マナーは大事だけど難しい②
のんびり話しながら、一時間ほどかけて食べ終わる。
一つずつの量は少なかったけど、けっこうおなかいっぱいになった。
仲居さんが片付けてくれてる間にお手洗いにいって、軽く歯磨きして髪型を整える。
部屋に戻ると、座卓の上はきれいに片付いてて、お茶セットだけが置いてあった。
吹田さんは急須から湯呑みにお茶をそそいで、座った私の前に置いてくれる。
「ありがとうございます。
吹田さん、お茶淹れられるんですね」
なんでもしてもらえる立場の人なのに、すごいなあ。
「おまえが俺をどう思っているのかよくわからないが、家事は一通りできるぞ」
「えー、いつおぼえたんですか?」
「大学生になってからだ」
ということは、実家では誰かにしてもらってたんだ。
まあ、使用人さんがいるのに自分でやっちゃったら、使用人さんの仕事がなくなっちゃうもんね。
急須をお茶セットのお盆に戻した吹田さんは、自分の横に置いたバッグから何か出して、私にさしだした。
「遅くなったが、礼だ」
「え?」
お店のロゴっぽいものが書かれた小さい紙袋を渡されて、きょとんとする。
「なんのですか?」
「バレンタインだ。
……日曜日の別れ際に渡すつもりだったが、遅くなって悪かった」
「…………あー」
あの時は、それどころじゃなかったもんね。
そういえば、三日前がホワイトデーだった。
ちゃんと用意してくれてたんだ。
まじめだなあ。
改めて渡された紙袋を見る。
え、これ、明らかに有名ブランドのお菓子っぽいんだけど。
あんな量産品渡して、お返しがコレって、三倍どころじゃないんだけど!?
申し訳ないぐらいの差だけど、吹田さんの基準じゃあ、これでも安いほうなんだろうな。
「ありがとうございます。
開けていいですか?
あと、写真撮っていいですか?」
「それはもうおまえのものだ。
好きにしろ」
「ありがとうございます!」
まずは外袋を撮ってから、中身を取り出す。
複雑な形にリボンがかけられたほぼ正方形の包みも撮る。
それからリボンをほどいて、包装紙を丁寧にはずすと、かわいい缶が出てきた。
缶も撮ってから、そっとフタを開ける。
「わぁ、マカロンだ」
色違いの一口サイズのマカロンが、四隅とまんなかにきれいに配置されてた。
すべすべの丸い形とカラフルな色合いがかわいくて、食べるのがもったいないぐらい。
写真を撮ってると、何かがじわじわこみあげてきた。
スマホを置いて、丁寧にフタをする。
「吹田さん」
「なんだ」
「抱きついていいですか」
吹田さんはちょっと驚いたようなカオしてから、苦笑してうなずく。
「ああ」
「ありがとうございます」
立ちあがって座卓をまわって、吹田さんの隣にぺたんと座る。
横から抱きついて、肩におでこをぐりぐりこすりつけた。
「すっごく嬉しいです、ありがとうございます」
ぎゅうぎゅう抱きつくと、かすかな笑い声が聞こえた。
「おまえは、俺がおまえをペット扱いしていると疑っていたが、俺にはおまえ自身がペットとしてふるまっているように見えるぞ」
「……あー」
そういえば猫って、おでこぐりぐりしてくるよね。
確かに、この状況じゃあ否定できないけど。
「だって、嬉しいんですもん」
開きなおって、またぎゅうっと抱きつく。
「わかったから、少しおちつけ」
なだめるように言われて、ちょっと腕をゆるめる。
一緒に抱きこんでた腕が抜かれて、頭にのせられた。
優しく撫でられたから、今度はそおっと抱きつく。
「喜んでくれるのは嬉しいが、そこまでのものでもないぞ。
真白から聞いたが、かなりの人数に配っているなら、相応の返礼があっただろう」
「あー、友達とは交換なんでお返しはないですし、捜査員さん達に配ったぶんは、お返しは捜査の進展で、残業なしで帰れるようにしてねってお願いしてるんです。
だから、ホワイトデーにお返しをもらったの、久しぶりです。
ありがとうございます」
あ、でも。
「バレンタインの頃は、まだ吹田さんを好きだと自覚してなかったから、ほぼ義理チョコですみませんでした。
来年は、ちゃんと本命チョコにしますからね」
ぎゅうっと抱きついて言うと、吹田さんはやわらかく笑った。
「ああ。期待している」
「はい!」
頭を撫でてた手が、さらっと耳元の髪をかきあげる。
「おまえは、アクセサリーはしないのか」
「普段はしてませんね。
というか、持ってないです。
