初対面での挨拶は丁寧に元気よく①
土曜日の夕方、お父さんとお母さんが来た。
家を出たら連絡ちょうだいって言っておいたから、お母さんからメッセージがきた時点で、仕事中の吹田さんに知らせてある。
スケジュールがけっこうタイトだから、がんばらないと。
「いらっしゃい、久しぶり、でもないか。
先週ぶりだね、お父さん」
「ああ……」
出迎えた二人をソファに案内して、向かいあって座ると、お父さんが心配そうに言う。
「ミケ、もうケガは大丈夫なのかい?」
「うん、心配かけてごめんね。
ほら、こんなちっちゃい傷だから」
傷は順調に治ってて、今はもう小さいカサブタがあるだけ。
ゆうべシャワーした後、もういいかなって思って、絆創膏すら貼ってない。
横を向いて髪をかきあげて傷を見せると、お父さんはほっとしたようにうなずく。
「それはよかった。
だが、気絶したということは、けっこう衝撃があったんだろう。
頭部の精密検査はしたのかな」
「うん、月曜にいろいろやって、全部問題なしだった。
念の為に、来週の月曜に再検査して、問題なかったら退院の予定だよ」
ほんとは再検査は血液検査だけだったのに、吹田さんが念の為って言い出して追加されちゃった。
心配性すぎるよね。
「そうか……。
ところで、巻きこまれた事件について、詳しいことは言えないというのは、どういうことなのかな。
娘がケガをさせられたのに、親の私達が詳細を教えてもらえないというのは、納得がいかないよ」
お父さんは、見た目はひょろっとして優しそうだけど、何十年も現場の人とやりあってきただけあって、けっこう気が強い。
私にはいつでも優しいから気づいてなかったから、高校生の時にお父さんが強引な押し売りの人を追い返してるのを見てびっくりした。
お母さんにこっそり聞いたら、実はそうなのよって言われて、またびっくりした。
だからこそ、背後関係が面倒なことになってるあの事件の詳細は、教えられない。
「ごめんね、まだ捜査中だから、詳しいことは言えないんだ。
それより、お父さんとお母さんに聞いてほしいことがあるの」
「うん? なんだい?」
「なあに?」
うん、話をそらすの成功。
でも、いざとなると緊張するなあ。
拳を握って、吸って吐いて吸って吐いて、よしっ。
「実はね、私、今年の春からつきあってる人がいるの」
「えっ」
お父さんがびっくりしたような声を上げたけど、お母さんはニコニコしてた。
「ど、どんな人なんだい?」
「職場の、けっこう偉い人」
「警察の人なのか。
だいぶ年上なのかい?」
「三十三歳だよ。
いわゆるキャリア官僚だから、若いけど偉い人なの」
吹田さんの誕生日は一月で、知りあってはいたけどつきあう前だから、お祝いできなかったのがちょっと悔しい。
「キャリア官僚……?」
なんだか呆然としてるお父さんの横で、お母さんが不思議そうなカオでつぶやく。
あ、気づかれたかな。
もう一気に言っちゃおう。
「それで、数日前にプロポーズされて、結婚することにした」
「えっ!?」
今度は二人して大声をあげる。
「け、結婚って、なんでいきなり」
「いきなりじゃないよ、半年近くつきあってたし」
「いや、だが、先週まで、そんなこと何も言ってなかったじゃないか」
「あー、うん、なんとなく恥ずかしくてね、言えなかったの。
ごめんね」
今だってだいぶ恥ずかしいんだけどね!
