ムダを減らしすぎると効率が悪くなる③
なんとか気持ちを切り替えて、定時までミスせずに仕事を終える。
宝塚さんに声をかけられる前にがんばっといて、よかった。
さっさと警視庁を出て、いつもの待ち合わせ場所に向かう。
駅のタクシー乗り場の隅で迎車の表示で待ってたハイヤーは、私が近づくとさっとドアを開けた。
いつもは吹田さんと一緒で、一人で乗るのは最初の時以来だから、ちょっと緊張する。
「こんばんは、お世話になります」
乗りながら言うと、運転手のオジサマが振り向いて、優しいカオで言う。
「こんばんは、ご利用ありがとうございます」
……あれ。
この人。
「あの、違ったらすみません、もしかして、三月に私の家まで送ってもらって、車の写真撮らせてもらった時の、運転手さんですか?」
「はい」
やっぱり。
「あの時は、ありがとうございました。
おかげでいい写真がいっぱい撮れました」
ぺこっと頭を下げると、運転手さんは優しく微笑む。
「どういたしまして。
お元気そうで何よりです」
「あ、はい」
「恐れ入りますが、シートベルトを締めていただけますか」
「あ、すみません」
やんわり言われて、あわててシートベルトを締める。
「よろしいでしょうか」
「はい」
「では、出発いたします」
「はい」
車がなめらかな動きで走りだす。
あれから何度も乗せてもらってるけど、いつも夜で、車内は暗いから、運転手さんの顔ははっきり見えなかった。
もしかして、今までもこのオジサマだったこと、あるのかな。
聞いてみたいけど、運転中には話しかけないほうがいいだろうし。
迷ってるうちに、車がいつものファミレスに着く。
駐車場に入っていくと、奥のほうの空いてるとこに停まった。
あれ、いつもはエレベーター近くでおろしてもらったら、営業所に戻っていって、二時間後にまた迎えにきてもらってたのに。
シートベルトをはずした運転手さんは、私を振り向く。
「吹田様より、お嬢様を予約した部屋までお送りするようにと、命じられております。
私では力不足だと承知しておりますが、どうぞお供をお許しください」
「えっ」
運転手さんが部屋まで送るって、どういうこと?
「あの……どうしてですか?」
「理由はうかがっておりませんが、ご命令ですので」
あー、そういえば。
専属運転手さんは、吹田さんちの使用人さん達なんだっけ。
だから、運転以外の命令でも、やってくれるんだ。
でも、おおげさすぎないかなあ。
吹田さんは、私を野放しにすると何かやらかすと思ってるみたいだけど、私はそこまでトラブルメーカーじゃない……はず。
だけど、私が断ったら、オジサマが困ることになるんだろうし。
おとなしく言う通りにしたほうが、いいんだろうな。
「……すみません、お世話になります」
「いえ、ではシートベルトをはずして、お待ちください」
「あ、はい」
言われた通りにシートベルトをはずして、バッグを持つ。
その間に車を降りた運転手さんは、後ろを回って私の横まで来て、ドアを開けてくれる。
「どうぞ、足下にお気をつけください」
「……ありがとうございます……」
なんか、これ、めちゃくちゃ恥ずかしいかも。
そろっと動いて車から降りると、運転手さんは静かにドアを閉める。
「では、参りましょう」
「はい……」
先導する運転手さんの後ろを歩いて、エレベーターに乗って、店に入る。
吹田さんがいなくても丁寧な態度の店長さんの案内で、いつもの個室に行く。
店長さんがドアを開けると、一歩入った運転手さんがさっと室内を見回して、小さくうなずいた。
わー、ドラマのSPさんみたい。
「どうぞ、お入りください。
吹田様がおいでになるまで、私はあちらの席で待機しておりますので、何かありましたら遠慮なくお声がけください」
「えっ」
見張りまで頼んだの!?
なんでそこまで……?
