大事なことは言葉にして伝えよう④
翌朝、外は快晴なのに、私の気分はどんより。
寝つきが悪くて、夜中に何度も目が覚めて、そのたびにスマホを確認したけど、やっぱり吹田さんからは連絡なし。
シロさんからはゆうべお見舞いメッセージがきてたし、容疑者はもう逮捕できたから、メッセージすら送れないほど忙しくないはずなのに。
昨日と同じ看護師さんが朝食を持ってきてくれて、また話相手になってくれたけど、やっぱり気分がおちつかない。
食事の後、消毒してガーゼを貼りかえる時に鏡で見せてもらったら、長さ一センチで幅五ミリぐらいのゆがんだ長方形みたいな傷だった。
でも、髪の生え際だから、傷跡が残ったとしても、アップにしないかぎりは見えなさそう。
もともと外見にこだわりはないから、小さな傷なんて気にならない。
それより、吹田さんの話のほうが問題。
なんで、結婚なんてことになるの?
しかも、なんで私に連絡くれないんだろう。
考えるのに疲れちゃって、うたた寝してると、インターフォンのチャイムが鳴って目を覚ます。
誰だろ。
ここは偉い人向けの部屋だけあって、吹田さんの執務室と同じようにセキュリティが厳しくて、ドアはスライド式だけどオートロックになってる。
ドア横の壁にセンサーとインターフォンがあって、病院関係者はIDカードをかざせば開けられるけど、来客はインターフォンで連絡して、中から開錠してもらわないと入れない。
吹田さんで慣れてたけど、偉い人の安全対策ってすごいよね。
感心しながら、インターフォンともつながってる電話の子機を枕元から取る。
「はい、どなたですか」
〔お母さんです〕
「あー、今開けるね」
壁のボタンを押して開錠すると、お母さんが入ってくる。
「おはよう。
部屋なのにインターフォンなのね。
昨日は来た時は案内の看護師さんが入れてくれたし、花瓶を抱えてた時は通りがかった看護師さんが開けてくれたけど。
毎回やらなきゃいけないのは、めんどくさいわね」
呆れたように言われて、私も苦笑する。
「おはよー。
そうだね、でも偉い人用の部屋だから、しかたないんだって」
「そうなの……」
ため息をつきながら、お母さんは両手に持ってた袋を応接セットのソファの片方にどさっと置く。
「頼まれたもの持ってきたわよ。
全部あると思うけど、後で確認しておいて」
「ありがとー」
数日入院になるって聞いたから、ゆうべお母さんにメッセージを送って、ノーパソにテディガールに着替えに小物類も頼んだ。
でも、大きな袋三つ分になってるから、ちょっと頼みすぎたかな。
車で来たはずだけど、駐車場からここまで重かっただろうし。
「いっぱい頼んじゃってごめんね」
「いいわよ。
それより、吹田さんとお話できたの?」
「……ううん、まだ」
「そう……」
枕元の椅子に座ったお母さんは、私を見てゆっくり言う。
「ねえ、ミケちゃん」
「なあに?」
「今つきあってる人いるでしょ?」
「え!?」
なんでわかったの!?
「やっぱり。
春ぐらいから、おしゃれしてでかけたり、ばんごはんを食べて車で送られて帰ってくることが増えたでしょ?
いつも決まった時間に電話してたみたいだし。
いつ話してくれるのか、楽しみにしてたんだけど」
からかうように言われて、気まずくなって目をそらす。
「……ごめんね、なんだか、恥ずかしくて、言いそびれてた」
「そう。
まあいずれちゃんと話してくれればいいわ。
でも、恋人がいるなら、吹田さんには早めにお断りしたほうがいいんじゃないの?」
「あー……」
しまったー、昨日半端にごまかしちゃったせいで、ややこしくなっちゃった。
つきあってるのは吹田さんで、結婚を申しこまれたのも吹田さんで、なのにイヤがってるって、意味わかんないよね。
でも、私自身よくわかってないから、うまく説明できない。
そもそも、なんで結婚って話になったのか、わからないままだし。
責任を取るとか言われるような大ケガじゃないのに。
いくら吹田さんが私とつきあってて、マジメで心配性だからって、おかしいよね。
しかも、私じゃなくお母さんに話してるし。
おぼっちゃまだから、結婚は家同士のもの、みたいな考え方なのかもしれないけど、それにしたって、私を無視する理由がわからない。
「……うん、まあ、そうだね、吹田さんとちゃんと話してみるから」
結局曖昧に答えるしかなかった。
-----------------
つきそいしてもらうほどじゃないからって、お母さんには昼食前に帰ってもらった。
持ってきてもらったものをチェックして、部屋着に着替える。
昼食を持ってきてくれた看護師さんに確認して、応接セットで食べることにした。
向かいに座った看護師さんと、しゃべりながらゆっくり食べる。
病院食っていまいちなイメージだけど、偉い人向けの部屋だけあって食事もお金がかかってる感じで、美味しいのがありがたい。
看護師さんが、院長と同じメニューだって教えてくれた。
食後にソファに座ってノーパソを膝にのせて、いろいろ検索してみたけど、あの事件についての情報はほとんど出回ってなかった。
ほっとしてると、インターフォンが鳴った。
ん? 誰だろ。
ノーパソをテーブルに置いて立ちあがって、枕元の子機を取りあげる。
「はい、どなたですか」
〔シロです。お見舞いにまいりました〕
えっ!?
