第112話
週が明けた水曜日。
十六夜の携帯に、大会運営本部から本選に関するメ-ルが届いた。そのなかで、特に十六夜たちの目を引いたのは本選でのルール変更項目だった。
変更事項は、主に次の4点だった。
1、対局中、大会出場者が1手に使える時間は1分とする。
2、大会出場者が選択するセットゲームは、既存のゲームに、スポーツ、格闘技、その他あらゆる競技を加えたものとする。
3、セットゲームで争う場合、その出場者は登録された大会出場者に限らないものとする。
4、メインゲームからセットゲームに移行する場合のタイムリミットを廃止する。
「どういうことや?」
幸は難解な文章に眉をひそめた。
「要するに、セットゲームには今までのゲームに加えて、スポーツや格闘技も選ぶことができるようになった上、その競技を戦うのは本人じゃなくてもよくなったんだよ。たとえば将棋で戦う場合、プロ棋士に代理で戦わせるのもありになったってこった」
七星は淡々と説明した。
「なんや、それ!? そんなん、その道のプロとか達人連れて来れるモンが、ムッチャ有利に決まっとるやん」
「まあ、はっきり言えば、コネや金のあるセレブほど有利ってことだ」
「なんや、それ!? んなアホな話あるかいや! この大会は、金ない奴も不老不死にしたろっちゅう考えで、開催されたんちゃうんかい? それを金持ち有利にしたら、それこそ本末転倒やんか!」
「要するに、この大会を主催したセレブ連中には、最初から一般庶民に不老不死の恩恵を分け与える気なんてなかったってこった。連中にしてみれば、こんな大会、ただの娯楽。上辺だけ庶民にもチャンスを与えるよう装っといて、誰が勝つか賭けて楽しんでただけだったんだろーよ」
「なんや、それ!」
「そもそも、不老不死の恩恵を無条件で受けられるはずのお嬢様が、この大会に参加してた時点でおかしいと思ってたからな。大方、お嬢様の参加も、庶民を優勝させねーための、セレブどもの布石の1つだったんだろーよ」
七星の言葉に、全員の視線が龍華に向いた。
「なんですの、その目は。言っておきますが、今回のことは、わたくしも今初めて知ったんですの」
龍華は不快そうに言った。
「だろーな。けど、さりげなく誰かに参加を薦められたんじゃねーか? 大会に出場して、庶民にセレブとの格の違いを思い知らせてやってくれってよ」
「…………」
「まあ、なんであれ、くわしい話を聞こうにも、キモオタはいねーしな。つーか、これがわかってたから、バックレやがったんだな、あの野郎」
常盤は今も出張中で、帰ってくるのは半月後となっていた。
「まあ、あのキモオタに文句言ったところで、状況が変わるとも思えねーし。それにキモオタはキモオタで、こうなることがわかってたから、あらかじめ布石を打っておいたんだろーしな」
「どういうこっちゃ?」
「ここにいるメンバーだよ。十六夜の1回戦の相手が、オレだった時点でウサンクセーと思ってたが、おーかたキモオタは最初っから、本選で十六夜のサポート役をさせるつもりで、予選の対戦相手を選んでたんだろーよ。もっとも、お嬢様に関してだけは、キモオタも予定外だったみてーだがな」
「どういうことですの?」
「おそらくキモオタの当初の予定では、お嬢様はメイドになんてしねーで、あくまでも龍華家の次期当主として、その資本力で十六夜をバックアップさせる予定だったんだよ。十六夜との再戦を望むお嬢様としては、自分と戦う前に、いくら金の力とはいえ、自分以外の人間に十六夜が負けるのは我慢ならねーはずだからな。黙ってても、きっと人材面や資金面で十六夜のサポートを申し出ると踏んでたんだろーさ」
「…………」
