買い物は妥協か即決の二択③
吹田さんと雑談しながらアイスレモンティーを飲み終わった頃、烏丸さんが戻ってきた。
「お待たせいたしました。
ご用意が整いましたので、ご案内いたします」
「はい」
ソファから立ちあがって、一緒に立った吹田さんを見て、ふと気づく。
「吹田さん、ここで待っててくれてもいいですよ。
試着って、けっこう時間かかりますし」
何着用意されてるかわからないけど、最低でも三、四枚はありそうだし、それに小物も合わせていくと、三十分はかかりそう。
「かまわない」
「でも」
「俺が、おまえと一緒にいたいんだ。
おまえが嫌なら諦めるが、俺を気遣ってくれているなら、そばにいることを許してくれ」
……がんばれ、耐えろ私、烏丸さんに生温かい笑みで見られてるんだから……っ!
「わかり、ました」
なんとか言葉をしぼりだすと、吹田さんは甘く微笑む。
「ありがとう」
「では、ご案内いたします」
何事もなかったかのように、すまし顔をした烏丸さんの案内で、店舗に向かう。
奥に通されてソファに吹田さんと並んで座ると、烏丸さんともう一人の女性店員さんが大きめのハンガーラックを持ってきた。
「御所様のご要望に合うものを、いくつかのブランドから集めてまいりました。
さらにお好みをしぼりこむために、ポイントごとに二点ずつお見せしますので、右と左でどちらがいいか、直感的にお答えいただけますか」
「わかりました」
「ありがとうございます。
では始めます。
わたくしは御所様と身長がほぼ同じですので、丈などはわたくしを基準に確認なさってください」
「はい」
「では、まずこちら。
丈はどちらがお好みですか」
言いながら烏丸さんが取りだして、体の左右にかざしたのは、同じようなデザインで、右は膝下ちょっとぐらいの丈、左はふくらはぎ半ばぐらいの丈だった。
「うーん、左で」
「かしこまりました、では次はこちら。
フリルはどちらがお好みですか」
次は、やっぱり同じようなデザインで、右はフリル多め、左はフリル少なめ。
「左、かな……」
「かしこまりました、では次はこちら。
袖はどちらがお好みですか」
右はノースリーブ、左はオフショルダー。
「右で」
それを数回くり返すと、烏丸さんは大きくうなずいた。
「ありがとうございました。
御所様のご要望の品のイメージがつかめました。
では、こちらはいかがでしょう」
そう言って烏丸さんが取りだしたのは、シンプルなAラインのワンピースだった。
色はオフホワイトで、ノースリーブ、ふくらはぎの半ば丈、ちょっとだけフリルがあるけど甘すぎなくて、フォーマルな感じもある。
セットで透ける生地の七分袖のジャケットがついてた。
「わー、すごい、イメージ通りです」
あの程度の聞き取りと確認で、コレにたどりつけるんだ。
プロってすごい。
「ありがとうございます。
では、こちらを御試着なさいますか」
「そうですね、お願いします。
吹田さん、すみませんがしばらく待っててくださいね」
「ああ。
着たら、俺にも見せてくれ」
「わかりました」
立ちあがろうとしたところで、烏丸さんに軽くしぐさで止められる。
なんだろ。
「吹田様、一つお願いをしてもよろしいでしょうか」
「……なんだ」
「御所様のお召し物とのバランスを確認したいので、当日に吹田様がお召しになる予定のスーツの写真があれば、拝見できないでしょうか」
「……手元にはない。
家の者に連絡して、写真を送らせる」
「ありがとうございます、お願いいたします。
では御所様、試着室にご案内いたします」
「はい、お願いします」
服を腕に抱えた烏丸さんに案内されて、試着室に入る。
薄いパーテーションとカーテンだけのチャチな作りじゃなくて、ちゃんとした部屋で、四畳半ぐらいの大きさだった。
ドアから五十センチぐらいのところで一段高くなってて、毛足が短い絨毯みたいなのが敷いてあって、向かいの壁一面が鏡で、端に椅子と小さな机が置いてある。
段差の位置に仕切りカーテンがあったけど、今は全開になってた。
靴を脱いで上がると、持ってきた服を壁のフックにかけた烏丸さんは、私を見て営業スマイルじゃない笑顔になる。
「改めましてご挨拶を。
カラスです、はじめまして。
最近有名なミケさんにお会いできて光栄です。
あ、ミケさんって呼んでいいですか」
「あは……どうぞ、ミケです、よろしくお願いします。
私も、カラスさんって呼んでいいですか?」
ちょっと乾いた笑いがもれたけど、いつの間にか全国規模で有名になっちゃってるんだから、しかたない。
「どうぞどうぞ。
最近急展開続きだから、毎週月曜夜の更新が待ち遠しかったです。
吹田様は前から当店の紳士服店でスーツをオーダーしてくださってたので、いつか二人で買い物に来てくれたら嬉しいなって思ってたんですよ。
