大事なことは言葉にして伝えよう⑤
月曜日、朝食の後は急にあわただしくなった。
診察、手当て、MRI検査、採血数回、映像を見て四択で答える変な心理テストまでやらされた。
犯罪被害者には必ず受けてもらう心理テストだって言われたけど、前の時はボンさんと話しただけで、そんな検査受けなかったけどなあ。
寝不足だし気持ちがどんよりしてたうえに、あちこち連れ回されて、血も抜かれて、すごく疲れた。
昼食の後、昼寝しようかと思ってたら、ボンさんが来た。
「こんにちは~お見舞いにきたわよ~。
はいこれ手土産~」
にこやかに言って紙袋を渡されて、きょとんとする。
「え、ボンさん今日は仕事ですよね?
どうしたんですか?」
「どうしてって、月曜の午後はミケちゃんとの面談じゃない」
「そりゃそうですけど……」
「だから話を聞きにきたのよ~」
ボンさんはにっこり笑う。
「あー……」
つまり、来週まで待ってられなかったってことかな。
もしかして、吹田さんが責任取るって言った話を、どこかから聞いたのかも。
「ケガはもう良くなったの?」
「あ、はい。もうだいじょぶです」
傷はだいぶふさがって、ようやく包帯とガーゼが取れて、ぶあつい絆創膏だけになった。
これで寝るのも顔を洗うのも髪を梳くのも楽になる。
こめかみの絆創膏を見たボンさんは、優しく上から撫でてくれる。
「そう、よかったわ。
じゃあ、ゆっくり話を聞かせてね」
あー、結局そうなるんだ。
「わかりましたー」
「ありがと~」
応接セットで向かいあって座って、ボンさんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、お持たせのお菓子を食べる。
「これ、美味しいですね」
「でしょー?
私の最近のイチ押しなのよ~」
しばらく雑談して、紅茶のおかわりをそそいでから、ボンさんがにっこり笑う。
「さてじゃあ、そろそろ聞かせてもらおうかしら~」
「あー、はい」
苦笑しながら、頭の中で順番を整理する。
ボンには、お見合いモドキの話はしてなかったっけ。
「始まりは、伯母さんに頼まれたお見合いモドキで……」
記憶をたどりながら、ぽつぽつ話す。
「……で、いまだに吹田さんから連絡ないんです」
「なるほどねえ……」
ボンさんはゆっくりうなずいて、紅茶を一口飲む。
「それにしてもミケちゃん、災難が続くわね~。
この半年の間に、何度も変なのに絡まれたり、人質にされたりで、恐い思いしたわね~」
「あはは、そうですね~」
私、トラブルメーカーじゃないと思ってたんだけど、否定できなくなってきたなあ。
「でも、いつも吹田さんが助けてくれましたし、『もう大丈夫だ』って」
「ミケちゃん!」
「……え?」
耳元で聞こえた声に、びくっとする。
向かいのソファに座ってたボンさんが、いつの間にか隣にいて、心配そうなカオで私をのぞきこんでた。
「どうしたの? どこか痛むの?」
「え、あれ……?
私、今、寝てました……?」
なんか、記憶トんでる。
なんの話をしてたんだっけ……?
じっと私を見つめたボンさんは、優しいカオで言う。
「寝不足のせいかしら。
吹田さんからの連絡を待ってて、あんまり眠れなかったんでしょ?」
「……はい」
「午前中は検査続きで、疲れちゃったわよね。
そんな時に来ちゃってごめんね~」
「あー、いえ……」
「私はもう帰るから、ミケちゃんは昼寝してちょうだい」
そういえば、昼寝しようと思ってたんだった。
「ほら、いきましょ」
「はい……」
肩を抱いて促されて、ゆっくり立ちあがって、ベッドに入った。
横向きになって、枕元に置いてたテディガールを取って、ぎゅっと抱きしめる。
お茶のコップをささっと片付けたボンさんは、ベッドに近づいてきて、私の顔をのぞきこむ。
「また来るわね。
看護師さんに、ミケちゃんはお昼寝するから邪魔しないであげてって、言っておくから。
ゆっくり眠ってね」
「……はい」
「おやすみ、ミケちゃん」
優しく頭を撫でて囁かれて、目を閉じた。
「おやすみなさい……」
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「ミケさん、聞こえますか」
声が聞こえる。
「ミケさん、返事してください」
でも、違う。
「大丈夫ですよ、もう大丈夫ですからね」
ぎゅっと誰かに抱きしめられる。
消毒薬のにおい。
違う。
「ミケさん」
違う……!
