恥ずかしいから恥ずかしい
月曜の午後恒例、カウンセリングって建前の報告会。
今日の話題は、やわらかクッキーと、突発ごはんデート。
もちろんちゃんとクッキーの現物を持ってきてあるから、食べながらのんびり話す。
「……で、すっごい楽しかったんですけど、結局理由はわかんないままでした。
なんででしょうねえ」
「そうねえ……」
曖昧にうなずいたボンさんは、私を見てなぜか苦笑する。
「ねえミケちゃん。
吹田さんが突然デートに誘ってくれた理由に、思いあたることないの?」
「ないですけど、ボンさんにはわかるんですか?」
「そうねえ、わかるけど、ミケちゃんが自分で気づいたほうがいいと思うのよ」
「えー、でも、吹田さんを待ってる間とかに考えましたけど、全然わからなかったんです。
ボンさんは、さっきの私の話でわかったんですか?」
「そうねえ、でも半分はズルかしら。
吹田さんから、直接連絡があったから」
にっこり笑うボンさんに、思わず唇をとがらせる。
「えー、それズルイじゃないですか」
直接聞いてるなら、わかって当然だよね。
「そうねえ、じゃあ教えてあげるわね」
「お願いしますー」
ボンさんは、紅茶を一口飲んでから言う。
「吹田さんからの連絡はね、ミケちゃんがバカな若者に未遂とはいえ襲われて、不快な思いをしたから、しばらく注意して様子を見ていてやってほしい、って内容だったの」
「…………あー、そういえば、そんなこともありましたねー」
吹田さんとのデートが楽しすぎて、すっかり忘れてた。
「その時のこと、言える範囲でいいから話してくれる?」
「いいですよー。
あ、別に言いたくなかったからじゃなくて、単に忘れてただけなんで。
えーっと、最初は倉庫に資料を運んでる時に声をかけられて……」
ぶっちゃけもうだいぶ記憶薄れてたけど、なんとか思いだして語っていく。
「……で、突然デートすることになったんです」
「なるほどねえ……」
黙って聞いてたボンさんは、ゆっくりうなずく。
「私としては、変な人にからまれてウザかった、ぐらいの記憶しか残ってなかったんですけど。
もしかして、吹田さんは、私の気晴らしのために、デートしてくれたってことですか?」
人質にされた時は、心配されすぎてモヤっとしてた気晴らしに、執務室や吹田さん達の写真を撮らせてくれた。
今回は、それがデートだったってことなのかな。
「そうみたいねえ。
でも、イヤなめにあったカノジョを慰めてあげたいっていうのは、カレシとして普通の考えだと思うわ。
たっぷり甘やかしてくれたんでしょ?」
「はい、ものすごく」
「それで、イヤなことは『ウザかった』ぐらいの思い出になってるなら、気晴らしは成功ってことよね」
「そうですねー」
吹田さんの【計画通り】ってことなんだ。
でも、ボンさんが言う通り、気晴らしになったし、嬉しかったし。
ウィンウィン、ってことかな。
あ、それに。
「ウザかったんですけど、おかげでわかったことがあるんですよ。
私、吹田さんに名前を呼ばれると嬉しいんですけど、交野さんだと気持ち悪かったんです。
相手によって感じ方が違うって、面白いですよね」
「そうねえ、それだけ吹田さんを好きってことよね」
にっこり笑って言われて、私も思わず笑う。
「そーですねー、好きですよー」
「なかよしなのはいいことよ~。
ところで、ミケちゃんは吹田さんのこと、名前では呼んでないの?」
「え?
あー、そうですね、つきあう前から、今もずっと『吹田さん』って呼んでます」
「へえー。
名前で呼んでみたいとは、思わないの?」
「んー、私にとって、吹田さんはずっと『吹田さん』だから、名前で呼んでみたいって思ったことはないですねえ。
ボンさんは、カレシさんを名前で呼んでたんですか?」
「そうねえ、だいたい名前で呼んでたわねえ。
あー、でも、共通の知りあいの前とかでは、つきあう前と同じように名字で呼んでたわねえ」
「へえー、そーいうものなんですねえ。
でも、うーん……」
吹田さんを、名前で呼ぶ。
………うん、無理。
想像しただけで、恥ずかしくなっちゃった。
「ミケちゃん、顔赤いわよ~」
からかうように言われて、ほっぺをむにむに揉む。
「だって、そんなの、無理ですよ……!」
想像するだけでコレなら、面と向かって言うなんて、絶対無理。
「そうねえ、無理そうねえ。
まあ、どうするかは、吹田さんと相談したほうがいいわね。
もしかしたら、名前で呼ばれたくないって可能性もあるから」
「え、そうなんですか?」
「そうねえ、人によるわねえ。
他に誰がいても名前で呼んでほしい人もいるし、二人きりの時だけにしてって人もいるし、自分が呼んでほしい時だけって人もいるし、絶対名前で呼ばれたくないって人もいたわねえ。
さらに、呼び捨てがいいとか、さん付けじゃないと嫌だとか、愛称がいいとか、呼び方そのものにも好みがあるのよねえ」
「えー、それ無理ゲーすぎませんか?」
そんなの、どうやって判断すればいいんだろ。
「それに、吹田さんて、おぼっちゃまかつエリートでしょ?
