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エリート×オタクの恋はいろいろ大変です!  作者: 香住なな
第一部 同志編
20/93

当たって砕けたら接着剤でくっつける①

 吹田(すいた)さんは、私がおちつくまで、ふんわり抱きしめて支えてくれた。

 その後、肩を抱いて表通りまで連れていってくれて、停まってたタクシーに乗せられた。

 座席に膝をついて体を車内に入れて、シートベルトを締めてくれる。

「後のことは俺がやっておくから、おまえは家に帰って休め。

 心身の不調があれば、すぐに運転手に言え。

 後で、真白(ましろ)から連絡を入れさせる。

 明日は、体調が優れないようなら、仕事は休みにしろ。

 わかったか」

「……はい」

 事務的な口調だけど、気遣いを感じられる程度には、気持ちはおちついてた。

 こくんとうなずくと、吹田さんは私の肩のあたりをぽんぽんっと撫でるようにたたいてから、体を引く。

「行ってくれ」

「かしこまりました。

 発車いたします」

 ドアが閉まって、なめらかな動きで車が走りだした。

 ふかふかの座席は、体をふんわり受けとめてくれる。

 なんだか、さっきまでのことが嘘みたい。

 だけど、コートの裾の汚れが、あれは現実だったと教えてくれる。

 でも、人質にされたことよりも、自覚したばかりの気持ちのほうが、大問題だ。



 初恋は、小学三年生の時に見たアニメの主人公の男の子。

 それからも、好きになるのはずっと二次元の人だった。

 お父さんは単身赴任でほぼいなかったし、近所の友達もおとなしい女の子ばかりだったから、騒がしい男の子達は苦手で、教室でもなるべく近づかないようにしてた。

 中学から大学まで女子校で、生身の男の人に接する機会がほとんどなかったから、よけい苦手になった。

 声や行動音が大きい人や、すぐ手が出るタイプの人は、特に苦手。

 吹田さんは、態度は偉そうだし、基本命令口調だけど、どなったりはしないし、動きが静かだから、一緒にいて恐くなったことはない。

 一時は疑われてたけど、疑いが晴れた後は、買い物につきあってくれて、身の回りに気をつけろ、何かあったらすぐ連絡しろって、心配してくれる。

 マキコさんが言う通り、自覚してなかっただけで、前から好きだったのかも。

 


 吹田さんが、好き。

 だけど、この後、どうすればいいかわからない。

 今までに読んだマンガとか小説だと、告白して、つきあって、って進んでいってたけど。

 どう考えても、無理だよね。

 なにしろ相手はおぼっちゃまで、キャリアで、出世頭。

 理想が高すぎるのか、今はカノジョいないみたいだけど、その気になれば相手はいくらでも寄ってくる超優良物件。

 対して私は、庶民で、オタクで、下っ端事務員。

 しかもリアルでの恋愛経験はゼロだから、恋の駆け引きなんて絶対無理。

 かといって、今まで通りの関係じゃ、イヤだ。

 結婚したいとかまでは考えられないけど、もっとなかよくなりたい。

 でも、どう考えても無理。

 うーん。



 ぐるぐる悩んでるうちに、車がゆっくり停まった。

「お客様、到着いたしました」

「えっ」

 オジサマ運転手さんの丁寧な呼びかけにびっくりして外を見ると、確かに私んちの前だった。

 あれ、そういえば私、うちの住所言ったっけ。

 いや、それより、支払い。

 私、あんまり現金持ってないけど、いくらだろ。

 足りないなら、お母さんに借りにいかなきゃ。

 あわててメーターを見ようとしたけど、タクシーだといつもついてるようなとこには、何もなかった。

 え、なんで?

