予算とスケジュールは余裕を持って③
火曜から木曜まで、ほぼ寝てすごした。
木曜の夜にはおちついたから、吹田さんにメッセージを送って、いつもの時間に五分だけビデオ通話をしてもらった。
例の件で忙しくて、後回しになってた他の仕事とかもだいたい片付いたって聞いて、ほっとした。
相談したいことがあるから明日の夜行ってもいいかって聞かれたから、オッケーした。
金曜の夜、約束どおり吹田さんが来てくれた。
「来てくれてありがとうございます」
「ああ」
ドアの前で出迎えると、吹田さんにふんわり抱きしめられる。
私からもぎゅっと抱きつくと、シトラスの香りがした。
テディボーイとおんなじ香水のはずなのに、吹田さんのほうが、やっぱり安心する。
肩に頬をすりよせると、優しく頭を撫でられた。
しばらくそうしてたけど、吹田さんが腕をゆるめて、こめかみにそっとキスする。
「ずっとこうしていたいが、まずは話をしよう」
「はい……」
肩を抱いて促されて、ソファに向かう。
「あ、お茶淹れましょうか?」
「いや、いい」
「んー、でも、話をするなら飲み物ほしいので、ペットボトルのお水か緑茶取ってきていいですか?」
「ああ」
付き添いの人用の部屋にいって、冷蔵庫から水と緑茶のペットボトルを取ってくる。
「吹田さん、どっちがいいですか?」
「水をくれ」
「はいどーぞー」
「ありがとう」
ペットボトルを渡して、ソファに並んで座る。
緑茶を一口飲んでフタをして、テーブルに置く。
吹田さんも水を一口飲んでフタをしてテーブルに置くと、私の肩を抱きよせた。
そっともたれかかると、優しく肩を撫でられる。
久しぶりにイチャイチャできて嬉しいけど、まずは話をしなくちゃね。
「えっと、相談ってなんですか?」
「父親が週末に帰ってくると言っていたが、具体的な日時はわかったか」
「あー、えっと、土曜の午後らしいです。
母と二人で、土曜の夕方に見舞いにくるって、今日メッセージがきました」
付き添いしてもらうようなケガじゃないし、用事は看護師さんに頼めるから、お母さんが来たのは日曜が最後だけど、メッセージは毎日やりとりしてる。
「そうか。
なら、結婚することをご両親に挨拶したいから、俺も呼んでもらいたい。
明日も仕事だが、一時間程度なら外出できる」
「えっ」
挨拶って、娘さんをください、とか言うアレ?
……吹田さんが、そんなへりくだって言う感じ、想像できないなあ。
でも、それ以前に問題がある。
「なんだ」
「……実は、吹田さんとつきあってるってこと、まだ話してないんです。
なんとなく恥ずかしくて、言いそびれちゃってて……」
お母さんだけじゃなくて、一般人にも話せる内容に修正したなれそめを、ボロを出さずに話す自信がなくて、結局【同志】以外にはまだ吹田さんとつきあってることを話してないんだよね。
「……そうか」
「なので、できれば違う日にしてほしいんですけど……」
せめて、吹田さんのことを話してからだよね。
「だが、父親は、すぐ単身赴任先に戻るのだろう」
「そうですね、たぶん夜早めに寝て、日曜の昼前には出発すると思います」
今の現場は、広島の近くだったかな。
不便なとこからだと、現場から家まで車で十時間ぐらいかかってたけど、今の現場は新幹線駅が近いから楽だって、お盆に帰ってきた時にお父さんが言ってた。
「その予定の中で、挨拶に行く時間を取ってもらうことは可能なのか」
「えーっと……」
お父さんは慎重派でなんでも余裕持って予定を組むから、一時間ぐらい出発を遅らせてもらっても大丈夫なはず。
