大事なことは言葉にして伝えよう⑥
「昼寝をしてからのことは、どれぐらいおぼえている」
「えっと……」
静かな問いかけに、しばらく考える。
「……なんか、吹田さんにいろいろ言われた気がするんですけど、夢だと思ってたんで、なんか曖昧で……ぶっちゃけ、ほとんとおぼえてないです」
最後に『愛してる』って言われた気がするけど、吹田さんがそんなこと言うはずないから、やっぱり夢だよね。
「……そうか」
吹田さんは小さくうなずく。
「……まず、謝罪したいことが二つある。
俺の不手際でおまえに恐い思いをさせて、ケガを負わせたこと。
何度も連絡をくれたのに、返事をしなかったこと。
すまなかった」
深く頭を下げられて、あわててぱたぱた手を振る。
「あの、それはもういいんで。
でも、責任取って結婚するって、どうしてですか?
なのに、どうして私には何も言ってくれなかったんですか?」
ゆっくり頭を上げた吹田さんは、私を見つめる。
「順番に説明するが、……手を、握ってもいいか」
「え、あ、はい」
手をさしだすと、指をからめるようにしてやわらかく握ってくれる。
「ありがとう」
「いえ……」
なんか、改めてお礼言われると恥ずかしいな。
「容疑者を確保し、真白をおまえに付き添わせて病院に向かわせた後、警視庁に戻って刑事部長に報告した。
現場にいた一課の者の中には、おまえを知っている者もいたから、おまえの身元は隠さずに伝えた。
刑事部長は、『人質にされ負傷したのが民間人ではなく事務員で良かったが、念の為に一課の若いのを適当に宛がって黙らせておけ』と言った」
……えーっと。
「『黙らせておけ』って、どういう意味ですか?」
「事務員は離職率が高い。
辞めた後でゴシップ誌などによけいな情報を洩らさないように、刑事と結婚させて身内として取りこんでおけ、ということだ」
「……えっ!?」
なんでそんな、口封じみたいな話になるの!?
「あの、私、今のところ辞める気はないし、辞めたとしても何も話しませんけど!?」
「わかっている」
吹田さんは、なだめるように握った手の甲を撫でてくれる。
「俺はわかっているが、保身しか考えていない年寄りには通じない。
だから、『傷物にした責任を取って俺が結婚する』と伝えた。
おまえの母親にまず言ったのは、他から手を回される前に牽制する為だ」
つまり、私を守るため、だったんだ。
「……でも、じゃあ、どうして、私にそう教えてくれなかったんですか?」
私の問いかけに、吹田さんはゆっくりと目を伏せる。
「……俺の不手際で、おまえにケガをさせた。
自分が情けなくて、合わせる顔がなかった。
……すまない」
あー、なんかそんなようなこと、夢の中でも聞いたような……。
あ、そういえば。
「すみません、ちょっと話がそれるんですけど、質問していいですか」
「ああ。なんだ」
「あの時、私が止めなかったら、ほんとに土下座したんですか?」
「ああ」
即答されて、びっくりする。
「でも、あんなに、見てる人がいたのに。
それに、言う通りにしたって、ほんとに私を解放してくれたか、わからないのに」
大勢の部下の前で、犯罪者の言いなりになって土下座して、なのに意味なかったってなったら、プライド粉々だよね。
「そうだな。
だから、俺が注意を引きつけている間に、背後から取り押さえるよう部下に指示していた」
「あー、じゃあ、土下座するフリ、だったんですね」
そうだよね、いくらなんでも、するわけないよね。
膝をついたあたりで止まったら、たぶんあの容疑者は吹田さんだけを見ながら、できないのかって煽ってきただろうから、その隙を狙わせるつもりだったんだ。
「いや、本当にするつもりだった。
そのほうが、あの容疑者は油断しそうだったからな」
「えっ!?」
なんで!?
ほんとにする意味ないよね!?
「俺の不手際でおまえが人質にされたのだから、無事救出するために最善を尽くすのは当然のことだ」
吹田さんは、ほんとに当然だと思ってる口調で言う。
……ああ、そうだった。
吹田さんは、あの男が言うような、プライド高いだけのエリートじゃない。
ちゃんと実力もあって、努力もしてる、ほんとのエリートだから。
自分のプライドより人質の命のほうが優先って、考えられる人なんだ。
たぶん、人質が私じゃなかったとしても、土下座したんだろうな。
それでも、嬉しい。
「吹田さん」
「なんだ」
「抱きついていいですか」
吹田さんは軽く目を見開いて、かすかに笑う。
「ああ」
「ありがとうございます」
もそもそ動いて体を寄せて、ななめからぎゅっと抱きつくと、ふんわり抱きしめられた。
肩に頬をすりすりすると、スーツの生地のスベスベした感触が伝わる。
「相変わらず、猫のようだな」
優しい声で言った吹田さんは、絆創膏の端を指先でそっと撫でる。
……あれ。
さっきの夢と、同じ。
ということは、さっきの夢って、やっぱり夢じゃなかった……?