 見えないとこにあるのかな。

 しかたないから、聞いてみる。



「すみません、おいくらですか」

「支払いは結構でございます」

 運転手さんがやんわり言う。

「え、でも」

「私どもは、吹田様に長期契約していただいておりますので」

「契約……?」

「はい」

 タクシーだと思ったけど、座席ふかふかだし、運転席との間のアクリル板に広告とか貼られてないし、メーターが見当たらないし、長期契約ってことは。

 これ、ハイヤーなんだ。

 うわー、初めて乗ったよ!

 さすがおぼっちゃま、いやキャリア、かな。

 しまった、ぼんやり考えごとしてないで、写真撮らせてもらえばよかった。

 貴重な資料写真が撮れたのに。



「あのっ、車内の写真撮らせてもらってもいいですかっ。

 こんな機会、二度とないと思うんでっ、お願いしますっ」

 ダメもとで聞いてみると、運転手さんはちょっと驚いたようなカオしてから、優しく微笑む。

「かまいませんが、私の顔が映らないようご配慮いただけますか」

「もちろんです、ありがとうございますっ」

 急いでスマホを取りだして、あちこち写真を撮りまくる。

「すみません、外からもいいですかっ。

 ナンバーは映らないようにしますので」

「どうぞ」

「ありがとうございますっ」

 ドアを開けてくれたから、降りてドア回りとか横からとか撮りまくる。

 うちの車は軽だけど、大きさだけじゃなくて、なんていうか、車の格が違う感じ。

 窓ガラスの透明度も、ボディのツヤも、全然違う。

 どこもかしこもツヤピカで、汚れも傷もまったくない。

 高級車って、こんなにすごいんだ。

 もっと乗り心地堪能しとけばよかった。

 車のまわりをぐるぐる回って写真を撮って、ようやく満足した。

 運転席に近づくと、運転手さんが窓をおろして顔を出す。

「すみません、長い間ありがとうございました。

 すっごく立派な車だから、興奮しちゃいました」

 深く頭を下げると、運転手さんは笑ってくれる。

「恐縮です。

 では、失礼いたします」

「あ、はい、ありがとうございました」

 ぺこんと頭を下げあうと、運転手さんは窓を閉める。

 もう一度頭を下げてから、すうっと発車していった。

 動きもだけど、エンジン音も全然違って、また感心しちゃった。



「ミケちゃん?

 どうしたの? 今の車、何?」

 家から出てきたお母さんが、門扉の内側から不思議そうに言う。

 そりゃ、徒歩ででかけた私が、ハイヤーで帰ってきたら、びっくりするよね。

「ただいま、お母さん。

 えっと、ちょっと出先でいろいろあったの。

 詳しくは後で話すね」

「お帰り。

 えー、いったいなんなの」

「うん、後で話すから」

 適当にかわしながら家に入って、自分の部屋に向かう。

 バッグを取ってコートを脱いで、ベッドに座ると、気が抜けた。

「はぁ~~」

 大きくため息つきながら、ベッドに倒れこむ。

 おちついたつもりだったけど、まだ気を張ってたのかな。

 ようやくちゃんと息ができた気がする。


-----------------

 

