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エリート×オタクの恋はいろいろ大変です!  作者: 香住なな
第二部 恋人編
58/93

ムダを減らしすぎると効率が悪くなる③

 なんとか気持ちを切り替えて、定時までミスせずに仕事を終える。

 宝塚さんに声をかけられる前にがんばっといて、よかった。

 さっさと警視庁を出て、いつもの待ち合わせ場所に向かう。

 駅のタクシー乗り場の隅で迎車の表示で待ってたハイヤーは、私が近づくとさっとドアを開けた。

 いつもは吹田(すいた)さんと一緒で、一人で乗るのは最初の時以来だから、ちょっと緊張する。

「こんばんは、お世話になります」

 乗りながら言うと、運転手のオジサマが振り向いて、優しいカオで言う。

「こんばんは、ご利用ありがとうございます」

 ……あれ。

 この人。

「あの、違ったらすみません、もしかして、三月に私の家まで送ってもらって、車の写真撮らせてもらった時の、運転手さんですか?」

「はい」

 やっぱり。



「あの時は、ありがとうございました。

 おかげでいい写真がいっぱい撮れました」

 ぺこっと頭を下げると、運転手さんは優しく微笑む。

「どういたしまして。

 お元気そうで何よりです」

「あ、はい」

「恐れ入りますが、シートベルトを締めていただけますか」

「あ、すみません」

 やんわり言われて、あわててシートベルトを締める。

「よろしいでしょうか」

「はい」

「では、出発いたします」

「はい」

 車がなめらかな動きで走りだす。

 あれから何度も乗せてもらってるけど、いつも夜で、車内は暗いから、運転手さんの顔ははっきり見えなかった。

 もしかして、今までもこのオジサマだったこと、あるのかな。

 聞いてみたいけど、運転中には話しかけないほうがいいだろうし。

 迷ってるうちに、車がいつものファミレスに着く。

 駐車場に入っていくと、奥のほうの空いてるとこに停まった。

 あれ、いつもはエレベーター近くでおろしてもらったら、営業所に戻っていって、二時間後にまた迎えにきてもらってたのに。

 シートベルトをはずした運転手さんは、私を振り向く。



「吹田様より、お嬢様を予約した部屋までお送りするようにと、命じられております。

 私では力不足だと承知しておりますが、どうぞお供をお許しください」

「えっ」

 運転手さんが部屋まで送るって、どういうこと?

「あの……どうしてですか?」

「理由はうかがっておりませんが、ご命令ですので」

 あー、そういえば。

 専属運転手さんは、吹田さんちの使用人さん達なんだっけ。

 だから、運転以外の命令でも、やってくれるんだ。

 でも、おおげさすぎないかなあ。

 吹田さんは、私を野放しにすると何かやらかすと思ってるみたいだけど、私はそこまでトラブルメーカーじゃない……はず。

 だけど、私が断ったら、オジサマが困ることになるんだろうし。

 おとなしく言う通りにしたほうが、いいんだろうな。

「……すみません、お世話になります」

「いえ、ではシートベルトをはずして、お待ちください」

「あ、はい」



 言われた通りにシートベルトをはずして、バッグを持つ。

 その間に車を降りた運転手さんは、後ろを回って私の横まで来て、ドアを開けてくれる。

「どうぞ、足下にお気をつけください」

「……ありがとうございます……」

 なんか、これ、めちゃくちゃ恥ずかしいかも。

 そろっと動いて車から降りると、運転手さんは静かにドアを閉める。

「では、参りましょう」

「はい……」

 先導する運転手さんの後ろを歩いて、エレベーターに乗って、店に入る。

 吹田さんがいなくても丁寧な態度の店長さんの案内で、いつもの個室に行く。

 店長さんがドアを開けると、一歩入った運転手さんがさっと室内を見回して、小さくうなずいた。

 わー、ドラマのSPさんみたい。



「どうぞ、お入りください。

 吹田様がおいでになるまで、私はあちらの席で待機しておりますので、何かありましたら遠慮なくお声がけください」

「えっ」

 見張りまで頼んだの!?

 なんでそこまで……?

