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エリート×オタクの恋はいろいろ大変です!  作者: 香住なな
第三部 婚約者編
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初対面での挨拶は丁寧に元気よく④

 その後すぐ、吹田(すいた)さんは帰っていった。

 ドアの前で見送って、部屋に戻ると、お父さんは気が抜けたようなカオでソファに座ってた。

「あれ、お母さんは?」

「こっちよ。

 ここの備品、自由に使っていいのよね?」

 付き添いの人用の部屋から声がしたから、のぞいてみると、お母さんはキッチンまわりの棚をあちこち開けてチェックしてた。

「うん、いいよ」

「緊張して喉渇いちゃったから、お茶淹れるわね」

「うん、よろしく~」

 ソファに近づくと、お父さんに手招きされたから、隣に座る。



「吹田さんは、まじめな人のようだが、なんだかやけに迫力があったね。

 キャリア官僚というのは、皆あんな風なのかい?」

「んー、まあだいたい。

 でも、キャリアだからっていうより、吹田さんだから、かな」

「そうか……。

 普段からあんな風なら、一緒にいて疲れないかと思ったんだが」

 お父さんは生温かいまなざしになって、私を見る。

「ミケと話している時だけは、とても優しい雰囲気だったね。

 溺愛されているというのは、本当のようだ」

「あー、うん……」

 改めて言われると、恥ずかしいなあ。

「母さんから、おまえがマンガやアニメに夢中で、現実の男には興味がないと聞いていたから、男親の私がずっと家にいなかったせいで、男が苦手になってしまったのかと心配していたんだ。

 それがいきなり結婚の報告だし、しかもすぐ入籍すると言うし、驚いたが、……それほどに愛し合っているから、なんだね」

「……うん」

 ……あああ、恥ずかしー!

 でもここで逃げたら変な誤解されそうだから、なんとかうなずく。

「……そういえば、吹田さんは、おまえの趣味のことを、知ってるのかい?」

 心配そうな問いかけに、苦笑する。

 めったに帰ってこないし、私の部屋に入ることもないから、私がいわゆるオタクだって知らないと思ってたけど、お母さんから聞いてたんだ。



「おつきあいする前から、知ってるよ。

 でも、理解してくれてるから、だいじょぶ。

 新居に私の個室を用意して、趣味に没頭できる時間と空間を確保するって、言ってくれるぐらいだから」

「そうか。

 じゃあ、心配いらないな」

 お父さんはほっとしたように笑うと、ゆっくり手を伸ばした。

 ぎこちない手つきで、私の頭を撫でる。

「二人で、幸せになるんだよ」

「うん、ありがとう」

 なんかいい雰囲気でまとまった感じだけど、さっきのことは確認しといたほうがいいよね。

「ところで、お父さん。

 仕事辞めて私と思い出作りって、本気なの?」

 さっきは雰囲気に流されちゃったけど、よく考えたら大問題だよね。



「私も聞きたいわ」

 言いながら近づいてきたお母さんが、トレイを手に向かいのソファに座る。

 熱い煎茶の湯呑みと氷水のグラスを、それぞれの前に手早く置くと、にっこり笑ってお父さんを見た。

「吹田さんの前でモメるのは失礼だし、あの場では黙ってたけど。

 仕事を辞めるなんて大切なことを、相談もなしにいきなり決めるなんて、どうしてかしら?」

「あ、いや、その……」

 わー、お母さん怒ってる。

 そりゃそうだよね。

「本当に、ミケちゃんとの思い出作りのためだけに、辞めるつもりなの?」

 笑顔のままじっとりにらまれて、お父さんは冷や汗を流す。

「いや、ミケとだけじゃなくて、その…………君とも、思い出を作りたいんだ」

 ん?

