元カノと前カノは使い分けが難しい①
突発デート以来、吹田さんは週イチペースでごはんデートに誘ってくれるようになった。
たいていは金曜の夜で、警視庁の近くで待ち合わせしてハイヤーで移動して、吹田さんの実家が経営してるファミレスの個室で食事して、ハイヤーで家まで送ってくれる。
まだアフターケアなのかなと思ったけど、『一ヶ月に一度半日会うのと、毎週二時間会うのと、どちらがいい』って聞かれたから、毎週って答えた。
おでかけデートだと、二人きりの時間はあんまりないから、イチャイチャできない。
ごはんデートだと、ごはんの後の一時間ぐらいとハイヤーに乗ってる間はほぼ二人きりで、イチャイチャできる。
それに、吹田さんに長時間運転してもらう負担を気にしなくていいし、例の小料理屋よりは庶民的なお値段のファミレスだから、おごられるのもそんなに気にならない。
いいこと尽くめだね!
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その日も、いつものファミレスでごはんデートの予定だった。
だけど、二重の自動ドアを入ったとたん、待合スペースの椅子に座ってた女性が、吹田さんを見てびっくりしたようなカオになって立ちあがる。
「吹田さん……!
久しぶりね、会えて嬉しいわ」
親しげに言いながら近づいてきたのは、細いのに出るとこはしっかり出てる、セクシーな美女だった。
服もアクセもバッグも海外の有名ブランドで、お化粧も上手。
背中のまんなかあたりまで伸ばした髪はツヤツヤで、ファッション誌に出てきそうなぐらいの美人。
身長はシロさんと同じぐらいみたいだけど、十センチはありそうなハイヒールだから、さらに高く見えた。
「……ああ」
吹田さんは、表情は変わらなかったけど、声はちょっと硬かった。
警察関係者じゃなさそうだけど、個人的な知りあいなのかな。
それにしては、やけに親しそうだけど。
「私も今来たところなの。
よかったら、一緒にどうかしら」
「悪いが、連れがいる。
遠慮してくれ」
きっぱりした拒絶に、女性は軽く目を見開いた。
吹田さんの横にいた私を見て、一瞬だけ鋭い目をして、すぐにっこり笑う。
「かわいらしいお嬢さんね」
「…………」
吹田さんと同年代ぐらいみたいだし、若く見られるのはいつものことだけど、なぜかバカにされた気がした。
初対面なのに、なんでだろ。
「もしかして、新しい恋人なのかしら」
問いかける口調は、優しそうだったけど、なんだかトゲがあった。
「おまえには関係ない」
吹田さんがきっぱり言うと、女性はちょっとだけカオをこわばらせたけど、すぐふわっと笑う。
「そうね、ごめんなさいね。
久しぶりに吹田さんに会えて、嬉しかったものだから。
お邪魔してごめんなさいね、それじゃ」
女性は私に意味ありげな視線を向けてから、レジカウンターにいた店員に声をかけて、奥のお手洗いに向かっていった。
店長さんの案内で個室に入ると、今日も掘りごたつ式テーブルの畳の部屋だった。
「……あの、先にお手洗い行ってきていいですか」
「ああ」
「すみません」
吹田さんに小さく頭を下げて、部屋を出る。
奥のお手洗いに向かうと、洗面台の横の化粧直し用スペースに、さっきの女性がいた。
振り向いて私を見て、にんまりと笑う。
「あら、かわいいお嬢さん。
また会ったわね」
しらじらしい言葉に、ぎゅっと拳を握る。
さっきのは、明らかに私を誘って、いや、挑発してた。
背が高いから、見下ろされると、迫力に飲まれそうになる。
でも、なんだかこの人には、負けたくない。
深呼吸して、気持ちを整える。
「私に、何か御用ですか」
女性は小さなブラシで髪を梳かしながら、私をちらっと見る。
「『御用』ってほどじゃないんだけど。
あなた、吹田さんの恋人なの?」
はぐらかしつつストレートな問いに、一瞬ためらったけど、こくんとうなずいた。
「はい」
ほんとのことだし、言っても、いいよね。
「まあ」
わざとらしい声をあげて、女性はじろじろ私を見回す。
「吹田さん、ずいぶんシュミが変わったのねえ」
やわらかだけどトゲのある言葉に、むっとする。
「どういう、意味ですか」
「そのままの意味よ。
だって」
毒々しい赤い色の口紅を塗りなおしながら、女性は鏡の中で笑う。
「以前は私とつきあってたんだもの」
「……っ」
シロさん情報で、吹田さんに何人か恋人がいたってことは知ってた。
話したくないって言われたから、想像するしかなかったけど、吹田さんがつきあうぐらいなんだから、シロさんみたいな理知的な美女だと思ってた。
なのに、こんなイヤミな性格の人だったなんて。
「吹田さんて、見た目クールだけど、ベッドではけっこう激しいでしょう。
小柄なのに体力はあって、絶倫なのよね」
「なっ」
あからさまな言葉に、かあっと顔が熱くなる。
女性は鏡越しに私を見て、わざとらしいしぐさで首をかしげた。
「もしかして、まだ吹田さんとセックスしてないの?」
「……そん、なの、あなたに答える必要ありませんっ」
つっかえながらもなんとか言うと、女性は鏡の中でにいっと笑う。
「私とは、出会ったその日に、だったけれど。
あなたじゃ、しょうがないかしら」
