信じるって意外と重い言葉だったりする③
ごはんを食べ終えて、私の家に戻る。
お母さんは車に乗っていってたから、うちの駐車場に車を停めてもらった。
「どうぞー」
ドアの鍵を開けて先にあがり、自分のスリッパを履いて、そろえて置いといたスリッパを手で示す。
「邪魔をする。
これは、手土産だ」
「あ、ありがとうございます」
吹田さんが、車から持ってきた紙袋をさしだす。
相変わらず、きっちりしてるなあ。
あわてて受け取ると、私でも知ってる有名ブランドの焼き菓子だった。
お茶と一緒に出したほうがいいんだろうけど。
「お茶は……今はいいですよね」
「そうだな」
準備はしておいたけど、ごはんの最後に飲んだとこだもんね。
「ちょっと待っててくださいね」
急いでお菓子の袋をキッチンに置きにいって、玄関に戻る。
「お待たせしました。
じゃあ私の部屋に案内しますね」
「ああ」
ゆっくり階段を上がって、廊下を進む。
「ここです、どうぞ」
深呼吸してから、ドアを開ける。
ドアの前から奥に向かう壁際に、チェストと私より背の高い本棚が二つ。
上二段はぬいぐるみで、その下は本。
ドアを入ってすぐ右の壁沿いにベッドと、小学生の頃から使ってる机。
正面の壁沿いには、私の胸ぐらいの高さの扉つき本棚が三つあって、それも上はぬいぐるみ置き場。
でも今日は、ベッドの枕元や机の上や本棚の上に置いてるのも、全部集めて、床のラグの上にまとめて置いといた。
「これが、私のコレクションでーす」
吹田さんを振り向いて、ちょっぴり自慢するように言う。
「……ほう」
小さな声を漏らした吹田さんは、まじめなカオしてたけど、目が輝いてた。
あー、これは、買い物の時にたまに見た、ゴキゲンなカオだ。
「なかなかの品揃えだな」
「でしょー?
どうぞ、座ってゆっくり見てあげてください」
「ああ」
吹田さんは嬉しそうにうなずいて、ぬいぐるみたちの前にセットしておいたクッションに座った。
一番端に置いてあった、高さ五十センチのピンクのテディベアを取りあげる。
「ピンクは邪道だが、手ざわりはいい」
ひとりごとみたいに言いながら、手ざわりを確かめるみたいに、手をふにふに握る。
しばらくして元の場所に戻すと、その隣のドレスを着たテディベアを取る。
「衣装は手入れを怠るとみすぼらしくなるが、これはきちんと手入れされているな」
ドレスをチェックし、手ざわりを確かめて、また元の場所に戻す。
めちゃくちゃ楽しそうだった。
「……………………」
吹田さんの隣に用意しておいた自分用のクッションに、ぺたんと座る。
喜んでもらえて、嬉しい。
自慢のコレクションがウケるのも、すごく嬉しい。
だけど。
私のこと完全無視なのは、なんか、ちょっと、さみしいな。
目の前にいた、吹田さんとの初おでかけデートで買ったテディガールを取って、ぎゅっと抱きしめる。
じいっと横顔を見つめても、吹田さんはぬいぐるみしか見てない。
いつもなら、こっそり見てると、すぐ気づかれるのに。
コレクション見せたかったし、ゆっくり話したかったし、二人きりになりたかったし。
おうちデートって、いい案だと思ったけど。
失敗だったかも。
……あ、そうだ。
「吹田さん」
「なんだ」
「抱きついていいですか」
そしたら、私もさみしくない。
「…………」
ようやく私を見た吹田さんは、深くため息をつく。
あれ。
今までは、いつもオッケーしてくれたのに。
今日はダメなの?
吹田さんは持ってたウサギのぬいぐるみを床に戻して、私のほうに体を向ける。
「おまえは、危機感がなさすぎる。
俺でなければ、どうなっていたかわかっているのか」
呆れたようなカオで説教口調で言われて、首をかしげる。
「何が、危機なんですか?」
「…………」
吹田さんは、さっきよりさらに大きなため息をつく。
えー、なんで?
「吹田さんだから抱きつきたいんですけど、吹田さんじゃない人のことを気にしないといけないんですか?」
意味わかんない。
吹田さんは、ゆっくり手を伸ばして、私の右手の手首をつかんだ。
なんだろ。
「ふりほどいてみろ」
「? ……はい」
とまどいながらも、軽く手を引いてみたけど、吹田さんの手は離れなかった。
あれ?
ぶんぶん振っても、離れない。
左手でひきはがしてみようとしても、やっぱりダメ。
なんで?