そしたら、昨日吹田様から予約が入って、驚きました。
ライバルを蹴落として担当になった甲斐あって、間近で吹田様の溺愛モードが見られて感激です!」
「あー……それはどうも……」
最近は、私が話した内容をボンさんがまとめて、執行部の人が文章を整えて、私が最終確認して、専用ページにアップしてもらってる。
そのたびにコメントがたくさんついてるのは知ってたけど、実際に読んでる人に会うと、なんだか不思議な感じ。
看護師さんもそうだったけど、私の担当って、そんなに競争率激しいものなんだ。
「あ、すみません、仕事の話に戻りますね。
ちょっと吹田様がいないところで確認したいことがあるので、いったん座ってもらえますか」
「あ、はい」
なんだろ。
言われた通りに椅子に座って、横の机にバッグを置くと、カラスさんは私の前に両膝をついてしゃがんだ。
「私はゲーマー兼ゲームキャラのコスプレイヤーでして、ボンさんに何度か撮影をお願いしたこともあり、なかよくしてもらってます。
なので、昨日担当の座を勝ちとった後、ボンさんにお願いして、ミケさんの写真を何枚か送ってもらって、似合いそうな服を事前に選んでおきました」
「なるほどー……」
どうりで、準備が早かったわけだ。
「でも、さきほど聞き取りした点で、ちょっと気になることがありまして。
ミケさんが考える勝利条件はなんですか?」
うーん、ゲーマーさんらしい質問だなあ。
「んー、希望に合う服を一式三十万以内でそろえる、ですかねえ」
「では、敗北条件は?」
「……三十万以上のものを買わされちゃうことでしょうか」
負けるわけじゃないけど、勝利条件の対比で考えたら、そうなるよね。
「なるほど。
三十万という金額を選んだ理由は、なんですか?」
「吹田さんのスーツが五十万ぐらいって聞いたので、それに見劣りしなくて、持ってても恐くならないぐらいの金額って、三十万ぐらいかなって……」
小市民というか、貧乏性な自覚はあるけど、五十万の服を着るのも持ってるのも恐いから、三十万がギリギリ妥協できるラインかな。
「それは、言葉のトリックに惑わされてますね」
カラスさんの言葉に、きょとんとする。
「トリック、ですか?」
「そうです。
まず、吹田様のスーツが五十万ということは、ありえません。
当百貨店内の紳士服専門店でお作りいただいてますので、金額はしっかり把握してます」
「あ、それは、型紙再利用してるから安くなってて五十万で、新規に作ったら百万って、言ってました」
あわててつけたすと、カラスさんは小刻みにうなずく。
「なるほどなるほど、ですがそれでも正確な数字ではありませんね」
「え、どのへんがですか」
「スーツというのは、上半身と下半身の装備であって、全体装備ではないんです」
「……えーっと」
オンラインゲームをいくつかやってるけど、エンジョイ勢でゆるーく楽しんでるから、ガチ勢っぽいカラスさんの言葉は難しいなあ。
「すみません、言葉選びが悪かったですね。
吹田様のスーツは、ジャケット、ベスト、スラックスの三点セットです。
ですが、それ以外のものも合わせないと、装備としては完成しません。
具体的には、ワイシャツ、ネクタイ、ポケットチーフ、ベルト、靴、さらにインナー、靴下、ネクタイピン、カフスボタンが必要です。
そして、商品の価値は、本来の値段で判断しないといけません。
型紙を再利用して五十万になっているとしても、本来の価値は型紙から新規に作った時と同じ、百万なんです。
つまり、スーツだけで百万、その他の装備で五十万で、最低でも百五十万です。
腕時計や眼鏡も加えたフル装備でなら、二百万を超えるでしょう」
「にひゃくまん……」
そっか、スーツを着るにはスーツ以外のものも必要なんだから、その値段も加えて考えないといけないんだ。
……五十万って聞いただけでびっくりしちゃったから、無意識にそれ以外のものを加算するのをさけてたのかも。
「そうです。
そして、二百万オーバーの吹田さんの隣に立つなら、ミケさんも最低でも百万オーバーの装備にしないと、つりあいません」
「あー……」
わかってはいたけど、金額が重い。
うーん、どうしたらいいんだろ……。
「なので、勝利条件を確認しなおしてみませんか」
「えっと……」
どういう意味だろ。
「何を優先するかを、一つずつ確認するんです。
まず、一番大事なのは、吹田さんの隣に立って見劣りしないこと、ですよね」
「……はい」
うん、それが一番大事。
「その次に、高すぎないこと。
これは、ミケさんの精神的負担を減らすためには、大事なことですよね」
「そうなんです……」
そこをわかってもらえて嬉しい。
「そして、持っていても恐くない値段であること。
これは二つめと同じ意味に思えますが、切り分けることが可能です」
ん? どうやって?
