同担歓迎派と同担拒否派の溝は深い④
「どうした」
「すみません、ちょっと、考える時間をください」
「……わかった」
えーっと。
初めてのことに挑戦するには、勇気と勢いが大事。
慣れるには、回数こなして経験値を積んでいくのが大事。
……勇気も勢いも回数こなすのも、無理っぽい気がする。
初心者の私が慣れたとしても、上級者の吹田さんにはとうてい追いつけないし。
盛りまくった今の私より、さらにわがままボディだった元カノさんを思いだす。
あのヒトでも満足できないなら、私じゃ絶対無理だよね。
となると、他のヒトに頼むのが、お互いのためかな。
「吹田さん。
お願いがあるんですけど……」
「なんだ」
「その、…………えっちなことは、他の人としてもらえませんか」
おそるおそる言うと、吹田さんは軽く目を見開く。
そのままじいっと見つめられて、不安になってくる。
え、ダメだったかな。
「…………」
吹田さんは深くため息をついてうつむく。
しばらくそうしてたけど、ゆっくり顔を上げた。
「まず、なぜその考えに至ったのか、説明してくれないか」
静かな言葉に、ほっとする。
「あの、私じゃ無理そうなので。
さっき、朱音さんが『得意な人に任せる、もしくは外注に出すって考えてほしい』って、言ってたじゃないですか。
今でも、仕事のサポートはシロさん、生活のサポートは朱音さんに頼んでますよね?
だから、えっちなことも、誰かに頼んだほうがいいかなって」
「……それは、朱音に頼めということか?」
「いえ、違います」
朱音さんは吹田さんガチ勢だけど、私がケイコ先生を大好きなのと似た雰囲気で、恋愛的な意味じゃなさそうから、そういうのは断りそうだよね。
「なら、風俗店に行けという意味なのか」
「いえ、吹田さんの立場的に、そういうお店を利用できないことぐらいは、わかってます。
そうじゃなくて、……吹田さんの実家に、夜伽をするヒトがいますよね?
江戸時代から続くおうちだし、ハニトラ警戒してたって言ってたから、たぶん予防とか対策的な意味で、閨教育とかもありましたよね?
そういうのを担当してる、技術があって口が固い、吹田さんが信用できそうなヒトに、頼んでほしいんです」
風俗のお店とかは、ゴシップ誌にすっぱ抜かれたりしたらまずいけど、吹田さんちの使用人さんならそういう心配はいらないし、ある意味プロだろうから、安心して頼めるはず。
「……………………」
吹田さんは、さっきより深いため息をついて、しばらく黙りこんだ。
「……いくつか質問していいか」
「はい、なんですか?」
「俺の実家に夜伽や閨教育をする者がいる、という発想も、時代劇からか」
「そうです。
え、いないんですか?」
【親が決めた婚約者】と同じぐらい、あるあるネタなのに。
吹田さんはそっと目をそらす。
「……黙秘する」
うん?
よくわかんないけど、否定しないってことは、たぶんいるんだよね。
……あー、警察官僚っていう立場的に、認めるわけにはいかないってことかな。
吹田さんが実家にいたのは高校卒業までで、つまり高校生の頃にそういう人にお世話になってたっていうのは、条例的にまずいよね。
吹田さんは小さく咳払いする。
「次の質問をしていいか」
「あ、はい、どうぞ」
「おまえは、俺が他の女を抱いても気にしないのか」
「浮気だとショックですけど、私がお願いして選んだ相手なら、気にならないです。
私、同担歓迎派なんで」
「……『同担歓迎派』という言葉の意味を教えてくれ」
「あー、えっと、元は確かアイドル系オタク用語です。
『同担』は同じ人の担当の略で、同じアイドルを応援してる人、みたいな意味です。
で、同担が嬉しい人が同担歓迎派、逆にイヤな人が同担拒否派です。
朱音さんと私は、吹田さんの同担で、お互いに同担歓迎派なので、なかよくやっていけそうです。
えっちなことをお願いする人も、吹田さんが選んだ人なら、なかよくできると思います」
「…………そうか」
吹田さんはまたため息をつく。
なんだかため息多いね。
「……おまえでは無理というのは、俺に抱かれたくないという意味なのか」
「違います」
「なら、何が『無理』なんだ」
「……それは……その……」
「俺とすることが無理なのか、それともそういう行為自体が無理なのか、どちらだ」
口調は静かだけど、淡々と追いつめられる。
さっきの吹田さんと同じく『黙秘します』って言いたいけど、コレは、言うまでえんえん追及される流れだよね。
うぅ……。
「…………だって、…………恥ずかしい、から……」
そう説明すること自体恥ずかしくて、枕をぎゅうっと抱きしめてうつむく。
「……さっき、首筋にキスされただけで、びっくりしちゃって、……それ以上なんて、もっとびっくりしちゃうだろうし、……さ、さわられるのなんて、耐えられそうになくて。
そもそも、……裸、見られるっていうだけで、無理で、……恥ずかしくて、死んじゃいそうです……」
あああもう、恥ずかしー!