……気になるけど、運転手さんに聞いてもたぶん答えてもらえないよね。
吹田さんに直接聞くのが確実かな。
「……わかりました。
ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げると、運転手さんも同じように返してくれる。
「いえ、では失礼いたします」
「……はい」
店長さんも出ていって、部屋に一人きりになる。
思わずため息をついた。
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掘りごたつ式のテーブルに座って、メニューをぼんやり眺める。
一人でごはん食べることって、めったにないから、さみしいな。
そんなにおなかすいてないし、吹田さんを待ってようかなあ。
でも、先に食べておいてくれって言われてるってことは、吹田さんは一緒に食べる気ないってことだよね。
……あ。
そうだ、前に、食べる速さについて聞いたら、一緒に食べてるんだから合わせるのが当然、みたいに言われたんだ。
吹田さん一人ならもっと早く食べられるのに、私に合わせてゆっくり食べてくれてたってことは。
ムダな時間を使わせてたって、ことだよね。
私のための時間をムダだとは思ってないって、言ってくれたけど。
客観的に見たら、ムダだよね……。
ため息をついてから、ぶんぶんと頭を振る。
あー、ダメだ、なんかネガティブになってる。
こういう時は、違うことするのが一番。
さっさとメニュー決めて、食べよう。
スマホで動画を見ながら、黙々と食べる。
かわいい子猫動画に、ちょっと癒された。
食後のお茶をゆっくり飲んでると、吹田さんからメッセージがきた。
≪今から出る。後十五分ほどで着く≫
≪わかりました。お待ちしてます
私はもう食べ終わりました≫
返信しておいて、急いでお手洗いに行く。
あちこちチェックして、また急いで部屋に戻った。
五分ほどして、ノックの音がした。
「はいっ」
あわてて立ちあがると、吹田さんが入ってくる。
「待たせてすまない」
「あ、いえ……お疲れ様です」
「ああ」
靴を脱いで上がってきた吹田さんは、私の前に立つ。
「美景」
「はい」
「……抱きしめても、いいか」
「えっ!?」
なんで!?
いつも私から言ってたけど、吹田さんから言われたの、初めてじゃない!?
あわあわしたけど、吹田さんがじっと私を見て待ってたから、おそるおそるうなずく。
「はい、どうぞ……」
「ありがとう」
律義に言った吹田さんは、ゆっくり私を抱きしめる。
いつもと同じ優しい動きだけど、いつもよりしっかり抱きしめられてた。
あ、あの時と同じだ。
友達が死んだことでモメて、吹田さんの執務室に謝りに行った時、膝に乗せられて抱きしめられた。
苦しくはないけど、逃げられないぐらいの強さ。
抱きしめられてるのに、すがられてるように感じる。
「吹田さん」
「……なんだ」
「私からも抱きついていいですか」
「……ああ」
「ありがとうございます」
そっと腕を上げて、吹田さんの背中に回す。
ぎゅうっと抱きつくと、耳元に笑ったような吐息がかかった。
「あの時と逆だな」
「え……?」
いつのこと?
「つきあうと決めた後、初めておまえが俺に抱きついていいかと聞いてきた時だ」
「………………あー、そうですね」
私が先に抱きついて、吹田さんに『俺からも抱きしめていいか』って聞かれたんだっけ。
確かに逆だね。
「そんなこと、よくおぼえてましたねえ」
言われたら一応思いだせたけど、言われないと無理だった。
「おまえに関することだからな」
「……ん?」
なんか、さらっと言われたけど。
また素でタラシ入ってる?
