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エリート×オタクの恋はいろいろ大変です!  作者: 香住なな
第二部 恋人編
66/93

大事なことは言葉にして伝えよう⑤

 月曜日、朝食の後は急にあわただしくなった。

 診察、手当て、MRI検査、採血数回、映像を見て四択で答える変な心理テストまでやらされた。

 犯罪被害者には必ず受けてもらう心理テストだって言われたけど、前の時はボンさんと話しただけで、そんな検査受けなかったけどなあ。

 寝不足だし気持ちがどんよりしてたうえに、あちこち連れ回されて、血も抜かれて、すごく疲れた。

 昼食の後、昼寝しようかと思ってたら、ボンさんが来た。

「こんにちは~お見舞いにきたわよ~。

 はいこれ手土産~」

 にこやかに言って紙袋を渡されて、きょとんとする。

「え、ボンさん今日は仕事ですよね?

 どうしたんですか?」

「どうしてって、月曜の午後はミケちゃんとの面談じゃない」

「そりゃそうですけど……」

「だから話を聞きにきたのよ~」

 ボンさんはにっこり笑う。

「あー……」

 つまり、来週まで待ってられなかったってことかな。

 もしかして、吹田さんが責任取るって言った話を、どこかから聞いたのかも。

「ケガはもう良くなったの?」

「あ、はい。もうだいじょぶです」

 傷はだいぶふさがって、ようやく包帯とガーゼが取れて、ぶあつい絆創膏だけになった。

 これで寝るのも顔を洗うのも髪を梳くのも楽になる。

 こめかみの絆創膏を見たボンさんは、優しく上から撫でてくれる。

「そう、よかったわ。

 じゃあ、ゆっくり話を聞かせてね」

 あー、結局そうなるんだ。

「わかりましたー」

「ありがと~」



 応接セットで向かいあって座って、ボンさんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、お持たせのお菓子を食べる。

「これ、美味しいですね」

「でしょー?

 私の最近のイチ押しなのよ~」

 しばらく雑談して、紅茶のおかわりをそそいでから、ボンさんがにっこり笑う。

「さてじゃあ、そろそろ聞かせてもらおうかしら~」

「あー、はい」

 苦笑しながら、頭の中で順番を整理する。

 ボンには、お見合いモドキの話はしてなかったっけ。

「始まりは、伯母さんに頼まれたお見合いモドキで……」

 記憶をたどりながら、ぽつぽつ話す。



「……で、いまだに吹田(すいた)さんから連絡ないんです」

「なるほどねえ……」

 ボンさんはゆっくりうなずいて、紅茶を一口飲む。

「それにしてもミケちゃん、災難が続くわね~。

 この半年の間に、何度も変なのに絡まれたり、人質にされたりで、恐い思いしたわね~」

「あはは、そうですね~」

 私、トラブルメーカーじゃないと思ってたんだけど、否定できなくなってきたなあ。

「でも、いつも吹田さんが助けてくれましたし、『もう大丈夫だ』って」



「ミケちゃん!」

「……え?」

 耳元で聞こえた声に、びくっとする。

 向かいのソファに座ってたボンさんが、いつの間にか隣にいて、心配そうなカオで私をのぞきこんでた。

「どうしたの? どこか痛むの?」

「え、あれ……? 

 私、今、寝てました……?」

 なんか、記憶トんでる。

 なんの話をしてたんだっけ……?

 じっと私を見つめたボンさんは、優しいカオで言う。

「寝不足のせいかしら。

 吹田さんからの連絡を待ってて、あんまり眠れなかったんでしょ?」

「……はい」

「午前中は検査続きで、疲れちゃったわよね。

 そんな時に来ちゃってごめんね~」

「あー、いえ……」

「私はもう帰るから、ミケちゃんは昼寝してちょうだい」

 そういえば、昼寝しようと思ってたんだった。



「ほら、いきましょ」

「はい……」

 肩を抱いて促されて、ゆっくり立ちあがって、ベッドに入った。

 横向きになって、枕元に置いてたテディガールを取って、ぎゅっと抱きしめる。

 お茶のコップをささっと片付けたボンさんは、ベッドに近づいてきて、私の顔をのぞきこむ。

「また来るわね。

 看護師さんに、ミケちゃんはお昼寝するから邪魔しないであげてって、言っておくから。

 ゆっくり眠ってね」

「……はい」

「おやすみ、ミケちゃん」

 優しく頭を撫でて囁かれて、目を閉じた。

「おやすみなさい……」

 

-----------------


「ミケさん、聞こえますか」

 声が聞こえる。

「ミケさん、返事してください」

 でも、違う。

「大丈夫ですよ、もう大丈夫ですからね」

 ぎゅっと誰かに抱きしめられる。

 消毒薬のにおい。

 違う。

「ミケさん」

 違う……!



