同担歓迎派と同担拒否派の溝は深い①
ドアを開けてくれたハイヤーに、急いで乗りこむ。
私達と一緒に蒸し暑い空気も入ってきちゃったけど、すぐドアが閉まって涼しい風が吹いてきて、ほっとした。
服をひっかけないよう慎重にシートベルトを締めると、左手の指輪が目に入る。
それだけで、口元がゆるむのを自覚する。
あー、やっぱり好き。
「そんなに気に入ったのか」
吹田さんが、なんとなく呆れてるみたいなカオで言う。
顔がゆるんでる自覚があるから、呆れられてもしょうがないかな。
それでも止められないけど。
「はい。
なんかもう、一目惚れでした」
「……そうか。
俺にも見せてくれないか」
「あ、はい」
吹田さんは私の右側にいるし、お互いシートベルトをしててあんまり動けないから、左手を見せるのはちょっと難しい。
でも、はずしたくない。
迷った末に、指輪をしたままの左手を吹田さんに向かって思いきり伸ばした。
「どうぞ」
「……ありがとう」
吹田さんは私の左手をそっと握って持ちあげて、じっと見つめる。
「おまえが一目惚れしたのは、指輪全体なのか。
それともこのサファイアなのか」
「うーん、全体の雰囲気も好きですけど、たぶんサファイアです。
サファイアって濃い青のイメージなのに、これはちょっと淡いとこが気に入りました。
空みたいな、海みたいな、きれいな色ですよね。
私、今まで宝石には全然興味なかったんですけど、これはもう見たとたんに目が離せなくなっちゃいました」
「そうか」
吹田さんはそっと私の手をおろして放すと、優しく私の頭を撫でる。
「いいものに出会えてよかったな」
「はい!
でも、私がこのコを選んだんじゃなくて、私が選ばれたんだと思います!」
力強く言いきってから、はっと気づく。
「すみません、こういうオタク発言は、これからはやめたほうがいいんですよね」
吹田さんは理解してくれてるけど、キャリア官僚の奥さんっていう立場でオタク発言はヤバいよね。
「いや、かまわない。
おまえは場所や相手を見て発言する程度の良識はあるだろう」
「そりゃまあ、一般人の前では擬態する程度はできますけど」
「なら、気にしなくていい。
完全に同じにはできないが、可能な限り結婚前と同じ生活が出来るよう配慮する。
おまえは、そのままのおまえでいてくれ」
吹田さんは甘い笑みで言いながら、私の右手をやわらかく握る。
うーん、じゃあ、気にしなくていいかな。
「わかりました、ありがとうございます。
じゃあ、今までと同じ程度に気をつけるようにしますね」
「ああ」
吹田さんの手を握り返すと、手首の腕時計に目が留まった。
「あ、もう四時すぎてるんですね。
朱音さんが待っててくれてるのに、遅くなっちゃってすみません」
急いだつもりだったけど、けっこう時間かかっちゃった。
「いや、買い物に二時間はかかると想定していたから、早いほうだ。
朱音には随時連絡してあるし、待っているのは家だから、問題ない」
確かに、外での待ち合わせで遅れる、とかよりはマシだけど。
「でも、はっきり何時ってわからない状態で待つって、手持ち無沙汰っていうか、おちつかないじゃないですか」
私の言葉に、吹田さんはなぜかからかうようなカオになる。
「そうだな、おまえとの夕食を頼んだら張り切っていたから、待たせる時間が長いと品数が増えていく可能性があるな」
「えっ」
買い物と結婚についての相談で時間がかかるから、夕食も吹田さんちで食べるっていうのは事前に言われてたけど、朱音さんが張り切ってるとは知らなかった。
歓迎してくれてるってことなら、嬉しいけど。
「朱音さんの得意料理ってなんですか?」
「和食全般得意なようだが、洋食もたまに作っているな。
凝り性のようで、揚げ物はパン粉を作るところから自分でやっているらしい」
「わー……」
こだわりが強いタイプなんだ。
うーん、なかよくなれるかなあ。
朱音さんについていろいろ聞いてる間に、ハイヤーが駐車場に入っていく。
あ、もう着いたんだ。