今日の吹田さんは、意味わかんないことばっかりだなあ。
ため息つくと、ゆっくり腕がとかれた。
「話の続きがしたい。
かまわないか」
「あ、はい、でも、吹田さんは、ごはんまだですよね?」
「いや、もう済ませた」
「えっ」
いつの間に……。
……そういえば、前に聞いたっけ。
いつでも個室がある一流店で食事してるわけじゃなくて、忙しい時は、仕事中とか移動中の車内とかで、サンドイッチとかおにぎりとかの、すぐ食べられるもので済ませることもあるって。
たぶん、ここに来る途中の車内で食べたんだろうな。
体に悪いと思うけど、私が口出ししていいことじゃないだろうし……。
「座って話そう」
「あ、はい」
そっと肩を押されて、その場にぺたんと座る。
向かいにあぐらをかいて座った吹田さんは、ジャケットを脱いで横に置いた。
さらにネクタイの結び目に指をひっかけてゆるめて、大きく息を吐く。
最近のごはんデートの時は、そんなふうにくつろぐ感じが多かったけど、今日はなんだか違って見えた。
「……お疲れですか?」
なんとなく顔色が悪い気がする。
「いや」
短く答えた吹田さんは、じっと私を見る。
「まず、謝罪したいことがある」
「え、はい」
「真白も言っていたが、あの部屋でのおまえと宝塚の会話を聞いていた。
すまなかった」
深く頭を下げられて、あわててぱたぱた手を振る。
「あの、それは、気にしないでください、心配かけた私が悪いので」
ゆっくり頭を上げた吹田さんは、静かに言う。
「心配をかけたのは、俺のほうだ。
……美景」
「はい」
「今から話すことは、本来はまだ極秘で、家族にすら伝えてはならないことだ。
俺がいいと言うまでは、誰にも話さないと約束してくれ」
「え……」
なんだろ。
家族にも話せないようなことって、かなりヤバい内容だよね。
「あの、だったら、私は聞かないほうがいいっていうか、聞いちゃいけないんじゃ……」
「一応は許可をもらっているから、かまわない」
許可……?
うーん、意味わかんないけど、それを聞かないと話が進まない感じかな。
「……わかりました、約束します」
「ありがとう」
しばらく黙ってた吹田さんは、ゆっくり言う。
「最近十日間で、警視庁所属のキャリア官僚及びその家族が、不審人物に尾行される事件が頻発している」
「えっ!?」
そんなドラマみたいなこと、本当にあるの!?
「極秘に捜査を進めているが、対象が広範囲のせいで、相手の目的が絞りこめない。
しかも、刑事部と公安部と警備部の、それぞれの部長が我を張りあっていて、互いの捜査の妨害までしているから、なかなか情報が集まらない。
俺や真白も車で移動中に一度尾行されたが、素人ではない感触だった。
おそらく、相手はかなり大きな組織だ」
「え、吹田さん達まで!?」
キャリア官僚なんだから、狙われて当然なのかもしれないけど、でも。
何度も言われてた『身辺にはくれぐれも気をつけろ』って言葉が、急に現実味を帯びてきて、背筋がぞくっとする。
「大丈夫、なんですか……?」
おそるおそる言うと、吹田さんは手を伸ばして私の手を握ってくれる。
「尾行されたのは一度だけだし、今のところ危険は感じない。
俺は家の影響で、狙われることにもその対策にも慣れているから、他の者より狙いにくいと判断されて、ターゲットから外されたようだ」
「……よかった……」
日常的に狙われる対策をしてるのって、大変だと思ってたけど。
そのおかげで狙われずにすんだなら、よかった。
「だが、俺は今年の秋の辞令で警視正に昇進し、刑事部から異動になると、しばらく前に内示を受けた」
静かに続けられた言葉に、びくっとする。
「警視正……」
警視になったのも最年少記録だったのに、また最年少で出世なんだ。
今でも遠い存在なのに、もっと遠い存在になっちゃうんだなあ。
しかも異動になるってことは、執務室に会いにいくことすら難しくなるってことだよね。
でも。
吹田さんががんばってることが、偉い人にもちゃんと認められたってことなんだから。
いいことだよね。
握ってた手を離して、姿勢を正す。
「おめでとうございます」
深く頭を下げると、吹田さんはなぜか苦いカオになる。
「それは正式な辞令が出てからでいい」
「お祝いの言葉は、何回言ってもいいんですよ。
正式に辞令が出たら、また言いますね」
「……そうか」
「はい」
「……話を続けるぞ。
昇進と異動が決まったことで、俺が再び狙われる可能性がある。
そして、俺の弱点は、おまえだ」
「……え?」
弱点……?
