当たって砕けたら接着剤でくっつける⑤
顎クイ写真をシロさんに撮ってもらって、ソファに戻る。
シロさんが紅茶のおかわりを淹れてくれた。
ゆっくり飲みながら、スマホの写真を確認する。
吹田さんは、約束ちゃんと守ってくれるから、嬉しいな。
ほんとならみんなに見せびらかしたいけど、見せちゃダメって約束だから、一人で堪能しよう。
「美景」
「はい」
向かいに座る吹田さんが、まじめな声で呼ぶから、あわててスマホをバッグにつっこんで、姿勢を正す。
「以前も言ったが、改めて言っておく。
恋人になって俺との接触が増えるということは、俺を狙う者に目をつけられる危険も増えることになる。
身辺にはくれぐれも気をつけろ」
「わかりました」
いまだに実感はないけど、吹田さんがそれだけ気にしてるってことは、私も気にしないといけないことなんだろう。
「よって、俺とつきあうことを話す相手も、話す内容も厳選しろ。
写真も見せるな。
知る者が増えるほど、情報は拡散する。
特に今はSNSなどで発信すれば、一瞬で世界中に広まってしまう。
おまえの性格では友達全員に話しそうだが、できる限り控えろ。
特に警察関係者以外に話す時は、要注意だ」
「えぇー……」
今は職場の人とのつきあいのほうが多いけど、学生時代からの友達もたくさんいる。
さすがに全員に言いはしないけど、制限かけられるとは思わなかった。
うーん……。
「吹田さん的に、言ってもいい相手と内容を教えてください」
「警察関係者以外でなら、学生の頃からの友人で、身元がはっきりしている者。
話していい内容は、俺が警察関係者で、おまえより上の立場であることだけだ。
それ以外の情報開示は、警察関係者としての守秘義務に則って拒否する、と言っておけ」
「えー、それほとんど言ってないのと同じですよ。
どんな人なのか、全然わかんないじゃないですか」
思わず文句を言うと、じろっとにらまれた。
「特定されないように、話すなと言っているんだ。
『上司だから逆らえない』『口止めされている』と言えば、それ以上追及はされないだろう」
「いや、めっちゃされると思いますよ」
もし友達のコイバナ聞いてる時にそんなこと言われたら、怪しすぎて絶対追及しまくるよね。
「なぜだ」
「だって、その言い方じゃあ、上司にだまされて秘密の愛人にされてるみたいじゃないですか」
「……っ」
ちょうど紅茶を飲もうとしてた吹田さんは、変なとこに入ったのか小さく咳きこんだ。
あれ。
「な、……っ」
何か言いかけて、また咳きこんで、顔をそむけて口元を手で覆う。
落としそうになったカップをなんとかテーブルに戻して、ソファにもたれるようにして激しく咳きこんだ。
「え、だいじょぶですか?」
思わず立ちあがって近づこうとしたけど、軽く手を上げて止められる。
「……大丈夫、だ」
大きく息を吐いた吹田さんは、すごく疲れたカオで私を見た。
「……今の意見は、おまえ個人の見解ではなく、女性として一般的なものなのか」
「そうですね、たぶん。
大学時代の友達で、『バイト先の社員さんとつきあってるけど秘密なの』って言ってたコは、相手が実は既婚者で、奥さんがバイト先に乗りこんできて修羅場になって、だまされたって泣いてました。
あと、オタク友達ですけど経理で働いてた人が、上司に熱心にくどかれたけど職場恋愛禁止だからって秘密のつきあいしてたら、上司の横領の罪を押しつけられそうになったそうです。
だから、友達にコイバナ聞いて『上司で逆らえない』とか『口止めされてる』とか言われたら、心配になって、かえって追及しちゃいますね。
一緒に話を聞いてた他のコ達もすごい追及してたから、私だけじゃないと思いますよ」
「…………そうか」
つぶやくように言って、吹田さんはうつむいて考えこむ。
なんだろ。
そんなにおかしいこと言ったかな。
シロさんを見ると、心配そうなカオでこっちを見てたシロさんと目が合った。
「シロさん」
「……はい」
「セレブとかエリートな人達は、秘密のつきあいが普通なんですか?」
「……その……」
シロさんは吹田さんをちらちら見ながら、遠慮がちに言う。
「秘密のつきあいが普通というわけでは、ありません。
ですが、相手が『言えない』と言ったことは追及しないのが、マナーというか不文律ですね」
「ええー」
うーん、異文化コミュニケーション、難しい。
「吹田さん、後十五分で会議の時間です」
「……ああ」
シロさんの遠慮がちな声に、吹田さんはようやく顔を上げて私を見た。
「今夜、帰宅してから何か用事はあるか」
「特にはないです」
「今の話の続きをしたいから、一時間ほどあけてくれ。
二十二時でかまわないか」
「はい」
「なら、二十二時に俺から電話する。
その前に都合が悪くなったら、連絡してくれ」
「はい」
「この後、真白がカウンセラーのところに案内する。
面談後に仕事に行くかどうかは、カウンセラーの指示に従え」
「わかりました」
「……おそらく、カウンセラーとの面談後に、主計課長代理が来るだろう」
「えっ!?」
ケイコ先生が!?