「どうした」
「……さっき、夢の中で、同じようにされたなあって、思って。
でも、どこまでが夢で、どこからが現実なのか、よくわかんなくて……」
全部現実、だったのかな。
「昼寝をして、……恐い夢を見たことは、おぼえているか」
静かな声が、記憶を揺らす。
「ぁ……」
紫と銀の光が脳裏でちらついて、体だけじゃなく心まで凍りつく。
目の前の景色が色を失って、黒ずんでいく。
「美景」
静かだけど強い声が、私を呼ぶ。
びくっとして瞬きすると、色が戻った。
「もう大丈夫だ」
ふんわり抱きしめられて、背中を撫でられる。
シトラスの香りがした。
ああ……。
そうだった。
ここにいれば、恐くない。
吹田さんがいるから。
吹田さんが『大丈夫』って言ってくれるから。
恐くない。
大丈夫。
「……はい」
体の力を抜いてもたれかかると、吹田さんはしっかり支えてくれる。
大きくため息をつくと、体と心を凍らせた冷たいものが、全部出ていった気がした。
スーツの布地越しに伝わる体温が、私をあたためてくれる。
ようやく気持ちがおちつくと、気になったことがあった。
「……どうして、私が恐い夢を見たって、わかったんですか……?」
「午前中に、心理テストを受けただろう」
優しく頭を撫でられて、小さくうなずく。
「はい……」
「そのテストで、PTSDを発症しているという診断が出たらしい」
「え……」
映像を見て、感じたことを四択で答えるだけだったのに、そんなのわかるんだ。
じゃあ、さっきの、紫と銀がちらついて、心が凍りつく感じ。
アレが、フラッシュバックなんだ。
恐い夢は、アレがずっと続いてた感じだった。
「病院から連絡を受けたカウンセラーが、おまえと面談して、解離症状が出ていて危険な状態だと、俺に電話してきた。
アフターケアを怠った俺の責任だと呼びつけられて、詰所で話を聞いた」
カウンセラーって、ボンさんだよね。
突然来たの、そんな理由だったんだ。
解離症状って、記憶がトんでたあれかな。
吹田さんを呼びつけるって、ボンさんすごいな。
うーん、久しぶりにツッこみが追いつかない。
「看護師の話では、土曜の夜も日曜の夜もうなされていたが、翌朝確認すると自覚していないようだった、とのことだった。
カウンセラーが心理学の専門医を呼びにいった後、おまえの気配が揺れたのを感じた。
河内警視正に絡まれた時と同じ、恐怖を感じたかのような揺らぎ方だったから、看護師と共に様子を見にきたら、おまえはうなされながら泣いていた。
看護師が何度呼んでも反応せず、泣き続けていた。
俺の声には反応したし涙も止まったが、正気には戻らず、うつろな目をして、感情の抜け落ちた顔でぼんやりとしていた。
おまえを」
言葉を切った吹田さんは、ぎゅうっと私を抱きしめる。
「……おまえを失ってしまったのかと思った……」
せつない声に、ふいに思いだす。
「『愛してる』って、聞こえたんです」
ぴくっと、吹田さんの肩が揺れる。
「ずっと、夢だと思ってたんです。
吹田さんが優しくしてくれる、いい夢だったから、このままずっと夢を見ていたいなって。
でも、『愛してる』って言われて、びっくりして、目が覚めたんです。
……全部、夢じゃなくて現実だったなら、『愛してる』も、……ほんとに、吹田さんが言ってくれたんですか……?」
自分で言いながら、なんだか自信なくなってくる。
ほんとだったなら、嬉しいけど。
言いたくても言えないんだって、無理だって、前に言ってたし。
アレはさすがに、夢っていうか、妄想かな……。
現実を自分に都合のいい妄想で補完しちゃうのは、オタクの悪い癖だね。
「すみません、私の妄想で」
「いや」
短い言葉で遮られて、思わず口を閉じる。
ゆっくり腕をといた吹田さんは、おでこを合わせるようにして私を見つめる。
「本当で、本心で、本気だ」
「え……?」
「おまえのことになると、平常心を保てないほどに。
おまえのためなら、土下座でもなんでもすると思えるほどに。
おまえを失うことが、耐えられないと思うほどに。
言えなかった言葉ですら、言えるようになるほどに。
おまえを、愛している」
はっきり言った吹田さんは、ゆっくり顔を近づける。
唇に、優しい感触。
すぐそばから私を見つめる瞳が、甘くとろける。
「美景」
「……はい……?」
現実のはずなのに、頭がついていけなくて、ぼんやり答える。
「俺と結婚してほしい」
…………え?
