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第104話

 翌日、七星の常盤邸での執事生活が始まった。しかしその内容は10キロマラソンに中庭での筋力トレ-ニングと、仕事とは名ばかりのシゴキだった。


「99、100!」


 なんとか腹筋100回を完遂させた七星は、大の字に寝そべった。


「やっと終わりましたか」


 静火が中庭に出てきた。


「ずいぶん時間がかかりましたね。これだけで午前中いっぱいかかるようでは、話になりませんね」


 静火は容赦なく切り捨てた。


「ふ、ざけんな。こんなもん、仕事でもなんでねー。ただの嫌がらせじゃねーか」

「旦那様ならいざ知らず、わたくしはそんな卑劣な真似はいたしません」


 静火は毅然と言い切った。


「嘘つけ。どーみても、ただオレをいたぶって楽しんでるだけじゃねーか、このドS女が」

「違います。基礎体力がなければ、何をやらせたところで使い物にはならないからです。いわば、これはあなた自身の怠慢が招いた結果であり、身から出た錆です。わたくしに逆ギレする暇があったら、その程度でヘバってしまう自分の貧弱さを恥じることです」

「うるせーよ。勝手に引っ張り出しといて、勝手なこと言ってんじゃねー」

「それだけ減らず口が叩けるなら、十六夜さんの護衛役ぐらいは勤まりそうですね」

「護衛役?」

「そうです。本来ならば、午後は実技の時間なのですが、今日は週に1度、十六夜さんが弟さんの見舞いに行く日なのです。あなたも訓練初日ということもありますし、今日はここまでにして、午後は十六夜さんに付き添ってあげてください。十六夜さんを1人で行かせて、もし万一のことでもあれば、当家の威信に関わりますので」

「そんなもん知ったこっちゃねーが、そーゆーことなら行ってやるよ」


 七星は昼食を済ませた後、十六夜に付き添って常盤病院を訪れた。


「あ、姉さん、来てくれたんだ」


 九十九は姉に気づくと、無邪気に顔をほころばせた。今年中学生になったばかりの九十九の顔には、まだ小学生の愛らしさが残っていた。


「お姉ちゃん、その人は?」


 九十九は七星を見た。その目と声には、かすかな嫌悪感があった。


「え、あ、この人は七星終夜君」

「七星?」

「ほら、前に話したことがあるでしょ。同級生だった、七星君。今はいろいろあって、同じ職場で働いてるの」

「ああ、そうなんだ。よろしく、七星さん。あなたのことは、以前姉さんによく聞かされてました。今も姉がお世話になってるようで、どうもありがとうございます」


 九十九は笑顔で会釈した。しかしその笑顔は、いかにも取り繕った笑顔だった。


「ああ、よろしくな」


 七星は素っ気なく応えると、早々に壁ぎわへと引っ込んでしまった。


「元気そうね、九十九」

「うん、このところ、ずっと調子がいいんだ」

「そう、よかった。でも、だからって、あまり無理しちゃダメよ」

「うん、わかってるよ、姉さん。それよりゲームやろうよ」

「そうね。じゃあ、七星」


 十六夜は七星を見た。すると七星は病室の隅で、すでに熟睡していた。


「……君は、あのまま寝かせておいてあげましょ」


 十六夜は九十九に向き直り、九十九も邪魔者が消えたことを内心喜んでいた。


 その後、姉弟水入らずの時間を楽しんだ十六夜は、4時になったところで七星を起こした。


「それじゃ、お姉ちゃん、そろそろ帰るね。また来週来るから」

「うん、待ってる。でも無理はしないでね。お姉ちゃん、すぐ無理するからボク心配で」

「大丈夫よ。じゃあ、来週また来るから」


 十六夜は笑顔でそう言うと、七星とともに病室を後にした。


「元気そーで、よかったな」


 病院を出たところで、沈黙を守っていた七星が十六夜に声をかけた。


「ま-、乗りかかった船だ。オレも、できることはできる範囲で協力してやるよ」

「うん、ありがとう、七星君」


 七星らしい言い草に、十六夜は思わず笑みを零した。


 そして帰宅した七星は、夕方、十六夜たちとともに常盤家の主を玄関先で出迎えた。しかし、それは使用人としての自覚が芽生えたからではなく、ひとえに爆弾リングの強制力によるものだった。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 メイド2人は、常盤にうやうやしく頭を下げた。


