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エリート×オタクの恋はいろいろ大変です!  作者: 香住なな
第二部 恋人編
67/93

大事なことは言葉にして伝えよう⑥

「昼寝をしてからのことは、どれぐらいおぼえている」

「えっと……」

 静かな問いかけに、しばらく考える。

「……なんか、吹田(すいた)さんにいろいろ言われた気がするんですけど、夢だと思ってたんで、なんか曖昧で……ぶっちゃけ、ほとんとおぼえてないです」

 最後に『愛してる』って言われた気がするけど、吹田さんがそんなこと言うはずないから、やっぱり夢だよね。

「……そうか」

 吹田さんは小さくうなずく。

「……まず、謝罪したいことが二つある。

 俺の不手際でおまえに恐い思いをさせて、ケガを負わせたこと。

 何度も連絡をくれたのに、返事をしなかったこと。

 すまなかった」

 深く頭を下げられて、あわててぱたぱた手を振る。



「あの、それはもういいんで。

 でも、責任取って結婚するって、どうしてですか?

 なのに、どうして私には何も言ってくれなかったんですか?」

 ゆっくり頭を上げた吹田さんは、私を見つめる。

「順番に説明するが、……手を、握ってもいいか」

「え、あ、はい」

 手をさしだすと、指をからめるようにしてやわらかく握ってくれる。

「ありがとう」

「いえ……」

 なんか、改めてお礼言われると恥ずかしいな。



「容疑者を確保し、真白をおまえに付き添わせて病院に向かわせた後、警視庁に戻って刑事部長に報告した。

 現場にいた一課の者の中には、おまえを知っている者もいたから、おまえの身元は隠さずに伝えた。

 刑事部長は、『人質にされ負傷したのが民間人ではなく事務員で良かったが、念の為に一課の若いのを適当に宛がって黙らせておけ』と言った」

 ……えーっと。

「『黙らせておけ』って、どういう意味ですか?」

「事務員は離職率が高い。

 辞めた後でゴシップ誌などによけいな情報を洩らさないように、刑事と結婚させて身内として取りこんでおけ、ということだ」

「……えっ!?」

 なんでそんな、口封じみたいな話になるの!?



「あの、私、今のところ辞める気はないし、辞めたとしても何も話しませんけど!?」

「わかっている」

 吹田さんは、なだめるように握った手の甲を撫でてくれる。

「俺はわかっているが、保身しか考えていない年寄りには通じない。

 だから、『傷物にした責任を取って俺が結婚する』と伝えた。

 おまえの母親にまず言ったのは、他から手を回される前に牽制する為だ」

 つまり、私を守るため、だったんだ。

「……でも、じゃあ、どうして、私にそう教えてくれなかったんですか?」

 私の問いかけに、吹田さんはゆっくりと目を伏せる。

「……俺の不手際で、おまえにケガをさせた。

 自分が情けなくて、合わせる顔がなかった。

 ……すまない」

 あー、なんかそんなようなこと、夢の中でも聞いたような……。

 あ、そういえば。



「すみません、ちょっと話がそれるんですけど、質問していいですか」

「ああ。なんだ」

「あの時、私が止めなかったら、ほんとに土下座したんですか?」

「ああ」

 即答されて、びっくりする。

「でも、あんなに、見てる人がいたのに。

 それに、言う通りにしたって、ほんとに私を解放してくれたか、わからないのに」

 大勢の部下の前で、犯罪者の言いなりになって土下座して、なのに意味なかったってなったら、プライド粉々だよね。

「そうだな。

 だから、俺が注意を引きつけている間に、背後から取り押さえるよう部下に指示していた」

「あー、じゃあ、土下座するフリ、だったんですね」

 そうだよね、いくらなんでも、するわけないよね。

 膝をついたあたりで止まったら、たぶんあの容疑者は吹田さんだけを見ながら、できないのかって煽ってきただろうから、その隙を狙わせるつもりだったんだ。

「いや、本当にするつもりだった。

 そのほうが、あの容疑者は油断しそうだったからな」

「えっ!?」

 なんで!?

 ほんとにする意味ないよね!?

「俺の不手際でおまえが人質にされたのだから、無事救出するために最善を尽くすのは当然のことだ」

 吹田さんは、ほんとに当然だと思ってる口調で言う。

 ……ああ、そうだった。

 吹田さんは、あの男が言うような、プライド高いだけのエリートじゃない。

 ちゃんと実力もあって、努力もしてる、ほんとのエリートだから。

 自分のプライドより人質の命のほうが優先って、考えられる人なんだ。

 たぶん、人質が私じゃなかったとしても、土下座したんだろうな。

 それでも、嬉しい。



「吹田さん」

「なんだ」

「抱きついていいですか」

 吹田さんは軽く目を見開いて、かすかに笑う。

「ああ」

「ありがとうございます」

 もそもそ動いて体を寄せて、ななめからぎゅっと抱きつくと、ふんわり抱きしめられた。

 肩に頬をすりすりすると、スーツの生地のスベスベした感触が伝わる。

「相変わらず、猫のようだな」

 優しい声で言った吹田さんは、絆創膏の端を指先でそっと撫でる。

 ……あれ。

 さっきの夢と、同じ。

 ということは、さっきの夢って、やっぱり夢じゃなかった……?



