恋ってどんなものだろう
定時であがって駅に向かい、ちょうど来てた電車に乗る。
発車してしばらくして、メッセージがきた。
あ、マキコさんだ。
最近帰りの時間が一緒になると、よくやりとりしてる。
≪お疲れー 今日も無事仕事を終えて、帰宅中なう≫
≪お疲れ様ですー 私も帰宅中なうですw≫
≪ねえ、明後日またS氏とデートするんでしょ
休み明けに詳しい話教えてね≫
≪デートじゃなくて、買い物ですよー≫
≪いやいや、キミタチどう見ても恋人どうしだから≫
≪えー、どこがですか≫
≪全部よ全部
特に先月の名前呼びの話なんか、完全につきあいたてのカップルだよ
初々しくって、聞いてたこっちが恥ずかしくなっちゃったもん≫
≪全然違いますって。S氏とはお友達みたいなもんです≫
≪そうかなー。『お友達』にしては、ずいぶん楽しそうだけど≫
≪S氏とは好みが似てるから、一緒に買い物するのは、確かに楽しいですけど
それだけですよ≫
≪それだけじゃないでしょ
S氏に名前呼ばれて、ドキドキしたんでしょ?≫
≪それはー、本名で呼ばれるの慣れてないからですよ≫
≪そう?≫
≪そうですよー≫
≪でも、イヤではなかったんでしょ?≫
≪それは、まあ……≫
≪異性に名前呼ばれてイヤじゃないのって、かなり好きってことだよ≫
≪…………なんか、誘導尋問にひっかかった気分です≫
≪見事ひっかけた気分w
でも、マジな話、好みが似てて、名前呼ばれてもイヤじゃないってのは、かなり重要だよ≫
≪そうでしょうか……≫
≪うん。ミケちゃん今まで恋愛経験ないって言ってたから、判断つかないかもしれないけど≫
≪それは、そうなんですけど……≫
≪じゃ、明後日S氏と会う時に、考えてみて≫
≪何をですか?≫
≪他の人ならイヤだったことが、S氏なら平気かどうか
もしそうなら、恋してるってことだよw≫
≪……なんか、暗示かけられてる気がしますけど
わかりました。考えてみます≫
≪暗示にかかれ~~w 結果教えてね
あ、そろそろ駅に着くから。またね~≫
≪はいー≫
メッセージ画面を閉じて、思わずため息つく。
そりゃ、確かに吹田さんと買い物するの、楽しいけど。
好きってほどじゃ、ないと思うんだけどな。
好きになるって、なんかこう、一目惚れっていうか、一瞬のことだよね。
推しにハマる時って、だいたいそうだし。
二次元の人なら、そんなふうに好きになったことは何度もあるけど、生身の人には、そういうトキメキを感じたことは一度もない。
そもそも、男の人が苦手だし。
だから違うと思うんだけど、マキコさんだけじゃなく、マイさん達にも同じように言われたことがあるんだよね。
客観的に見たら、私は吹田さんを好きってこと?
でも、自分ではそう思わないんだから、やっぱり違う?