 ……気になるけど、運転手さんに聞いてもたぶん答えてもらえないよね。

 吹田さんに直接聞くのが確実かな。

「……わかりました。

 ありがとうございます」

 ぺこっと頭を下げると、運転手さんも同じように返してくれる。

「いえ、では失礼いたします」

「……はい」

 店長さんも出ていって、部屋に一人きりになる。

 思わずため息をついた。  

 

-----------------


 掘りごたつ式のテーブルに座って、メニューをぼんやり眺める。

 一人でごはん食べることって、めったにないから、さみしいな。

 そんなにおなかすいてないし、吹田さんを待ってようかなあ。

 でも、先に食べておいてくれって言われてるってことは、吹田さんは一緒に食べる気ないってことだよね。

 ……あ。

 そうだ、前に、食べる速さについて聞いたら、一緒に食べてるんだから合わせるのが当然、みたいに言われたんだ。

 吹田さん一人ならもっと早く食べられるのに、私に合わせてゆっくり食べてくれてたってことは。

 ムダな時間を使わせてたって、ことだよね。

 私のための時間をムダだとは思ってないって、言ってくれたけど。

 客観的に見たら、ムダだよね……。

 ため息をついてから、ぶんぶんと頭を振る。

 あー、ダメだ、なんかネガティブになってる。

 こういう時は、違うことするのが一番。

 さっさとメニュー決めて、食べよう。



 スマホで動画を見ながら、黙々と食べる。

 かわいい子猫動画に、ちょっと癒された。

 食後のお茶をゆっくり飲んでると、吹田さんからメッセージがきた。

≪今から出る。後十五分ほどで着く≫

≪わかりました。お待ちしてます

私はもう食べ終わりました≫

 返信しておいて、急いでお手洗いに行く。

 あちこちチェックして、また急いで部屋に戻った。

 五分ほどして、ノックの音がした。

「はいっ」

 あわてて立ちあがると、吹田さんが入ってくる。

「待たせてすまない」

「あ、いえ……お疲れ様です」

「ああ」

 靴を脱いで上がってきた吹田さんは、私の前に立つ。



美景(みひろ)

「はい」

「……抱きしめても、いいか」

「えっ!?」

 なんで!?

 いつも私から言ってたけど、吹田さんから言われたの、初めてじゃない!?

 あわあわしたけど、吹田さんがじっと私を見て待ってたから、おそるおそるうなずく。

「はい、どうぞ……」

「ありがとう」

 律義に言った吹田さんは、ゆっくり私を抱きしめる。

 いつもと同じ優しい動きだけど、いつもよりしっかり抱きしめられてた。

 あ、あの時と同じだ。

 友達が死んだことでモメて、吹田さんの執務室に謝りに行った時、膝に乗せられて抱きしめられた。

 苦しくはないけど、逃げられないぐらいの強さ。

 抱きしめられてるのに、すがられてるように感じる。



「吹田さん」

「……なんだ」

「私からも抱きついていいですか」

「……ああ」

「ありがとうございます」

 そっと腕を上げて、吹田さんの背中に回す。

 ぎゅうっと抱きつくと、耳元に笑ったような吐息がかかった。

「あの時と逆だな」

「え……?」

 いつのこと?

「つきあうと決めた後、初めておまえが俺に抱きついていいかと聞いてきた時だ」

「………………あー、そうですね」 

 私が先に抱きついて、吹田さんに『俺からも抱きしめていいか』って聞かれたんだっけ。

 確かに逆だね。

「そんなこと、よくおぼえてましたねえ」

 言われたら一応思いだせたけど、言われないと無理だった。

「おまえに関することだからな」

「……ん?」

 なんか、さらっと言われたけど。

 また素でタラシ入ってる?

