買い物は妥協か即決の二択①
月曜の午前中は、先週と同じく検査ラッシュだった。
午後からボンさんが来たのも同じだったけど、心理テストは特に問題なかったらしくて、コイバナ報告会で終わった。
ようやく退院が決まった火曜の昼、約束の時間のちょっと前に、吹田さんが迎えにきてくれた。
「荷造りはできているか」
「あ、はい。
けっこう量あるんですけど……」
追加で持ってきてもらったものや、看護師さんに買ってきてもらったものとかも合わせると、大きめの紙袋四つになっちゃった。
「大丈夫だ」
吹田さんと一緒に来てた運転手さんが、先に荷物を運んでいってくれる。
「おまえも、もう出られるか」
「はい、だいじょぶです」
今身につけてるのは、土曜にお母さんに持ってきてもらった服。
シンプルな半袖ワンピースに薄い長袖カーディガンをはおって、歩きやすいパンプスとななめがけショルダーバッグを合わせてある。
吹田さんは午前中は仕事だって言ってたから、スーツ姿の隣に並んでも大丈夫なよう、かわいいめじゃなくてちょっとフォーマルっぽいのにしたつもり。
でも、お化粧はしてなくて色付きリップだけだし、看護師の人に『かわいい』って言われちゃったから、やっぱり大学生っぽく見えちゃうかなあ。
「……ちょっと子供っぽかったですか?」
なんとなく気になって聞いてみると、吹田さんは優しく微笑む。
「どんな服装でも、おまえが愛らしいことは変わらない。
だが、気になるなら、普段着として使えるものも贈らせてくれ」
「あ、それはまた今度でお願いします」
これから買いにいくのは結婚式で着る服で、普段着には使えない。
だからって買いたさなくてもいい。
ほんともう、隙あらば貢ごうとしてくるんだから。
「そうか、では次の機会を狙おう」
さらっと言った吹田さんは、そっと私の頭を撫でる。
「検査結果も全て問題なかったそうだが、体調は大丈夫か」
「はい」
「十日近くほぼこの部屋から出なかったのだから、自覚していなくても筋力が落ちて、疲れやすくなっているはずだ。
買い物はまた後日でもできるから、調子が悪いと感じたらすぐに言ってくれ」
「わかりました。
でも、部屋でできるストレッチとかしてたし、だいじょぶですよ」
体調がおちついた金曜ぐらいから、看護師さんの指導で軽いストレッチや運動をしてたから、大丈夫なはず。
「そうか。
だが、病み上がりというほどではないにしても、退院直後だということは忘れないでくれ」
「はぁい」
ほんと、心配性なんだから。
吹田さんに肩を抱かれて部屋を出ると、詰所の前で看護師さん達が待ってた。
私の担当だった看護師さんが、小さい花束をさしだす。
「これ、退院祝いです。
おめでとうございます、お幸せに」
「あ、ありがとうございます」
一歩前に出て、花束を受け取る。
毎食つきあってくれてる時にいろいろおしゃべりしたし、【同志】の気安さから、吹田さんと結婚することも話したんだよね。
「お世話になりました、お元気で」
「はい、ミケさんもお元気で~」
ひらひら手を振りあって、エレベーターに向かう。
待ってる間に改めて花束を見ると、黄色とかオレンジとかの明るい色合いでまとめてあって、かわいらしかった。
「おまえは、そういう花も好きなのか」
「んー、そうですね。
バラとかユリとかの、単品で大量のも迫力ありますけど。
こういう、ちっちゃくて明るい色合いの、いろんな種類のが入ってるほうが、なんか好きですね」
名前はよく知らなくても、見てると楽しい気分になるよね。
「吹田さんは、好きな花はなんですか?」
「特にはないが、しいて言えば桜だな」
吹田さんは、なぜか甘く微笑んで、私の耳元に顔を寄せる。
ん?