金属アレルギーってほどじゃないんですけど、肌にさわるのが、なんか苦手で。
結婚式とかお葬式とか、どうしてもしなきゃいけない時は、母に借りてます。
母はアクセサリーが好きで、いろいろ持ってるので」
アクセサリーよりオタグッズにつぎこみたいのが本音だけど、肌に合わないのも本当で、腕時計すら付けてない。
結婚式とかお葬式とかは、アクセサリーするのがマナーっていうの、わかってはいるけど、ぶっちゃけめんどくさい。
「そうか」
またさらっと髪を撫でられる。
なんだろ。
「吹田さんは、アクセサリーするんですか?」
買い物の時は、付けてるの見たことないけど。
「女性とは意味合いが違うが、ネクタイピンやカフスボタンは、実用性とマナーを兼ねて使用することが多い」
「へえ」
吹田さんの胸元をのぞきこんでみると、確かにネクタイピンをしてた。
艶のあるシルバーで、ブランドロゴみたいなのが端についてる以外はすごくシンプルなデザインだけど、そのぶんすごくお高そう。
カフスボタンもしてるのかな。
視線を向ける前に、すっと袖口がさしだされた。
ネクタイピンとセットなのか、同じロゴがついた、やっぱりシンプルだけどお高そうなデザイン。
カフスボタンって、裏はどういう感じなんだろ。
「写真を撮りたいなら、外してやるぞ」
じーっと見てると、吹田さんが笑い含みの声で言う。
うん、相変わらずバレバレだね。
「お願いします、あ、でも、付けてる状態で先に撮らせてください」
「ああ」
スマホを持ってきて、付けたままいろんな角度から撮らせてもらった。
さらに外してもらったものを座卓にのせて撮る。
付けるところも見せてもらったけど、いまいちわかりにくかったから、もう一度やってもらって、いろんな角度から写真を撮った。
「ありがとうございました。
……なんか、モデル料払わないといけない気がします」
最近いろんなものの写真撮らせてもらってるし、それぐらいしないと失礼な気がしてきた。
お金に困ってないのは知ってるけど、誠意というか、感謝の表れというかを示すために。
「この程度でか?」
吹田さんは呆れたように言う。
「私にとってはすごいことですよ。
執務室とか、このお店もいっぱい撮らせてもらいましたし」
「それで待たせた詫びになるのなら、安いものだ」
ん?
…………ああそっか、十五分遅刻しちゃったから、そのお詫びだったんだ。
「事前に遅れるかもって聞いてましたし、出てすぐメッセージもくれましたし、待たされたってほどでもないですよ」
「それでも、待たせたことには変わりない。
俺の都合で会う時間を制限しておきながら、俺の都合で待たせたのだから、詫びをするのは当然のことだ」
ほんと、まじめだなあ。
「じゃあ、もう一回抱きついていいですか」
私を見つめた吹田さんは、優しく笑う。
「いいぞ」
体を私のほうに向けてくれたから、前から抱きつくと、ふんわり抱きしめられた。
そのまま、仲居さんが終了時間を知らせにくるまで、のんびりおしゃべりした。
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もう一度お手洗いに行って、髪型を整える。
抱きついてぐりぐりしてたけど、吹田さんが撫でてくれてたおかげか、直せないほどぐしゃぐしゃにはなってなかった。
ハーフアップにしてたバレッタを外して、小さいブラシで髪を梳いて、バレッタをつけなおす。
口紅だと時間かかるから、リップを塗りなおして、鏡の前でくるくる向きを変えて全身をチェックする。
よし、オッケー。
個室に戻ると、吹田さんが身支度して待ってた。
「お待たせしました」
「いや」
コートを着て、バッグとマカロンの紙袋を持って、忘れ物がないか見回す。
「出るぞ」
「はい」
もう一度忘れ物がないか見てから、吹田さんに続いて出る。
「ありがとうございました」
「ごちそうさまでした」
笑顔で見送ってくれる仲居さんに笑顔で返して、店の外に出た。
「ごちそうさまでした」
「ああ」
吹田さんにもぺこっと頭を下げて言うと、吹田さんは軽くうなずいてから、まじめなカオになる。
「念の為に言っておくが、つきあっている間の支払いは、全て俺がする。
もったいないという考え自体は良いことだが、無駄に遠慮や我慢はするな」
「…………はい」
おごりだからこそ、もったいないっていうか、申し訳ないって思っちゃうのも、バレバレみたい。
