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第111話

 4回戦当日。

 いつも通りに会場入りした十六夜たちだったが、そのなかに常盤と静火の姿はなかった。理由は、常盤が昨夜の1件で寝込んでしまったから、ではなく、単なる海外出張のためだった。


「じゃあ、行ってくるね」


 本選進出をかけた試合を前に、十六夜は今までになく落ち着いていた。


「行ってこい」

「ガンバやで!」

「もう1度わたくしと戦うまで、負けることは許しませんの」


 3人の声援を背に受けながら、十六夜は対戦室に入った。すると、すでに対戦席には花宮の姿があり、その横に運営委員が控えていた。盲目の花宮は、パソコンからの音声を頼りにプレイするため、運営がサポ-ト役として付き添っているのだった。


 十六夜は、花宮と言葉を交わすことなく席に着くと、セットゲームの最終チェックを行なった。


 今回の十六夜のセットゲームは「チェス」「将棋」「囲碁」「オセロ」「連珠」「中将棋」「クアルト」「ハサミ将棋」「シャンチー」「ランカ」「囲連星」「イグニス」「軍人将棋」「キツネとガチョウ」「チャンギ」の15ゲ-ム。

 これに対し、花宮も十六夜とほぼ同じ内容ながら「チェス」「オセロ」「キツネとガチョウ」がなく、その代わりに「トスカ-ナ」「ヘックス」「ゴブレット」が入っていた。


 そして最終チェックも問題なく終了し、試合は十六夜の先手で始まった。


 序盤は互いに守りを固め、特に十六夜はいつも以上に守りを重視していた。以前、遊びとはいえ花宮に遅れを取っているだけに、十六夜としては慎重にならざるを得なかったのだった。


 しかし、それは花宮も同じ。以前勝っているとはいえ、それはあくまで遊びでのこと。2回戦でチェス大会の優勝者に勝っている十六夜は、花宮にとっても十分過ぎる脅威なのだった。特に龍華を敗ったオセロとチェスがセットされているクイーンと右ルークは要注意であり、花宮が十六夜に勝つためには、この2つ以外のゲームで十六夜を上回る必要があった。

 その意味でも、最初のセットゲーム戦は重要な意味を持っていたが、その大事な初戦に花宮が選んだのは中将棋だった。

 この勝負を十六夜も受けて立ち、2人の初戦は中将棋に決まった。


 そして始まった中将棋戦は、どちらも譲らぬ互角の競り合いとなった。だが、花宮は盲目のハンデを感じさせない見事な棋力で、この接戦をものにすると、続く囲連珠戦でも十六夜に勝利したのだった。


「これ、ちょっとヤバいんちゃう?」


 幸は不安げに七星を見た。


「まだ2敗しただけだろ」

「せやかて、ここんとこ十六夜さん、ちょっとおかしかったし」

「その問題なら解決したって言ったろ。今、十六夜が負けてるのは単なる地力の差だ」

「て、それ、もっとヤバいやん」

「いーんだよ。それに今の2戦、あいつ、どっちもあんまり得意じゃねーしな。勝負はこれからだ」


 その七星の言葉通り、十六夜は続くハサミ将棋戦、ランカ戦を勝利し、戦績をイーブンに戻した。

 そして第5戦が開始されようとしたとき、静火から七星に電話がかかってきた。

 元来、携帯は持たない主義を貫いてきた七星だったのだが、常盤たちが同行しないため、静火に無理やり持たされたのだった。


「なんだよ、ドS女? 今、試合中だから後にしろよ」

「その試合に関することです。十六夜さんの弟さんに、ドナーが見つかったという話がありましたが、わたくしの調べた結果、あれは偽りであったことがわかったのです」

「偽り?」

「そうです。あのドナーの件は、どうやら今回の相手スポンサーが、対戦相手である十六夜さんの戦意を鈍らせるために仕組んだ嘘だったようなのです」

「ふーん」

「……あまり驚いていないようですね」

「まー、その可能性もあると思ってたからな。で、その1件は、あの花宮って子もからんでんのか?」

「いえ、本人は知らされていなかったようです。彼女が十六夜さんの弟さんと接点を持ったのは、あくまでもスポンサーと御両親が仕組んだものだったようですし」

「ならいい」

「ええわけないやん」


 幸がツッコんだ。


「それがわかったんやったら、こんなとこで悠長にくっちゃべっとらんと、はよ十六夜さんに教えたらんと」

「幸さんの言う通りです。一刻も早く、このことを十六夜さんに伝えてください。本来、試合中に第三者が対戦室に入ることは禁じられていますが、今回は特別です。全責任は常盤家が持ちます。すべては、系列病院に入院させておけば安心だとタカをくくっていた、わたくしどものミスですから」