きょとんとした私と対照的に、カラスさんはにっこり笑う。
「ミケさんが持ってるのが恐いなら、誰かに預ければいいんです。
例えば、吹田様の家政婦をしているというシロさんの妹さんに預けて、管理してもらうのはどうでしょうか」
「あー……なるほど……」
元は吹田さんちの使用人だから、高級品の扱いは慣れてるだろうし、いいかも。
「では次に、状況について考えてみましょう」
「状況……」
「はい。
結婚式と食事会で着る服、でしたよね」
「そうです」
「結婚式は、基本的には一生に一度だけの決戦です。
つまり、結婚式の衣装は決戦装備です。
ラスボスに立ち向かうには、最高ランクの装備をそろえなければいけません」
「それは……そうなんですけど……」
あれ、この場合、ラスボスは吹田さんなのかな、吹田さんのご家族なのかな。
「しかも、披露宴という裏ボス戦もひかえてますから、最高ランクの装備に慣れていないと、失敗する可能性が高いです」
「う……」
確かに、披露宴の予算が七百万ってことは、ウェディングドレスもかなり高いものになりそうだよね……。
「そのうえ、結婚式の写真は後世まで残ります」
「ん?」
なんか話が飛んだ?
「ミケさんは、お母様やおばあさまの花嫁衣装の写真、見たことないですか?」
「あー、あります。
お母さんはウェディングドレスで、おばあちゃんは白無垢でした。
確か小学校一年か二年ぐらいで、白無垢見たの初めてだったので、『はなよめさんはおっきい帽子かぶるの?』って聞いて、笑われたのをおぼえてます」
「そうですか」
カラスさんは大きくうなずく。
「そのように、結婚式の写真は、数十年後の子供や孫の世代にまで、受け継がれ見られるものなんです」
「あ」
そっか、そうだよね、結婚式って一大イベントなんだから、その写真はずーっと残る、っていうか残すものだよね。
高いのは恐いからって妥協したら、この先数十年、写真を見返すたびに『なんかいまいちじゃない?』って、気になるかもしれない。
しかも、私だけじゃなくて、写真を見た人全員に、そう思われるかもしれないんだ……。
「身の丈に合わないものは恐い、と思うミケさんの気持ちは、よくわかります。
私も、職場で扱うものは高級品ですが、オフで着るのは消耗品と割りきった安物ですから」
カラスさんが、私の手を両手で包むように握る。
「でも、一番大事なのは、結婚式という決戦に勝つことです。
そのためにふさわしい装備を、選びませんか」
「…………はい」
そうだよね、友達の結婚式の時には、普段つけないジュエリーをつけて、きちんとお化粧して、せいいっぱいおしゃれしてお祝いするんだから。
自分の結婚式の時は、もっと気合入れて、がんばるべきだよね。
「吹田さんに見劣りしないレベルの服、選んでもらえますか」
ぎゅっと手を握り返して言うと、カラスさんはにっこり笑ってうなずいてくれた。
「もちろんです、お任せください」
「ありがとうございます」




