オタクの常識は一般人の非常識②
ゆっくり振り向いた吹田さんは、私を見て何か言いかけて、背後に視線を向けた。
「真白」
「はい」
すぐに近寄ってきたシロさんが、膝をかがめて私の顔をのぞきこんで、優しい声で囁く。
「ミケさん、もう大丈夫ですよ」
「シロさ……」
言いかけた言葉を、視線で止められる。
「部屋まで我慢してください」
耳元で囁かれて、こくんとうなずく。
「これ、お預かりしますね」
すがるように抱きしめてたレプリカ像を、そっと抜きとられる。
肩を抱いて促されて、こわばった足をゆっくり動かした。
シロさんに支えられたまま歩いていくと、吹田さんが執務室の前で開けたドアを押さえて待っててくれた。
シロさんと一緒に中に入って、吹田さんが入って、ドアがぱたんと閉まる。
それが我慢の限界だった。
「吹田さん……っ!」
ぐるんとふりむいて、体当たりの勢いで抱きつく。
吹田さんは、しっかり受けとめてくれた。
ぎゅうぎゅう抱きついて、肩に頬を押しつける。
「もう大丈夫だ」
耳元で囁く声も、背中を撫でてくれる手も、優しい。
ふわっとシトラスの香りがした。
ああ、ここだ。
こわばってた体から、力が抜けていく。
私が世界で一番安心できる場所。
ここにいれば、もう大丈夫。
恐くない。
「……はい」
ようやく安心できて、ぐてっと脱力すると、吹田さんが腕をといた。
「しばらく休憩していけ」
肩を抱いて促されて、ソファに並んで座る。
「……お仕事、大丈夫なんですか?」
そばにいてくれるのは嬉しいけど、邪魔はしたくない。
「おまえのおかげで進展しそうだから、大丈夫だ」
優しい声で言われて、ほっとする。
じゃあ、甘えちゃって大丈夫かな。
「……はい」
「同僚に、戻るのが遅くなると連絡しておけ」
「わかりました」
スマホでマイさんにメッセージを送ると、すぐ≪了解。後で詳しく聞かせてね≫って返ってきた。
スマホをポケットに戻して、力を抜いて吹田さんにもたれかかると、肩を抱いてた手でゆっくり頭を撫でてくれる。
衝立の裏にいっていたシロさんが戻ってきて、私の前のテーブルにマグカップを置いた。
「これ、ミケさん用に用意したんです。どうぞ」
「え、あ」
まんなかに大きく描かれてるのは、私がスタンプでよく使う三毛猫。
同じものを、家で使ってる。
もしかして、初めて来た時に、出されたティーカップがブランド物っぽくて、壊したらどうしようって不安になったって言ったのをおぼえてて、わざわざ探してくれたのかな。
「ありがとうございます」
そっと持ちあげると、中身はミルクティーだった。
甘いにおいと味にほっとする。
一口飲んで息をつくと、吹田さんが静かに言った。
「先程のことを、聞いてもかまわないか」
「なんですか?」
「ゲートを通ったところから、俺が行くまでのことを、順に話してくれ」
「……はい。
半分ほど進んだら、河内警視正が部屋から出てきて……」
両手で握ったマグカップに視線を落としたまま、ぽつぽつ話す。
「……そうか。
恐い思いをさせて、すまなかった」
いたわるように頭を撫でられて、首をかしげる。
「吹田さんのせいじゃ、ないでしょう?」
「見慣れない事務員が目を引くのは当然で、しかも俺を訪ねてきたと知れば手を出してくる可能性は高い。
それを見越して、真白にゲートまで迎えにいくよう指示しなかった俺のミスだ」
「……手を出してくるって」
え、どういう意味?