吹田さん達が暮らすマンションは、一階が管理人室と駐車場・駐輪場・住人用倉庫で、二階と三階が賃貸の部屋になってる。
本来ならお高い物件だけど、吹田さんのお母様が経営する不動産会社の持ち物で、住人も全員吹田さんち関連の会社で働いてる人達。
吹田さんが警視庁に入るのが決まった時に、警視庁近くの賃貸を探してたら、お母様が就職祝いとして完成間近だった新築マンションを買ってくれて、ついでに社員寮みたいな扱いにしたから、家賃は安いらしい。
就職祝いがマンションって、セレブはケタが違うよね。
前に聞いた話を思い返してるうちに、ハイヤーが停まる。
「降りるぞ」
「はい」
荷物を持ってくれた吹田さんと一緒に降りて、目の前の入口から建物の中に入り、エレベーターに乗る。
あー、またドキドキしてきた。
「そんなに緊張しなくても、大丈夫だ」
くすっと笑った吹田さんが、肩を抱いてた手で頭を撫でてくれる。
「わかってますけど、なんていうか、緊張してるだけじゃなくて、ドキドキとワクワクが混ざってる感じなんです」
ずっとシロさんや吹田さんから話を聞いてたから、会えるのが楽しみだった。
「そうか」
もう一度撫でられた時、エレベーターが停まった。
ゆっくり降りたエレベーターホールはけっこう広くて、内廊下になってるからそんなに暑くない。
吹田さんに肩を抱かれたまま歩いて、廊下を進む。
つきあたりの二つ手前のドアの前で、吹田さんが足を止めた。
インターフォンを鳴らすと、すぐドアが開く。
「お帰りなさいませ、お待ちしておりました」
ドアを開けたのは、濃紺の着物を着た若い女性だった。
艶のある黒髪を後ろでお団子にまとめてて、薄化粧だけどきりっとした雰囲気の、和服美人。
例の個室がある小料理屋の仲居さんみたいで、お淑やかなのにかっこいい。
女性は私を見て、嬉しそうに笑う。
「はじめまして、紫野朱音と申します。
お目にかかれて光栄でございます」
きれいな動きで頭を下げられて、あわてて姿勢を正して礼を返す。
「こちらこそ、会えて嬉しいです。
御所美景です、よろしくお願いします」
「挨拶はそれぐらいにして、まずは中に入れてくれ」
吹田さんが言うと、朱音さんがすっと体を引く。
「失礼いたしました、どうぞお入りくださいませ」
「ああ。
美景、先に入れ」
「あ、はい、失礼します……」
吹田さんがドアを押さえてくれたから、おそるおそる玄関に入る。
友達が住む賃貸物件に何回か行ったことあるけど、なんとなく雰囲気が違った。
まず、玄関が広い。
都心部の単身者用の部屋って、どこもかしこもコンパクトな間取りだから、玄関も狭いんだけど、ここはゆったりしてる。
ファミリー向け分譲マンションに住んでたコのおうちの雰囲気に似てるかな。
「どうぞ、こちらをお使いください」
玄関の土間より一段高い廊下で膝をついた朱音さんが、スリッパをそっとさしだしてくる。
「ありがとうございます」
パンプスを脱いでそろえて、勧められたスリッパを履く。
私に続いて入ってきた吹田さんも、靴を脱いでスリッパを履いた。
「お荷物をお預かりいたします」
「いや、これは美景が持って帰るものだ。
美景、この荷物には、すぐ使うものは入ってないんだな」
「はい」
私の元の服と靴とバッグと、当座の下着セットだけ、のはず。
「なら、ここに置いておくぞ」
言いながら、吹田さんが廊下の壁際に荷物を置く。
「そうですね、ありがとうございます」
そこなら靴を履く時に目に入るから、忘れずにすむね。
「では奥へどうぞ」
「はい、おじゃまします……」
朱音さんに案内されて、目の前のドアを入る。
中はカウンターキッチンと、四人掛けのダイニングテーブルと、L字型のソファセットとかがある二十畳ほどの細長い部屋だった。
家具は少ないけどどれもおちついた感じで、吹田さんらしい雰囲気。
「着替えてくるから、待っていてくれ」
「あ、はい」
吹田さんはそう言いおいて、右手に見えるドアに向かう。
やっぱりスーツは暑かったのかな。