美景(みひろ)



 静かだけど強い声が、意識を揺らす。

「もう大丈夫だ」

 ふんわり抱きしめられる。

 背中を優しく撫でられる。

 シトラスの香りがした。

 あ……。

 コレだ。

 私が待ってたもの。

 その声が聞きたかった。

 そのぬくもりがほしかった。

 その香りに包まれたかった。

 だって。

 私は。

 あの時からずっと。

 恐かった。



 恐い思いをするたびに、いつも吹田さんが助けてくれた。

 優しく抱きしめてくれた。

 『もう大丈夫』だって言ってくれた。

 だから、いつも安心できた。

 なのに。

 今回は、何も言ってくれない。

 会いにきてくれない。

 どうして。

 ずっと恐くて、つらくて、悲しくて。

 眠るたびにうなされて。

 恐くて。

 恐くて。

 恐かった。



「恐い思いをさせてすまなかった。

 もう大丈夫だ。

 俺が、ここにいる。

 もう何も恐くない。

 大丈夫だ」

 何度もくり返しながら、背中を撫でてくれる。

 優しい声に、優しい手つきに、優しいぬくもりに、少しずつ恐怖が溶けていく。

 こわばってた体から力が抜けて、大きく息を吐いた。



 ゆっくり目を開ける。

 なぜかぼやけてた視界は、何度か瞬きするとクリアになった。

 指先でそっと目元を撫でられて、ようやく泣いてたことに気づく。

 あれ……?

 何か、違和感があるのに、それが何かわからない。

 私、どうして泣いてたんだっけ……?

美景(みひろ)

 優しい声が私を呼ぶ。

 私をそう呼ぶのは、ひとりだけ。

 呼んでほしいのも、ひとりだけ。

 だけど、ここにはいないはずの人。

 でも、じゃあ、指先でそっと絆創膏の端を撫でてるこの人は、誰……?

 ゆっくり顔を上げる。

 すぐそばから優しいまなざしで私を見てたのは、やっぱり吹田さんだった。

美景(みひろ)。どうした」

 ……ああ、そっか。

 夢かあ……。

美景(みひろ)

 何度メッセージを送っても、返信すらくれなかった。

 吹田さんがここにいるわけない。

 優しく抱きしめてくれるはずない。

 だから、これは、私に都合のいい夢。


 