「ただいま、2人とも」


 常盤は2人に応えてから、憮然としている七星を見た。


「それに、七星君も充実した1日を過ごせたようで何よりだ」


 常盤は会心の笑みを浮かべた。


「……ああ、お蔭様でな」


 言葉とは裏腹に、七星の顔には「こいつ、いつか殺す」と書いてあった。


「そうか、そうか」


 常盤は満足そうに何度もうなずいた。


「それはそうと、十六夜君」

「はい?」

「特訓だが、今夜から再開ということでいいかね? 昨日は、いろいろあって中止になってしまったからね」

「え? あ、はい、お願いします」

「なんだ、特訓って?」


 七星は十六夜に尋ねた。


「旦那様が、わたしが試合で勝てるように、ご厚意でいろいろと手解きしてくれてるの」

「ご厚意、ね」


 七星は常盤を横目に見やった。


「な、なんだね、その目は?」


 常盤は鼻白んだ。


「別にー。で、具体的には何やってんだ?」

「えーと、相手がどんなゲームで挑んできても対応できるように、いろいろなゲームをプレイして、そのコツを」

「話にならねーな。時間の無駄だから、もーやめとけ」


 七星は切り捨てた。


「な、何を言うのかね、七星君。可能な限り、多くのゲームをプレイして、その攻略法をマスターすることは、大会で勝ち上がるために必須の」

「相手がセットゲームにしてくるってことは、それだけそいつが自信を持ってるゲームってこったろ」

「だ、だからこそ、こちらも実際にプレイして、その対応策を練っておくのではないかね」

「そんな付け焼き刃、いくらやったところで、それこそ焼け石に水だ」


 七星は常盤の意見を一蹴した。


「ほ、ほう、では、君には他に何か秘策でもあるというのかね? あるなら言ってみたまえ」

「秘策なんかねーよ」

「それみたまえ。このゲームで勝つためには、日々コツコツと努力してだね」

「その努力の方向性を、間違えてるっつってんだよ」

「ほ、ほう、どう間違えていると言うのかね?」

「旦那様」


 静火が2人の間に進み出た。


「お話の続きは、夕食の席で行うことにして、先に着替えられてはいかがでしょうか? お食事の用意も、すでにできておりますので」

「え? でも、どう間違えているのか気になるし」

「たかが数分待つだけです。なんの問題もございませんでしょう」

「え、でも」

「さあ、お部屋にまいりましょう、旦那様」


 静火は常盤の腕を掴むと、渋る常盤を自室へと連れていってしまった。


 その光景を見ながら、七星は確信していた。やっぱり、あの女はドSだと。


 そして着替えを済ませた常盤は、広間に移動するとテーブルの上座についた。


「で、先程の話だが、私の何が間違っているというのかね?」


 料理に軽く手をつけた後、常盤は左隣に座る七星を見た。


「それは、このゲームで勝つための鍵が、いかに苦手ゲームを減らすかじゃなく、いかに自分の得意ゲームのレベルを上げられるか、だからだよ。極端な話、たとえ相手のセットゲームを全部落としたとしても、こっちの15ゲームで確実に勝てれば、試合にも勝てるんだよ」


 七星は水を一飲みした。


「だからこそ、重要なのは十六夜の特性を活かしたセットゲームの選択と、その選択したゲームのレベルアップなんだ」

「わたしの特性?」


 十六夜は小首を傾げた。そんなことは考えたこともなかったし、自分にそんな特性があるとも思えなかった。


「そうだ。基本的に、おまえは熟考タイプだからな。反射神経や即座の判断力が必要な格ゲーや落ちゲー、シューティング類より、戦略ゲーのほうが向いてるんだ。それに、おまえにはもう1つ、とっておきの武器があるしな」