名前で呼ぶにしても、気をつけたほうがいいかもしれないわねえ」
「え、何がですか?」
「ムダにプライド高い人は、あんまり馴れ馴れしい呼び方すると、怒ることがあるのよ。
吹田さんはそういう人じゃないと思うけど、実家で『若様』って呼ばれてたぐらいなら、下の立場の者が名前を呼ぶのは失礼、みたいな風習があるかもしれないわねえ」
「あ~~、確かに、ありそうですねえ」
古いおうちだから、しきたりとかそういうの、厳しそうだよね。
「だから、吹田さん本人に聞いてみるのが一番ね」
「ええー……」
聞くこと自体、恥ずかしいんだけど。
でも、本人がイヤな呼び方しても、意味ないし……。
「どういう呼び方するか決まったら、また教えてね」
にっこり笑って言われて、苦笑してうなずいた。
「はーい」
-----------------
いきなり吹田さんに聞くのは恥ずかしいから、まずはシロさんにメッセージで聞いてみることにした。
≪今日友達に『吹田さんのこと名前で呼ばないの?』って聞かれました
恥ずかしくて無理って答えたんですが、シロさんは宝塚さんのこと、名前で呼んでますか?
呼んでるとしたら、いつからで、どういう時ですか?
ついでに、なんて呼んでますか?
名前呼び捨てですか? 名前+さんですか? 愛称ですか?≫
≪つきあいだしてから、二人きりの時だけ名前で呼んでいます
呼び方は、名前+さん、です≫
≪なるほどー。ありがとうございます
ちなみに、吹田さんちのしきたりで、名前で呼ぶのは失礼、とかありますか?
シロさんは『若様』って呼んでたんですよね
家族しか名前で呼んじゃいけない、みたいなルールがあったりしますか≫
≪私達使用人が本家の方々のお名前を呼ぶのは失礼にあたるとは、言われていました
若様をお名前で呼ぶのは、ご家族だけだったと思います≫
≪やっぱりそうなんですねー
ありがとうございましたー≫
うーん、ボンさんの予想通りだった。
先にシロさんに確認してよかったー。
あとはー、宝塚さんにも聞いてみようかな。
≪こんばんはーお疲れ様です~
今日友達に『吹田さんのこと名前で呼ばないの?』って聞かれました
恥ずかしくて無理って答えたんですが、男の人って、カノジョには名前で呼ばれたいものですか?
できれば一般論と、宝塚さんの考えと、両方教えてください
呼ばれたいシチュとかこだわりとかあるなら、それも教えてほしいです
よろしくお願いしますー≫
≪こんばんはーお疲れ~
一般論としても俺個人としても、カノジョには名前で呼ばれたいかな
そのほうが、特別な感じがするから
シチュやこだわりは、俺はあんまりないけど、こだわる男もいるね
呼び捨てじゃないと他人行儀に感じるとか、逆に呼び捨てはありえないって奴もいたから、個人差が大きいと思う
吹田がどう呼ばれたいかはわからないから、本人に聞いてみてね≫
≪なるほどー、じゃあ吹田さんに直接聞いてみますね
ありがとうございますー≫
≪どういたしましてー≫
-----------------
その日の夜の電話で、吹田さんに聞いてみた。
「今日友達に『吹田さんのこと名前で呼ばないの?』って聞かれたんです。
恥ずかしくて無理って、思ったんですけど。
名前で呼んだほうがいいですか?」
〔……まず、なぜ恥ずかしいのか教えてくれ〕
「えー、なぜって言われても、恥ずかしいから、恥ずかしいんです。
呼ばれるのも恥ずかしかったですけど、呼ぶほうはもっと無理です」
恥ずかしいって、理屈じゃないよね。
〔……そうか。
無理なら、今まで通りでかまわない〕
よかったー。
「ちなみに、恥ずかしくなくなったら、名前で呼んだほうがいいですか?