「いらねーよ」


 七星は、あっさり切り捨てた。


「いらんて、どういうことやねん? 七星君は、十六夜さんが負けてもええいうんか?」


 すかさず幸のツッコミが入ったが、やはり七星に動く気配はなかった。


「つーか、知らせに行くほーがまずいだろ。少なくとも、今十六夜は弟が助かると思ってんだ。そこへ「ドナーの件は嘘でした」なんて教えたら、それこそ無駄に動揺させるだけだろーが」

「そ、それもそやな」

「それに花宮って子だって、自分の知らねーところで、親がそんな悪企みしてたなんて聞かされたら、少なからず動揺するだろーしな。それでなくとも、あの子は他人の何倍も神経使ってプレーしてるんだ。そこへ、そんな知らせ聞かせたら、それこそそこで勝負が決まりかねねー」

「えーやん、別に。それで十六夜さんの勝ちになるなら」

「いいわけあるか」


 七星は一喝した。


「そのスポンサーは、確かにあの子を勝たせるために小細工したかも知れねーけどな。そんなこと、今戦ってるあの子には、なんの関係もねー話だろーが。少なくとも、今あの子は自分の夢を叶えるために、目が見えねーハンデを乗り越えて、十六夜に真っ向勝負を挑んでんだ。そして十六夜も、そんな子の夢を奪う罪悪感に心を痛めながらも、逃げずに本気で向き合ってんだ。その2人の真剣な思いを、大人のクソくだらねー都合で台無しにされてたまるか」

「……そうですね。確かに、あなたの言う通りです。では、わたくしはこれで。ああ、そういえば旦那様からの言付があるのでした」

「ついで臭、ハンパねーな」

「旦那様も今回の件には大層ご立腹で、黒幕には相当のペナルティーを課すとともに、十六夜さんにも何かお詫をしたいとおっしゃっておられました。ですから、十六夜さんにその旨を伝えておいてください」

「それって、なんでもいーのか?」

「はい。旦那様に可能なことであれば」

「じゃあ、不老不死の委譲権ってのはどうだ?」

「委譲権?」

「ああ、現状、十六夜は優勝した場合、不死化の権利を弟に委譲できることになってんだよな?」

「ええ」

「その委譲権を、弟だけじゃなく、第三者にもできるようにしてもらいてーんだよ」

「第三者に?」

「ああ、今のルールで、それが可能かどうか知らねーけど、もし禁止されてるなら特別に許可してほしーんだよ」

「なぜ、そんなことを?」

「そーしねーと、十六夜の奴が無駄にウジウジ悩むからだよ。弟の病気を治すって目的で出場した自分が、その目的を達した後まで、花宮みたいな人間を差し置いて優勝してしまっていいのかってな」

「……それは、十六夜さんの希望なのでしょうか?」

「ああ。疑うなら、後で本人に聞いてみろ」

「わかりました」

「で、どーなんだ? できるのか? この大会は、元々地に埋もれてる有能な人材に、不死の権利を与えるって名目で行なわれてるんだろ。そこでそんな真似したら、その趣旨に反することになるわけだが」

「確かにそうですね。ですが、おそらく問題はないと思います」

「よかった。これで十六夜の奴も余計なこと考えねーで、全力で戦えるだろーよ。ああ、それと最後にひとつ、キモオタに伝言頼む」

「なんでしょうか?」

「1度は許すが、もし今度こんな茶番を仕組みやがったら、マジでブッ殺すってな」

「……わかりました」

「じゃーな」


 七星は電話を切った。


「七星君、最後のあれ、どういう意味やったん?」


 幸が尋ねた。


「なんのことだよ?」

「だから、最後の茶番ってやつ」

「そのまんまの意味だよ。たぶんだが、今回の件、黒幕はキモオタの野郎だからな」

「え?」

「どういうことですの?」

「どうって、この話は全部キモオタの作り話か、もしくは本当に花宮のスポンサーがドナーの件を仕組んだんだとしても、それをキモオタが自分の企みに利用しやがったってことだよ」