 今日の吹田さんは、意味わかんないことばっかりだなあ。

 ため息つくと、ゆっくり腕がとかれた。



「話の続きがしたい。

 かまわないか」

「あ、はい、でも、吹田さんは、ごはんまだですよね?」

「いや、もう済ませた」

「えっ」

 いつの間に……。

 ……そういえば、前に聞いたっけ。

 いつでも個室がある一流店で食事してるわけじゃなくて、忙しい時は、仕事中とか移動中の車内とかで、サンドイッチとかおにぎりとかの、すぐ食べられるもので済ませることもあるって。

 たぶん、ここに来る途中の車内で食べたんだろうな。

 体に悪いと思うけど、私が口出ししていいことじゃないだろうし……。



「座って話そう」

「あ、はい」

 そっと肩を押されて、その場にぺたんと座る。

 向かいにあぐらをかいて座った吹田さんは、ジャケットを脱いで横に置いた。

 さらにネクタイの結び目に指をひっかけてゆるめて、大きく息を吐く。

 最近のごはんデートの時は、そんなふうにくつろぐ感じが多かったけど、今日はなんだか違って見えた。

「……お疲れですか?」

 なんとなく顔色が悪い気がする。

「いや」

 短く答えた吹田さんは、じっと私を見る。



「まず、謝罪したいことがある」

「え、はい」

真白(ましろ)も言っていたが、あの部屋でのおまえと宝塚の会話を聞いていた。

 すまなかった」

 深く頭を下げられて、あわててぱたぱた手を振る。

「あの、それは、気にしないでください、心配かけた私が悪いので」

 ゆっくり頭を上げた吹田さんは、静かに言う。

「心配をかけたのは、俺のほうだ。

 ……美景(みひろ)

「はい」

「今から話すことは、本来はまだ極秘で、家族にすら伝えてはならないことだ。

 俺がいいと言うまでは、誰にも話さないと約束してくれ」

「え……」

 なんだろ。

 家族にも話せないようなことって、かなりヤバい内容だよね。

「あの、だったら、私は聞かないほうがいいっていうか、聞いちゃいけないんじゃ……」

「一応は許可をもらっているから、かまわない」

 許可……?

 うーん、意味わかんないけど、それを聞かないと話が進まない感じかな。

「……わかりました、約束します」

「ありがとう」

 しばらく黙ってた吹田さんは、ゆっくり言う。



「最近十日間で、警視庁所属のキャリア官僚及びその家族が、不審人物に尾行される事件が頻発している」

「えっ!?」

 そんなドラマみたいなこと、本当にあるの!?

「極秘に捜査を進めているが、対象が広範囲のせいで、相手の目的が絞りこめない。

 しかも、刑事部と公安部と警備部の、それぞれの部長が我を張りあっていて、互いの捜査の妨害までしているから、なかなか情報が集まらない。   

 俺や真白も車で移動中に一度尾行されたが、素人ではない感触だった。

 おそらく、相手はかなり大きな組織だ」

「え、吹田さん達まで!?」

 キャリア官僚なんだから、狙われて当然なのかもしれないけど、でも。

 何度も言われてた『身辺にはくれぐれも気をつけろ』って言葉が、急に現実味を帯びてきて、背筋がぞくっとする。

「大丈夫、なんですか……?」

 おそるおそる言うと、吹田さんは手を伸ばして私の手を握ってくれる。

「尾行されたのは一度だけだし、今のところ危険は感じない。

 俺は家の影響で、狙われることにもその対策にも慣れているから、他の者より狙いにくいと判断されて、ターゲットから外されたようだ」

「……よかった……」

 日常的に狙われる対策をしてるのって、大変だと思ってたけど。

 そのおかげで狙われずにすんだなら、よかった。



「だが、俺は今年の秋の辞令で警視正に昇進し、刑事部から異動になると、しばらく前に内示を受けた」

 静かに続けられた言葉に、びくっとする。

「警視正……」

 警視になったのも最年少記録だったのに、また最年少で出世なんだ。

 今でも遠い存在なのに、もっと遠い存在になっちゃうんだなあ。

 しかも異動になるってことは、執務室に会いにいくことすら難しくなるってことだよね。

 でも。

 吹田さんががんばってることが、偉い人にもちゃんと認められたってことなんだから。

 いいことだよね。

 握ってた手を離して、姿勢を正す。

「おめでとうございます」

 深く頭を下げると、吹田さんはなぜか苦いカオになる。

「それは正式な辞令が出てからでいい」

「お祝いの言葉は、何回言ってもいいんですよ。

 正式に辞令が出たら、また言いますね」

「……そうか」

「はい」



「……話を続けるぞ。

 昇進と異動が決まったことで、俺が再び狙われる可能性がある。

 そして、俺の弱点は、おまえだ」

「……え?」

 弱点……?