鏡越しの視線が、胸とか腰とかに向けられるのを感じて、全身が熱くなる。
そりゃ、この人に比べたら、オコサマ体型かもしれないけど、でも、吹田さんは、外見だけで相手を選ぶような人じゃない。
口紅をハンドバッグに戻した女性は、振り向いて私を見て、にっこり笑う。
「私、大手飛行機会社の国際線のキャビンアテンダントなの。
めったに日本に帰ってこないから、吹田さんともたまにしか会えなかったけれど、そのぶん会えた時は必ずセックスしたわ。
何度もイかされて、腰がだるくなるぐらい」
「……そんな話、聞きたくありませんっ」
叫ぶように言って、個室に駆けこむ。
ぱしんとドアを閉めて鍵をかけると、くすくす笑う声が聞こえた。
「ごめんなさい、ウブなお嬢さんには刺激が強すぎたわね。
でも、吹田さんがそういうヒトだってわかってなかったのなら、別れたほうがいいんじゃないかしら。
もっとあなたに合った、かわいい恋ができる相手を探したほうがいいと思うわ。
それじゃ」
「…………」
ヒールの硬い靴音が聞こえなくなって、大きく息を吐く。
胸の奥で、何かがぐるぐるして、苦しい。
こういう時は。
「ボンさんお勧めの動画を見よう」
あえて声に出して、自分に指示する。
ショルダーバッグからスマホを取りだして、手早く操作する。
いつだったかの報告会の余り時間で、気持ちのコントロールの話になって、心を無にしたい時に最適だって教えてもらったもの。
動画を再生すると、水の中でクラゲがふよふよ浮いていた。
ただそれだけの映像が、十分ぐらい続く。
最初は意味不明だと思ったけど、見終わった時には、確かになんだか心がおちついた。
それ以来、主に推しに何かあった時に活用させてもらってる。
壁にもたれてぼんやり動画を見終わって、ため息をつく。
うん、ちょっとおちついた。
個室を出て、洗面台の冷たい水で手を洗うと、さらにすっきりした。
鏡をのぞきこんで、自分と見つめあう。
あのヒトが、ほんとに吹田さんの元カノだったとしても。
あのヒトが言うような、つきあい方をしてたんだとしても。
今のカノジョは私なんだから、関係ない。
ほんとに偶然出会っただけで、私と二股かけてたわけでもなさそうだし。
だったら、気にする必要ない。
「……よしっ」
気合を入れてお手洗いのドアを開けたとたん、ぴたっと足が止まる。
吹田さんが、少し先の壁に腕組みしてもたれて立ってた。
その横に、さっきの女性がいた。
吹田さんの肩に手を置いて、よりかかるようにして、耳元で何か言ってた。
いかにもエリートなスーツ姿の吹田さんと、ちょっとハデだけどセクシーな美女は、お似合いのカップルに見えた。
どうして、吹田さんは、あの人と一緒にいるんだろう。
どうして、吹田さんは、あんな状態を許してるんだろう。
もしかして、ヨリを戻したいとか、思ってるのかな。
「あんなコドモっぽいお嬢さんじゃ、楽しむどころか、その気にもなれないでしょう?」
店内放送の音楽が静かな曲調になって、声が聞こえてきた。
ドアの陰から、そっと様子をうかがう。
「でも、私なら、満足させてあげられるわ。
私の体がイイってこと、充分わかってるでしょう?」
吹田さんは、前を向いたままで、表情は変わらなかったけど、女性の手を払いのけようともしなかった。
「あのお嬢さんと別れられない理由があるなら、そのままでもかまわないわ。
前みたいに、私が日本に帰ってきた時だけ、会ってくれればいいの。
部屋も、前みたいに使ってくれてかまわないわ」
女性は吹田さんを見つめながら、うっとりしたカオで言う。
ああいうのが蠱惑的っていうんだって、なぜか突然思った。
「あなたと別れてから、いろんなヒトに出会ったけど、あなたよりステキな人はいなかったわ。
あなたは私の理想の男性なの。
だから、ねえ、お願い、吹田さん。
絶対満足させてあげるから……」
肩に乗ってた手が、誘うように頬に伸ばされる。
その手を、吹田さんは軽くはらいのけた。
「おまえとは、別れた。
もうおまえに興味はない」
吹田さんが淡々と言うと、女性ははらわれた手をぎゅっと握りしめる。
「……どうして!?
あんなコドモっぽいコより、私のほうがイイでしょう!?」
「俺は、おまえで満足したことは一度もない」
「でも、いつも」
「達するのと、満足するのとは別だ。
自惚れるな。
おまえ程度の女は、いくらでもいる」
「なっ」
吹田さんは体を起こすと、私に背を向けるようにして女性と向かいあう。
「二度と俺に関わるな」
吹田さんが、どんなカオしてたのかは、見えなかった。
だけど、すごく冷たい声だった。
青ざめた女性は、早足で去っていった。
ゆっくり振り向いた吹田さんは、こっちに向かって歩いてきた。
私が隠れてたドアに手をかけて押さえて、顔をのぞきこんでくる。
「戻りが遅いから様子を見にきたんだが、体調が悪いのか」
さっきとは別人みたいな、優しい声の問いかけに、なんて答えたらいいのかわからない。
「美景」
そっと呼ばれて、びくっとする。
「ぇ、あ……平気、です」
「なら、戻るぞ」
「…………はい」
さしだされた手をおそるおそる握ると、ゆっくり引きよせられる。
肩を抱いて促されて、ぼんやり歩いて部屋に戻った。