「話が見えませんの。この状況で、おじ様が何を企んだというんですの?」

「これはあくまでオレの憶測だが、キモオタの野郎は、ドS女がオレに言った展開を期待してたんだよ。おーかたキモオタの筋書きだと、オレから真相を聞いた十六夜は、迷いを振り切り花宮に逆転勝ちする。が、対戦室に第三者が乗り込んだことは、やはり問題となる。で、その解決策として、十六夜は本選への出場権をかけて敗者復活戦に参加する。と、まあ、キモオタのシナリオは、こんなところだったんだろーよ」

「どうして、そんなことをする必要があるんですの?」

「こっちのほうが、展開がドラマチックで盛り上がるからだよ」

「…………」

「あのキモオタは、基本面白ければ、後はどーでもいいって奴だからな」

「証拠はあるんですの?」

「ねーよ。だから電話でも、はっきりとは追求しなかったろ。つーか、ぶっちゃけ本当であろーとなかろーと、この際どっちでもいーんだよ。どっちにしろ、あー言っとけば、たとえ本当に今回シロだったとしても、この先横槍を入れにくくなるだろーからな。ま、オレ的には本当だと思ってるけどな。でなけりゃ、この土壇場でドS女から電話がかかってくるわけがねー。もし本当に不正が発覚したなら、その時点で試合を中止にすれば済むだけの話なんだからな」


 今朝、静火が携帯を渡してきたときから、七星は怪しいと思っていたのだった。


「そーゆーたら、せやな」


 幸が同意し、龍華もそれ以上反論してこなかった。


「今頃キモオタは、相当悔しがってるだろーよ」


 七星は笑い飛ばすと、試合に注意を戻した。すると、十六夜はシャンチーで花宮に圧されていた。そして十六夜は、その後も劣勢を挽回できないまま、結局シャンチー戦を落としてしまったのだった。


 この段階で花宮が1ゲームをリードし、優勢に試合を進めていた。


 だが続く第5戦、2人の決着は思わぬ形で着くことになった。


 十六夜が仕掛けた連珠戦で、花宮がサポートへの指示を間違えてしまったのだ。


 これは、疲労により起きたミスだったが、一度入力されたコマンドは、いかなる場合においても撤回することは認められない。そのため花宮は連珠戦を落とし、十六夜は思わぬ形でチェックメイトへの道が開くことになったのだった。

 そして、これを花宮が回避するためには、十六夜にオセロで勝たなければならなかった。

 だが花宮は、すでにオセロで1敗していて、その実力が十六夜に及ばないことを、彼女自身が1番よくわかっていた。それだけに花宮が犯した指示ミスは、試合を決定づける致命的なものとなってしまったのだった。


 その一方で、対戦している十六夜も困惑していた。


 こんな形での勝利は、自分にとっても本意ではない。なら、いっそのこと、ここはわざと負けたほうが、どちらにとっても納得のいく終わり方になるんじゃないか?


 そんな考えが、一瞬十六夜の脳裏をよぎった。しかし続けて浮かんだ七星の顔が、その考えを断ち切らせた。


 確かに今の状況は、十六夜にとって不本意なものだった。しかし、さっきの花宮のミスが真っ向勝負の結果起きたものである以上、この先花宮が同じミスを犯さないとは断言できない。そしてそのときの対戦相手が、必ずしもフェアプレー精神にあふれた人物であるとは限らないのだった。


 ならば、十六夜の選ぶ道はひとつしかなかった。


 対する花宮も、窮地に立たされてはいたが、まだあきらめていなかった。


 確かに、オセロで自分が十六夜に勝てる確率は低い。だが、絶対に勝てないと決まったわけでもなかった。なにより、この試合には渇望していた視力の回復がかかっている。簡単に、あきらめるわけにはいかなかった。


 花宮は死力を尽くして、十六夜と真っ向相対した。だが、そんな花宮の決死の覚悟も、実力という壁を撃ち破るには至らなかった。


 結果、オセロ戦は僅差ながら、再び十六夜の勝利に終わった。そして、それは同時に、この試合の勝者が十六夜に決定した瞬間でもあった。


 試合後、十六夜は自分の真意を花宮に伝えようとして、寸前で思い止まった。


 もし花宮に不死の権利を譲るとしても、それは弟の完治が前提となる。今この段階で、そんな不確実な希望を花宮に持たせることは酷であり、そんな行為は自分が罪悪感から逃れるための自己満足でしかないのでは?