なんで!?
「昨日あれだけおまえを心配していたからな。
直接無事を確かめにくるはずだ。
俺とつきあうことになったと、話しておいてくれ」
「え、いいんですか?」
さっきはなるべく秘密にって言ってたのに。
「おまえが警察関係者の友人に中途半端に話すよりは、トップである主計課長代理に直接伝えたほうが、情報を管理しやすいはずだ。
俺とのつながりで何かあった時も、主計課長代理がおまえを守ってくれるだろう。
だから、伝えておいてくれ。
もし来なかったら、俺から伝えるから、夜の電話の際にそう教えてくれ」
「わかりました」
ケイコ先生に会えるなら、昨日のことのお礼も言えるかな。
ああっ、ドキドキしちゃうっ。
「真白。案内を頼む」
「はい」
近づいてきたシロさんが、優しく微笑む。
「ご案内します」
「はいっ、よろしくお願いします」
「はい」
バッグを持って立ちあがって、向かいの吹田さんを見る。
あ、そうだ。
ちゃんと言っとこう。
「吹田さん」
「なんだ」
「ふつつか者ですが、これからよろしくお願いします」
きちんと姿勢を正して頭を下げると、吹田さんはなぜか呆れたみたいなカオをしてから、やわらかく笑った。
「……ああ」
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シロさんに案内されたのは、診療所があるフロアの、端のほうの部屋だった。
あれ、ここって。
シロさんがノックすると、中から応じる声がする。
「刑事部の紫野です。御所さんをお連れしました」
「はーい」
ドアを開けた白衣の女性は、やっぱり知ってる人だった。
「ボンさん! わー、お久しぶりです~!」
「ミケちゃん、久しぶり~!」
きゃーって叫んで抱きつくと、ボンさんも抱き返してくれる。
「カウンセラーとしか聞いてなかったから、どんな人なのかドキドキしてたら、ボンさんだったんですね~」
「私だったのよーびっくりした~?」
「しましたよ~でもボンさんでよかったですー」
きゃっきゃとはしゃいでると、横からシロさんがおずおずと言う。
「あの、お二人は、知りあいだったんですか」
「あ、はい、お昼を時々一緒に食堂で食べてます」
「最近忙しくて、あんまり行けてなかったけどね」
にこっと笑ったボンさんは、レイヤーさんの写真撮影が好きな人。
さっきちらっと思いだしたけど、まさかここで会うとは思わなかった。
でも、ケイコ先生が手配してくれた人なら、【同志】で当然だったね。
「じゃあ後は私が引き受けますので、紫野さんはお戻りください」
「あ、シロさん、案内ありがとうございました」
「いえ、では失礼します」
頭を下げて去っていくシロさんを見送ると、ボンさんに手招きされる。
「さーどうぞ入ってー」
「はーい、お邪魔しますー」
中に入ると、吹田さんの執務室の半分ぐらいの大きさの部屋だった。
手前に四人掛けのテーブルがあって、奥に衝立、テーブルの横の壁際にカウチソファ、反対側の壁際には書類棚。
「あんまり診察室って感じじゃないですね」
「そりゃそうよ、カウンセリングは診察じゃなくて、話を聞くだけだもの」
「なるほど。
でも白衣は着てるんですね」
「それは雰囲気作り」
「へえー、でも似合ってますよ」
食堂で会う時はいつも脱いでたから、白衣姿は初めて見たけど、意外と似合ってる。
「うふふ、ありがと」
にっこり笑ったボンさんは、白衣の襟をひっぱってポーズを取る。
「わー、写真いいですか?」
「もっちろん、どうぞー」
「ありがとうございます!」
自分が撮る人だからか、撮られるポーズもよくわかってて、決まってるなあ。
四十代前半のボンさんは、保健室の先生って言葉が似合いそうな、やわらかい雰囲気のお姉様。
優しい笑顔と白衣がマッチしてて、見てるだけで癒されそう。
いろんな角度から十枚ぐらい撮らせてもらった。
撮影会が終わると、ボンさんは椅子の背を軽くたたく。
「じゃあまあ座ってちょうだい。
あ、何か飲む?」
「うーん、さっき吹田さんとこで紅茶二杯も飲んだので、今はいいです」
おなかタポタポになっちゃう。
「そお?