 鳴り続ける音が、意識を揺らす。

「……ん……?」

 気がつくと、ベッドに寝転んだまま寝ちゃってた。

 机の上に置いたバッグから、スマホが鳴り続けてる。

「んー……」

 眠気に負けて寝なおそうとして、何かがひっかかった。

 そういえば、吹田さんが、後でシロさんから連絡入れさせるとか、言ってたっけ。

 なんとか起きあがって、バッグを取る。

 ベッドの端に座ってスマホを取りだすと、やっぱりシロさんからの電話だった。

「お待たせしました、ミケです。

 すみません、寝てました」

 とりあえず謝ると、ほっとしたような声がした。

〔シロです、起こしてしまってすみません。

 どこか調子が悪いのでしょうか〕

「あー、いえ、うちに帰ってきたら、気が抜けちゃっただけです。

 なんともないですよ」

〔そうですか。よかったです。

 ですが、人質にされた被害者は、当時は平気でも後からPTSDを発症する場合があります。

 五感の鈍麻(どんま)、眠れない、悪夢を見る、当時のことを思い出そうとすると頭痛がする、記憶が混濁する、などの症状が出た場合は、すぐに教えてください。

 症状がなかったとしても、どんなことでもかまいませんから、ひとりで悩まないで、話してくださいね。

 休みの日でも、夜中でもかまいませんから〕

 あー、だから、吹田さんはシロさんに電話させるって言ったんだ。

 同じ女性で、友達のシロさんのほうが、相談しやすいだろうってことだね。

 アフターケアまでばっちり、さすがエリート。



「ありがとうございます。

 今のところなんともないですけど、その時はよろしくお願いしますね」

〔はい〕

「吹田さんにも、お礼言っておいてもらえますか」

〔わかりました。

 ……ですが、あの、もしよかったら、ミケさんからも連絡してもらえませんか〕

「どうしてですか?

 今たぶん事件の後処理で忙しいだろうし、シロさんからのほうがいいと思うんですけど」

 今話した内容を報告するんだろうから、その時ついでに言ってもらったほうが、早いと思うんだけど。

〔吹田さんは、ミケさんのことをとても心配なさっていました。

 直接連絡があったほうが、安心してくださると思います〕

 あれ、なんだかこんなこと、前にもあったような。

 うーん……?

 あ、そうか、ハニトラ疑われた時の。

 今と逆で、吹田さんに、シロさんが心配してるから連絡入れてやってくれって、言われたんだった。

 似たもの主従だなあ。



「わかりました。

 じゃあ後でメッセージ送っときますね」

〔ありがとうございます。お願いします〕

「いえいえ、今日はシロさんもお休みでしたよね?

 巻きこみで仕事させちゃってすみません」

〔……いえ、これは、その〕

 ん?

 なんだろ。

 しばらく黙ってたシロさんは、思いきったように言う。

〔吹田さんの部下としてではなく、友達として、ミケさんが心配だったんです。

 専門家には及びませんが、被害者の心理的ケアについては一通り学んでいます。

 ミケさんは、友達がたくさんいらっしゃるし、私では頼りないかもしれませんが、なんでもかまわないので、相談してくださいね〕

 わー、あんなに自信なさげだったシロさんが、『友達として』ってはっきり言って、頼ってほしいって言ってくれるなんて。

 なんだか、うるっときちゃった。

 でも。

 相談、かあ。

 吹田さんが好きってことを相談するには、シロさんは、吹田さんの次に向いてない相手なんだよね。

 私と吹田さんの板挟みになって、悩ませちゃう。

 うん、やっぱりこの話はやめとこう。

「ありがとうございます。

 何かあったら、頼らせてもらいますね」

〔はい〕


-----------------


 シロさんとの通話を終えて、ついでに他の着信をチェックする。

 執行部のハマチさんから、メッセージがきてた。

≪事件に巻きこまれたと伺いました

大丈夫でしょうか

何かありましたら、すぐご連絡ください≫

「えっ!?」

 時間は、家に着くちょっと前ぐらいだった。

 情報早すぎない?

