予算とスケジュールは余裕を持って⑥
「美景」
「はい」
「結婚に関する費用とは別に、支度金を渡したいと思っているが、受け取ってもらえるか」
「え」
何それ。
「……えーと、『支度金』って、なんですか?」
「言葉通り、結婚に関する支度をする為の金だ」
「でも、費用は全部吹田さんが出してくれるんですよね?」
「ああ。
だが、それ以外にも金がかかるだろう。
おまえが新居に持ってくる家具や衣類を新調したり、両親の礼服を誂えたり、父親の単身赴任先からの交通費や、親戚への挨拶の際の手土産など、結婚に関することならなんにでも使ってほしい。
もちろん返礼は不要だし、余った分は自由にしてもらってかまわない」
「あー……」
確かに、そういう細々した出費はあるだろうけど……。
「……ちなみに、おいくらぐらいですか?」
百万ぐらいかな。
「三百万だ」
「えっ」
うーん、さっきもだけど、今回も予想のはるか上だった。
……吹田さんの想定って、私の予想の三倍ぐらいなのかあ。
「おまえにとっては、三百万でも高いのか」
吹田さんが、ちょっと困ったようなカオで言う。
「そうですね、高くても百万ぐらいかなって思ったんで。
……私の年収、手取りで三百万ぐらいなんです。
吹田さんは元からおぼっちゃまだし、高給取りだから、三百万ぐらい安いんでしょうけど、私にとっては年収と同じ額なんで、びっくりしちゃったんです。
ごめんなさい」
「謝らなくていい。
だが、できれば受け取ってほしい。
急な話で、おまえだけでなく、おまえのご両親にも負担をかけることになるから、せめて金銭的な負担だけでも解消したいんだ」
優しく頭を撫でられて、こめかみにそっとキスされる。
さっきの言い方だと、三百万でもひかえめにしてくれたみたいだね。
おうちの基準が、指輪だけで五百万なら、そうなっちゃうのもしかたないか。
……だんだん感覚がマヒしてきちゃったなあ。
私のためより、お父さんとお母さんのためって思えば、もらえるのはありがたいかな。
実際、お父さんの往復の新幹線費用だけで、五万ぐらいかかるみたいだし。
礼服なんて持ってるかわからないけど、『誂える』って、つまり新しく買えってことだから、古いのとかレンタルじゃダメなんだろうし……。
うーん、でも、相場がわかんないなあ。
悩みながら吹田さんの肩に頬をすりすりしてて、思いつく。
仕事用、つまり普段使いっぽいスーツを参考にしたら、吹田さん基準の礼服の値段が予想できるかも。
「このスーツって、おいくらぐらいですか?」
「五十万ほどだな。
新規に型紙から作ると百万近くになるが、これは以前作った型紙を再利用したから、安くなっている」
「へえー……」
全然参考にならなかった……。
いや、最低でも普段使いのスーツより上、つまり五十万以上のものにしなきゃいけないってことだよね。
お母さんのもそれに合わせたら、二人分で百万。
それぐらいの貯金はあるだろうけど、たぶん定期預金とかにしてるから、すぐ使えるとは限らないし。
もらっといたほうがいいかな。
「……わかりました。
ありがたくいただきます」
残ったぶんは、お母さんに渡せばいいよね。
「ありがとう」
吹田さんはほっとしたように目元をゆるませて、私の頬にキスする。
「えっと、それっていつ受け渡しするものですか?」
「本来は、両家の顔合わせの場で渡すようだが、式までの期間が短いこと、おまえの父親が単身赴任中で顔合わせの場を作りにくいことを考慮して、明日挨拶の場で渡すつもりだ」
「……あー、まあ、そうですね」
お父さんが帰ってくるの、明日の次は、たぶん結婚式当日になるだろうし。
「それって、吹田さんを呼ぶ前に、私から両親に伝えておいたほうがいいんですか?」
「いや、結婚に関する日程と合わせて俺から話すから、おまえは結婚することになったということだけ話しておいてほしい」
「わかりました」
うーん、やっぱりいろいろめんどくさいなあ。
「面倒をかけてすまないが、よろしく頼む」
優しく頭を撫でられて、くすっと笑う。
「面倒だなって思うけど、それで結婚やめようかなとは思わないから、安心してくださいね」
わざと軽い口調で言うと、吹田さんは軽く目を見開いて、それから嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。
おまえに見限られないよう、誠心誠意努力する」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
くすくす笑いあうと、優しく頭を撫でられる。
「もう一つ頼みがある」
「なんですか?」
「火曜の午後、退院の際に俺が迎えに来てもいいだろうか」
「え、どうしてですか?」
「もともと費用の精算をしに来なければならないから、半休を取る予定だった。
おまえがすぐに家に帰って休みたいのでなければ、夜までつきあってもらいたい」
うん?
