元カノと前カノは使い分けが難しい②
ここの個室は、元から和室じゃなくて、箱みたいな土台を置いて畳敷きの堀りごたつテーブルが置いてある。
ドアを入ってすぐのところで靴を脱いで、畳に上がって。
吹田さんに促されて、そこまではできたけど、吹田さんの手が離れると、どうしたらいいかわからなくなる。
動けなくなった私を見て、向かいの席に行こうとした吹田さんが戻ってきた。
「どうした」
「…………」
言いたいことは、すごくいっぱいあった。
聞きたいことも。
だけど、ありすぎて、何からにすればいいのか、わからない。
考えたいのに、頭がぼんやりして、動いてない。
「……座れ」
そっと肩を押さえて促されて、テーブルの横にぺたんと座る。
吹田さんは、私と向かいあうように胡坐をかいて座った。
「美景」
静かに呼ばれて、視線をちょっとだけ上げると、吹田さんはまっすぐ私を見てた。
「さっきの女とは、数年前に二年ほどつきあっていた。
それ以降連絡は取っていないし、会ったのも今日が初めてだ。
二股をかけていたわけでも、ヨリを戻したいわけでもない」
優しくはないけど、きっぱりした言葉だった。
吹田さんらしくて、ちょっとほっとする。
「あいつに何を言われたかは知らないが、気にするな。
あいつとおまえは、違う人間だ。
つきあい方が違うのも、当然のことだ」
……ほんとに、それだけなのかな。
「……聞いても、いいですか?」
「ああ。なんだ」
「あのヒトと、どこで知りあったんですか?」
「海外出張の帰りの飛行機の中だ。
あいつの仕事は国際線のキャビンアテンダントで、接客の合間に声をかけてきた。
その時は断ったが、空港でまた声をかけられた」
CAさんって、仕事中にナンパするの、アリなんだ。
「空港に着いたら荷物が出てこなくて、出発した空港に取り残されていて届くのは翌朝だと言われた。
迎えのハイヤーは途中で事故に巻きこまれて来ていなかったし、しかたなく空港の近くのホテルに泊まろうかと思っていたら、あいつが声をかけてきた。
『近くのホテルに長期契約で住んでいるから、泊まりにこないか』と。
機内でも声をかけられたから身元はわかっていたし、疲れていて早く休みたかったから、誘いを受けた」
淡々とした説明に、しばらく迷ってから、うつむいて小さな声で言う。
「……出会ったその日に、……した、って……」
「……ああ」
静かな肯定に、胸の奥がツキンと痛む。
「宿泊料と同程度の謝礼をすると言ったら、金はいらないから抱いてくれと言われた」
「……そういう、理由で、……できるんですね……」
ショックっていうか、哀しいっていうか、……なんだろう。
言葉にできない思いが、胸の奥でぐるぐるして、苦しい。
「俺は、健康な男だ。
性欲は当然ある」
ストレートな言葉に、びくっとする。
「その当時、つきあっている相手はいなかった。
あいつもいないと言っていたし、特に断る理由もなかったから、抱いた。
それだけだ」
「……っ」
寒いわけじゃないのに体がふるえて、自分の肩を抱いてうつむく。
それだけの理由で、できるのに。
私には、キスしかしなかったのは。
初心者の私に合わせてくれてたんじゃなくて。
きっと、その気になれなかった、だけなんだ。
ほんとは、ああいう、セクシーなヒトが、好みだったんだ……。
「美景」
静かに呼ばれて、びくっとする。
「顔を上げて、俺を見て、話を聞け」
「……っ」
ふるふるって首を横に振って、ぎゅうっと体を縮める。
ヤだ。
今は、なんにも聞きたくない。
「……………………」
しばらくの沈黙の後、ふいに頬に何かふれた。
頬を両手で挟むように包んで、優しい力で上向かされる。
「ヤ……っ」
ふりはらおうとしても、たいして力が入ってないように思える手は、びくともしなかった。
「聞け。
もしもおまえが今すぐ抱いてほしいと言うなら、抱いてやる」
静かだけど強い声に、思わず動きを止める。
なんで?