「ま、実際はドS女が暴走したせいで、お嬢様は龍華家を勘当され、結果的に龍華家の財力は当てにできなくなっちまったわけだが」
「だから、勘当などされておりませんの。勝つまで帰って来るなと言われただけですの」
龍華は不本意そうに訂正した。
「あの花宮って子にしても同じだ。十六夜の弟が、この大会期間中に病気を克服したとしても、十六夜の性格なら花宮のことを放っとけねーから、あの子の目を治すために大会を続けると踏んで、わざとぶつけたんだよ」
「それは、いくらなんでも考え過ぎちゃう? 仮に旦那様が本当にそれ狙っとったとしても、その前にあの子が負ける可能性もあるわけやし」
「まーな。とにかく、問題はこれからだ。ルール変更された本選を、ここにいる人間だけで、どうやって勝つか。ま、それもお嬢様たちに、十六夜のサポート役として出場する気があれば、の話だがな」
七星は、龍華と幸を交互に見た。
「わたくしは、かまいませんの。どんな形であれ、わたくしと再戦する前に十六夜さんが他の誰かに負けるなど我慢なりませんもの」
「うちも当然協力するで。んでもって、セレブどもの鼻あかしたるんや」
「それじゃ、当面の課題は、このメンバーで考えられる最高のセットゲ-ムのセレクトだな」
またまた面倒臭い話だった。
「何言うてんのや、七星君。その前に、やることがあるやろ」
「やること?」
「そーや。今度の大会は南の島でやるんやで。南の島と言えばバカンス。バカンスと言えば海。海と言えば水着。すなわち、まずやるべきは水着の新調や!」
旅行先では、誰でも開放的な気分になる。その意味で、この大会は幸にとって七星をものにする絶好のチャンスなのだった。
そんな幸の思惑はともかく、確かに長期旅行をするからには準備が必要で、翌日七星たちは駅前の百貨店へと買い物に出かけた。
そして週末、旅支度を整えた十六夜たちは、静火に見送られながらインドネシアへと旅立ったのだが……。
明るいお日様と潮風に歓迎され、少女たちが心を浮き立たせる横で、七星は1人沈んでいた。強制された長旅と無駄な熱気が、元々少ない七星のモチベーションを枯渇寸前まで追いやっていたのだった。
「なんや、まだそんな顔しとんのかいな、七星君。せっかく南の島に来たんやで。もっと楽しまな損やで」
「何が損だ。オレは、こんなところに来るよりも、クーラーのきーた部屋でゴロゴロしてるほーが、よっぽどいーんだよ」
「なんやジジ臭いなあ。そんなんやと、すぐ老けてまうで」
「大きなお世話だ」
七星は、ため息まじりに言った。
「オレは省エネ人間なんだよ。ローソクだって、激しく燃えればそれだけ早く消耗すんだろ-が。それと同じで、オレは無駄な体力消費を避けることで、寿命を伸ばしてんだよ」
「何言うてんねん、七星君。人間は体動かせば動かすほど、元気で長生きする生き物なんやで。ローソクとはちゃうねん」
幸は七星の手を掴んだ。
「ちゅうわけで、さっさとホテル行こ。で、荷物置いたら、さっそく海へレッツゴーや」
無駄にハイテンションの幸に引っ張られ、七星は渋々歩き出した。
そしてバスで揺られること十数分、七星たちは宿泊地兼試合会場である常盤グランドホテルに到着した。
このホテルはインドネシアでも最大級の宿泊施設であり、本館は900を超える客室を有し、別館にはスポーツジムやレジャー施設が完備されていた。そして今大会の試合場となる新館の周囲には、テニスコートや屋外プールが設置され、最短でのゲーム進行が可能となっていた。
「すべてに常盤ってつけなきゃ気が済まねーのか、あのキモオタは。自己顕示欲の塊め」
七星は毒づきながらホテル入りすると、まずフロントで宿泊手続を済ませた。そして七星たちが部屋へ向かおうとしたとき、別の日本人の一団がエレベーターで降りてきた。