宝塚さんに聞いてみたんですけど、カノジョに名前呼んでほしいって思うのは一般的だそうですし」
〔……おまえが呼びたいと思うなら、呼べばいい。
俺から強要はしない〕
うーん、微妙な答え。
でも、『呼ばなくていい』じゃないってことは、呼んだほうがいいのかな?
「これはシロさんに聞いたんですけど、吹田さんちでは、ご家族以外は名前で呼ばないそうですね。
じゃあ、おうちを出てからずっと、名前で呼ばれたことないんですか?」
吹田さんて、友達からも名前で呼ばれるタイプじゃなさそうだもんね。
〔……ああ〕
あ、やっぱりそうなんだ。
うーん、今までのカノジョにはどう呼ばれてたのかな。
でも、言いたくないって、前にはっきり言われてるから、聞けないし。
「もし私が呼ぶとしたら、どう呼ばれたいですか?
名前呼び捨て、は私が無理ですけど、さん付けとか、あ、様付けのほうがいいですか?
ご実家では『若様』って呼ばれてるんですよね?」
〔おまえの呼びたいようにしてかまわない。
……その呼び方は、立場をわかりやすくするためであって、俺が望んだわけではない〕
吹田さんは、なんだかイヤそうな声で言う。
あれ、吹田さん的には、『若様』呼びは、あんまり好きじゃないのかな。
「わかりました。
じゃあ、もし呼べるようになったら、名前にさん付けにしますね。
ただ、その、恥ずかしいだけじゃなくて……。
私は吹田さん達ほど頭良くなくて、切り替えもヘタだから、名前で呼ぶようになったら、職場で出会った時も、うっかり名前で呼んじゃいそうなんです。
そしたらいろいろ大変なことになりそうなんで、普段から名字で呼んでおくほうがいいかなって、思うんです」
今まで偶然出会ったことはないから、大丈夫だとは思うけど、一応同じフロアにいるし、可能性がないわけじゃない。
その時に、口うるさい班長さんとか管理官さんにうっかり聞かれちゃったら、礼儀がなってないとか無礼だとか、絶対言われちゃう。
〔……そうだな。
そのほうが、おまえのためだろう〕
吹田さんも、そう思うよね。
あ、そういえば。
「ちなみに、つきあう前から私を名前で呼んでくれたのは、どうしてなんですか?
シロさんや宝塚さんに、吹田さんが名前で呼ぶ女性は、シロさん以外には私だけで、それだけ特別扱いしてたんだよって、言われたんです」
普段からあれだけハニトラを警戒してるんだし、相手が誤解するようなことをうっかりするなんて思えない。
つきあってからならわかるけど、つきあう前からだったのは、どうしてなんだろ。
まあ、もしかしたら、私なら誤解しないだろうからって、思ってたのかもしれないし。
ミケって呼ぶよりは、名前のほうがマシってことだったのかもしれないけど。
それなら、名字で呼べばいいんだし。
〔……名前で呼びたいと、思ったからだ〕
ん?
えーと、なんだっけ。
あの時言われたこと。
「…………自分が正しく呼ばれなくて嫌な思いしたから、ちゃんと呼びたい、でしたっけ?」
〔ああ。
だが、それだけではなく、おまえだからだ。
……先週おまえは、初めて名前を呼ばれた時から俺を好きだったと、言っていただろう。
同様に俺も、あの時点でおまえを名前で呼びたいと思う程度には、おまえを好ましく思っていたようだ〕
「~~~っ」
もうもうもう……!
最後、急に甘い声になるの、反則っ!
電話だと耳元で囁かれてる感じで、よけいクるんだから……!
足をジタバタさせて、叫びたくなるのをなんとかこらえる。
〔どうした〕
からかうような声に、ぎゅうっとスマホを握りしめる。
「吹田さんが、いきなりタラシモード入るからです……っ」
宝塚さんみたいに常時オンなのはアレだけど、いきなりスイッチ入るのも、ついていけなくて困っちゃう。
「私、初心者なんで、もうちょっと手加減してください……」
〔わかっている。
おまえに合わせて、少しずつ教えてやる〕
優しい声が、よけい恥ずかしい。
わかってて、アレなんだ……。
あー、電話でよかった。
今絶対真っ赤になってる。
「お手柔らかにお願いします……」
〔ああ〕
吹田さんは、楽しそうに笑った。