「仕事柄、おまえより先に死なないとも、おまえをひとりにしないとも、約束はできない。
それでも、生きている限りはずっとおまえを守るし、おまえだけを愛し続けると誓う。
だから、俺と結婚してほしい」
「…………」
おかしいな、私、また寝ちゃった?
さっきからずっと全部夢で、これも夢の続きなのかな。
でも、夢だとしても、吹田さんはそんなこと言わないよね。
「返事をしてくれ」
そっと頬を撫でられて、びくっとする。
「え、でも、だって……え?
……あ、刑事部長に、責任取って結婚するって、約束したからですか……?」
さっき、そんなようなこと、言ってたよね。
「確かに刑事部長にはそう言ったし、責任を取りたいというのも本心だ。
だがそれは、おまえを愛しているからだ。
つきあうと決めた日の夜の電話で、おまえが『罪滅ぼしでつきあうより、慰謝料払うから弁護士から連絡させるって言うほうが似合いそう』と言っただろう。
人質にされて負傷したのがおまえでなければ、そうしていた。
おまえだから、責任を取りたいし、結婚したいんだ」
「…………えーっと」
ダメだ、頭が動いてない。
どうしたらいいんだろ。
いったん保留にできないかな。
じっと私を見つめてた瞳が、せつなげに揺れる。
「俺とは、結婚したくないか?
何度もおまえを危険な目に遭わせて、恐い思いをさせた俺を、許せないか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて。
吹田さんのことは好きだし、一緒にいられると嬉しいけど、でも、結婚したいとかは、思ったことないんです。
そもそも、結婚するってこと自体、考えたことなくて。
ずっとオタクで、趣味に没頭して生きてきたし、これからもそのつもりだったし。
実家暮らしが楽すぎて、家を出たいとか、自分の家庭を持ちたいとか思ったこともないし。
だから、急にそんなこと言われても、……よくわかんないです……」
なんとか言葉にすると、吹田さんは苦笑した。
「そうだな、急ぎすぎて悪かった」
優しい手つきで頭を撫でられて、ほっとする。
「美景」
「はい……」
「俺はおまえを愛していて、結婚したいと思っている。
返事を急かしはしないし無理強いもしないが、諦めもしない。
それだけは、理解しておいてくれ」
吹田さんは甘い声で囁いて、やわらかく微笑んだ。
「~~~っ」
もうもうもうもう……!
タラシモード、心臓に悪すぎ……!
言ってもらえるのは嬉しいけど、そこまでパワーアップされたら、私の心臓がもたない……!
ジタバタ暴れながら叫びたくなるのをなんとかこらえて、吹田さんの肩に頬を押しつけてぎゅうぎゅう抱きつくと、笑ったような吐息が耳元に落ちた。
ふんわり抱きしめられて、優しく頭を撫でられる。
それだけで、嬉しくなる。
やっぱり私、吹田さんが好き。
ずっと一緒にいたい。
でも、それなら、今までと同じだよね。
恋人なだけじゃ、ダメなのかな。
「恋人でも一緒にいられるのに、結婚、したいのは、どうしてですか……?」
「恋人では、立場が弱いからだ」
「立場……?」
「ああ。
法的には、恋人は他人と同じだ。
たとえば、おまえに何かあった時、真っ先に連絡がいくのは家族だ。
今のように入院している時、家族なら見舞いが許されても、恋人では許されないことも多い。
夫という立場なら、おまえのそばにいて、おまえを守る正当な権利と資格を得られる。
だから、結婚してほしいんだ」
そっか……。
……もし吹田さんが仕事中にケガをして、入院したとして。
連絡はシロさんがくれるだろうけど、【同志】がいる病院じゃなかったら、お見舞いにいけないかもしれない。
でも、結婚してたら、妻の立場なら、どこでだって許される。
どんなに遠くに異動になっても、どんなに出世しても、妻なら、ついていけるし、家で待っていられる。
だったら。
ゆっくり顔を上げて、吹田さんを見つめる。
「私、オタクだし、庶民だし、家事もヘタだけど。
吹田さんの一番近くにいていい権利をもらう方法が、結婚なら。
吹田さんを一生好きでいていい資格をもらえるのが、奥さんなら。
私を」
言いかけて、気づく。
吹田さんは、ちゃんと言ってくれた。
だから、私も言わなきゃ。
ぎゅっと拳を握って、深呼吸。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
よしっ。
気合を入れて、言葉にする。
「私も、公明さんが、好き。
ずっと一緒にいたい。
だから、私を公明さんの奥さんにしてください」
まじまじと私を見つめた吹田さんは、幸せそうに笑ってうなずいた。
次話から婚約者編です。