「やあ、久しぶりだね、美姫ちゃん。しばらく見ないうちに、また一段と綺麗になったね」
そう声をかけてきたのは、全身をブランド物で着飾った、七星たちと同年代の青年だった。
「あなたも、お元気そうで何よりですの、高崎さん」
龍華は挨拶を返したが、その声は社交辞令の域を1ミリも出ていなかった。
「他人行儀だなあ、美姫ちゃん。僕のことは良でいいって言ったじゃないか。忘れたのかい?」
「忘れてはいませんの。けど、承知した覚えもありませんの」
「つれないなあ。まあ、そこがまたいいんだけど。どうだい、再会を祝して今から食事でも」
「謹んで、お断りいたしますの」
「それは残念」
高崎は肩をすくめてから、十六夜に視線を移した。
「ふうん、メイド姿もよかったけど、普段着姿も悪くないね」
高崎の目に好色が浮かんだ。その値踏みするような視線に耐え切れず、十六夜は七星の背中に隠れた。
「……ここはセレブが多いから、うまくいけば十六夜も玉の輿に乗れるかもと期待してたが」
七星は高崎をまじまじと見やると、
「さすがにコレはねーな」
嘆息した。
「なんだと、貴様!」
七星の不遜な態度に、高崎の取り巻きが気色ばんだ。
「まあ、待て、おまえたち」
高崎は取り巻きを右手で制した。
「この僕にそんな口をきくとは、いい度胸だね、君」
「うお! 安ゼリフきた! リアルで初めて聞ーたよ。くそ、動画撮っときゃよかった。あ、今からでも遅くねーか」
七星は携帯電話を取り出すと、カメラを高崎に向けた。
「よし、今のもう1度頼む」
「……面白いね、君」
高崎は七星の無礼を一笑に付したが、目は笑っていなかった。
「まあいい。今日のところは、挨拶だけのつもりだったし。時間は、これからたっぷりあるからね」
高崎は龍華に笑いかけると、七星たちから離れていった。
「なんなんや、あいつ? どこぞのボンボンみたいやけど」
幸は龍華に尋ねた。高崎の態度も不快だったが、1番腹立たしいのは自分の存在を完全スルーされたことだった。
「彼は高崎工業の御曹司ですの」
「高崎言うたら、あの自動車で有名な?」
「そうですの。加えて、お父様が国会議員をなさっていて、多少のことならもみ消してもらえるものだから、好き放題してるんですの」
「要するに、典型的なバカボンか」
七星が一言で片づけた。
「ですが、気をつけることですの。彼は目的のためなら手段は選びませんの。それこそ、勝つためなら十六夜さんにケガをさせるぐらい、平気でやる男ですの」
誇り高い龍華にとっては、話すだけでもおぞましい汚物だった。
「七星君」
十六夜は七星の袖にしがみついた。
「ま、ここにいる限り大丈夫だろ。監視カメラもあるし」
「それより、さっさと海行こうや」
幸が七星にせっついた。
「まったく、あなたの頭には、それしかないんですの? まったく、これだから庶民は」
「そんなこと言うて、あんたかてホンマは楽しみにしてるくせに」
幸は龍華を肘でつついた。
「あなたと一緒にしないでくださいの。というか、わたくしは海へなど行きませんの」
「え? 泳がんのかいな?」
「察してやれ、幸」
七星は幸の耳元でささやいた。
「お嬢様はセレブの間じゃ、それなりに知名度がおありあそばすんだ。そのお嬢様が大口叩いて出場した大会で、本選に出るどころか2回戦で、それもメイド風情にあっさり負けてしまったんだぞ。そんな状況で、セレブが集まる場所に出てみろ。それこそ、さらし者だ。プライドの高いお嬢様には、それが我慢ならねーんだよ」
「あ-、そりゃ引きこもりたくもなるわ。うちかて3回戦まで行ったっちゅうのに」
幸はウンウンとうなずき、
「な、何を勝手なこと言ってますの!」
龍華は気色ばんだ。
