままリングに上がった。そしてレフェリーも静火の服装を咎めなかった。


「アダムス、かまうことはない! そんな奴、さっさと潰してしまえ!」


 高崎の命を受け、アダムスはゴングと同時に静火へと襲いかかった。静火もこれを迎え撃ち、両者の姿がリング中央で交錯した。そして、勝負はその一瞬で決した。

 静火のグローブが、爆音とともに破裂。と同時に、グローブから発射された散弾が、アダムスの下半身に撃ち込まれたのだった。

 次いで、静火は悶絶するアダムスの頭を蹴り倒すと、破れたグローブを脱ぎ捨てた。そしてスカートのなかから金属バットを取り出すと、アダムスの後頭部へと容赦なく振り下ろしたのだった。


 その凶行に一同があぜんとするなか、高崎がいち早く我に返った。


「は、反則だ!」


 高崎は審判を見た。しかし、今度も審判が動く気配はなかった。

 そして静火は、さらに10回アダムスの頭に金属バットを振り下ろしたところで、高崎を振り返った。


「見ての通り、彼はわたくしにKOされました。よって、この勝負はわたくしの勝ちです」

「ふ、ふざけるな! 何が勝ちだ! 勝ちどころか、おまえの反則負けじゃないか!」

「反則? わたくしが、いつ反則をしたと言うのですか?」


 静火は冷ややかに尋ねた。


「もし反則であれば、とっくに審判が止めに入っているはずです。それがなかったということは、わたくしのプレーに反則などなかったということです。そうですね、審判?」


 確認する静火に、審判はうなずいた。


「き、貴様らあ!」


 高崎は審判を睨み付けたが、やはりジャッジが覆ることはなかった。


「ふざけるな! こんなジャッジ認められるか! こんなのイカサマだ!」

「ならば証拠を出していただきましょう。イカサマだという証拠を」

「ふ、ふざけるな! とにかく僕は、こんな勝負認めないぞ! おまえたち!」


 高崎は、リングの外にいたボディーガードたちに呼びかけた。


「この女を黙らせろ!」


 高崎の命令を受け、ボディーガードたちが静火へ襲いかかった。しかし静火は顔色ひとつ変えず、スカートのなかから掃除機を取り出した。


「出た! 火炎放射機!」


 幸は思わず後ずさった。


「つーか、どうやって隠し持ってたんだ、あれ?」


 そんな七星の疑問などおかまいなく、静火は掃除機のスイッチを入れた。そしてボディーガードたちを容赦なく火ダルマにした後、静火は最後の獲物に狙いを定めた。


「来、来るな!」


 高崎は後ずさった。


「ぼ、僕を誰だと思ってるんだ! こ、こんなことをしてタダで済むと思ってるのか! おまえ1人消すぐらい、わけないんだぞ!」


 高崎は下劣な本性を現わして、わめき散らした。


 そんな高崎に対する静火の答えは、右の鉄拳だった。


「いひいいい!」


 鼻の骨を叩き潰された高崎は、味わったことのない痛みに転げ回った。


「いいですか、高崎家のお坊ちゃま」


 静火は激痛に泣き叫ぶ高崎の左腕を掴むと、後ろ手に捻り上げて肩の間接を外した。


「あなたが高崎家の威光を嵩にきて、どこでどんな蛮行を行おうと、そんなことは当方の関与するところではありません」


 静火は高崎の右手首を掴み上げると、小指の骨をヘシ折った。


「ですが、この大会の主催者は常盤家です。そして、その大会であなたが正常な運営を妨げるということは」


 静火は薬指の骨をヘシ折った。


「この大会の主催者である常盤家の名誉を傷つけ、その顔に泥を塗るということなのです」


 静火は、さらに中指、人差指、親指と、高崎の指の骨を次々とヘシ折っていった。


「あなたが、常盤をどのような人間だと思っていたかは知りませんが、当家は、当家の敷地を土足で踏み荒らすような無礼者を野放しにしておくほど、腐っても落ちぶれてもいないのです」


 静火は高崎の右手を握り潰した。その間、高崎の口からは悲鳴が上がり続けていたが、もちろん静火はおかまいなしだった。


「常盤家の名誉を汚す者は、それがたとえ1国の王であろうと許しません。もしそのような者がいれば、その罪は己が身をもって償っていただきます」


 静火は半死半生の高崎をひきずりながら、七星たちのところへと引き上げてきた。


「みなさん」


 そう呼びかける静火の顔は、いつも通り涼しげだった。


「わたくしはこれより、彼の親御さんに今回の件の説明を求めにまいります」

「落とし前を取らせに行くの、間違いじゃねーのか?」


 七星の皮肉にも、静火の表情は微動だにしなかった。


「そう長くはかからないと思いますが、わたくしが不在の間に、もしまた彼のような不心得者が現れたときは知らせてください。後でわたくしが、その方のところへ直接お話を伺いにまいりますので」


