ムダを減らしすぎると効率が悪くなる②
スマホとハンカチをポケットに戻した宝塚さんは、にこっと笑う。
「だけど、抱きつくのはナシね。
俺はシロを愛してるし、俺の身も心も全部シロに捧げてるから、たとえ友達のミケちゃんでも、ハグはできない」
「…………そうでした。
それでこそ、スパダリですよね」
ここで『友達だから』ってうなずくようなら、スパダリじゃないよね。
「うん、だから、ハグのかわりにアドバイス。
まず、吹田は本音を口に出すのが苦手、というより忌避感があるみたいだ。
これは、育った環境のせいだと思う。
常に本音を隠して、隙を見せないようにしろって、教育されたみたいだから。
……隙を見せたせいで友達の側近を死なせちゃったから、トラウマになったんだろうね」
「あー……」
そりゃ、トラウマになるよね……。
「それと、ミケちゃんは吹田を心配性だとか優しいとか言うけど、それはミケちゃん限定の態度だよ。
大学時代の吹田は、シロにだけはある程度気遣いしてたけど、それでも心配性じゃなかったし、世話焼きでもなかった」
「それは、シロさんが私よりしっかりしてて、心配する必要がなかったからでしょう?
私と比べるのは、シロさんに失礼ですよ」
「そうかな」
「そうですよ」
大きくうなずくと、宝塚さんは苦笑する。
「そっか。
じゃあ、もうひとつ」
吹田さんは手を伸ばすと、私が座る椅子の背もたれをつかんだ。
ゆっくり前かがみになって、おでこをつけるようにして私の顔をのぞきこむ。
「吹田は、ミケちゃんが好きだよ。
言葉にして伝えてなくても、間違いなく好きだよ」
「……そうですか?」
友達の宝塚さんには、そう見えるのかな。
「うん。
仕事中に、わざわざ会いにくるぐらいにね」
「え……?」
どういう意味……?
問いかけるより早く、背後のドアが勢いよく開いた。
びくっとして振り向くと、険しいカオをした吹田さんが入ってくる。
え、なんで!?
びっくりしてる間に、吹田さんは大股に歩いて近寄ってきた。
「離れろ」
険しい声で言いながら、宝塚さんの肩を押すように手を伸ばす。
その手を、宝塚さんは椅子を後ろに滑らせて避けた。
私を見た宝塚さんは、優しいカオになる。
「ミケちゃんとモメるたびに機嫌悪くなるぐらい、友達だとわかってる俺でも、ミケちゃんに近づく男を許せないぐらい、こいつはミケちゃんが好きなんだよ」
「え……?」
思わず見上げると、吹田さんはなんだか怒ったようなカオになった。
私の視線をさけるように、宝塚さんに近寄って背中を向けて、早口で何か言う。
知らない言葉だった。
英語でも、フランス語でもなさそう。
宝塚さんも、同じ響きの言葉で言い返す。
ヨーロッパ系っぽいけど、なんで急に?
「ミケさん」
「えっ」
静かな声にびくっとして振り向くと、いつの間にかシロさんが横にいた。
あー、でも、吹田さんがいたらシロさんもいるのは、当然だった。
吹田さんが開けたドアをきちんと閉めてくれたのも、シロさんなんだろうな。
シロさんは、椅子に座る私の横で膝つくようにしてしゃがんで、静かに言う。
「宝塚さんと吹田さんは、話をする際にその内容を知られたくない相手がいる時は、ああやって外国語で会話なさるんです」
「……はあ……」
そういえば、二人とも語学堪能なんだっけ。
でも、知られたくない内容って、なんだろ。
「シロさんは、二人がしゃべってる内容わかりますか?」
小声でこそっと聞いてみると、シロさんは困ったようなカオになって、同じように小声で答える。
「……すみません、不勉強なもので、わかりません。
ですが、内容は察しがつきます」
「え?」
「おそらく、吹田さんが『よけいな口出しをするな』とおっしゃって、宝塚さんが『だったらもう少し優しくしてやれ』とおっしゃってるんだと思います」
とたんに、吹田さんと宝塚さんが同時にこっちを見た。
「黙っていろ」
「当たり」
やっぱり同時に言われて、シロさんは宝塚さんに微笑んでから、吹田さんを見て小さく頭を下げる。
「すみません」
二人はしばらくにらみあって、またわからない言葉で話しだす。
「シロさんの声……聞こえてたの……?」
二人とも、言いあいに熱中してて、こっちで小声で話してることなんか、聞こえてなさそうだったのに。
「お二人は、見る、聞く、考える、動くを同時に複数こなせるような、優秀な方々ですから。
二人で話をしながら、こちらの話を聞きとるなど、簡単です」
「……はあ……」
わかってるつもりだったけど、二人とも、どんだけすごいんだろ。
……やっぱり、私じゃ全然つりあってないよね。
「……ミケさん」
「え、あ、はい」
そっと呼ばれて、あわてて視線を向けると、シロさんは申し訳なさそうなカオで私を見てた。
「お詫びしたいことがあります」
「え、なんですか?」
「この部屋でのミケさんと宝塚さんの会話を、吹田さんと私も聞いていました」
うん?