「あっ、はい、今開けますねー」
あわてて壁のボタンを押して開錠すると、シロさんが入ってくる。
いつもの黒いパンツスーツ姿だった。
私に近づいてきて、優しく微笑む。
「こんにちは。
お元気そうでよかったです。
これ、お見舞いです、よかったら食べてください」
「わー、ありがとうございます」
受け取った紙袋には、前に私が好きだって言ったパティスリーのロゴが入ってた。
甘いもの苦手なのに、わざわざ買いにいってくれたんだ。
「あ、どうぞ、座ってください。
お茶淹れますね」
実は付き添いの人用の小さな続き部屋があって、そっちには小さいキッチンと、そなえつけのお茶セットもある。
ほんと、偉い人用の部屋ってすごい。
「いえ、あまり時間がありませんので、お気遣いなく」
「そうですか?」
うーん、だったら待たせるのは申し訳ないよね。
キッチン横の冷蔵庫から、元々入ってたペットボトルの緑茶を二本取りだす。
「じゃあせめてこれどうぞー」
「ありがとうございます」
ソファに座ったシロさんに片方渡して、向かいに座った。
「今日はお休みなんですか?」
「いえ、仕事です。
例の事件の容疑者の状況確認にきました」
「あー……」
看護師さんの話では、命に別状はないけどけっこう重傷で、しばらく取り調べはできそうにないらしいけど。
『できそうにない』っていうのを、実際に確認しにきたのかな。
「……あの、シロさん」
「はい」
「…………吹田さん、どうしてますか?」
迷った末に曖昧に聞くと、シロさんは困ったようなカオになる。
「……いつも通り仕事をなさっています」
「……そうですか……」
いつも通りなんだ……。
「ですがそれは、ミケさんに会う前の『いつも通り』です。
険しい表情で張りつめた空気をまとって、淡々と業務をこなしてらっしゃいますが、だからこそ異常だと、思います」
「え……」
シロさんが吹田さんのことそんなふうに言うなんて、珍しい。
「昨日目覚めてから、吹田さんとどんな話をされたんですか?」
「……それが……電話もメッセージも返事くれなくて……。
でも、昨日来てくれて、母とは話してて、何度も謝ってくれて、……傷物にした責任を取らせてほしいって、言ってたらしいんです」
「えっ」
シロさんがびっくりしたような声をあげる。
え、じゃあ、シロさんは知らなかったの?
「吹田さんから、何か聞いてませんか?」
「いえ、何も」
シロさんはとまどうようなカオで答える。
シロさんも知らないって、どうして……?
「……吹田さんがおかしくなったの、いつからなのかわかりますか?」
それがわかったら、理由もわかるかも。
「そうですね……」
シロさんはしばらく考えこむ。
「……発端は、ホテルのロビーでミケさんと遭遇したことだと思います。
あの時一緒にいたのが、例のお見合いモドキのお相手の男性ですか?」
「あ、はい、そうです」
「事前に話を聞いていたとはいえ、実際に一緒にいる姿を見て、気になっておられたようです。
……以前宝塚さんに言われたんですが、恋人に男が近づいたら、どんな相手でも警戒してしまうのは男の本能、なのだそうです」
「……あー、似たようなこと、私も前に聞きましたね」
大切に育ててる一輪しかない花に、花を枯らす虫が近づいてきたら、どうしても警戒しちゃうんだって、言ってたっけ。
その気持ちがいまいち理解できないのは、吹田さんでイメージすると、花じゃなくて大きな木で、虫程度には負けそうにないなって思っちゃうからなのかな。
「それと、ミケさんが人質にされる直前に、吹田さんが『来るな、逃げろ』と大声でおっしゃいましたよね」
「……はい」
あの瞬間を思いだして、ふるえた手をぎゅっと握りしめる。
「距離があったことと危険が迫っていたからとはいえ、ミケさんが男性の大声に萎縮して動けなくなってしまうことを知っていながら、とっさに大声を出してしまったせいで人質にされてしまったと、後悔なさっているようです」
「確かに大声出されてびっくりしましたけど、吹田さんのせいじゃないです。
普通に『逃げろ』って言われてたとしても、何から逃げたらいいのかわからなかったし、着物じゃあまともに動けなくて、結局捕まっちゃったと思います」
あの時は吹田さんしか見てなかったから、どなられてなかったとしても、すぐには動けなかっただろうし。
「その後、ミケさんが捕らえられたのを見て、殺気が洩れるほどにお怒りでした」
「え、そうでした?