「初めておまえと一緒に見た花だからな」
甘い声で囁かれた言葉に、ふりしきる桜と、その下で初めてキスされたことも思いだす。
「~~~っ」
もうもうもう……!
不意打ちはやめてほしい……!
思わず花束をぎゅうっと抱きしめそうになって、あわてて手の力を抜く。
吹田さんの肩に、顔を隠すように押しつけた。
「……そういうのは、二人きりの時だけに、してください」
なんとか声をしぼりだすと、吹田さんはくすっと笑った。
「そうだな。
おまえのその恥じらう愛らしい顔は、誰にも見せたくない」
だから、そういうのをやめてって言ってるのに……。
いやでも、元から素でタラシ入る人だったから、これぐらい普通のつもりなのかな。
言ってくれないのはさみしいって思ってたけど、言われすぎるのも大変だとは思わなかった……。
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エレベーターで地下の駐車場まで降りると、もわっと蒸し暑い空気にびっくりした。
地上よりはマシなはずだけど、地下だから風がなくて、こもっちゃうのかな。
急いでハイヤーに乗りこむと、空調が効いてて、ほっとする。
「つらくないか」
「だいじょぶですけど、確かにちょっと、弱ってるかもしれません」
ずっと温度湿度共に安定した部屋ですごしてたから、急激な温度変化に体がついていけないかも。
「何かおかしいと感じたら、すぐに言え」
「はい。
……吹田さん、暑くないんですか?」
夏用の生地みたいだけど、スリーピーススーツって、暑そうだよね。
「慣れているからな。
それに、直射日光を遮って空気の層を作れるから、ジャケットを着ているほうがマシな場合もある」
「なるほどー……」
確かに、半袖は風が当たって涼しい時と、日差しが当たって痛い時と、両方あるもんね。
冷房対策で長袖のカーディガンをはおってるけど、薄手のよりは日差しを遮れる程度の厚みがあるほうがいいのかも。
雑談してる間に、車がいつものファミレスに着く。
運転手さんは、私達が食事してる間に、私の家に荷物を届けてくれることになってる。
私が帰る時に一緒に持ってけばいいって最初は言ったんだけど、これから買い物に行くから荷物が増えるし、車内に置きっぱなしだと暑くなるって言われた。
確かに、ノーパソとかは高温になると困るから、結局お願いすることにした。
「すみません、母には連絡してあるので、よろしくお願いします」
車を降りる前に言うと、運転手のオジサマは優しく微笑んでうなずいてくれる。
「お任せください。
そのお花も、一緒にお運びしたほうがよろしいですか?」
「あ、そうですね、お願いします」
暑いから、すぐしおれちゃいそうだもんね。
「かしこまりました」
膝にのせてた花束をさしだすと、丁寧な手つきで受けとってくれた。
そういえば、いつの間にか、いつも同じ人になったなあ。
「どうした」
店に上がるエレベーターを待ちながら車を見送ってると、吹田さんが聞いてくる。
「んー、運転手さん、最近同じ人だなあって思って。
何人かでローテーションしてるって、言ってませんでした?」
「……ああ。
顔見知りのほうが、何かあった時も話しやすいだろう」
「それはまあ、そうなんですけど。
じゃあ、偶然じゃなくて、いつもあの運転手さんなんですか?」
「おまえと会う日はな」
つまり、私と会う日は、あの運転手さんを指名してるってこと?