どうやって?
「……吹田さんの様子がおかしかったので、ミケさんの様子を宝塚さんに聞いてみたら、いつも通りのようだと言われて……。
ミケさんの本心を聞けるように、宝塚さんのスマホを通話状態のままポケットに入れていただいて、私のスマホをスピーカー状態にして、吹田さんと共に聞いていました。
盗聴のようなことをしてしまい、申し訳ありません」
まじめな口調で言って、シロさんは深く頭を下げる。
えー、スマホって、ポケットの中でも会話が聞こえるんだ。
ちょっと恐いなあ。
でも、今回のも、私達への気遣いだよね。
「気にしないでください、心配かけた私が悪いんで。
ただ、さっきも言ったように、今回は私とモメたわけじゃないんで、吹田さんの機嫌が悪い理由は、直接聞いてもらったほうがいいと思うんですけど……。
あれ、でも、お二人は、どうしてここに来たんですか?」
会話を聞いてたんなら、わざわざ来る必要ないよね?
「それは……その」
シロさんは迷うようなカオで、まだ言いあいしてる二人にちらっと視線を向ける。
「……宝塚さんが、『慰めてあげるよ』とおっしゃった後で、通話が切れたんです。
それで、吹田さんがこちらに……」
「……あー」
あの時、宝塚さんがスマホを出したのは、残り時間の確認だと思ってたけど。
通話を切ってたんだ。
でも、なんでだろ。
「…………」
いまだに私の知らない言葉で言いあいしてる二人を見る。
さっき宝塚さんは、『こいつはミケちゃんが好きなんだよ』って言ったけど。
吹田さんは、部屋に入ってきた時からずっと、私を見ない。
宝塚さんに文句を言いにきただけで、私に会いにきてくれたわけじゃ、ないんだ。
そうだよね。
もしまだ恋人扱いしてくれるつもりがあるなら、一昨日のメッセージに、何か言ってきたはず。
言ってこないってことは、吹田さんもそれでいいって思ったってことだよね。
「……ミケさん」
気遣うようなシロさんの声に、くすっと笑う。
「だいじょぶです」
ああ、でも。
会いにいくことすら難しいから、諦めてたけど。
せっかく会えたんだから、最後に言いたいこと、言っちゃおうかな。
深呼吸してから、小さな声で言う。
「吹田さん大好き」
ぴたっと、吹田さんが黙る。
ほんとに聞こえてるんだ。
宝塚さんがからかうような調子で何か言うと、吹田さんは何か言い返したけど。
「吹田さんが私を好きじゃなくても、私は吹田さんが好き」
私が言うと、またぴたっと黙った。
「…………あの、ミケさん」
困ったようなカオしてるシロさんに、にっこり笑う。
「ひとりごとです。
直接言ってるわけじゃないけど、聞こえちゃうのは、しかたないですよね」
「……はあ……」
ますます困ったようなカオになったシロさんから、黙ったままの吹田さんの背中に視線を移す。
「三ヶ月以上つきあっても、好きになってもらえなかったなら、私ではダメだったってことですよね。
吹田さんの、貴重な時間と体力と気力を使ってもらう価値は、私にはないんだって、よくわかったから。
もう、いいです。
今までありが」
「黙れ」
険しい声にびくっとして、言いかけた言葉がとぎれる。
「おまえら、出ていけ」
吹田さんが追いはらうように手を振って言うと、宝塚さんがわからない言葉で何か言った。
吹田さんが、やっぱりわからない言葉で言い返すと、宝塚さんは軽く肩をすくめた。
テーブルの反対側に回って、ドアに向かって歩きだす。
「シロ、おいで」
「……はい」
シロさんは、心配そうなカオしてたけど、宝塚さんに呼ばれて、小さく頭を下げて歩いていく。
ドアを開けようとした宝塚さんは、振り向いて私を見て、からかうようなカオで言う。
「ミケちゃん、最後のアドバイス。
『今だけでいいから慰めてください』って、一般的には誘い文句だから。
他の男には言っちゃダメだよ」
「え……はい」
そうなの?