美景(みひろ)……」

 そっと腕がゆるめられて、頬を包むように手を添えられた。

 優しい力で上向かされて、おでこを合わせるように目をのぞきこまれる。

 いつの間にか眼鏡がなくなってて、すぐそばから私を見るまなざしは、せつない色をしてた。

「恐い思いをさせて、すまなかった。

 そばにいてやれなくて、すまなかった。

 何度も連絡をくれたのに(こた)えなくて、すまなかった。

 何度でも、おまえが許してくれるまで謝る。

 だから……戻ってきてくれ……」

 声もせつなくて、懇願するような響きだった。

 どうして、そんなこと言うんだろ。

 私の夢なのに。



「ロビーで会った時、つまらない嫉妬にとらわれずに、すぐに離れるよう伝えていれば。

 階段で目が合った時、大声を出さなければ。

 人質にされた時、容疑者確保ではなく、おまえを助けだすことを優先していれば。

 恐い思いをさせることも、痛い思いをさせることもなかった。

 全て、俺の不甲斐なさが原因だ。

 ……十歳の時から今まで、あいつの遺言を守るために努力を重ねて、少しは強い男になれたつもりでいた。

 だが、いまだに俺は弱く情けないままで、誰より守りたいおまえを傷つけた。

 合わせる顔がなくて、連絡できずにいて……そのせいで、よけいおまえを苦しめた。

 今までは平気だったからと軽く考えて、おまえが必死に恐怖に(あらが)いながら、俺に助けを求めていたことに気づかなかった。

 すまなかった。

 今度こそ間違えない。

 絶対におまえを守るから、もう一度だけ、やり直す機会をくれ」

 せつない声は、聞こえてたけど、意識を素通りしてた。



美景(みひろ)……」

 苦しそうにかすれた声が、私を呼ぶ。

「おまえの優しさに甘えて、ずっと言わずにいた。

 言葉にすることで、おまえを失うのが恐かった。

 だが、……言葉にしなかったから、おまえを失ってしまうのか。

 おまえにはもう、俺の言葉は届かないのか」

 悲しそうに揺れる瞳が、私を見つめる。

「おまえに初めて会った時、感情がすぐ顔に出る素直さに驚いた。

 感情を抑えることに慣れきっていた俺にはないまっすぐさが、好ましく思えた。

 会うたびに、おまえに惹かれた。

 笑ったり悩んだりあせったり喜んだり、くるくると変わる表情を見ているのが楽しかった。

 楽しいという感情が俺にも残っていたのだと、気づかせてくれた。

 ……おまえのおかげで、俺は感情を取り戻せたのに。

 俺のせいで、おまえは感情を失ってしまったのか」

 頬を包む手が、優しく撫でる。

「頼む……もう一度俺を見てくれ。

 もう一度笑ってくれ。

 俺にできることなら、なんでもする。

 おまえを失いたくない。

 おまえを………………」

 言葉がとぎれて、ぎゅうっと抱きしめられる。  



「愛しているんだ」



「……えっ!?」

 え、今、……え!?

 ちょっと待って。

 なんかありえない幻聴が聞こえたような……。

 ……あれ。

 私、何してたんだっけ。

美景(みひろ)

 腕をゆるめた吹田さんが、私の顔をのぞきこむ。

「俺が、わかるか」

「え、吹田さん、ですよね……え? あれ?」

 何がなんだかわからなくなって、混乱する。

 ボンさんが来て、話をして、昼寝して、声がして……。

 え!?

 どこまでが現実で、どこまでが夢?

 あわあわしてると、痛いぐらいに強く抱きしめられる。

「吹田さん……?」

「……よかった……」

 ひとりごとみたいな、小さな声が耳元に落ちる。

 えーっと。

 とりあえず、これは現実、だよね。

 おそるおそる手を上げて、吹田さんの背中に回す。

 なんかよくわかんないけど、やっと会いにきてくれたんだ。

 よかった。


-----------------


 しばらくして、吹田さんはゆっくり腕をといて体を離した。

「すまない、取り乱した」

 静かなカオでそう言われると、違和感すごいなあ。

「あー、いえ、えっと……状況がよくわかんないんですけど……」

「……そうか」

 小さくうなずいた吹田さんは、私の髪を梳くように撫でて整えてくれる。

 いまさら気づいたけど、ベッドに起きあがった状態で、まんなかあたりに腰掛けた吹田さんに抱きしめられてた。

 ということは、昼寝したとこまでは、現実……?

「少し待っていてくれ」

「あ、はい」

「ありがとう」

 私の頬をそっと撫でてから、吹田さんは立ちあがった。

 付き添いの人用の小部屋に入っていくのを、ぼんやり見送る。

 ふと時計を見ると、三時すぎだった。

 一時間ぐらい昼寝してたのかな。 

 しばらくして戻ってきた吹田さんは、手にマグカップと水のペットボトルを持ってた。



「飲んでおけ」

「あ、はい」

 さしだされたマグカップを受けとると、中身は水みたいだけど、ほんのりあったかかった。

 レンジかけたのかな。

 真夏だけど冷房効いてるから、ぬるま湯がちょうどいい感じ。

 一口ずつ、ゆっくり飲んでいく。

 吹田さんは、元の位置に座って、黙って私を見てた。

「……仕事、いいんですか?」

 会いにきてくれたのは嬉しいけど、今って仕事中の時間だよね。

 眼鏡ははずしてるけど、スーツだから、オフじゃなくて仕事のはず。

「後始末の目途はついたから、かまわない」

「そうですか……」

 静かな答えに、曖昧にうなずく。

 吹田さんがいいって言うなら、いいのかな。

 黙ったまま、お湯を全部飲み干す。

 昼寝しただけなのに、けっこう喉渇いてたかも。

「おかわりはいるか」

「いえ、ありがとうございました」

 手をさしだされたから、マグカップを渡す。

 吹田さんはキャスター付きのサイドテーブルを引き寄せて、そこにマグカップとペットボトルを置いた。



「ベッドを少し動かすぞ」

「え、はい」

 なんだろ。

 吹田さんがベッドの横で何か操作すると、ベッドの上半分がゆっくり持ちあがってくる。

 え、こんなことできたんだ。

 ……そういえば、初日の夜に説明聞いた気がするけど、いろんな機能をいっぺんに説明されたから、おぼえきれなくて、忘れてた。

 ベッドがソファの背もたれぐらいの角度になると、枕を背中との間に入れてくれる。

「これでいいか」

「えっと、ちょっと待ってくださいね」

 もそもそ動いて、ちょうどいい位置を探してもたれる。

 うん、ばっちり。

「だいじょぶです、ありがとうございます」

「ああ」

 吹田さんは私の太腿の横あたりに、私のほうを向いて座った。

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