「君は、知ってたのか?」
お父さんの問いかけに、お母さんは小さくうなずく。
「つきあってる人がいるのは知ってたけど、直接教えてもらってたわけじゃないわ。
それに、結婚するつもりだったことは初耳よ。
そんなに真剣におつきあいしてるなら、もっと早くに紹介してほしかったわ」
お母さんにたしなめるように言われて、気まずい気分で目をそらした。
「あー、うん、ごめん。
私も結婚とかは考えてなかったから。
でも、私がケガしたことで、なんていうか、心配性が暴走しちゃったみたいで。
そばにいて守るための正当な権利と資格を得たいから、結婚してほしいって、言われたんだ。
私も、ずっと一緒にいたいなって思ったから、オッケーした」
「それはまた……警察の人らしい言い方だが……」
お父さんは困ったようなカオで言って、考えこむ。
「……その人は、ミケのことを愛してくれてるのかい?」
「うん」
「ミケも、その人を愛してるんだね?」
「うん」
「…………そうか。
だったら、私が文句を言えることじゃないな。
結婚おめでとう」
苦笑いしながらもそう言ってくれて、ほっとする。
「ありがとう」
「おめでとう、ミケちゃん。
もしかして、カレシさんに吹田さんの申し出を話したら、あせってプロポーズしてきたの?」
お母さんがからかうように言う。
あー、そういう解釈になったんだ。
「吹田さんて、誰だい?」
「ミケちゃんがケガをした事件の、指揮をしてた偉い人なんですって。
ミケちゃんのカレシさんと同じ、キャリア官僚らしいわ。
入院直後に見舞いにきて、何度も謝ってくれて、『娘さんを傷物にした責任を取らせてください』って言われたの」
「えっ」
お母さんのざっくりした説明に、お父さんはまたびっくりする。
「ミケ、二人にプロポーズされたのか!?」
「あー、いや、そうじゃなくてね」
うーん、どう説明しよう。
……そのまま言うしかないか。
「あのね、私がつきあってたのは、吹田さんなの」
「うん?」
「え?」
二人してきょとんとする。
ですよねー。
「私とつきあってた吹田さんが、事件の捜査指揮をしてて、恋人なのに無傷で助けられなかったって責任感じて、お母さんにそう言ったの。
でも、罪悪感とかじゃなくて、愛してるから責任を取りたいんだって。
事件の前から、困っちゃうぐらい溺愛されてるから、心配しないで」
「…………そうなの?」
お母さんの不審そうな問いかけに、大きくうなずく。
「うん。
んー、わかりやすいとこで言うと、この部屋。
ここ、警察幹部用のすごいお高い部屋で、本来は私が使えるレベルじゃないんだ。
だけど、吹田さんが費用払うからって無理言って、使わせてもらってるの。
吹田さん、株とかいっぱい持ってるうえに、エリートで高給取りのお金持ちだから。
デートの時は全部支払いしてくれるし、隙あらば貢ごうとしてくる。
それと、すごい心配性で、デートしたら帰りはいつも車で家まで送ってくれるし、もう少し身のまわりに気をつけろって、いつも言われてる。
『お金もったいないから一般病棟に移りたい』って言ったら、この部屋ぐらいのセキュリティじゃないと心配だから、ここを使ってくれって、懇願されちゃった。
それぐらい、愛されてるよ」
「…………」
二人は顔を見合わせて、部屋を見回して、また顔を見合わせる。
「……確かに、吹田さんが見舞いにきた時に、『入院に関する費用は全て私が負担します』って、言ってたけど……」
「……確かに、一般人には使えそうにない豪華さだし、入口にインターフォンと電子錠がついてる個室なんて初めて見たが……」
「実家もすごいお金持ちだから、私とはだいぶ金銭感覚が違うけど、安全面以外はなるべく合わせようとしてくれるし、ワガママ聞いてくれるよ」
昨日はお互いの妥協ラインの擦り合わせに苦労したけどね……。
「実家も、なのか。
そんな名家に嫁いで、大丈夫なのかい?」
「そうね、庶民だからって、いじめられないかしら」
お母さんはオタクじゃないけど、ドラマとかけっこう見てるから、私と同じようなこと考えてるなあ。
「家を継ぐのはお姉さんだし、大学進学で家を出て以来ほとんど交流がないから、実家のことは気にしなくていいって、言われてる。
近いうちに挨拶に行くつもりだけど、それきりでもいいって。
それでね、ご両親に挨拶したいって言われてて、今、近くで待っててもらってるんだ」
「えっ!?」
また二人して声をあげる。
仲いいなあ。
「そういうことは、先に言ってちょうだい」
「そうだよ、聞いてたらスーツ着てきたのに」
あわてる二人に苦笑する。
「そんなの気にしないでよ。
私なんて、部屋着なんだから。
今日は、仕事の途中で抜けてきてるから、ほんとに挨拶だけだから、気にしないで」
