名前の呼び方って難しい
吹田さんとの買い物は、今回も楽しかった。
外に出て、渡されたクマのぬいぐるみをショルダーバッグに入れて、スマホで時間を確認する。
「吹田さん、この後まだ時間あります?
よかったら、一緒に行ってほしいとこがあるんですけど」
吹田さんはちらっと腕時計を見てから、小さくうなずく。
「一時間ぐらいならかまわないが、どこだ」
「この道まっすぐいったとこの、カフェなんですけど。
カップル限定メニューで、ラブリーパフェっていうのがあるんですって。
すっごくカワイイデコレーションらしいんです」
この近くの情報を検索してて、とある人のツ〇ッターで見つけたんだけど、写真はなかった。
だからよけい気になったんだよね。
「…………」
吹田さんは、なぜか悩むようなカオになった。
なんで?
【同志】情報では、吹田さん今カノジョいないみたいだから、誤解される心配もないと思うんだけど。
あ、もしかして。
「ハニトラとか、まだ疑ってるんですか?」
もう疑いは晴れたって、言ってたのに。
私を見た吹田さんは、目元をかすかにやわらかくする。
「違う。
だが、カップル限定なら、恋人といけばいいだろう」
あー、そういう意味。
「恋人いないから、吹田さんにお願いしてるんです」
二次元になら、いっぱいいるんだけど。
「なら、家族か友人にでも頼めばいいだろう」
「私、ひとりっこなんです。
父は、単身赴任で地方に行ったきりですし。
中学から大学までずっと女子校だったから、男のコの友達いないんです」
「……………………」
吹田さんは、なんだか難しいカオで黙りこむ。
今度はなんだろ。
うーん?
あ、そうか。
「私とカップルに見られるのがイヤなら、かまいませんけど……」
吹田さん、プライド高いから、カノジョの理想も高そうだもんね。
私なんか、問題外なんだろうな。
吹田さんは、ぴくっと眉を上げる。
「そういう意味ではない。
だが、万が一誰かに見られて噂になったら、困るのはおまえのほうだろう」
「別にかまいませんけど。
そんな噂、すぐ消せますし」
「……消す?」
「はい。
噂って、人から人へ伝わってくものでしょう?
だから、伝わる途中で止めるか、違う情報を混ぜれば、どうとでも操作できます」
警視庁内なら、半日あれば、噂を広めることも、内容を変えることも、消すこともできる。
もちろん、執行部に依頼が必要だけど。
私は、依頼したことはないけど、執行部からの指示で噂を広める手伝いは何度かやったことがある。
今日のことは、前にケイコ先生に言われた通り、執行部のハマチさんに連絡してあるから、誰かに見られても噂の操作は簡単なはず。
吹田さんは、なぜか深くため息をついた。
「……おまえ達の組織は……」
「なんですか?」
吹田さんはもう一度ため息をついて、首を横に振る。
「………………いや、いい。
おまえが気にしないというなら、かまわない。
つきあってやる」
「ありがとうございます。
えっと、じゃあ、こっちです」
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歩きだしながら、ちらっと吹田さんを見る。
「なんだ」
「……たいしたことじゃないんですけど……」
二歩後ろにいた吹田さんは、横に並んでじろっとにらんでくる。
「なんだ。
はっきり言え」
うー、そんな改まって言うほどじゃないんだけど。
「……『おまえ』じゃなくて、『ミケ』って、呼んでくれませんか?」
『おまえ』って言われるの、ちょっとイヤなんだよね。
「……おまえの名前は、御所 美景だろう。
なぜ『ミケ』なんだ」
不思議そうに言われて、ちょっと驚く。
名字はともかく、フルネームもおぼえられてたんだ。
ほんと、優秀な人なんだなあ。