「俺が秋に警視正に昇進するという情報が、内輪にだが発表された。
そのせいで、一部の年寄り連中の反感を買っている。
さっきおまえに絡んだ河内警視正は、その筆頭だ。
そういう奴らがいるとわかっていたのに、安全対策を怠った俺のミスだ。
すまなかった」
「あー……」
吹田さんは、若いうえに優秀だから、キャリアっていうだけで出世できたオジサン達にはウケが悪いらしい。
ノンキャリの河内警視正は、よけいだよね。
だから、吹田さんの名前を出したとたんに不機嫌になったんだ。
「さっきのは、吹田さんのせいじゃないですよ。
私が、もっと上手に受け流せたら、よかったんです。
男の人に大声出されるだけで恐くなっちゃうの、なんとかしたいなって思ってるんですけど、難しいです」
お父さんはほぼ家にいないし、男のコの友達はいなかったし、女子校育ちだから、男の人と接する機会自体が少なかった。
だから、大声出されたり、乱暴な動きをされるだけで、恐くなる。
オトナになったら慣れるかと思ったのに、いまだに直らないんだよね……。
「おまえが男の大声に慣れていないのと、男が女性を大声でどなりつけていいかどうかは、全く別の話だ。
まして立場を笠に着て横暴に振る舞うなど、言語道断だ。
弱い者を力づくで従わせようとする下種に、慣れる必要などない。
……おまえはそのままでいい」
そっと頭を撫でられる。
優しい手のぬくもりに、心の奥底に残ってた恐怖が、ふわっと溶けた気がした。
「……はい」
マグカップをテーブルに置いて、吹田さんに体を寄せると、また肩を抱いてくれる。
しばらくそのままでいて、ふと気になったことがあった。
「そういえば、私が河内警視正に絡まれてるの、よくわかりましたね」
偉い人達用の部屋だけあって防音がきっちりしてるから、外の物音は聞こえない。
いくら河内警視正がどなってても、わからないはずなのに。
「おまえが途中で動かなくなって、気配が揺らいだからな」
「……ん?」
さらっと言われたけど、意味がまったくわかんない。
「……すみません、解説お願いします」
「俺は、よく知る者なら気配で相手を識別できるし、離れていてもわかる。
この部屋からなら、セキュリティゲート付近あたりまでだが。
ゲートを通ったおまえが途中で動きを止めて、しかも恐怖を感じたかのように気配が揺らいだから、異常事態だと判断して様子を見にいった。
……遅くなって悪かった」
吹田さんはせつないまなざしになって、そっと頭を撫でてくれる。
気配がわかるって、前にも聞いた気がするけど、ほんとだったんだ。
しかも恐がってたのもわかるとか、どこの格闘マンガの登場人物なのって感じだけど。
吹田さん達がハイスペなのは元から知ってたし、いまさらかな。
「遅くないですよ、タイミングばっちりでした。
助けにきてくれて、ありがとうございます」
ぎゅっと抱きついて言うと、優しく抱きしめてくれた。
「……ああ」
やっぱり、ここが一番安心する。
……あ、そういえば。
「昼休みに、お昼一緒に食べてる人達と話してて、理想のタイプの話になったんですよ。
私はそういうの特にないなって、思ってたんですけど。
吹田さんが私の理想のタイプだったんだなって、今気づきました」
顔を上げて言うと、吹田さんはちょっと眉をひそめる。
「どういう意味だ」
「私が苦手なタイプって、河内警視正みたいな、大柄で、強面で、声が大きくて口調が荒くて、すぐ手が出る人なんです。
吹田さんは真逆で、小柄で、童顔で、命令口調だけど話し方は静かで、乱暴なことをしないから、一緒にいても安心できるんです。
まさに理想のタイプです」
にこっと笑うと、吹田さんは小さくため息をついた。
「小柄と童顔は余計だ」
ちょっと不機嫌そうに言われて、くすくす笑う。
「私にとっては、大事なことなんですよ。
たとえば吹田さんが宝塚さんと同じ身長だったら、横に立ったらまともに顔が見えませんもん。
見上げると首が痛くなるし、見下ろされると恐いし。
宝塚さんは、そのへん気づいてて、ちょっと離れたとこから話しかけてくれるから、マシですけど」
宝塚さんの名前が出たからか、こっちを見てるシロさんに、にこっと笑っておく。
「それに、私も童顔だから、オフでカジュアルな服の時の吹田さんとだと、あんまり年齢差ないように見えるでしょ?
悪目立ちしなくていいから、助かります」
大学生カップルに見られてそうってことと、そもそも吹田さんが目立つってことは、気にしないでおく。
「理想のタイプと実際に好きになる人って、違うことが多いらしいですけど、私は一緒だったみたいで、よかったです」
「……そうか」
吹田さんは苦笑して、頭を撫でてくれた。
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私がミルクティーを飲み終わるまで、吹田さんは隣にいてくれた。
「もう大丈夫です。
ありがとうございました」
嬉しいけど、忙しい吹田さんにこれ以上負担かけたくない。
「そうか。
……おまえがくれた情報について、確認したいことがある。
聞いてもかまわないか」
「はい、なんですか?」
「真白」
「はい」
吹田さんの呼びかけに、シロさんがあのレプリカ像を持ってくる。
さしだされたそれを受けとってちらっと見た吹田さんは、テーブルにそっと置く。
「おまえは、なぜこの像が贋作だとわかったんだ」
「え、見たらわかりました」
吹田さんは、なんだか困ったようなカオになる。
「……おまえが仏像に詳しいとは知らなかったが、間違いないんだな?」
あれ、私、メールにそのへん書かなかったっけ。
……そうだった、ちょっとでも早く知らせようと思って、『よく見たらニセモノだった』ぐらいに省略したんだった。
「いえ、私が知ってるのは、仏像じゃなくて、三銛杵のほうです」
「『さんこしょ』とは、なんだ」
「え?」
吹田さん、三銛杵知らないの?