「そ、そうなのか」
「来てもらってるのに会わないわけにはいかないけど、もう、せめて化粧ポーチ持ってくるんだったわ」
「だいじょぶだって、お母さんは今日もきれいだよ」
「そういうのはいいから、今度からちゃんと前もって教えてちょうだいね」
お母さんに軽くにらまれて、肩をすくめる。
「はぁい。
じゃあ、呼んでもいい?」
「あ、いや、ああ、その、もう少し心の準備を」
「もう、あなた、しっかりしてちょうだい」
おろおろしてるお父さんの肩を、お母さんがパシッとたたく。
「こうなるとお父さんは長いから、さっさと来てもらって」
「わかった」
うーん、お母さんのほうが切り替え早いなあ。
女は度胸、だね。
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一階ロビーで待ってるはずの吹田さんにメッセージを送ると、五分もしないでやってきた。
仕事の途中だから当然だけど、今日もオーダーメイドスーツと銀縁眼鏡で、いかにもエリートな雰囲気。
それだけで気後れしたのか、ソファから立ちあがって出迎えたお父さんもお母さんも、なんだか緊張してる。
仕事モードの吹田さんは迫力あるから、気持ちはわかる。
「はじめまして、吹田公明といいます。
警視庁刑事部に勤めております」
吹田さんが名乗って頭を下げると、二人もあわてて頭を下げる。
「はじめまして、御所です」
「警察の仕事は勤務が不規則で、本日も勤務ですが、途中で抜けてまいりました。
申し訳ありませんが、一時間以内に戻らなければなりませんので、手短かに話を進めさせていただきます」
「……はあ」
淡々と言われて、お父さんは迫力負けしたみたいに小さくうなずく。
「あ、すみません、どうぞ座ってください」
「ありがとうございます」
お父さんとお母さん、吹田さんと私で、ソファに向かいあって座る。
「美景さんから話があったでしょうが、改めて説明させていただきます。
私は半年ほど前から美景さんと交際しており、先日結婚の申しこみをして、承諾を得ました。
私達は既に成人していますから、親の承諾を得ずとも結婚できますが、今まで美景さんを守り育ててくださったご両親への感謝の証として、ご報告いたします」
吹田さんは、会議で発言してるみたいな淡々とした口調で言う。
『娘さんと結婚させてください』なんてへりくだった言い方は似合わないし、こういう言い方のほうが合ってるよね。
「……………………」
お父さんは、こっそり感心してる私と、まじめなカオのままの吹田さんを交互に見て、なぜか苦いカオになる。
「ミケのケガは、吹田さんが指揮した捜査中のことで、傷物にした責任を取ると妻に言ったと、さっき聞きました。
それだけではないとミケは言っていましたが、本当なんですか?」
「美景さんにケガをさせたのは、確かに私の責任です。
申し訳ありません」
深く頭を下げた吹田さんは、ゆっくり頭を起こして続ける。
「ですが、結婚したいと思ったのは、美景さんを愛しているからです。
この先一生ずっと、一番近くにいて守りたいからです」
あうう……。
顔が熱くなって、両手で頬を押さえてうつむく。
月曜以来、何度も『愛してる』って言われてるけど、やっぱりまだなんか、恥ずかしい。
「どうした」
吹田さんが体を寄せてきて、耳元で囁く。
ごまかそうかと思ったけど、どうせ通じないし、うつむいたまま小さな声で答える。
「恥ずかしいだけなんで、気にしないでください……」
恥ずかしいって説明するのが、よけい恥ずかしい。
しかも、お父さんとお母さんの前でだし。
あーもう、ベッドでゴロゴロ転がりながら叫びたい……。
「そうか」
くすっと笑った吹田さんは、優しい手つきで頭を撫でてくれた。
「……さっきの吹田さんの様子では、ちょっと疑わしかったんですが。
確かにミケは吹田さんが好きで、吹田さんも同じのようですね」
お父さんが、呆れたみたいな生温かい笑みで言う。
あー、まあ確かに、仕事モードの吹田さんが淡々と『愛してる』って言っても、本心とは思えないよね。
溺愛モードの吹田さんだと、わかりやすいんだけど破壊力がすごいから、私としてはその中間ぐらいが助かるんだけど。
「はい」
短く、だけどきっぱり言った吹田さんは、まっすぐお父さんを見つめる。
「一日でも早く夫婦になりたいと願い、まず入籍して、同居は準備が整い次第開始し、披露宴は来年春に行うことにしました」
「……は?」
「え……?」
きょとんとする二人に、吹田さんはまじめな口調で続ける。
「まずはスケジュールをざっと説明しますので、質問はその後でお願いします」
「あ、はい……」
二人は顔を見合わせて、曖昧にうなずいた。