「そんなこと関係ありませんの! わたくしが海に出ないのは、あなたがたのような庶民と同レベルに見られたくないからですの!」
「まー、そーゆーことにしといてやるよ」
「だから!」
「わかった、わかった」
「もういいですの! 行きますの! 行けばいいんですの!」
「何怒ってんだよ? せっかくフォローしてやってんのに」
「今のの、どこがフォローですの!」
龍華は柳眉を逆立てた。
「まーまー、とにかく先に部屋に荷物置きに行こーや」
幸に促され、とりあえず一同は部屋に荷物を置きに行った。そして荷物の整理を済ませた一同は、海水浴へと繰り出した。までは、よかったのだが……。
「何やってんだ、おまえは?」
浜辺に出てきた十六夜を見て、七星は眉をひそめた。
十六夜は、せっかくのビキニ姿だというのに身を屈め、胸も腕で隠していたのだった。
「酷いよ、七星君」
そう言う十六夜の顔は、羞恥心で真赤になっていた。元々十六夜が購入したのはスク-ル水着だったのに、いつの間にかビキニと入れ替えられていたのだった。
「ビキニごときで、いつまで恥ずかしがってんだ。そんなことで、セレブの気を引-て、玉の輿に乗れると思ってんのか?」
「い、いいよ、わたし、玉の輿なんて」
十六夜は尻込んだ。
「狙うんだよ。せっかく、その機会が向こーから転がり込んできてんだぞ。この好機を逃してどーする」
七星は十六夜に迫った。
「どーするも、こーするもないよ。そのままスルーだよ」
十六夜は逃げ腰で後ずさった。
「つーか、どーして、そこまで嫌がる? ビキニなんて、それこそ誰でも普通につけてるもんだろーが」
「誰でもじゃないよ。第一恥ずかしいよ、ビキニなんて。まるっきり下着だもん」
十六夜は、今まで水着はスクール水着しか着たことがなかったのだった。
「水着は元々そーゆーもんだろーが」
「全然違うよ。スクール水着は」
「たかがビキニごときで、どこまで大げさなんだ、おまえは」
「そんなこと言ったって、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよう」
七星の視線に耐え切れず、十六夜は座り込んでしまった。
「ええい、往生際の悪い。見てみろ、幸たちを。同じビキニ姿でも、どーどーとしたもんだろーが」
七星は幸たちを指さした。
「わ、わたし、2人みたいにスタイルよくないし」
「オレに言わせりゃ、似たよーなもんだ。つーか、スタイルがよくないなら、それこそ注目されることもねーんだから、別に恥ずかしがる必要もねーだろーが」
「そんなの、へ理屈だよう」
「……まったく世話の焼ける」
七星は十六夜の横に屈むと、彼女の体を抱き上げた。
「な? な?」
七星にお姫様抱っこされた十六夜は、これ以上ないほど真赤になった。
「何って、おまえが恥ずかしくて動けねーって言うからだよ」
「よ、余計恥ずかしいよ、こんな格好」
十六夜にしてみれば、この状況は七星と裸で抱き合ってるに等しいのだった。
「歩く、歩くから、降ろしてよ、七星君」
「最初っから、そー言えばいーんだよ」
七星は十六夜を地面に降ろした。
「それじゃあ、オレはここにいるから、おまえら3人で楽しんでこい」
「七星君は、一緒に遊ばへんの?」
「オレがいたら、ナンパしようってセレブがいても声かけにくいだろーが」
「そんなこと言って、単に面倒臭いだけじゃないんですの? わたくしを引っ張り出した以上、1人だけ抜け駆けは許しませんの」
龍華に目論見を看破され、七星は渋々付き合うことになった。
そして、それからの3日間、七星は様々な玉の輿作戦を決行した。しかし、そのことごとくが空振りに終わり、七星の企みは海外で初の黒星を喫することになったのだった。