うーん、わけわかんない。
あーあ、やっぱりリアルって難しい。
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一ヶ月ぶりの、吹田さんとの買い物。
表通りで待ち合わせして、店に行って、ぬいぐるみを選んで、吹田さんが支払いしてくれて、店の外で私のぶんを受けとって、お礼を言う。
一昨日マキコさんに言われたことが気になって、おちつかなかったけど、いつも通りにできてた。
「じゃあ、戻りましょうか」
「美景」
歩きだしかけたところで、今日初めて名前を呼ばれて、びくっとする。
「なん、ですか?」
おそるおそる見上げると、吹田さんは呆れたようなカオをしてた。
「おまえは、学習能力がないのか」
「え」
「おまえは感情がすぐ顔に出るから、隠そうとしても無駄だと、何度も言っただろう」
「……っ」
いつも通りにできてたと、思ったのに。
バレバレだった。
「何を悩んでいるのか、さっさと言え」
命令口調なのに、声は優しかった。
気遣ってくれるのは、嬉しい。
だけど。
『吹田さんを好きなんじゃないかって言われて、悩んでるんです』なんて、言えるわけない。
「なんでもないです、じゃなくて」
愛想笑いでごまかそうとしたけど、吹田さんのまなざしが険しくなったから、あわてて言いなおした。
「悩んでることはあるけど、吹田さんに相談できる内容じゃないんです。
すみません」
「…………」
じいっと見つめられて、思わず目をそらす。
「行きましょっ」
すたすた歩きだすと、吹田さんは黙って後ろをついてきた。
薄暗い路地を、早足で進む。
いつも吹田さんが先導してくれてるけど、何回も行き来してるから、私もようやく道をおぼえられててよかった。
「相談できる相手はいないのか」
背後からの静かな声に、一瞬足が止まりかけたけど、がんばって動かす。
「いない、わけじゃないです。
でも、自分で考えなきゃいけないことなんで。
……お気遣い、ありがとうございます」
相談したら、よってたかってコイバナにされそうだから、したくないんだよねえ。
それにしても、吹田さんて、どんだけ優秀なんだろ。
隠しごとなのか悩みごとなのかまでわかるなんて、すごいよね。
……いや、吹田さんがすごいんじゃなくて、私がバレバレすぎる?
だとすると、もしかして、悩んでる内容まで、バレてる……?
いや、さすがにそれはないよね。
ない、はず。
うん、大丈夫なはずだけど、これ以上一緒にいるとヤバそうだから、さっさと別れよう。
小走りに進んで最後のカドを曲がる。
後はまっすぐ行けば、表通りに出られる。
ほっとしたところで、背後から鋭い声がした。
「美景待て、止まれ」
え、なんで?
やっぱりバレてる!?
尋問される前に、表通りに出なきゃ!
あわてて走りだしたとたん、横の路地から誰か飛びだしてきた。
「あっ」
どんっとぶつかられて、倒れこみそうになる。
だけど、それより早く、太い腕で首を抱えこまれて、ひきずりよせられた。
目の前にナイフを突きつけられる。
よくわからない言葉で、頭の上で誰かが叫ぶ。
え、何っ!?
何が起きてるの!?
「待てっ!」
叫び声がしたほうを見ると、路地の奥から制服着たオジサン警官二人が走ってくる。
ようやく理解した。
私、人質にされたんだ。
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「おとなしくしろ、そんなことをしても逃げられんぞっ」
警官の一人が叫ぶのを、吹田さんが前に出て止めた。
「人質がいる。刺激するな」
「な、なんだ君は。民間人は下がって」
決まり文句を言いかけた警官に、私を見たまま身分証をつきつける。
「警視庁刑事部の吹田だ。
人質の女性は、私の連れだ」
「な、け、警視殿っ!? し、失礼しましたっ!」
警官二人は、あわてて吹田さんに敬礼して、数歩さがる。
あー、前に想像した通りだね。
さっき、吹田さんが『止まれ』って言ったのは、走ってきてる男や警官の声に気づいたから、なんだろうな。
あせってたとはいえ、私は全然わからなかった。
さすが、エリートはすごいなあ。
現実逃避にそんなことをぼんやり考えても、目の前のナイフは離れない。
「状況を説明しろ。
あの男は何をしたんだ」
「はっ、飲食店から無銭飲食の容疑で通報を受けて、任意で事情を聞いていたのですが、どうやら不法入国者らしく、パスポートを見せるよう要求したら、いきなり逃亡をはかりました」
「先に所持品のチェックをしなかったのか」
「は、申し訳ありません」
会話を遮るように、私を抱えこんでる男が、中近東っぽい言葉で何かどなった。
意味は全然わからないけど、その声の大きさと激しさに、体がふるえる。
中学から女子校育ちで、男の人に慣れてないから、大声出されるだけで恐い。
首を抱えこむ腕に力がこもって、喉を絞めつける。
「ぅっ」
息苦しくて、けほっと咳きこんだ。
一歩近づいた吹田さんに、男がまた何かどなった。
私を強く抱えこみながら、ナイフを大きく動かしてたから、たぶん、『近づいたらこいつを殺す』とか、言ってるみたいだった。
なんで、こんなことに。
吹田さんから逃げようとしたから、罰が当たったのかな。
太い腕でぐいぐい締められて、息がしづらい。
だけど、目の前をちらつくナイフが恐くて、何も言えない。
でも苦しい。
恐い。
ぎゅっと目を閉じる。
恐い。
苦しい。
恐い。
恐い。
恐い……!