 その思いが、十六夜の口を閉じさせたのだった。


「あの……」


 自縄自縛に陥っている十六夜に、花宮が声をかけてきた。


「ありがとうございました。最後まで、手を抜かずに戦ってくれて」


 花宮は十六夜に笑いかけた。


「え? あ、い、いえ、どういたしまして」


 予想外の言葉を投げかけられ、十六夜はパニクッてしまった。


「それに、手を抜くなんてとんでもないわ。あなた、本当に強かったもの。とても目が見えない人との戦いとは思えなかった」


 十六夜は、お姉さんモードで花宮に優しく語りかけた。


「最後は、あなたのミスに助けられたようなものだったし。あれがなければ、負けてたのはわたしのほうだったかもしれないわ」

「いえ、あれがわたしの精一杯でした。ミスしたのも、追いつめられてあせったからだし。わたしの完敗です」


 花宮は右手を差し出した。


「九十九君のためにも、ぜひ優勝してください。わたし、応援して…ます…から……」


 最初明るかった花宮の声は徐々にか細くなり、その目からは涙がとめどなくあふれ出ていた。


「あれ? おかしいな? お姉さんの前じゃ、泣かないって、決めてたのに……」


 花宮は手で涙を拭った。しかし拭っても拭っても、彼女の目からは涙がこぼれ続けた。


「ほんと、役立たずの目なんだから……」


 花宮は涙の止まらぬまま、それでも十六夜に笑顔を作ってみせた。


「咲ちゃん!」


 気がつくと、十六夜は花宮を抱きしめていた。


「もし、もしだけど、もしわたしがこの大会に優勝して、もしそのとき九十九の病気が治ってたら、そのときはあなたに不老不死の権利をあげる。約束する。だから希望を捨てないで」

「……はい、はい、お姉さん」


 花宮は力強く何度もうなずいた。そこへ花宮の両親が娘を迎えにきた。


「ご両親が迎えにきたみたいだから、わたしはもう行くわね」


 十六夜は花宮から離れると、花宮の両親に一礼して対戦室を出た。

 そしてロビーに戻った十六夜は、七星たちから祝福を受けることになった。


「これで本選進出だな」

「おめでとー! うちは勝つって信じとったで!」

「あの程度の相手に手こずるとは、まだまだですの。ですけれど、まあ、勝ったことには、一応お祝い申し上げておきますの」


 三者三様の祝福に、十六夜も笑顔で応じた。


 そして帰り道、七星は十六夜にドナーの件を伝えた。その内容は十六夜にとっても残念なものだったが、正直さほど落胆はなかった。そして七星の話を聞き終えた後、十六夜も自分の本心を花宮に明かしたことを告げた。


「まー、そーなると思ってたよ」


 七星にも、それほど驚いた様子はなかった。


「つーか、そー言うと思ったから、おまえにはまだ話したくなかったんだけどな」

「どうして?」

「そーすれば、もしおまえが優勝したとき弟が完治してたら、不老不死の権利を誰かに売れるからだよ」

「売る?」

「そーだよ。なにしろ不老不死だからな。それが手に入るとなれば、そこそこの金持ちなら1億くらいの金は出すだろ。そーすれば一生とはいかなくても、おまえらが大学卒業して就職するぐらいまでは、余裕で暮らせたろーからな」

「…………」

「まー、でも約束しちまったもんは仕方ねー。それに優勝する前から、優勝した後のこと、あれこれ言っても意味ねーし。そんなことは優勝してから考えればいーことだ」

「うん」


 目指すは優勝。そして、そのために全力を尽くす。


 十六夜に、もう迷いはなかった。






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