まあでも私がほしいから、一応用意するね」
「ありがとうございます~」
衝立の向こうにいったボンさんは、しばらくして両手に一つずつマグカップを持って戻ってきた。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます」
両手で包むようにして持ってのぞきこむと、ほんのり黄色がかってた。
湯気が、甘いにおい。
「これ、はちみつ入ってます?」
「ちょっとだけね。
ホットはちみつ、意外と美味しいのよ」
「へえー」
もう一つのマグカップを手に向かいに座ったボンさんは、にこっと笑う。
「さてじゃあ、何から聞きましょうか」
「えーと、手順とかあるんですか?」
「あるといえばあるけど、結局は話を聞くだけだから、好きにしゃべっていいのよ。
まあでもまずは、昨日の事件のことから確認しましょうか。
ミケちゃんの主観でいいから、順番に教えてくれる?」
「はい。
でもあの、先に聞いていいですか?」
「ん? なあに?」
「吹田さんに、カウンセリング後にケイコ先生が会いにくるはずだからって、伝言頼まれたんでけど。
ほんとに、ケイコ先生が来てくださるんですか?」
ドキドキしながら聞くと、ボンさんは一瞬真顔になってから、にこっと笑う。
「うん、ケイコ先生から、カウンセリング終わったら連絡するよう頼まれてる。
へー、吹田さん、そこまで予想してたの」
「ほ、ほんとなんですね。
うわ、どうしよう……」
お礼の言葉、考えておいたほうがいいかな。
「まあまあミケちゃん、気持ちはわかるけどおちついて。
午前中は会議とかで忙しくて来れないそうだし、今は私とおしゃべりしようよ。
カウンセリング終わって、問題ないですよって私が判断してから、連絡するっていう建前になってるから」
「建前って」
ぶっちゃけた言い方にくすくす笑う。
「建前は大事なのよー。
というわけで、まずは、昨日の話を聞かせてちょうだい」
「わかりました。
えっと、吹田さんと買い物に行ったんですけど……」
「……そしたら、吹田さんが抱きしめてくれて、『もう大丈夫だ』って、言ってくれたんです」
「おおー、カッコイイね」
「ですよねー。
それで、吹田さんのこと好きだって自覚したんですよ」
「んんっ!? 詳しく!」
それまで穏やかにあいづち打ちながら聞いてたボンさんが、突然身を乗りだしてくる。
そういえば、ボンさんてコイバナ大好きだったっけ。
「ねえミケちゃん、そもそも吹田さんと知りあったきっかけってなんなの?
マイちゃんから聞いてはいるんだけど、ミケちゃんから詳しく聞きたいなー」
「えーっと」
つきあうこと自体を口止めされたんだから、知りあったきっかけもそこに含まれるのかな。
それに、シロさんとか宝塚さんの話もセットになっちゃうし。
ケイコ先生達には話しちゃったけど、どうしよ。
「どしたの?」
「……吹田さんに、一部口止めされてることがあって、どこまで話していいのか、わかんないんです」
「ほっほう」
にやっと笑ったボンさんは、ぽんと自分の胸をたたく。
「私はカウンセラーだよ?
職務上知りえたことは話さないっていう守秘義務があります。
だから、安心して全部話してちょうだい。
他人に話していいことと隠すことの切り分けも、手伝ったげるから」
「それは、わかってますけど」
「吹田さんは、『カウンセラーにも話すな』って言ってたの?」
「いえ」
「じゃあいいよね!」
「いい、んでしょうかねえ……」
「いいってことにしとこうよ。ね?」
「……はい」
にっこり笑顔に押しきられて、結局うなずいた。
さっきの口止めの件、よくわからなかったから、誰かに相談したかったんだよね。
ボンさんなら、いいアドバイスくれそうだし。
「ありがとう!
ところで、けっこう時間かかりそう?
出会い編から始めたら、何部構成ぐらい?」
「えーっと、シロさんとの出会い編、吹田さんとの出会い編、街でばったり買い物編、電車でばったり枕編、ハニトラ疑惑編、バレンタイン編、名前呼び編、自覚編、告白編、で九部構成ですかね」
指折り数えてみると、意外と多いね。
「ちょっと待って、自覚編の後に告白編まであるの!?
え、それ先に聞きたい、いややっぱり順番、でもハニトラ疑惑編も気になる~~!」
ボンさんが、座ったまま足をジタバタさせて叫ぶ。
私も、友達のコイバナで今の見出しを聞いたら、同じように思うだろうから、文句は言えない。
しばらくして静かになったボンさんは、ホットはちみつを一口飲んでうなずく。
「うん、やっぱり順番にいこう。
出会い編からお願い」
「いいですけど、だいぶ長くなりますよ?
お昼すぎちゃうかも」
「いいわよー、何時間でもじっくり聞くわよー。
ミケちゃん今日は休み扱いだから、食堂行けないでしょ。
お昼は出前取って、ここで食べましょ」
「え、そんなことできるんですか?」
幹部用に出前頼むことはあるらしいけど、下っ端の私達でもできるの?
ボンさんは得意そうに笑う。
「うふふ、私はキャリア組のカウンセリングも担当してるのよ。
話が長引いて、ここで一緒に食事することもあるから、この部屋は特別に出前オッケーなの」
「わー、権力ってすごいですね!」
「でしょー。使えるものは使わなきゃ。
というわけでお昼も心配いらないから、ゆっくりじっくりたっぷり、話してちょうだい」
にっこり笑って言われて、苦笑してうなずいた。
「わかりました。
えーっと、一番最初は、シロさん、紫野さんに声かけられたとこからなんですけど……」