……あ。
もしかして、普通の人は知らないことなのかな。
しまったー、オタクの常識は一般人の非常識だってこと、すっかり忘れてた。
「美景。
『さんこしょ』とは、なんだ」
くり返し聞かれて、諦めて答える。
「……その像が手に持ってるモノです」
「これか?」
言いながら、吹田さんは指先でレプリカ像が持ってるモノを指す。
「そうです。
えっと、これは、密教とかで使う法具で、オカルト系のマンガとかアニメとかによく出てくるんです。
先端が分かれてる数が一本なのが独銛杵、三本なのが三銛杵、五本なのが五銛杵って名前なんですけど、必ず左右対称なんです。
でもコレは、片側は三銛杵なのに反対側は五銛杵で、おかしいなって思って。
それで、仏像とかに詳しい人に聞いてみたら、やっぱりおかしいって言われて。
その人が、最近摘発された関西の暴力団が、これと同じ仏像の贋作を作って売りさばいてたって、教えてくれたんです。
大阪府警にいる人なので」
「……マキコさんか?」
「あ、そうです」
そういえば、マキコさんのこと何度か話したっけ。
「……なるほどな」
ゆっくりうなずいた吹田さんは、じっとレプリカ像を見つめる。
「真白、どうだった」
吹田さんの問いかけに、自分のデスクでノーパソを使ってたシロさんは、小さくうなずいた。
「裏付けが取れました。
すべてミケさんの情報通りでした」
「……よし。
手配を進めろ」
「わかりました。
……五分ほど、席をはずします」
静かに言って立ちあがったシロさんは、軽く会釈して出ていく。
吹田さんは、なぜか小さく舌打ちした。
「よけいな気を遣いおって……」
「え?」
あ、もしかして。
二人きりに、してくれたのかな。
「あの、これで解決しそうですか?」
「……解決するかどうかはわからないが、進展はするだろうな」
「なら、よかったです」
せめて吹田さん達が、家に帰れるぐらいにはなるといいな。
「……美景」
「はい?」
ふんわり抱きしめられて、こめかみにそっとキスされる。
「助かった。ありがとう」
「……どーいたしまして」
ちょっと恥ずかしいけど、会えたの久しぶりだから、イチャイチャできて嬉しい。
「さっさと片付けて、デートしてくださいね」
わざと軽い口調で言うと、吹田さんはくすっと笑った。
「ああ」
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戻ってきたシロさんが、吹田さんの指示で課室の近くまで送ってくれた。
もう大丈夫って言ったのに、ほんと心配性だよね。
席に戻って、マイさんに『後で』って伝えて、離席してた間に来てたメールに返信してると、執行部から緊急の一斉メールがきた。
開いてみてびっくりする。
≪ケイコ先生案件 刑事部の河内警視正の情報緊急募集
刑事部の河内警視正を緊急監査にかけることになりました
河内警視正の不適切な言動について情報を募集します
例)事務員だと見下された、どなりつけられた、理不尽な命令をされた、など
日時や言われた場所等、できるだけ詳細にお願いします
優先は河内警視正ですが、他のキャリアや上司から同様の不適切な対応を受けた方は、情報をお寄せください
よろしくお願いいたします≫
【ケイコ先生案件】は、私達にとって最優先案件。
だけど、どうして、このタイミングで。
まさか、吹田さんが……?
いやでも、そこまでするほどのことじゃなかったよね……?
悩んでると、執行部のハマチさんからメールがきた。
≪お疲れ様です
吹田理事官からの要請で、河内警視正を監査にかけることになりました
さきほどミケさんが河内警視正に暴力をふるわれそうになった件は、既に監視カメラから映像と音声データを取得済です
映像をご覧になったケイコ先生は、たいそうご立腹でした
【同志】としても人事としても事務員としても許せない、徹底的に洗いだすようにと指示がありましたので、緊急案件として扱うことになりました
以前お伝えした通り私はミケさんのファンなので、個人的にも許せない案件です
ケイコ先生に直訴して、この件のとりまとめ担当になりました
二週間以内に、河内警視正を警視庁から追いだしてみせます
もちろんどこかの公的機関や関係先への天下りもさせませんから、ご安心ください
よろしくお願いいたします≫
私、吹田さんだけじゃなく、ケイコ先生やハマチさんからも愛されてるみたい。
嬉しいけど、ちょっと愛が重いかも。