 そう言い残すと、静火は高崎を連れて七星たちの前から去っていった。最後に、喚き散らす高崎の頭を、入り口付近の壁に叩きつけてから。


「え? 結局1回戦って、どうなったん? うちらの勝ちってことでええん?」


 幸は七星を見た。


「いーんじゃねーの。主催者様が、そー言ってんだからよ」


 七星は瓢々と答えた。


「それはそれとして、これは一体どういうことですの?」


 龍華は七星に詰め寄った。


「どうって、何がだよ?」

「惚けるんじゃありませんの! さっきあなた、この試合の前に、あの女と連絡を取り合ってたみたいなことをおっしゃってたじゃありませんの! あれは一体どういうことですの!?」


 龍華は真赤になってまくしたてた。もし事前に静火が来るとわかっていれば、あんな醜態をさらすこともなかったのだった。


「せやせや、アレどういうことか、ちゃんと説明してもらわんと」

「わかった、わかった」


 七星は2人をなだめると、この一連の事態について自分が知る範囲で説明していった。


 まず七星が高崎を見て、彼が試合でイカサマをする可能性があると踏んだこと。

 そして静火に電話で大会の管理状況を再確認し、最悪の場合、対戦テーブルを破壊するつもりでいると告げたことを。


「て、そんなことしたら、大会続けられへんやん」

「そんなことはねーよ。あの対戦テーブルが使い物にならなくなったら、実物のチェス盤でやれば済む話だ。他のゲームも同じくな」

「そりゃそうかもしれへんけど、そんなことしたら大変なことになったんちゃう? それこそ、どんだけ賠償金請求されるか」

「あー、ドS女もそんなこと言ってたな。だから「このホテルで大火事起こして、ホテル中大混乱してる間に、どさくさにまぎれてブッ壊すから問題ない」と答えてやったら、後のことはこちらでうまくやるから、絶対余計なことはするなって言って電話を切りやがったんだよ」


 七星は、ため息をついた。いい加減、説明するのが面倒臭くなってきたのだった。


「で、後はおまえらも知る通りってわけだ。たく、もう少し早く来れば、オレもこんな目に遭わなかったものを。あのドS女のことだから、絶対オレが痛い目に遭うまで待ってやがったんだ。ちくしょーめ」

「そんなことより、不正の可能性があると思っていたのなら、どうしてわたくしたちに黙ってたんですの?」

「せやせや、なんでや?」

「そりゃー、おまえらに話すと、あのボンボンにドヤ顔でペラペラ話して、次の手を打たれかねなかったからだよ」


 七星の答えを聞き、幸は言葉を詰まらせた。


「それに、ドS女にも口止めされてたしな。あの女もオレとは別の意味で、おまえらに知られて計画を台無しにされたくなかったんだろ-よ」

「別の意味? 別の意味とは、どういう意味ですの?」


 龍華が聞きとがめた。


「これはオレの憶測だが、あのドS女は最初から、あのボンボンをハメる気だったってことだ」

「ハメる?」

「おそらく、あのボンボンが買収工作仕掛けてることを、ドS女は事前に掴んでたんだろ-よ。そして、知っててわざと野放しにしてた」

「なんでや? そんな勝手許したら、常盤家の名誉に傷がつくて、さっき自分で言うとったやん」

「だからこそ、まずあのボンボンに好き放題やらせたんだよ。そうすれば、大義名分はこっちにあるから、あのボンボンに制裁を加えても文句は言われねーし、この大会に出場してる他のセレブたちへの警告にもなる。要するに、この大会をまともに運営するためのダシに使われたんだよ、あのボンボンは」

「マジかいな!?」

「でなけりゃ、ボンボンチームに買収されたはずの審判たちが、土壇場でこっちに寝返るわけがねー。あれは最初から、そういう筋書きだったんだよ」

「そう言うたら、せやな」

「もっとも、あの容赦なさは見せしめ以外にも、何かありそーだけどな。おーかた、以前からあのボンボンのことが気に入らなかったんじゃねーか。だから罠にハメて、ここぞとばかりに叩きのめした」

「恐! あのメイド長、マジ恐!」


 幸は身震いした。


「そんな罠、引っかかるほうがバカなんですの」


 龍華は冷ややかに切り捨てた。


「それじゃ、みんな納得したよーだし引き上げるぞ。今日は無駄に熱血して疲れたから、さっさと帰って寝てーんだ」


 七星はため息をつくと、自分の部屋へと引き上げた。


 そして、この1戦は七星の推察通り、その後の大会に多大な影響を与えることになったのだった。




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