難しいなあ。
「吹田、この部屋の予約時間は後三十分残ってるけど、ミケちゃんはこの後も仕事だってこと、忘れるなよ」
日本語で言ったってことは、私にもわかるようにかな。
「うるさい、さっさと出ていけ」
吹田さんが不機嫌そうに言うと、宝塚さんはくすっと笑って出ていく。
「……この後のスケジュールを調整しておきます」
シロさんが優しいカオで言って、会釈して出ていった。
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ドアが閉まると、吹田さんは宝塚さんが座ってた椅子に、私に背中を向けるようにして座った。
「美景」
そのまま呼ばれて、びくっとする。
「……はい」
「おまえは、俺と別れたいのか」
声は静かだったけど、シンプルかつストレートな言葉で、振り向かないままの問いかけは、冷たく感じた。
ぎゅっと手を握りあわせて、深呼吸してから答える。
「別れたい、わけじゃないです。
でも、別れたほうが、いいんだろうなって、思いました」
「…………そうか」
しばらく沈黙が続く。
「考えたいことがある。
十分、いや、五分でいいから、待っていてくれ」
「え…………はい」
「すまない」
吹田さんは眼鏡をはずしてテーブルに置くと、肘掛けに頬杖をついた手で目元を覆った。
そのまま黙りこんで、動かなくなる。
どうしてだろ。
私と違って頭がいい吹田さんは、どんな時でも悩まずに、スパッと答えを出せると思ってたのに。
さっきから、意味わかんないことばっかり。
でも、たぶん個人的に会えるのはコレが最後だろうから、ずっとおぼえておけるように、吹田さんを見ていよう。
しばらくして、吹田さんは深く息を吐いた。
ゆっくり手をおろして眼鏡をかけると、椅子を回転させて私のほうを向く。
「すまない、待たせた」
「いえ……」
声もまなざしも静かで、いつもの吹田さんだった。
「まず、誤解を解いておきたいことがある。
俺はおまえと別れたいとは思っていない」
「…………えっ?」
突然前提をひっくり返されて、ぽかんとする。
なんで?
いや、でも、……え!?
「今夜、何か用事があるか」
「……え、あ、いえ……」
「話の続きは、仕事が終わってから、いつもの店でしよう。
仕事中に職場で話すことではない」
「はい……」
「後でメッセージで詳細を送るから、確認して返信してくれ」
「はい……」
びっくりしすぎて頭が動いてなくて、うなずくことしかできずにいると、吹田さんはまた小さくため息をついて立ちあがる。
静かに歩いてきて横に立たれて、ぼんやり見上げると、そっと頭を撫でられた。
「俺は、おまえのために使う時間を、無駄だと思ったことは一度もない。
そう思うぐらいなら、そもそもつきあいはしない。
それだけは、理解しておいてくれ」
「…………はい」
こくんとうなずくと、吹田さんは目元をやわらかくする。
「俺は執務室に戻る。
おまえも、ここの使用時間が終わるまでには、職場に戻れ」
「……はい」
こくんとうなずくと、もう一度頭を撫でられる。
「……後でな」
「……はい……」
そのまま出ていった吹田さんを、ぼんやり見送る。
……えーっと。
何がどうなってるんだろ。
コレが最後だと思ったのに。
そうじゃなくて。
吹田さんは別れる気がなくて。
私との時間をムダだと思ってなくて。
……つまり?
……………………わかんない。
カーディガンのポケットで、スマホがふるえてメッセージの着信を知らせる。
びくっとして、あわてて取り出す。
「宝塚さん……?」
≪後五分でそこの使用時間終わりだから、戻っておいで≫
「え、あ」
時計を確認すると、確かにぎりぎりの時間だった。
あわてて立ちあがると、またスマホが着信を知らせる。
≪いつもの店に予約を入れた
仕事が終わったら、いつもの場所でハイヤーに乗って移動してくれ
俺が行けるのは十九時近くになるから、先に食事をして待っていてほしい
出る前にもう一度連絡する≫
「…………」
≪わかりました≫とだけ返信して、メモ帳とシャーペンを持って急いで部屋を出た。