「どうした」

「……さっき、夢の中で、同じようにされたなあって、思って。

 でも、どこまでが夢で、どこからが現実なのか、よくわかんなくて……」

 全部現実、だったのかな。

「昼寝をして、……恐い夢を見たことは、おぼえているか」

 静かな声が、記憶を揺らす。

「ぁ……」

 紫と銀の光が脳裏でちらついて、体だけじゃなく心まで凍りつく。

 目の前の景色が色を失って、黒ずんでいく。

美景(みひろ)

 静かだけど強い声が、私を呼ぶ。

 びくっとして瞬きすると、色が戻った。

「もう大丈夫だ」

 ふんわり抱きしめられて、背中を撫でられる。

 シトラスの香りがした。

 ああ……。

 そうだった。

 ()()にいれば、恐くない。

 吹田さんがいるから。

 吹田さんが『大丈夫』って言ってくれるから。

 恐くない。

 大丈夫。

「……はい」

 体の力を抜いてもたれかかると、吹田さんはしっかり支えてくれる。

 大きくため息をつくと、体と心を凍らせた冷たいものが、全部出ていった気がした。

 スーツの布地越しに伝わる体温が、私をあたためてくれる。

 ようやく気持ちがおちつくと、気になったことがあった。



「……どうして、私が恐い夢を見たって、わかったんですか……?」 

「午前中に、心理テストを受けただろう」

 優しく頭を撫でられて、小さくうなずく。

「はい……」

「そのテストで、PTSDを発症しているという診断が出たらしい」

「え……」

 映像を見て、感じたことを四択で答えるだけだったのに、そんなのわかるんだ。

 じゃあ、さっきの、紫と銀がちらついて、心が凍りつく感じ。

 アレが、フラッシュバックなんだ。

 恐い夢は、アレがずっと続いてた感じだった。

「病院から連絡を受けたカウンセラーが、おまえと面談して、解離症状が出ていて危険な状態だと、俺に電話してきた。

 アフターケアを怠った俺の責任だと呼びつけられて、詰所で話を聞いた」

 カウンセラーって、ボンさんだよね。

 突然来たの、そんな理由だったんだ。

 解離症状って、記憶がトんでたあれかな。

 吹田さんを呼びつけるって、ボンさんすごいな。

 うーん、久しぶりにツッこみが追いつかない。



「看護師の話では、土曜の夜も日曜の夜もうなされていたが、翌朝確認すると自覚していないようだった、とのことだった。

 カウンセラーが心理学の専門医を呼びにいった後、おまえの気配が揺れたのを感じた。

 河内(かわち)警視正に絡まれた時と同じ、恐怖を感じたかのような揺らぎ方だったから、看護師と共に様子を見にきたら、おまえはうなされながら泣いていた。

 看護師が何度呼んでも反応せず、泣き続けていた。

 俺の声には反応したし涙も止まったが、正気には戻らず、うつろな目をして、感情の抜け落ちた顔でぼんやりとしていた。

 おまえを」

 言葉を切った吹田さんは、ぎゅうっと私を抱きしめる。

「……おまえを失ってしまったのかと思った……」

 せつない声に、ふいに思いだす。



「『愛してる』って、聞こえたんです」

 ぴくっと、吹田さんの肩が揺れる。

「ずっと、夢だと思ってたんです。

 吹田さんが優しくしてくれる、いい夢だったから、このままずっと夢を見ていたいなって。

 でも、『愛してる』って言われて、びっくりして、目が覚めたんです。

 ……全部、夢じゃなくて現実だったなら、『愛してる』も、……ほんとに、吹田さんが言ってくれたんですか……?」

 自分で言いながら、なんだか自信なくなってくる。

 ほんとだったなら、嬉しいけど。

 言いたくても言えないんだって、無理だって、前に言ってたし。

 アレはさすがに、夢っていうか、妄想かな……。

 現実を自分に都合のいい妄想で補完しちゃうのは、オタクの悪い癖だね。

「すみません、私の妄想で」

「いや」

 短い言葉で遮られて、思わず口を閉じる。

 


 ゆっくり腕をといた吹田さんは、おでこを合わせるようにして私を見つめる。

「本当で、本心で、本気だ」

「え……?」

「おまえのことになると、平常心を保てないほどに。

 おまえのためなら、土下座でもなんでもすると思えるほどに。

 おまえを失うことが、耐えられないと思うほどに。

 言えなかった言葉ですら、言えるようになるほどに。

 おまえを、愛している」

 はっきり言った吹田さんは、ゆっくり顔を近づける。

 唇に、優しい感触。

 すぐそばから私を見つめる瞳が、甘くとろける。



美景(みひろ)

「……はい……?」

 現実のはずなのに、頭がついていけなくて、ぼんやり答える。

「俺と結婚してほしい」

 …………え?