「気になったら、まずは俺に言え。
さっきの食事のように、俺で対処できることならしてやるし、おまえが気にしないですむよう考えてやる」
それはありがたいんだけど。
「おごり自体が、気になるんですけど……」
私を見た吹田さんは、苦笑する。
「それは、慣れてもらうしかないな」
やっぱりそうだよね……。
「俺の価値観を押しつけるつもりはないが、安全面などを考慮して店を選ぶと、相応の値段のところになる。
少しずつでかまわないから、慣れてほしい」
そこまで安全面を気にしないといけないのかなって、いつも思ってたけど、シロさんの昔話を聞いたら、必要なことなんだってわかった。
つきあう前からくり返し言われてたんだから、今はなおさらだよね。
「……はい」
こくんとうなずくと、吹田さんは優しく笑って、頭を撫でてくれた。
「ありがとう。
俺に合わせてもらうことが多くなるだろうが、無理だと思うことは、我慢せずにまず相談してくれ」
「はい。
吹田さんも、私が何かやらかした時は、言ってくださいね」
「その前に止められるよう努力する」
真剣な口調で言われて、思わず苦笑する。
確かに、止めてもらえるならそのほうがいいね。
「お願いします」
「ああ」
うなずいた吹田さんは、ちらっと腕時計を見る。
「駅まで送る」
「え、でも」
スマホの時計を見ると、七時五十七分だった。
ここから駅まで五分ぐらいだけど、デートの時間は一時間区切りの約束だから、ちょっとオーバーしちゃう。
「分単位の端数は切り上げにする」
相変わらずまじめに言われて、くすっと笑う。
「じゃあ、お願いします」
「ああ。行くぞ」
「はい」
しぐさで促されて、並んで歩きだす。
「吹田さんも、電車で帰るんですか?」
「いや、車を待たせている」
「えっ、じゃあ送ってくれなくていいですから、早く行ってあげてくださいよ」
たぶん前に乗せてもらったハイヤーだろうけど、二時間も待たせっぱなしだなんて、申し訳なさすぎる。
「問題ない。
このあたりは駐車場が少ないから、営業所に戻るよう言ってある」
軽く肩を抱いて促されて、びっくりして止めてた足をまた動かす。
「営業所って、近くなんですか?」
「ああ。
仕事中でも使いやすいように、五分で警視庁まで来れる場所に作らせた」
ん?
「『作らせた』って、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。
実家が経営している会社だが、俺は大株主だから、警視庁に入った時点で近くに営業所を作らせて、俺達専用の運転手を常時待機させてある」
長期契約って、そういう意味だったの!?
しかも、大株主って。
なんかもう、世界が違いすぎる。
……あれ?
「俺『達』?」
「俺と真白だ。
基本的に真白は俺に同行しているが、稀に別行動をする場合もある。
その時の為に、常に二人待機させている」
「でも、キャリアの人って、部下に運転させてませんでした?」
確か、他のキャリアの人はそうだったはずなんだけど。
私の問いかけに、吹田さんは渋いカオになる。
「慣例ではそうだな。
だが、他の者でもできることを真白にやらせるのは無駄だ。
ノートパソコンがあれば、車で移動中でもできることは多い。
だから運転は他の者に任せろと言ったが、真白がやると言い張るから、運転専門の者を雇うことにしたんだ」
「えー、シロさん、そこでもゴネたんですか」
吹田さんに絶対服従みたいな感じなのに、意外と主張するんだね。
「たいていのことは従うが、俺の安全が絡むとうるさい。
……真白は、護衛としての教育も受けているからな」
「あー……」
確かに、信用できない運転手に命は預けられないって考えるのは、わかる気がする。
「今俺達の専属運転手を務めているのは、実家から派遣されてきた者達だ。
いずれ本家の専属になる予定で、研修の一環としてこちらで働いている。
本家付きの使用人は親の代から審査されていて、忠誠心は疑いようがないから、真白も受け入れたようだ」
「なるほど」
それなら、実家が経営してる会社を使うのも納得だね。
あの時のオジサマ運転手さんがすごく丁寧だったのは、吹田さんに雇われてるからだけじゃなくて、吹田さんちの使用人さんだったからなんだ。
「着いたぞ」
「え?」
いつの間にか、目の前に改札があった。
吹田さんは、ふんわり私を抱きしめてから、腕をとく。
……あれ?