言葉にするだけで恥ずかしいのに、実際に見られるとか、さわられるとか、絶対無理!!
真っ赤になってるだろう顔を、枕に埋めて隠す。
「……行為以前の問題なのか……」
呆れたようなほっとしたような、よくわからない声で吹田さんが言う。
「……さっきも言ったように、おまえが嫌がることはしないし、無理強いもしない。
キスと同じように、少しずつ慣れてくれればいい。
おまえのペースに合わせるし、いつまででも待つ」
なだめるような優しい声に、ぎゅっと唇を噛む。
「……でも、……それじゃ、ダメだと思うんです」
「何がだ」
「私に合わせてもらうってことは、吹田さんに我慢してもらうってことですよね。
前に元カノさんに会った時に、……せ、性欲は当然あるって、言ってたじゃないですか。
私は、そういうの感じたことがないから、よくわかんないですけど、我慢すると体に悪い、らしいですし。
それに、元カノさんが言ってましたけど、吹田さんは、小柄だけど体力あって、ぜ……絶倫、だって……。
……私、知識も経験も体力もないし、元カノさんで満足できないなら、私とじゃあ絶対満足できない、どころか、つまらないと思います。
だから、誰かに、頼んでください……」
何度かつっかえちゃったけど、なんとか最後まで言えた。
あああもう、ここが自分ちなら、ベッドに転がってジタバタしたい……!
でも我慢、我慢……!
枕をぎゅうぎゅう抱きしめて、恥ずかしいのをこらえる。
しばらくそうしててようやくおちついて、ふうっとため息をつく。
黙ったままの吹田さんをそおっと見ると、胡坐をかいた膝に頬杖をついた手で目元を覆って、うつむいてた。
……あれ?
考えごと中?
がんばって伝えたつもりだけど、わかりにくかった?
「…………」
ゆっくり手をおろした吹田さんは、それでもうつむいたまま小さな声で言う。
「言い訳をしてもいいか」
「えっ」
言い訳? 説明じゃなくて?
吹田さんがそんなこと言うの、初めてじゃない?
何について?
よくわかんないけど、聞けばいいか。
「はい……」
「ありがとう」
律義に言った吹田さんは、うつむいたままゆっくり話しだす。
「あのCAの女とつきあい始めたのは、今のおまえと変わらない年頃だった。
理想を抱いて警視庁に入ったが、実現にはほど遠く、雑務に追われていた。
しかも当時所属していた公安部は、上司は派閥闘争に明け暮れ、先輩は上司に媚びを売ることばかり考えていた。
なのに一番若い俺に押しつけられる仕事は、国賓待遇の外国人に関する案件ばかりで、完璧に出来て当たり前、失敗は絶対に許されない。
ストレスが溜まる一方だった」
今の私と変わらないってことは、二十五歳ぐらい?
吹田さんはなんでも完璧っぽいけど、その頃はそうでもなかったんだ。
そりゃあストレスも溜まるよね。
「あの女に声をかけられたのは、相手側の国で二日間ほぼ徹夜で何度も交渉して計画を詰め、相手側の上司と正式な文書をかわして、ようやく帰国した時だった。
機内で作成した報告書を空港から上司にメール添付で送ったら、珍しくすぐ電話がかかってきた。
内容は、下っ端のおまえの名前でかわした文書ではあてにならないから、責任者である自分が改めて交渉に行く、通訳として同行しろ、というものだった」
……ん?
丸投げしといてあてにならないって、どういう意味?
「後でわかったが、その時上司は何度目かの浮気がバレて、妻の機嫌を取る為に海外の有名ブランドの限定品バッグを現地で購入したかったらしい。
それだけの為に、俺が一ヶ月かけてまとめた交渉を白紙に戻し、無理やり出張の予定を作った」
「ぅわー……」
それはいくらなんでも、公私混同がすぎるよね。
「肉体的にも精神的にも限界が近かった時に声をかけられて、……正直に言えば、あの女を利用した」
「利用……?」
前に聞いた時は『疲れてて早く眠りたかったから』とか言ってたけど、他にも意味があったの……?
「男は身体構造的に、性行為で一時的な解放感を得られる。
だからあの女を抱くことでストレスを軽減させて、翌日の上司との出張を無事にこなすことができた」
「へえー……」
えっちなことでストレスを減らせるなんて、知らなかった。
「それからもストレスが溜まることばかりだったから、あの女の誘いは都合が良かった。
だが、公安部から異動して海外出張に行かなくなると、成田空港近くのあの女の部屋も利用しなくなった。
その頃には上司や同僚のあしらい方がわかってきたし、異動先は公安部よりマシな環境だったから、ストレスも減った。
肉体的にもおちついてきて、それほど性欲を感じなくなった。
あの女とつきあうメリットがなくなったから、別れた」
ん?