「美景」
静かなのに強い声が、恐怖に飲みこまれそうだった意識を引き戻す。
「美景。
目を開けて、俺を見ろ」
命じる声に、おそるおそる目を開ける。
吹田さんは、静かなカオで、まっすぐに私を見てた。
「おちつけ」
「……だって……こわい……」
「恐くない。
俺が、ここにいる」
きっぱりした言葉に含まれた自信とプライドに、すうっと気持ちがおちついた。
そうだった。
吹田さんは、ケンカも強いんだ。
初めての買い物の時、チンピラ三人を瞬殺したぐらいなんだから。
ナイフ持ってるとはいえ、男一人ぐらい、なんでもない。
吹田さんが、いるんだから。
大丈夫。
「……はい」
男がまた何かどなった。
『勝手に話をするな』とか、そういう感じみたいだった。
吹田さんが英語っぽい言葉で何か言ったけど、通じなかったのか、わからない言葉でまたどなる。
吹田さんはちらっと私を見た。
「そいつの右足の向こう脛を、踵で思いきり蹴りつけろ。
できるな」
「……はい」
こくんとうなずく。
大丈夫。
恐いけど、吹田さんがいるから、大丈夫。
「カウントする。三つめでやれ」
「はい」
男がまたどなる。
吹田さんは、私にはわからない言葉で何か言いながら、さりげない動きで一歩近づく。
「一」
深呼吸して、きもちをおちつける。
「二」
大きく息を吸いこんで、右足に意識を集中する。
「三」
「えいっ!」
カウントと同時に、思いきり男の右足の向こう脛を蹴った。
ギャッて悲鳴をあげた男の腕が、少しだけゆるむ。
一瞬で距離を詰めた吹田さんに、ぐいっと腕を引かれて、前のめりになった。
背後で、また悲鳴と、にぶい音。
ぺたんと地面に座りこんで、ふりむいた時には、もう男は地面に倒れてた。
「確保しろ」
「はっ!」
警官達が駆けよって、動かない男に手錠をかける。
吹田さんが私の前に立って、手をさしだした。
「いつまでもそんなところに座りこんでると、汚れるぞ。
立て」
目の前の手を、ぼんやり見つめる。
なんか、前にもこんなこと、あったような……。
いつだっけ。
思いだせない。
ぼけっとしてると、苦笑した吹田さんは両手を伸ばした。
脇の下に手を入れて、ひょいっと持ちあげられる。
「ひゃっ」
立たされても、膝に力が入らなくて、かくんと崩れた。
倒れこむ前に、ふんわり抱きしめて支えられる。
「よくやった」
静かな声が、耳元で囁く。
「……っ」
手を伸ばして、吹田さんにぎゅうっと抱きついた。
「こわ、かった……」
言葉と一緒に、涙がぽろっとこぼれ落ちる。
吹田さんは、なだめるみたいに、ぽんぽんっと私の背中をたたいた。
「もう大丈夫だ」
優しい声に、優しい手つきに、また涙がこぼれた。
「…………はい」
マキコさんの言葉を思いだす。
≪他の人ならイヤだったことが、S氏なら平気かどうか
もしそうなら、恋してるってことだよw≫
吹田さんだから、信じられた。
吹田さんだから、大丈夫だと思った。
吹田さんだから、安心できた。
全部、吹田さん、だから。
今、はっきりわかった。
私、吹田さんが、好き。