「お手伝いいたします」
「いい。
美景に茶を出して、もてなしてやってくれ」
「かしこまりました」
朱音さんが後を追おうとしたけど、振り向かずに言われて足を止める。
私に向きなおった朱音さんは、姿勢を正して深く頭を下げた。
「改めてご挨拶を申し上げます。
紫野朱音と申します。
どうぞ『朱音』とお呼びください」
私も姿勢を正して、きちんと頭を下げる。
「御所美景です、よろしくお願いします。
『ミケ』って呼んでください。
じゃあ、朱音さんって呼ばせてもらいますね」
頭を上げた朱音さんは優しく微笑む。
「では、ミケ様と呼ばせていただきます」
「あ、『様』はやめてください、そんな身分じゃないんで」
どこかのお店で呼ばれるぐらいならともかく、日常的にお世話になる人に、そんな他人行儀な呼び方されたくない。
「ですが、わたくしがお仕えする吹田様の奥様になられる方なのですから」
「そうなんですけど、年齢も近いし、なかよくなりたいんで、せめて『さん』にしてください」
「まあ」
朱音さんは上品なしぐさで口元に手を当てて、くすっと笑う。
「姉が言っていた通りですね。
では、『ミケさん』と呼ばせていただきます」
よかった。
けど、なんか気になる。
「シロさんが言ってた通りって、なんですか?」
「ミケさんはとても親しみやすい雰囲気で、誰とでも友達になれる方だと申しておりました」
「そうなんだ。
あー、えっと、できれば言葉遣いも、もう少し気楽にしてもらえませんか。
これから長いことお世話になる予定ですし」
たぶん吹田さんとすごすより、朱音さんとすごす時間の方が長くなりそうだから、もっと気楽にしゃべりたい。
朱音さんはちょっと考えるカオをしてから、ゆっくりうなずく。
「では、お言葉に甘えますね。
まずはお礼を言わせてください。
吹田様との結婚を承諾してくださって、ありがとうございます」
「え」
深々と頭を下げられて、返事に困る。
「えーと、どうして朱音さんがお礼を言うんですか?」
「私はずっと吹田様にお仕えしてきましたが、できるのは身の回りのお世話程度で、お心を解きほぐすことはできませんでした。
ですがミケさんと出会われてから、雰囲気がやわらいで、精神的な余裕ができたように感じられました。
すべてミケさんのおかげです。
ありがとうございます」
あー、なんか似たようなことを、つきあい始めの頃にシロさんに言われたかも。
「このままずっと吹田様を支えてくだされば嬉しいと思っていたら、ご結婚なさると聞いて、安堵しました。
ですが、今後はミケさんが家事をなさるでしょうから、私の出番がなくなることを少し寂しく思っていたんです。
そうしたら、結婚後の新居で私に家事を任せたいと、若様から正式にご依頼いただき、どんなに嬉しかったか。
本当に、ありがとうございます!」
テンションが上がってきたのか、目をきらきらさせた朱音さんは一歩近づいて、私の手を両手でぎゅっと握る。
「お二人に快適な生活をしていただけるよう、誠心誠意務めますね」
「あ、はい。
私、ぶっちゃけほとんど家事できないんで、朱音さんに丸投げになっちゃいますけど、よろしくお願いします」
「はい、全て私にお任せください!」
そっか、ちょっとは手伝ったほうがいいのかと思ってたけど、朱音さんにとっては、半端に手出しされるより丸投げのほうが嬉しいんだね。
「若様はとても素晴らしい方ですが、自分にも他人にも厳しいせいか、若様のお心を理解したうえで寄り添ってくださる女性がなかなか現れず、悔しく思っておりました。
ですが、ようやくミケさんという理解者が現れてくださり、しかも私にお世話させてくださるなんて、夢のようです。
ミケさんと姉と私の三人で、若様をお支えしましょうね!」
朱音さんは吹田さんガチ勢っぽいけど、同担歓迎派なんだ。
よかった、うまくやっていけそう。
「はい、なかよくしてくださいね」
「もちろんです、こちらこそ」
手を握りあって、二人でうふふって笑いあった。