「とっておきの武器? わたしに?」

「あるだろ、とっておきのが」


 七星は十六夜を横目に見やった。


「論より証拠だ。オレの言ってることが嘘かどうか、あれ言ってみせてくれよ」

「あれ?」

「円周率だよ。前にオレに披露してくれたろ。あれ、今でもできるんだろ」

「できるけど」

「じゃ、やってみせてくれ」

「う、うん」


 十六夜は軽く息を吸い込むと、


「3.1415926535897932384626433832795028841」


 言われた通りに円周率を披露した。その口調には一切の淀みがなく、常盤などは、ただただ唖然とするばかりだった。


「よし、そこまででいい」

「う、うん」

「わかったか? それが、おまえのとっておきの武器なんだよ」

「でも、これがゲームでなんの役に立つって言うの?」

「立つさ。考えてもみろ。詰め碁や詰め将棋の本は、なんのためにある? プロは、なんで普段も将棋や囲碁を指してる? あれはみんな、あらゆる状況下での攻略法を頭のなかにインプットしとくためだろ。つまり記憶力があるほど、戦略や戦術の幅が広がって詰めも誤らずに済むんだよ」

「…………」

「ただし、あまり記憶力に頼り過ぎた打ち方をしてると、応用力不足でボロ負けする危険性もあるからな。その辺はバランスと、それこそ実戦練習を重ねるしかねー」

「うん」

「それと、これが一番の難点だが、戦略ゲーばっかだと、試合中ずっと緊張を強いられ続けることになって、結果として、おまえの最大の武器である記憶力や集中力、判断力の低下を招くことになりかねねー。おまえは生真面目だから、途中で適当に手を抜くってこともできねーだろーしな」


 七星は頭をかいた。


「それでなくとも、このクソゲーはハンパなく神経使うからな。たく、どこのバカが考えたか知らねーが、そいつ絶対自分じゃプレーしてねーだろ。もししてたら、このゲ-ムを1手20秒でプレーし続けることの困難さぐらい、わかりそ-なもんだからな」


 七星は小指で耳の穴をほじった。


「大方、どこぞの頭でっかちのボクちゃんが、ただの寄せ集めゲームを「究極の盤ゲームができたー。ボクって天才」と舞い上がったあげく、ろくにテストプレイもせずに大会開催しやがったんだろーよ。あー、やだやだ」


 七星は「けっ」と吐き捨てた。


「し、し、し、失礼だね、君は」


 常盤の顔は屈辱で強ばっていた。


「テ、テストプレイぐらい、ちゃんと行なったさ。私自身何度もプレイして、問題がないと判断して実用化したんだ」

「ちゃんと?」


 七星は笑い飛ばした。


「ど-せ、面白半分で適当にプレーしただけなんだろ? ただ指すのと、本番で負けたら終わりのプレッシャー背負いながら指すのとじゃ、一手の重さが全然違うんだよ。もちろん受けるストレスもな」

「な、何を言うんだね。私だって参加プレイヤーになったつもりで、真剣にプレイしてだね」

「ほー、だったら実際に証明してみせてくれよ」

「しょ、証明?」

「そうだ。実際に勝負してな」

「いいだろう。受けて立とうじゃないか」

「と言っても、ただ勝負するだけじゃ、今までと変わらねー。テメーが大会参加者と同じつもりだって言うんなら、同等のリスクを負ってもらわねーとな」

「いいだろう。で、具体的にはどうするのかね?」

「そーだな、テメーが負けたら、テメーが大事にしているコレクションを、5、6個ブッ壊すってのはどーだ?」

「な!?」


 常盤の顔が一気に青ざめた。


「ちょ、ちょっと待」

「そうですね。それが妥当なところでしょう」


 静火が常盤の話を遮った。


「では、賭けの対象とするコレクションの選別と破壊は、わたくしが行ないましょう」

「待って! 待って! 待って! 静火君! せめて選ぶのはボクにやらせて!」


 そう涙目で懇願する常盤を、


「それでは厳正な勝負になりません」


 静火は一言の下に退けた。


 そして夕食後、常盤の部屋で彼のコレクションをかけた勝負が始まった。しかし、その常盤の相手は七星ではなかった。七星が本調子でないことと、彼が十六夜用に選んだセットゲームのテストプレイを兼ねて、十六夜に変更したのだった。