「のんびりするのはこの一週間でやりつくしたから、つきあうのはいいんですけど、どこへですか?
私、サプライズは苦手なんで、できれば先に教えてほしいです」
知り合いにいたんだよねー、変なサプライズ仕掛けておいて、喜んでるように見せないと不機嫌になる人。
そういうのが三回ぐらい続いて以来、サプライズ苦手になっちゃった。
「俺が株を持っている百貨店で、結婚式の為の服を贈りたい」
「え!?
……あ、ウェディングドレスってことですか?」
「いや、ウェディングドレスは、披露宴で着たほうがいいだろう。
結婚式は、レストランを貸切って、式と両家顔合わせを兼ねた食事会にする予定だ。
身内だけの席だからドレスでなくてもいいが、フォーマルな服装が望ましい」
そっか、お父さん達に礼服がいるなら、私もそれなりのかっこしないといけないんだ。
一応主役だもんね。
吹田さんは自前のオーダーメイドスーツでいいだろうけど、それに釣り合うレベルの服なんて持ってない。
「でも、ドレスって結婚式ぐらいでしか着ないだろうから、レンタルでいいと思うんですけど」
ぶっちゃけ、二度と着ないだろうから、買うのはもったいない。
お父さん達は、誰かの結婚式で着る機会あるかもしれないから、買ってもいいだろうけど。
「ドレスコードのある店に入れるような服は、今後も着る機会があるだろうから、レンタルするより購入したほうが効率的だ」
「あー……」
今までは私に合わせて安いめの店にしてもらってたけど、高いお店に行く場合は、そういう服が必要なんだ。
あれ、でも……。
「……それって、結婚式用の費用から、ですよね?
別途扱いじゃないですよね?」
吹田さんの五十万のスーツに釣り合う服って、バッグとか靴とか小物とか合わせたら、百万いっちゃいそうだよね。
結婚式の予算は百万のはずなのに。
軽くにらむと、吹田さんは甘い笑みを浮かべる。
「今後も使うことを考慮して、結婚式用としてではなく、退院祝いと誕生日プレゼントを兼ねて贈らせてほしい」
あー、そうきたかー。
「誕生日プレゼントの代わりにデートしてほしいと言われたことはおぼえているが、俺の我儘を聞いてもらって、おまえの誕生日に結婚式と入籍をすることになった。
だから、お詫びとして服をプレゼントさせてほしい」
甘い声で言いながら、優しく頬を撫でられる。
……耐えろ私、ここで流されちゃダメだ。
溺愛モードに恥ずかしがって受け入れちゃったら、持ってるのすら恐い値段の服一式をプレゼントされちゃう。
ぎゅっと拳を握って、吸って吐いて吸って吐いて、よしっ。
「吹田さんのオーダーメイドスーツに釣り合う見栄えで、全部で三十万以内なら、受け取ります。
それ以上高いのは、いりません」
気合を入れてきっぱり言うと、吹田さんは不満そうなカオになった。
何か言いかける前に、早口でつけたす。
「でも今の季節用だと、冬には着れないだろうから、その時はまた新しいのをプレゼントしてください」
必殺、先送りの術!
その頃の私は、今の私より溺愛モードに慣れてて、上手にあしらえる、はず。
じっと私を見つめた吹田さんは、また甘く微笑む。
「おまえが妥協できる値段なら、複数贈ってもいいのか」
「いや、今回は一着だけでいいですから、また今度で」
「服は何着あってもいいだろう」
「いや、場所取りますし、着ないともったいないので、一着だけにしてください」
なんか抱き合わせで勧められるオマケを断ってる気分になるなあ。
でも、きっぱりはっきり拒絶しておかないと、新居に引っ越したらクローゼットに服がたくさん、なんてことになりかねない。
「……わかった。
今回は一着で妥協する」
「ありがとうございます」
ふう、なんとかなった、よかった。
吹田さんはくすりと笑って、私をふんわり抱きしめた。
「おまえは俺の推しなのに、なかなか課金させてくれないな」
あー、前に、『オタクにとって課金は愛情表現』って言ったっけ。
合わせてくれるのは嬉しいんだけど、セレブでエリートな吹田さんに言われると、なんかバグってる感すごいなあ。
「……そういう、金にものを言わせるようなやり方、廃課金勢っていって、あんまりイメージ良くないんですよ」
「そうか、気をつける」
「……はい」
ほんと、気をつけてほしい。
私のライフがゴリゴリ削られちゃう。
「火曜日は、月曜の再検査で問題がなければ、午前中に退院の許可が出るんだったな」
「そのはずです」
「だったら、少し待たせるが、十三時半頃に迎えにくる。
退院手続きを終えたら出て、昼食を食べて、買い物をしよう」
「……お昼は、いつものファミレスがいいです」
「わかった」
最初はお高いお店だと思ってたのに、最近は私もすっかり慣れちゃったなあ。
「おまえの荷物は、俺達が昼食を食べている間に、おまえの実家に運ばせる。
部屋着以外で、着て出れる服はあるか?