≪なんともないです。お気遣いありがとうございます≫

 とりあえず返信して、他の友達からのメッセージにも簡単に返信していく。

 全部終えて、次は、シロさんに頼まれた吹田さんへの連絡。

 なんだけど。

「うーん……」

 好きって自覚しちゃうと、どんなふうに接したらいいのか、わからなくなっちゃう。

 よけいなことは言わずに、とりあえずお礼だけ、送っておけばいいかな。



≪無事に家につきました

ありがとうございました

なんともないので、明日は出勤します≫

 ちょっと愛想ないかもしれないけど、まあこんなもんだよね。

 気合を入れて、送信ボタンを押す。

 あー、緊張した。

 スマホを握ったまま、ベッドに倒れこむ。

 恋って、こんなに疲れるものなんだ。

 始まった段階で、もうくじけそう。

 みんな、こんな大変なことを何度もやってるって、すごいよね。

 ぼんやり考えながらごろごろしてると、スマホがぴこんと鳴る。

≪自覚症状はなくても心身が疲れているだろうから、今日はゆっくり風呂に入って、早めに寝ろ

もし夜中に目が覚めたら、俺でも真白でもいいから電話しろ

明日出勤できるなら、話したいことがあるから、始業前に俺の執務室に来てくれ

真白に車で家に迎えにいかせる≫

「え、なんで!?」

 思わず叫びながら、がばっと起きあがる。

 三回読みなおして、ようやく気づいた。

「アフターケアか……」

 吹田さん、慎重派でまじめだから、私の自主申告やシロさんの報告だけじゃなくて、自分でも確認したいんだろうな。

 でも、家まで迎えって、なんていうか、過保護すぎない?

 うーん……。



 ノーパソを開き、【人質 PTSD】で検索して、ざっと読んでいく。

 匂い、音、手触り、形、色、そんなわずかなトリガーでも、フラッシュバックは起こる。

 たとえば、現場が砂浜だったら、砂をさわっただけで。

 たとえば、クラシックが流れている店だったなら、同じような音楽を聞いただけで。

 たとえば、犯人が男だったら、男性を見ただけで。

 当時の恐怖を思いだしてしまう。

 ということは。

 私の場合、薄暗い路地やナイフ、わからない言葉だけじゃなく、制服警官や、吹田さんでさえ、トリガーになる可能性がある。

 それを、吹田さんは確認しようとしてるんだ。

 シロさんの迎えは、たぶん出勤途中でフラッシュバックが起きないようにするため。


   

「ほんと、心配性だなあ……」

 確かに、あの時はすごく恐かった。

 だけど、吹田さんがいたから。

 吹田さんが助けてくれたから。

 大丈夫なのに。

 むしろ吹田さんが好きって自覚して、あわあわしてたことで、恐かったことなんて、ふっとんじゃった。

 そうじゃなかったら、恐いままだったかもしれないから、タイミングとしては最高だったんだけど。

 でも、あわあわしてる頭でもわかる。

 吹田さんの対応は、私を特別扱いしてくれてるわけじゃない。

 もしも通りすがりの女性が人質になったとしても、吹田さんは助けてあげただろうし、アフターケアの手配もしてあげたはず。

 私が顔見知りだから、直接確認しようとしてくれてるだけ。

 おちつくまでずっと抱きしめてくれてたのも、アフターケアの一環で。

「あ」

 ようやく思いだした。

 前にもこんなことあったようなって思ったの、あれだ、懇親会で吹田さんと初めて話した時だ。

 宝塚さんににらまれて腰が抜けてへたりこんでたら、『体が冷えるぞ。さっさと立て』とか言われたけど、手を貸してはくれなかった。

 さっきは、手をさしだしてくれた。

 あの時点から、アフターケアだったんだ。

 エリートの気配りって、すごいね。

 特別扱いじゃないってわかってても、嬉しいし、さみしいな。

「……あれ?」

 でも、これって、チャンスじゃない?



 吹田さんと私は同じ刑事部所属で、同じフロアだけど、吹田さん達キャリアの執務室がある一角は、途中でセキュリティゲートがあって、私達下っ端は用事がある時しか入っちゃいけない。

 だから、バレンタインの時は、シロさんに休憩スペースに来てもらった。

 でも、明日は、吹田さんに呼ばれてるんだから、堂々と会いにいける。    

 ということは、告白もできる。

 その後どうしたいかは、自分でもまだわからないけど。

 とりあえず、言いたいことを言える。

 うん、すごいチャンスだ。

 吹田さんやシロさんの気遣いを利用するのは、申し訳ないけど。

 そうでもしないと、次に会えるのは来月の買い物の時になっちゃうし。

 一ヶ月悩み続けるなんて、絶対無理。

 当たって砕けろで、やってみよう。

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