「俺に何かを要求するための人質として、おまえが狙われる可能性がある、ということだ」

 そう言う吹田さんの声は静かなのに、まなざしは苦しそうだった。

「相手を特定し、逮捕できるまでは、おまえと距離を置いたほうがいいと判断した。

 だから一昨日の電話で、忙しくなるからしばらく会えなくなると言ったんだ。

 異動の準備で忙しくなるのは、本当だったからな」

 そっか、秋頃がピークって、そういう意味だったんだ。

「……その後のおまえのメッセージは、なぜそういう考えに至ったのかわからなかったが、いい機会だと思った。

 距離を置くとしても、電話やデートの頻度がどれぐらいなら不満を抱くのか、どれぐらいなら我慢できるのかを確認したかった。

 だから、何も返信せずに、おまえの様子を見ることにした」

「あー……」

 そんな理由だったんだ……。

 あれ、でも。



「じゃあ、どうして昨日今日と機嫌悪かったんですか?」

 私とモメたわけじゃなくて、様子見してたなら、機嫌悪くなる理由ないよね?

「…………」

 じっと私を見つめた吹田さんは、小さくため息をついて目を伏せる。

「……おまえの限度を確かめるつもりが、その前に俺が耐えられなかった」

「え……?」

 吹田さんはゆっくりと手を伸ばして、私をふんわり抱きしめる。

「朝起きられたのか、体調に問題はないか、出勤途中でトラブルがなかったか、仕事でミスをしていないか、定時で仕事を終えられたか、無事帰宅できたか、趣味に没頭して夜更かししていないか。

 今までおまえからのメッセージで確認していたことが、何もわからない。

 そのことにひどくいらついて……真白に迷惑をかけた」

「……えっと……」

 つまり、私を心配してたってこと?



「……吹田さん、心配性すぎません?

 私、そこまでトラブルメーカーじゃないですよ?」

「……そういう意味ではない」

「じゃあ、どういう意味なんですか?」

「…………」

 耳元に、ため息みたいな吐息がかかる。

「俺の弱点はおまえだと、言っただろう。

 どうでもいい相手を、甘やかしたり心配したりしない。

 ……言葉にしたことはなかったが、おまえを想う気持ちがあるからこそだ」

「え」

 『想う気持ち』って、私を好きってこと?

「……でも、はっきり言ってはくれないんですね。

 宝塚さんが、吹田さんは本音を言えないんだって、言ってましたけど。

 甘い言葉は言えるのに、本音は言えないって、変じゃないですか?」

「……宝塚が真白に日常的に愛を語っているからといって、俺が同じように言えると思わないでくれ」

「……あー、それは、すみません」

 スパダリの宝塚さんと同じように考えちゃうのは、確かに失礼だったね。

 だとしても、あれだけ素でタラシ入るのに、好きって一言が言えないって、おかしくない?

 あれ、逆なのかな。

 甘い言葉は言えるのは、本気じゃないから?



「……タラシモード入ってる時の甘い言葉は、本音じゃないから、平気で言えるんですか?」

「違う」

 きっぱりと言った吹田さんは、腕をゆるめた。

 おでこをつけるようにして、私の目をのぞきこむ。

「すべて本心で、嘘ではない。

 ……それでも、言えない言葉もある。

 おまえは、俺の名字は気軽に呼ぶのに、名前を呼ぶのは恥ずかしくて無理だと言うだろう。

 それと同じだと、思ってくれ」

「…………あー」

 確かに、名字は呼べても、名前は無理。

 恥ずかしすぎて、絶対言えない。

 もし吹田さんに呼んでって言われても、無理。

 うん、無理なものは無理だね。

「すみません、納得しました……」

 がっくりうなだれて言うと、吹田さんはかすかに笑った。

「ありがとう」

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