私は全然気づきませんでしたけど」
殺気ってアレだよね、前に宝塚さんににらまれた時の、動けなくなる感じ。
大阪府警のオジサン達は恐かったけど、吹田さんは声もカオも静かで、おちついてるように見えたのに。
「容疑者が背後からミケさんを抱えこんだ姿勢でしたから、ミケさんを恐がらせないように抑えておられたんです。
ですが、大阪府警の者を制した時には、命令を無視して容疑者を逃がしたことへのいらだちもあり、容赦なく威圧なさっていました。
……あの容疑者と同じように、吹田さんが若くて小柄だというだけで、侮る者が多いんです。
大阪府警の者もそうでしたが、あれ以降はおとなしく指示に従っていました」
「……あー、それで」
吹田さんに止められたとたん静かになったのは、殺気を当てられたからだったんだ。
「ミケさんが容疑者に殴られそうになった時、吹田さんはすぐに助けようとなさいましたが、姿勢が悪くて間に合わず、ミケさんにケガを負わせてしまいました。
そのことも、後悔なさっているようです」
「それも、吹田さんのせいじゃないです。
たいしたことなかったですし」
「ケガをさせてしまったこと自体が、吹田さんにとっては許しがたいことなのだと思います」
その言葉に、前に人質にされた時のことを思いだす。
私を止められなかったのは自分の判断ミスだって、謝ってくれた。
無傷だった時でもそうだったんだから、ケガした今回は、なおさら気にするのもしかたない……のかな。
「ミケさんを救出し、容疑者を確保した後、私はミケさんに付き添って病院に向かうよう指示されましたので、吹田さんから離れました。
救急車に同乗してこの病院に着き、ミケさんの容体を確認し、入院手続きを終えて警視庁に戻ったら、吹田さんはもう様子がおかしくなっておられました……」
「そうですか……」
シロさんの話を聞き終わって、しばらく考える。
「まとめると、私にケガさせちゃったことを後悔してるって、ことなんでしょうけど。
それでなんで、私と会う前の雰囲気になるんでしょう……」
私はその頃を知らないから、どう違うのかあんまりわかんないけど、シロさんがそう言うなら、そうなんだろうし。
「……それはおそらく」
言葉を切ったシロさんは、目を伏せて小さな声で言う。
「昔のことを思いだされたからでしょう。
……十歳の時に、側近を喪った直後と似たご様子ですから……」
「……あー……」
自分のせいだとか、助けられなかったとか、そういうのが、トラウマ刺激しちゃったのかな。
「……でも、なんで、責任取って結婚するって話になるんでしょうか。
しかも、何度連絡しても、返事をくれないんです。
意味わかんないです……」
「それについては、私もよくわかりません。
……ミケさんと交際なさっておいででしたが、結婚を考えてらっしゃるとは、今まで一度も聞いたことがありません」
「私もないですよ。
だからよけい意味わかんなくて、困ってるんです。
シロさん、この後警視庁に戻るんですよね?」
「はい」
「じゃあ、吹田さんに、とにかく連絡くださいって、伝えといてもらえますか」
「わかりました」
その後すぐシロさんは帰っていって、夜になってメッセージがきた。
≪ミケさんに頼まれた通りに吹田さんに伝えましたが、お返事はいただけませんでした
力不足で申し訳ありません≫
≪シロさんのせいじゃないですよ。ありがとうございます≫
昨日と同じように何度もメッセージを送って、日付が変わるまでうとうとしながら待ってたけど、やっぱり吹田さんからの連絡はなかった。