……そうだった、吹田さんは、告白してきた相手が示すメリットによって、つきあうかどうか決めるんだった。
そのメリットがなくなったら、つきあう意味もなくなるんだ。
「あの女とは、お互いに体だけが目的の関係で、利用したのは向こうも同じだが、俺の都合で別れたことに多少は負い目があった。
だからあの店で再会した時、最初は穏便に話をするつもりだった」
……あー、それであの時、くどかれてるような姿勢のまま話してたんだ。
「だが、あの女がおまえを侮辱するような発言をしたから、つい腹が立って、きつい言い方をしてしまった。
おまえにも聞こえているとわかっていたのに、配慮が足らなかった。
すまない」
「……あ、いえ……」
急に態度が変わったのは、私のために怒ってくれたから、だったんだ。
「まとめると、あの女とつきあっていた頃の俺は、心身共に未熟で余裕がなかった。
おまえ達の用語を借りるなら」
言葉を切って私を見た吹田さんは、苦笑いを浮かべる。
「黒歴史だ。
だから、あの女が言ったことは気にしないでほしい」
「……あー」
なんとなく理解してたことの解像度が、一気に上がる。
つまり、あの頃はそうだったけど、今は違うってことだよね。
そっか、だから『言い訳』なんだ。
納得できちゃった。
オタク用語って便利だね。
でも……。
「……達するのと満足するのの違いって、なんですか……?」
それは吹田さんが言ってたことだから、やっぱり気になる。
「簡単に言えば、体だけが満たされるか、心身共に満たされるかだ。
おまえは経験がないから理解しにくいかもしれないが、心が伴わなくても体の欲を満たすことはできる。
だが、それは一時的な欲望の処理にしかすぎない。
愛する相手との行為であれば、体だけでなく心も満たされる」
「心が満たされる……」
うーん……。
「……吹田さん」
「なんだ」
「抱きついていいですか」
吹田さんはちょっとびっくりしたようなカオをしてから、甘く微笑む。
「ああ」
「ありがとうございます」
枕を置いて膝立ちで動いて、吹田さんの横までいく。
横座りして、吹田さんのななめ後ろから抱きついた。
肩甲骨に頬を押しつけて、目を閉じる。
スーツより生地が薄いからか、吹田さんの体温がはっきり感じられた。
「……私は、こうやってるだけで、心が満たされるんですけど。
吹田さんは、えっちなことも込みじゃないと、ダメなんですか……?」
抱きついたまま聞いてみると、腕の中の体がぴくっと揺らぐ。
「……駄目なわけではない。
だが、男の心理としては…………いや、これも言い訳だな」
吹田さんは小さくため息をつく。
「美景」
「はい……」
「手にふれてもいいか」
わざわざ聞いてくれるのは、さっきさけちゃったからかな。
「はい……」
「ありがとう」
律義な言葉の後、吹田さんのおなかに回した手に、そっと手の平が重ねられる。
「俺も、こうやっておまえとふれあっていると、心が満たされると感じる。
だから、今までは軽いキスまでで満足できていた。
だが……おまえが結婚を承諾してくれて、欲が増した。
性欲ではなく、独占欲や嫉妬心という類のものだ」
……ん?
「……結婚って、私を独占できるってことですよね?
なのに、独占欲、ですか……?」
意味わかんない。
「ああ。
おまえが俺を愛してくれていることは、わかっている。
公的におまえを独占できる夫という立場も、もうすぐ手に入れられる。
それでもまだ足りずに、おまえの全てを、心だけでなく体も欲しいと思ってしまった。
だが、それはおまえを愛しているからだ」
吹田さんは私の手をそっとほどかせて、両手で包むように握る。
「そもそも、おまえの前の交際相手と最後にしたのは一年半ほど前だが、体調に問題はないし、おまえとつきあっている間も、無理して我慢していたわけではない。
おまえが慣れるまで一年でも二年でも待つし、それでも無理なら、できなくてもかまわない」
きっぱりした言葉に、びっくりする。
「この先ずっと、一生、できなくても、いいんですか……?」
「ああ。
おまえだから欲しいし、おまえでなければ意味がないんだ。
だから、他の女を薦めるのは、やめてくれ」
そうなんだ……。
結婚するなら、えっちなこともしなきゃいけないと思いこんでたけど。
しなくても、いいんだ……。
なんだか気が抜けちゃって、吹田さんの背中にもたれかかった。