「お母さんと?」

「ああ……」

 うなずいたお父さんは、お母さんから目をそらす。



「……盆休み明けに、三ヶ月前に定年退職した先輩が現場を訪ねてきて、契約社員として雇ってほしいと言いだしたんだ。

 私と同じように単身赴任続きだったから、定年後は女房とのんびり旅でもしたいと言っていたのに、どうしたのかと尋ねたら、……その」

 お父さんはちらっとお母さんを見て、またすぐ目をそらす。

「……奥さんは、自分の友人とすごしてばかりで、全く相手をしてくれなかったそうだ。

 文句を言ったら、……『三十年放置しておいて今更なんだ』『何一つ家のことをしないくせに文句を言うな』『あなたの相手をする時間なんてない』『私は家政婦じゃない』などと言い返されて以来、口をきいてくれなくなったそうだ。

 盆休みに訪ねてきた息子さんにそれを愚痴ったら、『お母さんの言う通りだね。せめて掃除ぐらいやったら』などと冷たく言われて、家にいづらくなったらしい……」

「うわあ……」

 それはかわいそうだけど、奥さんの気持ちもわかるなあ。

 お父さんが私達のために働いてくれてるのは、ちゃんとわかってるし感謝してるんだけど、一緒にすごした時間が短すぎて、家族だと思えないんだよね……。

「……その先輩に、『おまえは俺と同じ(てつ)は踏むなよ』と言われて、夫婦としても家族としても、ほとんど思い出がないと気づいた。

 かといって仕事を辞めるわけにはいかないと悩んでいたら、早期退職制度の案内がきたから、今夜相談するつもりだったんだ」

 あー、一応お母さんに相談するつもりはあったんだ。

 でも。

「じゃあどうして私に相談する前に、吹田さんにそう言ったのかしら」

 お母さんはあくまでも笑顔で言う。

 だよねー。



「それは、その、すまない。

 あの場で言わなければ、吹田さんが言うスケジュールで確定してしまいそうだったから、あせってしまって……」

 あー、吹田さんの仕事モードの雰囲気につられちゃった感じかな。

 まあその気持ちもわかる。

「それでも、せめて私に確認を取ってから、言ってほしかったわ」

「そうだよ、そういうとこが、愛想つかされちゃう原因になるんだと思うよ」

 二人して言うと、お父さんはがっくりうなだれた。

「…………すまない、気をつけるよ」

「そうしてちょうだい。

 ちなみに、私は別に反対してるわけじゃないのよ」

「え」

 お母さんの言葉に、お父さんは驚いたように顔を上げる。

「そう、なのか……?」

「ええ。

 いきなり辞められたら、老後の資金計画が崩れちゃって困るけど、早期退職制度を使えば、退職金が割増しになるんでしょう?」

「ああ、そうらしい」

「だったらお金は大丈夫だし、体が動くうちに自由な時間が取れるのはありがたいわ」

「そ、そうか……」

 反対されると思ってたのか、お父さんは拍子抜けしたようなカオでうなずく。



「それに、ミケちゃんが結婚して家を出ちゃったら、私ひとりになっちゃうもの。

 あなたが帰ってきてくれるなら、嬉しいわ」

「あー、そうだね、そういう意味では、ちょうどいいのかも」

 私が家を出た後のこと全然考えてなかったけど、確かにお母さん一人じゃさみしいよね。

「そうね、だからその制度について、詳しく話を聞かせてね」

「……ああ」

 お母さんがにっこり笑うと、お父さんはこくこくうなずいた。

 夫婦喧嘩にはならずにすみそうだね、よかった。

 ほっとして、湯呑みのお茶を一口飲む。

「お母さんが淹れてくれたお茶は、いつも美味しいね」

「ありがとう。

 でも、これからはミケちゃんが自分でできるようにならなきゃね。

 半年あれば、家事についてもう一度教えなおせるわね」

「あー……」

 そういえば、その話はしてなかったっけ。



「なあに?」

「……実はね、家事はやらなくていいって言われてるんだ」

 お母さんがきょとんとする。

「吹田さんがしてくれるの?