ないなら俺が用意するが」
「母に頼んで、明日持ってきてもらうんで、だいじょぶです」
ほんともう、隙あらば貢ごうとしてくるんだから。
「そうか、残念だ」
さらっと言った吹田さんは、優しく私の頭を撫でる。
「百貨店の中にはジュエリーショップもあるから、結婚指輪も見にいこう。
その店で気に入るものがあれば買えばいいし、なければ違う店を探しておく」
「あー、そうですね、結婚式までに指輪も買っとかないといけないんですね」
せわしないけど、日数が短いのは、かえってよかったかも。
もし期間に余裕があったら、絶対オーダーメイドのお高いやつにされたよね。
「私が選んでいいんですか?」
「もちろんだ。
おまえに付けてほしいものだからな」
「わかりました」
たぶん店員さんは高い物を勧めてくるだろうから、そこでもまた戦わないといけなさそう……。
-----------------
吹田さんが帰ってから、ノーパソで結婚についていろいろ検索してみる。
段取りは、プロポーズ・婚約→両親に挨拶→結納もしくは両家顔合わせ→各種準備→入籍・引越して同居開始→結婚式・披露宴→新婚旅行、が一般的っぽい。
私達は、プロポーズ・婚約→両親に挨拶→結婚式・入籍→各種準備→引越して同居開始→披露宴→新婚旅行、になる予定。
うん、順序がだいぶ違うね。
と思ったけど、元々同棲してたとか、式場が一年待ちとか、デキ婚とかで、最近は先に入籍するカップルもけっこういるらしい。
だったら、そんなに悪目立ちしないかな。
吹田さんが言う通り、刑事部長の指示っていう大義名分があるし。
まじめで良識的な吹田さんが、一般常識を無視してでも一日も早く入籍したいって言うのは意外だったけど、それぐらい愛されてるってことだもんね。
まだキャラ崩壊レベルの溺愛には慣れてないけど、同居するまでには慣れる……はず。
費用の相場についても調べてみる。
結婚指輪は、二人分で三十万ぐらい。
結婚式は、レストランウェディングだと、参加人数にもよるけど、数十万ぐらい。
ホテルとかの会場での披露宴は、招待客一人につき五万円ぐらいとして、六十人だと三百万ぐらい。
新婚旅行は、二人分で五十万ぐらい。
合計五百万ぐらいだから、吹田さんの予算一千万は、やっぱり高く感じる。
でも吹田さんの実家だと、たぶん最低でも相場の十倍規模だろうから、かなり妥協してくれてるんだよね。
ハデじゃなくてシックな感じにしてくれるだろうから、大丈夫、なはず。
……ちょっと心配になってきたけど。
事前に相談してくれるって言ってたし、大丈夫大丈夫、うん。
自分に言い聞かせてると、スマホがぴこんと鳴った。
あれ、吹田さんからメッセージだ。
≪家事を任せることを朱音に打診したら、快諾してくれた
だが、結婚までに会わせてほしいと言われた
それと、火曜の午後におまえの服と指輪を選びにいくと言ったら、同行させてほしいと懇願された
俺だけではセンスに不安がある、そうだ
おまえが嫌なら、別途会う機会を設ける≫
「うーん……」
朱音さんて、どっち側だろう。
元は吹田さんちの使用人で、吹田さんの身の回りの世話をしてるんだから、金銭感覚はやっぱり吹田さん寄りかな。
でも、吹田さんに『センスに不安がある』ってはっきり言えるの、すごいよね。
吹田さんの服を管理してる人に、釣り合う服を選んでもらえたら助かるけど、吹田さんや店員さんと一緒になってお高い服を勧められたら、多数決で負けちゃいそうだし。
うーん……。
≪今回の買い物は、吹田さんと二人がいいです
でも朱音さんとは私も会ってみたいので
買い物の後で、どこかのカフェとかでお話できたら嬉しいです≫
≪なら、買い物の後で、俺の部屋で会うのはどうだろうか
朱音は隣に住んでいるから、すぐ呼べる≫
「えっ」
吹田さんちのおうちデート、今までお預けだったのに、そんな形でかなうなんて。
ついに好感度が溜まったのかな。
……溺愛モードで、プロポーズまでされたんだから、好感度はもうカンストしてるよね。
≪吹田さんちでお願いします≫
≪わかった。朱音にそう伝えておく≫
やったー、ついにおうちデートだ!
買い物大変だろうけど、おうちデートを楽しみに、がんばろう。