私には、そんな気にならないんじゃないの?
呆然と見上げると、吹田さんは私の目をのぞきこむようにしながら言う。
「そういう気になるかならないかの二択なら、なると答えてやる。
ただし、女なら誰でもそういう気になるという意味ではない。
おまえだからだ」
「……そん、なの……」
わけわかんない。
どうして……?
「だが、おまえはそういう関係を望んでいるわけではないだろう。
だから、今まではキスしかしなかった」
「……だけど、あのヒトとは……」
「おまえとあいつは違うと、言っただろう。
あいつは、最初から体だけのつきあいを望んだから、そうした。
おまえは、心の距離を縮めていくつきあいを望んだから、そうしたんだ」
「……心の、距離……?」
「そうだ。
一緒にいて楽しいと思えるような、安心できるようなつきあいがしたかったんだろう?」
頬を押さえてた手が、優しく撫でてくれる。
「…………はい」
自覚してなかったけど、言葉にすると、そういうことになるのかな。
「俺も、おまえとはそういう関係がいいと思った。
だから、体の欲は後回しにした。
自制できないほど、未熟でも愚かでもないからな」
「……………………」
ぼーっと吹田さんを見つめてると、また頬を撫でられた。
「まだ納得できないか?」
静かに聞かれて、ぼんやり答える。
「……できない、わけじゃ、ないんですけど……」
「なら、なんだ」
「……頭、いっぱいいっぱいで、パンクしそうです……」
吹田さんはかすかに笑って、そっと私の頭を撫でる。
「俺は、おまえを大切にしたい。
心だけでなく体もつながりたいと思うが、おまえが自分から望む時まで待てる度量はある。
だから、あせることも恐がることもない。
それだけは、理解してくれ」
「…………はい」
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だいぶ遅くなったけど、料理を注文して、黙って食べる。
まだ私の頭が動いてないってわかってるのか、吹田さんも黙って食べてた。
食器を下げてもらってる間に、お手洗いにいった。
髪がだいぶ伸びてきたから、うなじがちょっと暑い。
ハーフアップにしてたシュシュを取って、ブラシで軽く梳いて、うなじの上で一つにまとめる。
鏡の中の自分を見つめて、こくんとうなずく。
よし、気合入れていこう。
いろいろインパクトが強くて、まだちゃんと頭が動いてるとは言いがたいけど、だいぶ考えられるようになった。
いくつか、聞きたいことも増えた。
でも、もうそろそろお店を出ないといけない時間なんだよね。
いつもは二時間だけど、今日は注文するまでにアレコレあって三十分以上かかっちゃったから、残り時間が少ない。
中断されてうやむやになるのもイヤだし、店を出てからハイヤーの中で質問したほうがいいかな。
考えながら部屋に戻ると、吹田さんが静かに言う。
「この部屋の使用時間を一時間延長した。
母親に、帰りが遅くなると連絡しておけ」
「え……あ……はい」
私が考えてることぐらい、お見通しだった。
こういう時は、優秀さがありがたいなあ。
自分の席に座って、お母さんにメッセージを送る。
スマホをバッグに戻してから、吹田さんを見た。
「吹田さん」
「なんだ」
「抱きついていいですか」
「ああ」
いつも通りの言葉に、いつも通りに返してくれて、ほっとする。
ゆっくり立ちあがって近づいて、吹田さんの隣に座る。
体を私のほうに向けてくれたから、前から抱きついて、肩に頬をすりすりすると、やっと体から力が抜けた。
吹田さんは、ゆっくり頭を撫でてくれる。
いつもと同じ優しい動きが嬉しい。
「吹田さん」
「なんだ」
「さっきのヒトのこと、もう少し聞いてもいいですか」
前に『過去の交際相手の話はしたくない』ってはっきり言われてるから、一応確認する。
「ああ。なんだ」
「『部屋使っていい』とか、言ってましたけど、どういう意味ですか?」
吹田さんは、手を止めないまま静かに答えてくれる。
「自分がいなくても、成田空港を利用する際は、長期契約している近くのホテルの部屋に泊まっていい、という意味だ」
「自分がいなくても……?」
ホテルとはいえ、一応自分の部屋なのに?