 ちなみに七星が十六夜用に選んだゲームは「将棋」「チェス」「オセロ」「囲碁」「連珠」「はさみ将棋」「ブロックス」「ポーカー」「ランカ」「ブラックジャック」「シャンチ-」「中将棋」「クアルト」「イグニス」「チャンギ」の15だった。

 ほとんどが戦略ゲームのなか、ふたつギャンブルゲームが入っているのは、仮に戦略ゲームで相手のレベルが十六夜よりも上だった場合でも、勝てる可能性を残しておくためだった。


 これに対して、常盤のセットゲームは、完全に運要素を排除した戦略ゲームのみで構成されていた。

 なにしろ、この勝負には大事なコレクションの命運がかかっているのだ。その勝負ゲ-ムに、一か八かの運ゲームを入れるなど考えられない話だった。


 負けられない一大決戦を前に、常盤の肩にはかつてないプレッシャーがのしかかっていた。そのため、常盤の目は血走り、手は震え、息は荒く、心臓は高鳴り、その症状は試合が進むにつれて加速していった。しかし、それでも常盤の勝利への執念、いやコレクションへの執着心が失われることはなく、結果として、


「チェック、メイト」


 勝負は常盤の勝利に終わったのだった。


「か、勝った?」


 常盤は、画面に表示された「YOU WIN」の字をマジマジと見やった。


「勝った。勝ったんだね、ボクは。よかった。本当によかった」


 常盤は震える手で顔を覆い、歓喜の嗚咽を漏らした。


「やった。ボクはやったよ。ボクは、みんなを守ったんだ」


 常盤は、この喜びをコレクションたちと分かち合おうとした。しかし、一歩踏み出したところで、よろけて床に片膝をついてしまった。この1戦に全身全霊で挑んだ常盤は、もはや精魂尽き果てていたのだった。


「そらみろ。マジでやったら、それぐらい疲れるんだよ」


 七星は、疲労困憊の常盤を冷ややかに見下ろした。


「つーわけで、夜の特訓とやらは今日で終わりだ。これから十六夜には詰め将棋や詰め碁の問題集や、プロの試合や棋譜を見せる。そのほうがハンパに実戦をやらせるより、よっぽどレベルアップできるはずだからな」

「な、何を言うんだね。今のは少し床に足を引っかけただけで、別に疲れたとか、そんなことではなくてだね」


 常盤はあわてて平静を装ったが、もはや手遅れだった。


「行くぞ、十六夜」


 七星は十六夜の背中を押した。


「え、でも……」

「いーんだよ。どうせ特訓を口実に、おまえに自分の遊び相手をさせてただけなんだから」

「ち、違う、違うよ、十六夜君。私は純粋に君のことを」


 常盤は必死に弁明したが、七星は聞く耳を持たなかった。


「待ってえ! 行かないでー、十六夜君! 何してるの、静火君! 電気ショックでもなんでも食らわせて、七星君を止めてー!」

「申し訳ありません、旦那様。リモコンは部屋に置いてきてしまいました」

「えええ!?」


 狼狽する常盤を尻目に、七星と十六夜はドアの向こうへと消えてしまった。


「では、わたくしもこれで失礼します」


 一礼すると、静火も常盤の部屋を去っていった。


「…………」


 1人残された常盤にできることは、哀愁を背に、傷ついた心を新作ギャルゲーで癒すことだけだった。





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