「仕事柄、おまえより先に死なないとも、おまえをひとりにしないとも、約束はできない。

 それでも、生きている限りはずっとおまえを守るし、おまえだけを愛し続けると誓う。

 だから、俺と結婚してほしい」

「…………」

 おかしいな、私、また寝ちゃった?

 さっきからずっと全部夢で、これも夢の続きなのかな。

 でも、夢だとしても、吹田さんはそんなこと言わないよね。

 


「返事をしてくれ」

 そっと頬を撫でられて、びくっとする。

「え、でも、だって……え? 

 ……あ、刑事部長に、責任取って結婚するって、約束したからですか……?」

 さっき、そんなようなこと、言ってたよね。

「確かに刑事部長にはそう言ったし、責任を取りたいというのも本心だ。

 だがそれは、おまえを愛しているからだ。

 つきあうと決めた日の夜の電話で、おまえが『罪滅ぼしでつきあうより、慰謝料払うから弁護士から連絡させるって言うほうが似合いそう』と言っただろう。

 人質にされて負傷したのがおまえでなければ、そうしていた。

 おまえだから、責任を取りたいし、結婚したいんだ」

「…………えーっと」

 ダメだ、頭が動いてない。

 どうしたらいいんだろ。

 いったん保留にできないかな。



 じっと私を見つめてた瞳が、せつなげに揺れる。

「俺とは、結婚したくないか?

 何度もおまえを危険な目に遭わせて、恐い思いをさせた俺を、許せないか?」

「あ、いえ、そうじゃなくて。

 吹田さんのことは好きだし、一緒にいられると嬉しいけど、でも、結婚したいとかは、思ったことないんです。

 そもそも、結婚するってこと自体、考えたことなくて。

 ずっとオタクで、趣味に没頭して生きてきたし、これからもそのつもりだったし。

 実家暮らしが楽すぎて、家を出たいとか、自分の家庭を持ちたいとか思ったこともないし。

 だから、急にそんなこと言われても、……よくわかんないです……」

 なんとか言葉にすると、吹田さんは苦笑した。

「そうだな、急ぎすぎて悪かった」

 優しい手つきで頭を撫でられて、ほっとする。



美景(みひろ)

「はい……」

「俺はおまえを愛していて、結婚したいと思っている。

 返事を急かしはしないし無理強いもしないが、諦めもしない。

 それだけは、理解しておいてくれ」

 吹田さんは甘い声で囁いて、やわらかく微笑んだ。

「~~~っ」

 もうもうもうもう……!

 タラシモード、心臓に悪すぎ……!

 言ってもらえるのは嬉しいけど、そこまでパワーアップされたら、私の心臓がもたない……!

 ジタバタ暴れながら叫びたくなるのをなんとかこらえて、吹田さんの肩に頬を押しつけてぎゅうぎゅう抱きつくと、笑ったような吐息が耳元に落ちた。

 ふんわり抱きしめられて、優しく頭を撫でられる。

 それだけで、嬉しくなる。

 やっぱり私、吹田さんが好き。

 ずっと一緒にいたい。

 でも、それなら、今までと同じだよね。

 恋人なだけじゃ、ダメなのかな。



「恋人でも一緒にいられるのに、結婚、したいのは、どうしてですか……?」

「恋人では、立場が弱いからだ」

「立場……?」

「ああ。

 法的には、恋人は他人と同じだ。

 たとえば、おまえに何かあった時、真っ先に連絡がいくのは家族だ。

 今のように入院している時、家族なら見舞いが許されても、恋人では許されないことも多い。

 夫という立場なら、おまえのそばにいて、おまえを守る正当な権利と資格を得られる。

 だから、結婚してほしいんだ」

 そっか……。

 ……もし吹田さんが仕事中にケガをして、入院したとして。

 連絡はシロさんがくれるだろうけど、【同志】(なかま)がいる病院じゃなかったら、お見舞いにいけないかもしれない。

 でも、結婚してたら、妻の立場なら、どこでだって許される。

 どんなに遠くに異動になっても、どんなに出世しても、妻なら、ついていけるし、家で待っていられる。

 だったら。



 ゆっくり顔を上げて、吹田さんを見つめる。

「私、オタクだし、庶民だし、家事もヘタだけど。

 吹田さんの一番近くにいていい権利をもらう方法が、結婚なら。

 吹田さんを一生好きでいていい資格をもらえるのが、奥さんなら。

 私を」

 言いかけて、気づく。

 吹田さんは、ちゃんと言ってくれた。

 だから、私も言わなきゃ。

 ぎゅっと拳を握って、深呼吸。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 よしっ。

 気合を入れて、言葉にする。



「私も、公明(きみあき)さんが、好き。

 ずっと一緒にいたい。

 だから、私を公明さんの奥さんにしてください」



 まじまじと私を見つめた吹田さんは、幸せそうに笑ってうなずいた。

次話から婚約者編です。

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