「そうだ。
あいつは、月の半分近くは日本にいなかったからな」
そっか、国際線のCAさんて、海外に行くのが仕事だから、逆に日本にいる期間が少ないんだ。
「でも、それなら、普通にそのホテルに泊まればよかったんじゃないんですか?」
「長期契約者の部屋は、通常の部屋のように空室確認をしなくていいし、フロントでの手続きも必要ない。
深夜で疲れている時は、その少しの手間が煩わしく感じられるから、あいつの部屋のほうが使い勝手が良かった」
確かに、疲れてる時に面倒なことしたくないのは、わかるけど。
「そんなに空港を利用してたんですか?」
「ああ。
……あいつとつきあっていた頃、俺は公安部の外事第一課に所属していた。
通訳がいらなくて便利だと言われて、ほぼ全ての海外出張を押しつけられていたから、一時期は毎週のように海外に行っていた。
場合によっては、最終便で帰国して、翌朝の始発で違う国へ行くこともあった。
羽田空港ならともかく、成田空港での発着だと、いったん自宅に戻るより、空港近くに泊まったほうが効率が良かった」
そういえば、そんな話を前にシロさんに聞いたかも。
海外出張にはさすがについていけなくて、いつも心配だったって。
吹田さんは数ヶ国語を話せるらしいけど、だからって通訳不要でこき使うって、ひどいなあ。
あれ、でも。
「……それじゃあ、あのヒトとはあんまり会えなかったんじゃ……」
「つきあっていた二年間で、会ったのは二十回程度だな」
てことは、月一回以下だよね。
そういう状態に慣れてたから、私も、デートは月一回って言われたのかな。
「……でも……するコトは、してたんですよね……?」
なんとなく顔を見れなくて、うつむいて言うと、小さなため息が落ちる。
「あいつが望む時に望む格好でする、という条件で部屋を借りていたからな。
部屋を借りる時はメッセージで連絡を入れていたが、仕事が終わった直後にやってきて、コトが済んだらシャワーだけしてまた仕事に行ったこともあった。
ある意味、俺より体力があったのかもしれない」
「……確かに……」
国際線のCAって、かなりハードらしいのに、仕事直後にえっちして、また仕事に行くって、スゴいかも。
感心してて、何かがひっかかった。
「『望む格好』って、なんですか?」
吹田さんは、なぜか私をじっと見つめる。
なんだろ。
「……あいつは、おまえ達と似た嗜好なのかもしれないな」
「何がですか?」
吹田さんはもう一度ため息をついて、苦笑した。
「『必ず眼鏡をしてくれ』と言われた。
理由は聞いていないが、眼鏡をしている相手としかその気になれないらしい」
「…………ナルホド」
眼鏡萌えなんだ……。
そういえば、『あなたよりステキな人はいなかった』とか、言ってたっけ。
確かに、吹田さんは眼鏡似合うけど。
じいっと見つめてると、吹田さんは不思議そうなカオになる。
「なんだ」
「……吹田さん、眼鏡似合いますけど、眼鏡ないほうが、カッコイイと思います」
不思議なんだけど、眼鏡かけてる時は童顔ぽいのに、はずすとカッコイイんだよね。
吹田さんは、ちょっと驚いたようなカオしてから、くすっと笑う。
「おまえは、髪をおろしているほうがかわいいぞ」
「えっ!?」
突然の褒め言葉に動揺してる間に、シュシュをはずされた。
広がった髪を、梳いて整えるように撫でられる。
「やはり、このほうがかわいいな」
甘い声と微笑みで言われて、かあっと頬が熱くなる。
もうもうもう……!
急にタラシモード入るの、ズルイ。
肩に顔を押しつけてぎゅうぎゅう抱きつくと、こめかみにそっとキスされた。
「あいつと自分を比べる必要はないし、変える必要もない。
おまえは、おまえだからいいんだ。
そのままのおまえでいいから、ゆっくり近づいてこい」
優しい声で囁かれて、よけい恥ずかしくなったけど、小さくうなずいた。
「…………はい」