……護衛もできる人みたいだったし、非常時対応なのかな。
「ちゃんとお休みはあるんですよね?」
「他の日はローテーションを組んでいるから、大丈夫だ」
それならいいけど。
「あの運転手さんの名前、聞いたら教えてもらえますか?」
タクシーみたいに名札がないから、いまだに名前知らないんだよね。
ようやく来たエレベーターに乗りながら言うと、吹田さんがなぜかじっと見つめてくる。
「……知りたいのか」
「はい」
「なぜだ」
「今まで何度もお世話になりましたし、これからも会う機会多そうなので」
「…………」
吹田さんが黙ってる間に、エレベーターが二階に着く。
降りて店に入ると、すぐ店長さんが出迎えてくれた。
いつもの部屋に案内されて、店長さんが出ていっても、吹田さんは私の肩を抱いたままだった。
「……どうかしました?」
返事のかわりに、ふんわり抱きしめられる。
なんだろ。
「美景」
「はい」
「愛している」
「え」
腕をゆるめた吹田さんは、私の頬を包むように手を添える。
そっと上向かされると、おでこにキスされた。
反射的に目を閉じると、こめかみに、頬に、優しいキスが降ってくる。
少し間を置いてから、唇がそっと重なる。
いったん離れて、だけどすぐまた重なって、そのまま続く。
今までは、いつも一瞬だけだったのに。
なんで。
……あれ。
これって。
息継ぎ。
できない。
「……ん……っ」
あ、なんか、くらくらしてきた。
ヤバい、酸欠……。
思わずぎゅっと吹田さんのスーツを握りしめると、ようやく唇が解放された。
「っ、は……」
吹田さんにすがったまま、せわしなく深呼吸をくり返す。
あー、前に誰かが言ってたけど、キスで酸欠になるって、こういう感じなのかな。
ようやく呼吸がおちついたけど、体に力が入らない。
吹田さんが支えてくれてなかったら、床に座りこんでたかも。
「……すまない、苦しかったか」
吹田さんが心配そうな声で言いながら、背中を撫でてくれる。
「…………ちょっと。
息継ぎ、できなくて……」
「……そうか」
なんとか答えると、吹田さんは苦笑いを浮かべながら、堀りゴタツ式のテーブルを囲む台に私を座らせてくれた。
隣に座って肩を抱いてくれたから、ぐったりもたれかかる。
「美景」
「はい……」
「キスしている時は、息を止めるのではなく、鼻で呼吸してくれ」
吹田さんは子供に言い聞かせるように、優しい声で言う。
「……それは、わかってるんですけど……、そんな余裕、ないんです……」
嬉しいのと、恥ずかしいのがゴッチャになって、受けとめるのがせいいっぱい。
どうやって呼吸するか考える余裕なんて、全然ない。
「……そうか」
吹田さんは困ったように言って、そっと私の頭を撫でる。
「……初めての時、しばらく固まっていたことに比べれば、慣れたほうか」
「……あー、まあ、そうですね……」
確かに、あの時はキスされたって理解した瞬間に固まっちゃったから、それに比べたら慣れた、かな……?
「初心者のおまえに合わせると言ったのだから、おまえが意識しなくても息継ぎできるようにすべきだったな。
悪かった」
まじめな声でそんなこと言われても、どう返事したらいいんだろ。
『これからはそうしてください』だと、もっとしてほしいってねだってるみたいだし。
『もう少しひかえめにしてください』だと、イヤがってるみたいだし。
してほしいわけじゃないけど、イヤなわけでもなくて。
あー、まだ頭まともに動いてないかも。
「これからは気をつける。
だから……また、してもいいか?」
とろけそうに甘いのに、色っぽさも感じるような艶のある声で囁かれて、視線を上げると、吹田さんは声と同じようなまなざしで私を見てた。
「~~~っ」
オールバック銀縁眼鏡で、いかにもエリートな雰囲気のままなのに、そんなの、反則……っ!
ジタバタ暴れて叫びたくなるのを、吹田さんにぎゅうぎゅう抱きついてこらえる。
あーもー、私は初心者なんだから!
『気をつける』って言ってくれるなら、溺愛モードももうちょっと気をつけてほしい……!
内心の叫びをなんとか抑えて、こくんとうなずく。
「…………はい」
「ありがとう」
嬉しそうな声で言って、そっとこめかみにキスされた。
だから、そういうとこだってば……。