でも、たぶん帰りの新幹線ももうチケット取ってるだろうし、遅らせても絶対大丈夫かは、わからないよね。
それに、結婚の挨拶っていう目的を考えると、こっちの都合に合わせてもらうのって、気が引けちゃう。
うーん……。
「じゃあ、あの、吹田さんに来てもらう前に、三十分ぐらい、私達だけで話す時間をもらっていいですか。
その間に説明しておくので」
吹田さんは、ゆっくりうなずく。
「そうだな。
おまえのケガについての話もあるだろうから、ご両親が病院に着く時間がわかった時点で連絡をくれ。
それから出て移動して、一階のロビーで待っているから、説明が終わったらメッセージで呼んでほしい」
「わかりましたー」
「ただし、事件についての詳細は伏せておけ」
「え、どうしてですか?」
土曜日は、何をどこまで話していいかわからなかったから、お母さんには適当に言ったけど、もうほぼ片付いてるのに話しちゃダメなのは、なんでだろ。
「あの事件は、黒い噂のある資産家、複数の政治家、暴力団員、大阪府警の不祥事まで絡んで、面倒なことになっている。
……民間人は、関わらないほうがいい」
「あー……」
そうだった、事件そのものは単純だけど、それ以外がめんどくさいことになってるんだった。
知らないほうが幸せ、ってやつだよね。
だとすると、お母さんに言った内容もまずかったかな。
「……母には、とある事件の容疑者に人質にされてケガして、その事件の指揮をしてたのが吹田さんだって、話しちゃったんですけど、ダメでした?」
「俺も同じようなことを伝えたから、問題ない。
だが、それ以上の詳しい説明を求められたら、守秘義務があると断っておけ」
「わかりました」
小出しにするよりは、全部拒否のほうが楽だし、助かる。
えーっと、じゃあ、言っていいことは。
「……すみません、ちょっと頭を整理する時間をください」
「ああ」
まとめると。
二人が来る前に吹田さんに連絡して、来たら事件の詳細は言わずに吹田さんとつきあってることと結婚するってことを話して、吹田さんを呼ぶ。
これで、抜けないよね。
……いきなり結婚するって言ったら、びっくりされるだろうなあ。
しかも、相手はものすごいお金持ちのおうちのおぼっちゃまで、エリートだし。
……あれ。
「うちの両親に挨拶するなら、吹田さんちにも、近いうちに挨拶にいったほうがいいんですか?」
前は『結婚するわけじゃないから関係ない』って割りきったけど、結婚するなら関係アリになるんだよね。
私の問いかけに、吹田さんはなぜかイヤそうなカオになる。
「……いずれは行くつもりだが、おまえが嫌なら俺だけで報告してくる」
「イヤってわけじゃないんですけど、気後れするっていうか……。
でも、挨拶なしってわけにはいきませんよね?」
「以前にも言ったように、俺自身ほとんど家族と連絡を取っていないし、今後もそのつもりだから、おまえが関わらなくても問題ない。
……俺の家は代々長女が当主になるが、次女や男児のほうが当主にふさわしいと主張する者が現れて揉めることが時折ある。
無駄な諍いを避ける為にも、家を出た俺はなるべく戻らないのがお互いの為だ。
母や姉もそれを理解しているから、俺が戻らないことに文句を言ったことは一度もない」
「あー……」
お家騒動が起きないように、ってことなんだ。
ほんとに、時代劇みたいだよね。
「ちなみに、その『主張する者』って、どういう人ですか?」
次女さんや息子さんの側近って意味じゃなさそうだけど、想像がつかない。
「一番多いパターンは、当主に推す者の親族だな」
ん?