軽くつかまれてるだけなのに。
痛むほど力も入ってないのに。
こうなったら。
「……っ」
立ちあがる勢いでふりほどこうとしたけど、やっぱりダメで、ぽすんとクッションに座りなおした。
「なんで……?」
「男と女の、力の違いだ」
吹田さんは静かに言って、手を離す。
「力が弱い男も力が強い女もいるが、平均的には、体格が同程度なら女より男のほうが力が強い。
体格に違いがあれば、なおさらだ。
おまえは、俺が自分とたいして体格が変わらないから、力もたいして変わらないと思っていたのだろう。
だが、実際には、おまえより俺のほうが力が強い」
学校の先生みたいな静かな説明に、思いだす。
懇親会で、宝塚さんににらまれて腰が抜けちゃった時、吹田さんは、私を肩にかついで普通に歩いてた。
細くても男の人なんだって、思った。
「男は、女より力が強い。
そして、男は、女より欲望に弱い。
部屋に二人きりで、無防備に抱きつかれたら、相手にその気がないとわかっていても、理性は本能に凌駕され、欲望が暴走する。
力で押さえこまれれば、逃げられない。
だから、女は自衛手段をおぼえなければならない。
男と二人きりにならないよう、不用意に接しないよう、隙を見せないよう、気をつけろ」
あー、危機感て、そういう意味だったんだ。
やっとわかったけど、言い聞かせるような言葉は、なんだか納得いかなかった。
「どうして、女が気をつけなくちゃいけないんですか?
悪いのは、我慢できない男のほうでしょう?」
「そうだ。
だが、男優位の社会では、女が自衛するしかない」
「そんなの、不公平です……」
「不公平でも、それが現実だ。
外出前に天気予報を見て、雨が降るとわかったら、傘を持って出るだろう。
それと同様に、事前に予想できる危険なら、避けられるよう行動すべきだ」
「……そう、ですけど……」
テディガールをぎゅうっと胸に抱きしめてうつむく。
吹田さんが言ってることの意味は、わかる。
それでも、やっぱりなんだか、納得いかない。
「美景」
ふわっと、頭を撫でられる。
「おまえが人を信じる心を持っているのは、素晴らしいことだ。
だが、現実には、信じて傷つくこともあるのだと、知っておけ」
優しい声が、なんだかせつない。
心配してくれてることは、わかってる。
だけど、吹田さんは。
「あ、そっか」
「……なんだ」
顔を上げて、不思議そうな吹田さんを見つめる。
「男はケダモノってことは、知ってます。
だけど、吹田さんは、違うでしょ?
理性ふっとんで、ケダモノになるなんて、ありえないでしょ?」
だから、男はみんなケダモノって感じの言い方が、納得いかなかったんだ。
「……………………」
吹田さんは、黙ったままじいっと私を見つめる。
しばらく経ってもそのままで、なんだか不安になってくる。
違う、のかな。
もしかして、吹田さんでも、ものすごーくグラマーな美女に抱きつかれたら、ケダモノになっちゃうのかな。
「…………確認するが」
長ーい沈黙の後、吹田さんはなぜか疲れたようなカオで言った。
「なんですか?」
「おまえの俺に対する信頼は、職業上の倫理を反映したうえでのことか?
それとも、俺個人に対してなのか」
「えー、っと」
あーもう、ほんと言い方小難しいんだから。
「俺が警察官僚だから、女を力ずくで襲うことはないと思っているのか。
それとも、俺だから、そういうことをしないと思っているのか。
どちらだ」
あ、そういう意味なんだ。
言いなおしてくれるなら、最初からそう言ってくれればいいのに。
「吹田さんだから、そんなことしないって、信じてるんです」
「…………そうか」
ゆっくり手を伸ばした吹田さんは、優しく頭を撫でてくれる。
「俺は、おまえの言動が無自覚だと理解しているし、自制できないほど未熟でも愚かでもない。
だが、全ての男がそうだと思うな。
万が一の危険は、常に意識しておけ」
肩にまわった手にゆっくり引きよせられて、吹田さんの肩にもたれかかると、ふんわり抱きしめられた。
「口うるさいと思うかもしれないが、俺は、おまえに傷ついてほしくないんだ。
俺だけでなく、真白も、宝塚も、おまえの家族も、おまえの友達も、おまえを知る者は皆そう思っているはずだ。
だから、自分の身を守ることをもう少し意識してくれ」
耳元で囁く声は、優しいのに、なんだか祈るような響きだった。
あ、そうか。
吹田さんは、自分の身を守れなくて、身代わりになった側近さんを死なせちゃったことを、今でも後悔してる。
だから、『自分の身を守ること』に、こだわってるんだ。
私だって、なんにも気にしてないわけじゃない。
電車で痴漢されたことは何度もあるし、イベント会場で『合法ロリですか?』って声かけられてダッシュで逃げたこともあるから、そこまで男の人を信じてない。
でも、吹田さんから見たら、全然警戒が足りないんだろうな。
「わかりました、気をつけます」
吹田さんの肩に頬をすりよせて言うと、こめかみにそっとキスされた。
「ありがとう」
腕をといた吹田さんは、ちょっと体の向きを変えて、また私の肩を抱きよせる。
「見るだけではわからないこともあるから、おまえから紹介してくれ」
膝にぬいぐるみをぽすんと乗せられて、くすっと笑う。
「いいですよー。
えっと、このコは、中学生の時に父に買ってもらったもので……」
吹田さんに肩を抱かれてもたれかかって、自慢のコレクションを順に紹介していくのは、すごく楽しかった。