「そうですけど、友達からも、親からも、『ミケ』って呼ばれてるんで、吹田さんも、そう呼んでくれませんか?」
「……親からもか?」
「はい」
「…………」
吹田さんは、しばらく間をおいてから、ちょっと厳しい口調で言う。
「名前は、個人を識別する大切なものだ。
省略したり改変したりすれば、本人をあらわすものではなくなってしまう。
幼児ならともかく、十歳以上ならば、正しく呼ぶべきだ」
いちいち言葉が難しいなあ。
つまり、名前はちゃんと呼ぼうってことなのかな。
「……でも、読めないって、いっつも文句言われるんです。
『ミケ』のほうが呼びやすいし、おぼえやすいから、私にとっては、もうひとつの名前、みたいなものなんです」
読めない名前を、私がつけたわけじゃないのに。
文句言われるのは、お父さんお母さんじゃなくて、私。
いくら姓名判断とか、画数とか考えてくれても、自分たちでさえ呼びにくいような名前つけるのは、やめてほしかったなあ。
縁起がいいより、すぐ読めるわかりやすい名前のほうがよかった。
「悪かった」
静かな声に、足下に落としてた視線をちょっとだけ上げる。
「俺も、おまえほどではないが読みにくい名前だから、間違えられて嫌な思いをすることがよくあった。
だからこそ正しく呼ぶことにこだわりがあったが、他人に強要するようなことでもなかった。
すまない」
「……あ、いえ……」
まじめなカオで言われると、かえって困る。
吹田さんて、いろんな意味で、公平なんだな。
正しいと思ったら主張するし、悪いと思ったら謝るんだ。
そういうのが、ほんとのエリートなのかな。
「……吹田さんは、どんなふうに間違われてました?」
「一番多いのは、フキタ コウメイだな」
苦笑混じりの答えに、思わず笑う。
確かに、そのまま読んだら、そうだよね。
「私は、ゴショ ミケイが一番多かったです。
名字は、地名にもあるから読める人いましたけど、名前は一度も正しく読まれたことないです」
「そうか」
静かなあいづちが、なんだか嬉しい。
「だから、逆に自己紹介でそれをネタにするようになったんです。
『今まで正しく読んでくれた人が一人もいない名前ですが、そのぶん印象に残りやすいと思います』って」
「なるほどな。
だが、やはり俺は、自分が嫌な思いをしてきたから、正しく呼びたいと思う。
美景と呼ばれるのは、嫌なのか?」
優しい声で呼ばれて、なぜかドキっとする。
「……イヤなわけじゃ、ないんですけど。
なんていうか、慣れてないから……」
「俺がそう呼ぶのは、嫌か?」
「……イヤじゃないんですってば。
ただ、その……なんか、恥ずかしいです……」
うー、なんか顔熱い。
頬を押さえてうつむくと、くすっと笑う声がした。
「耳まで赤いぞ」
「ぅえっ」
思わず耳を押さえると、また笑い声がした。
ううう、恥ずかしーよぅ。
「……もしかして、からかってます?」
耳を押さえたまま、ちらっと見上げると、吹田さんは平然と答える。
「からかってなどいない」
そうかなー。
なんか、遊ばれてる気がするんだけど。
「ここか」
ふいに吹田さんが足を止める。
「え?」
あわてて見ると、横の店の壁に【カップル限定ラブリーカフェ】って大きく書いた紙が貼ってあった。
その下に、ちょっと画質粗いけど、写真もついてた。
「あ、そうです、これです。
ほんとにカワイーなー、この動物の飾り、砂糖細工かな?
クマと、ネコと、リスかな?」
写真をじいっと見てると、吹田さんがドアに向かう。
「美景」
ドアを開けて押さえて、私を軽く手招きする。
「入るぞ」
「…………ハイ」
【カップル限定】だから、それっぽいフリしてくれてるんだろうけど。
なんか、めちゃくちゃ恥ずかしい。
その後も、吹田さんに名前を呼ばれるたびに、なぜかドキドキしちゃって、パフェの味はあんまりわからなかった。