えーと…………次女のだんなさんか、息子のお嫁さんの、家族ってことかな。
吹田さんの場合だと、うちの両親がそれに当たるわけだ。
時代劇とかだと、本人はその気がないのに、まわりが勝手に話を進めるってパターンだね。
うちの親はそういうことしないだろうけど、そんなことまで考えて家族づきあいしないといけないんだ。
「大きいおうちって、大変なんですねー」
しみじみ同情しながら言うと、吹田さんは苦笑する。
「そうだな。
だから、おまえが俺の家に関わらないことを選んでも、咎める者はいないから、気にするな」
「それでも、一度はちゃんとご挨拶したいです。
もし合わなさそうって思ったら、その一度きりにしますから」
どうしても合わない人って、やっぱりいるし、お母さんのほうの親戚で縁を切ったところもある。
でも、やっぱりせめて一度ぐらいは会ってから、決めるべきだよね。
「……わかった。
だが、行くとなるとおそらく泊まりになる。
色々と調整するべきことがあるから、手配は俺に任せてほしい」
「わかりました、お願いします」
「ああ」
ちょっと喉が渇いたから、ペットボトルを取って一口飲む。
「相談って、それだけですか?」
「いや、結婚について確認したいことがある。
詳細は改めて相談するとして、最低限のことを先に決めておきたい」
「最低限って、なんですか?」
「まず、入籍をいつ行うかだ。
俺は出来る限り早くしたいが、おまえの希望はいつ頃か教えてくれ」
「え、入籍って、結婚式する時じゃないんですか?」
私の友達だと、結婚式の時に婚姻届に記入してるコもいたけど。
「入籍と式を同時期に行うのが一般的だが、先に入籍しておいて、時間をかけて式の準備をする場合もある。
……月曜に言ったように、俺はおまえを守る正式な権利と資格を、出来る限り早く手に入れたい。
おまえが同意してくれるなら、明日ご両親に挨拶した後、すぐ婚姻届を記入して提出したいと思っている」
「ええー……」
それは、いくらなんでも早すぎじゃない?
ドン引きした私を見て、吹田さんは苦笑いを浮かべる。
「おまえがそれを望まないことは、わかっている。
だからこそ、いつなら妥協できるのか考えてほしい」
「あー……ぶっちゃけ今まで結婚について考えたことなかったんで、段取りもよくわからないんですけど……」
うーん…………あれ。
「なんだ」
「なんかひっかかったんですけど……えーと……なんだったかな……」
結婚……職場結婚…………あ!
「警察で職場結婚した場合、どっちかが異動になるのが暗黙の了解じゃなかったでした?」
「そのようだな。
入籍の話の次に確認するつもりだったが、おまえは結婚後も仕事を続けたいのか?」
「……できれば、続けたいです」
ケイコ先生に近づきたくて選んだ仕事だけど、吹田さんのおかげで直接お話することまでできちゃったし、このまま続けたらまたお会いできるかもしれないし。
「警視庁ではなく所轄署に異動になるかもしれないが、それでも続けたいか?」
「それは……場所によりますね。
家から通えないとこだと、困りますし……」
悩んでると、吹田さんが困ったようなカオになる。
「……結婚後も実家で暮らしたいのか?」
ん?
「……あー、そっか、結婚して一緒に暮らすなら、引っ越すことになるんですよね。
すみません、今まで家を出たことないんで、そこに結びつかなくて。
うーん……結婚するって、いろんなことがいっぺんに変わっちゃうんですねえ……」
準備が面倒すぎて結婚やめたくなったって言ってた友達がいたけど、その気持ちがわかっちゃったかも。
「美景」
吹田さんが、あいてるほうの手で私の頬を包むようにする。
そっと上向かせられると、おでこを合わせるようにして、目をのぞきこまれた。
「おまえのほうが負担が大きくなることは申し訳ないと思うが、だからといって結婚をやめるとは言わないでくれ。
俺はもう、おまえがいなくては生きていけない。
それほどに愛しているんだ。
頼むから、妻として俺のそばにいてほしい」
甘い声、甘いまなざし、甘い言葉に、少しだけ混じるせつなさと不安が、色っぽささえ感じさせる。
「~~~っ」
瞬間的に全身が熱くなる。
あああもう、こんなの無理!
受けとめきれない!
溺愛モード、すごすぎる……!
吹田さんの肩に顔を押しつけるようにして、ぎゅうぎゅう抱きついても、熱は引かなくて、ジタバタ暴れたくなる。
「美景」
そっと呼ばれたけど、顔を上げないまま、ますます強く抱きついた。
「ちょっと、今、無理なんで、待ってください……」
「……わかった」
かすかに笑い含みの声で答えた吹田さんは、私をふんわり抱きしめる。
もしかして、結婚したら、いや結婚するまでも、毎日こうなの?
ちょっとそれは、無理じゃない?
私、恥ずかしすぎて死んじゃわない?
どーしたらいいの……!?