 でも、キャリア官僚って忙しいんでしょう?」

「うん、すごく忙しいよ。

 今も家政婦さんに家事を頼んでるから、その人に結婚後もお願いすることになってる」

 正確には、吹田さんが頼んだんじゃなくて押しかけに近いんだけど、そこは省略しとこう。

「独身なのに、家政婦に頼んでたの……」

 呆れたような引いてるようなカオで言って、お母さんはため息をつく。

「なんていうか、ほんとにお金持ちなのねえ」

「うん、ケタが違う感じがするよね。

 だから、そのお金も遠慮せず使ってね」

「そうねえ……」

 お母さんはテーブルの上の祝儀袋をしばらく見つめてたけど、私に視線を移して笑顔になる。

「だからって、ミケちゃんが何もできなくていいってわけじゃないでしょ。

 最低限のことぐらいは、自分でできるようになりましょうね」

 あー、これはさけられそうにないかな。

 まあ確かに、できるけどしないのと、できないのとは別だもんね。

「そうだね、よろしく」

  

-----------------


 夕食後しばらくして、吹田さんが訪ねてきた。

「何度も来てくれて、ありがとうございます」

「俺がおまえに会いたいから来ているだけだ」

 優しく笑った吹田さんは、私をふんわり抱きしめる。

「ご両親は、あの後何か言っていたか」

「あー、父には、私のオタク趣味を心配されたけど、つきあう前から知ってて理解してくれてるから大丈夫だよって、言っときました。

 母は、父が相談なしで仕事を辞めるって言いだしたことを怒ってましたけど、辞めること自体には反対じゃないらしいです。

 私が家を出たら母が一人になっちゃうから、そういう意味では私も、父が戻ってきてくれるのはよかったと思います」

「そうだな」

「あと、花嫁修業ってほどじゃないですけど、家事を教わることになりました。

 家事を朱音(あかね)さんに頼むことは話したんですけど、最低限のことぐらいは自分でできるようにって、言われたので。

 朱音さんだって、都合が悪い時もあるでしょうし」

 吹田さんは、ちょっと心配そうなカオになる。



「無理はしなくていい。

 家事については、朱音だけでまかないきれないようなら、他にも雇えばすむ」

「それは、朱音さんが拗ねるんじゃないですか?」

 念願かなって正式に家政婦になれたのに、すぐ他の人も呼ばれたらショックだよね。

「だが、二人分の世話を頼むことになるのだから、やはり一人では負担が大きいだろう」

「んー、そのあたりは、朱音さんも交えて、何をどこまで頼むのか、ちゃんと相談してからのほうがいいと思います」

「わかった」

 吹田さんは小さくうなずいて、優しく頭を撫でてくれる。



「ご両親が賛成してくれてよかった」

「そうですね。

 ……もし反対されたら、どうするつもりだったんですか?」

「賛成してもらえるまで、説得するつもりだった」

 うーん、なんかOHANASHIな雰囲気だけど、吹田さんは肉体派じゃなくて頭脳派だから、とことん理詰めでいく感じかな。

「親が賛成しなくても入籍はできる、とか言ってたじゃないですか」

「確かに、法的には問題ないが、おまえは気にするだろう。

 俺と親の板挟みで困らせたいわけでもない。

 誰からも祝福されるなど無理だが、せめて親しい者には祝ってもらえなければ、幸せとは言えないからな」

 甘い笑みとともに、そっとおでこにキスされる。

「愛している。

 俺の全てを懸けて、おまえを幸せにすると誓う」

 …………ほんとに、もう!

 急に溺愛モードに入るの、やめてほしい。

「ありがとう、ございます」

 真っ赤になってるはずの顔を隠すように、ぎゅうぎゅう抱きつく。

 嬉しいけど、もうちょっと加減をおぼえてほしい……。

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