「美景」
静かだけど強い声が、意識を揺らす。
「もう大丈夫だ」
ふんわり抱きしめられる。
背中を優しく撫でられる。
シトラスの香りがした。
あ……。
コレだ。
私が待ってたもの。
その声が聞きたかった。
そのぬくもりがほしかった。
その香りに包まれたかった。
だって。
私は。
あの時からずっと。
恐かった。
恐い思いをするたびに、いつも吹田さんが助けてくれた。
優しく抱きしめてくれた。
『もう大丈夫』だって言ってくれた。
だから、いつも安心できた。
なのに。
今回は、何も言ってくれない。
会いにきてくれない。
どうして。
ずっと恐くて、つらくて、悲しくて。
眠るたびにうなされて。
恐くて。
恐くて。
恐かった。
「恐い思いをさせてすまなかった。
もう大丈夫だ。
俺が、ここにいる。
もう何も恐くない。
大丈夫だ」
何度もくり返しながら、背中を撫でてくれる。
優しい声に、優しい手つきに、優しいぬくもりに、少しずつ恐怖が溶けていく。
こわばってた体から力が抜けて、大きく息を吐いた。
ゆっくり目を開ける。
なぜかぼやけてた視界は、何度か瞬きするとクリアになった。
指先でそっと目元を撫でられて、ようやく泣いてたことに気づく。
あれ……?
何か、違和感があるのに、それが何かわからない。
私、どうして泣いてたんだっけ……?
「美景」
優しい声が私を呼ぶ。
私をそう呼ぶのは、ひとりだけ。
呼んでほしいのも、ひとりだけ。
だけど、ここにはいないはずの人。
でも、じゃあ、指先でそっと絆創膏の端を撫でてるこの人は、誰……?
ゆっくり顔を上げる。
すぐそばから優しいまなざしで私を見てたのは、やっぱり吹田さんだった。
「美景。どうした」
……ああ、そっか。
夢かあ……。
「美景」
何度メッセージを送っても、返信すらくれなかった。
吹田さんがここにいるわけない。
優しく抱きしめてくれるはずない。
だから、これは、私に都合のいい夢。
「美景……」
そっと腕がゆるめられて、頬を包むように手を添えられた。
優しい力で上向かされて、おでこを合わせるように目をのぞきこまれる。
いつの間にか眼鏡がなくなってて、すぐそばから私を見るまなざしは、せつない色をしてた。
「恐い思いをさせて、すまなかった。
そばにいてやれなくて、すまなかった。
何度も連絡をくれたのに応えなくて、すまなかった。
何度でも、おまえが許してくれるまで謝る。
だから……戻ってきてくれ……」
声もせつなくて、懇願するような響きだった。
どうして、そんなこと言うんだろ。
私の夢なのに。
「ロビーで会った時、つまらない嫉妬にとらわれずに、すぐに離れるよう伝えていれば。
階段で目が合った時、大声を出さなければ。
人質にされた時、容疑者確保ではなく、おまえを助けだすことを優先していれば。
恐い思いをさせることも、痛い思いをさせることもなかった。
全て、俺の不甲斐なさが原因だ。
……十歳の時から今まで、あいつの遺言を守るために努力を重ねて、少しは強い男になれたつもりでいた。
だが、いまだに俺は弱く情けないままで、誰より守りたいおまえを傷つけた。
合わせる顔がなくて、連絡できずにいて……そのせいで、よけいおまえを苦しめた。
今までは平気だったからと軽く考えて、おまえが必死に恐怖に抗いながら、俺に助けを求めていたことに気づかなかった。
すまなかった。
今度こそ間違えない。
絶対におまえを守るから、もう一度だけ、やり直す機会をくれ」
せつない声は、聞こえてたけど、意識を素通りしてた。
「美景……」
苦しそうにかすれた声が、私を呼ぶ。
「おまえの優しさに甘えて、ずっと言わずにいた。
言葉にすることで、おまえを失うのが恐かった。
だが、……言葉にしなかったから、おまえを失ってしまうのか。
おまえにはもう、俺の言葉は届かないのか」
悲しそうに揺れる瞳が、私を見つめる。
「おまえに初めて会った時、感情がすぐ顔に出る素直さに驚いた。
感情を抑えることに慣れきっていた俺にはないまっすぐさが、好ましく思えた。
会うたびに、おまえに惹かれた。
笑ったり悩んだりあせったり喜んだり、くるくると変わる表情を見ているのが楽しかった。
楽しいという感情が俺にも残っていたのだと、気づかせてくれた。
……おまえのおかげで、俺は感情を取り戻せたのに。
俺のせいで、おまえは感情を失ってしまったのか」
頬を包む手が、優しく撫でる。
「頼む……もう一度俺を見てくれ。
もう一度笑ってくれ。
俺にできることなら、なんでもする。
おまえを失いたくない。
おまえを………………」
言葉がとぎれて、ぎゅうっと抱きしめられる。
「愛しているんだ」
「……えっ!?」
え、今、……え!?