いまさら気づいたけど、さっき肩を抱かれた時からずっと、そのまま歩いてた?
「気をつけて帰れ。
自宅に着いたら、メッセージをくれ」
「あ、はい」
まあ、いっか、とりあえず電車に乗ろう。
「ありがとうございました。
吹田さんも、気をつけて帰ってくださいね。
じゃあ、また」
「ああ」
ぺこっと頭を下げてから、改札を通る。
なんとなく振り向くと、吹田さんはまだ改札前にいた。
手を振ると、苦笑して軽く手を上げてくれる。
買い物してた頃は、表通りに出たところで別れてそのままだったから、見送ってもらうって、新鮮かも。
なぜか顔が笑いそうになるのをこらえながら、ホームに向かった。
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月曜日の午後、約束通りボンさんとのカウンセリング。
って建前の、コイバナ語り。
電話で話したことと、金曜のごはんデートのことを、順番に語る。
シロさんの昔話については言わなかったけど、宝塚さんと友達になったって言ったら、なぜか喜ばれた。
「なるほどねえ……」
楽しそうに聞いてたボンさんは、しみじみうなずく。
「吹田さんの行動がよくわからなかったけど、『とりあえずつきあってみる』だったのね」
「そうみたいです。
自分から告白したことないって、なんかすごいですよね」
「そうねえ……」
お茶を一口飲んだボンさんは、しばらく考えこむ。
「ごはんデートでは普通、よりもだいぶ甘やかしてくれたみたいだし。
『つきあうと決めたからには恋人として扱う』って、本心みたいねえ」
「そうですね、優しくしてもらいましたよ」
「そうねえ……」
私を見たボンさんは、なぜか苦笑する。
「ねえミケちゃん。
吹田さんがアクセサリーの話をした意味、わかる?」
「意味、ですか?」
え、単に聞かれただけだよね?
意味あったの?
「たぶんだけど、ミケちゃんがホワイトデーのお返しをすごく喜んだから、もっと何かプレゼントしたくなったんだと思うわ。
だけど、ミケちゃんがアクセサリーを付けてなくて、しかも苦手だと言ったから、言いだせなかったんでしょうね」
「ええー?」
あれって、そういう流れだった?
「そんなの、言ってもらわないとわかりませんよ」
「そうねえ、自分からねだらないミケちゃんだからこそ、プレゼントしたかったんでしょうねえ」
ボンさんは私を見て、からかうようなカオになる。
「じゃあ、もし吹田さんが『結婚式でも葬式でも使える真珠のネックレスをプレゼントする』って言ったら、どうする?
ちなみに、真珠って高いのは百万以上よ」
「えっ無理ですっ!」
そんなの、持ってるのも付けるのも恐い!
即答すると、ボンさんはくすくす笑う。
「そうねえ、ミケちゃんならそう言うわよねえ。
吹田さんもそうだろうってわかってると思うけど。
贈り物が絡む恋人達のイベントって、バレンタイン、クリスマス、誕生日なのよ。
ミケちゃん、誕生日いつだったかしら」
「え、あ、九月九日です」
「あら、菊の節句なのね。
どんなプレゼントがもらえるか、楽しみねえ」
「ええー、私は恐くなってきましたよ」
でも、吹田さんまじめだから、きっちり用意してそうだよね。
プレゼントはいりませんって言っとこうかなあ。
「でもまあ、うまくいってるようで良かったわ。
また来週も楽しい話を聞かせてね」
にっこり笑って言われて、苦笑してうなずいた。
「はーい、がんばります」