「俺に何かを要求するための人質として、おまえが狙われる可能性がある、ということだ」
そう言う吹田さんの声は静かなのに、まなざしは苦しそうだった。
「相手を特定し、逮捕できるまでは、おまえと距離を置いたほうがいいと判断した。
だから一昨日の電話で、忙しくなるからしばらく会えなくなると言ったんだ。
異動の準備で忙しくなるのは、本当だったからな」
そっか、秋頃がピークって、そういう意味だったんだ。
「……その後のおまえのメッセージは、なぜそういう考えに至ったのかわからなかったが、いい機会だと思った。
距離を置くとしても、電話やデートの頻度がどれぐらいなら不満を抱くのか、どれぐらいなら我慢できるのかを確認したかった。
だから、何も返信せずに、おまえの様子を見ることにした」
「あー……」
そんな理由だったんだ……。
あれ、でも。
「じゃあ、どうして昨日今日と機嫌悪かったんですか?」
私とモメたわけじゃなくて、様子見してたなら、機嫌悪くなる理由ないよね?
「…………」
じっと私を見つめた吹田さんは、小さくため息をついて目を伏せる。
「……おまえの限度を確かめるつもりが、その前に俺が耐えられなかった」
「え……?」
吹田さんはゆっくりと手を伸ばして、私をふんわり抱きしめる。
「朝起きられたのか、体調に問題はないか、出勤途中でトラブルがなかったか、仕事でミスをしていないか、定時で仕事を終えられたか、無事帰宅できたか、趣味に没頭して夜更かししていないか。
今までおまえからのメッセージで確認していたことが、何もわからない。
そのことにひどくいらついて……真白に迷惑をかけた」
「……えっと……」
つまり、私を心配してたってこと?
「……吹田さん、心配性すぎません?
私、そこまでトラブルメーカーじゃないですよ?」
「……そういう意味ではない」
「じゃあ、どういう意味なんですか?」
「…………」
耳元に、ため息みたいな吐息がかかる。
「俺の弱点はおまえだと、言っただろう。
どうでもいい相手を、甘やかしたり心配したりしない。
……言葉にしたことはなかったが、おまえを想う気持ちがあるからこそだ」
「え」
『想う気持ち』って、私を好きってこと?
「……でも、はっきり言ってはくれないんですね。
宝塚さんが、吹田さんは本音を言えないんだって、言ってましたけど。
甘い言葉は言えるのに、本音は言えないって、変じゃないですか?」
「……宝塚が真白に日常的に愛を語っているからといって、俺が同じように言えると思わないでくれ」
「……あー、それは、すみません」
スパダリの宝塚さんと同じように考えちゃうのは、確かに失礼だったね。
だとしても、あれだけ素でタラシ入るのに、好きって一言が言えないって、おかしくない?
あれ、逆なのかな。
甘い言葉は言えるのは、本気じゃないから?
「……タラシモード入ってる時の甘い言葉は、本音じゃないから、平気で言えるんですか?」
「違う」
きっぱりと言った吹田さんは、腕をゆるめた。
おでこをつけるようにして、私の目をのぞきこむ。
「すべて本心で、嘘ではない。
……それでも、言えない言葉もある。
おまえは、俺の名字は気軽に呼ぶのに、名前を呼ぶのは恥ずかしくて無理だと言うだろう。
それと同じだと、思ってくれ」
「…………あー」
確かに、名字は呼べても、名前は無理。
恥ずかしすぎて、絶対言えない。
もし吹田さんに呼んでって言われても、無理。
うん、無理なものは無理だね。
「すみません、納得しました……」
がっくりうなだれて言うと、吹田さんはかすかに笑った。
「ありがとう」