ちょっと待って。
なんかありえない幻聴が聞こえたような……。
……あれ。
私、何してたんだっけ。
「美景」
腕をゆるめた吹田さんが、私の顔をのぞきこむ。
「俺が、わかるか」
「え、吹田さん、ですよね……え? あれ?」
何がなんだかわからなくなって、混乱する。
ボンさんが来て、話をして、昼寝して、声がして……。
え!?
どこまでが現実で、どこまでが夢?
あわあわしてると、痛いぐらいに強く抱きしめられる。
「吹田さん……?」
「……よかった……」
ひとりごとみたいな、小さな声が耳元に落ちる。
えーっと。
とりあえず、これは現実、だよね。
おそるおそる手を上げて、吹田さんの背中に回す。
なんかよくわかんないけど、やっと会いにきてくれたんだ。
よかった。
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しばらくして、吹田さんはゆっくり腕をといて体を離した。
「すまない、取り乱した」
静かなカオでそう言われると、違和感すごいなあ。
「あー、いえ、えっと……状況がよくわかんないんですけど……」
「……そうか」
小さくうなずいた吹田さんは、私の髪を梳くように撫でて整えてくれる。
いまさら気づいたけど、ベッドに起きあがった状態で、まんなかあたりに腰掛けた吹田さんに抱きしめられてた。
ということは、昼寝したとこまでは、現実……?
「少し待っていてくれ」
「あ、はい」
「ありがとう」
私の頬をそっと撫でてから、吹田さんは立ちあがった。
付き添いの人用の小部屋に入っていくのを、ぼんやり見送る。
ふと時計を見ると、三時すぎだった。
一時間ぐらい昼寝してたのかな。
しばらくして戻ってきた吹田さんは、手にマグカップと水のペットボトルを持ってた。
「飲んでおけ」
「あ、はい」
さしだされたマグカップを受けとると、中身は水みたいだけど、ほんのりあったかかった。
レンジかけたのかな。
真夏だけど冷房効いてるから、ぬるま湯がちょうどいい感じ。
一口ずつ、ゆっくり飲んでいく。
吹田さんは、元の位置に座って、黙って私を見てた。
「……仕事、いいんですか?」
会いにきてくれたのは嬉しいけど、今って仕事中の時間だよね。
眼鏡ははずしてるけど、スーツだから、オフじゃなくて仕事のはず。
「後始末の目途はついたから、かまわない」
「そうですか……」
静かな答えに、曖昧にうなずく。
吹田さんがいいって言うなら、いいのかな。
黙ったまま、お湯を全部飲み干す。
昼寝しただけなのに、けっこう喉渇いてたかも。
「おかわりはいるか」
「いえ、ありがとうございました」
手をさしだされたから、マグカップを渡す。
吹田さんはキャスター付きのサイドテーブルを引き寄せて、そこにマグカップとペットボトルを置いた。
「ベッドを少し動かすぞ」
「え、はい」
なんだろ。
吹田さんがベッドの横で何か操作すると、ベッドの上半分がゆっくり持ちあがってくる。
え、こんなことできたんだ。
……そういえば、初日の夜に説明聞いた気がするけど、いろんな機能をいっぺんに説明されたから、おぼえきれなくて、忘れてた。
ベッドがソファの背もたれぐらいの角度になると、枕を背中との間に入れてくれる。
「これでいいか」
「えっと、ちょっと待ってくださいね」
もそもそ動いて、ちょうどいい位置を探してもたれる。
うん、ばっちり。
「だいじょぶです、ありがとうございます」
「ああ」
吹田さんは私の太腿の横あたりに、私のほうを向いて座った。




