エリートってマジエリート④
長い沈黙が続く。
突き刺すような視線が、ふいにゆるんだ。
「逮捕できるなら、こんな回りくどいことはしない」
吹田さんはため息をついて、紅茶を一口飲む。
「……ぇ……?」
「『警視総監でさえ頭が上がらない女傑』だと、言っただろう。
キャリアとはいえ理事官ごときでは、手を出そうとした時点で僻地へ左遷されて終わりだ」
え、ケイコ先生って、人事の実質トップだとは聞いてたけど、そこまですごい人だったの?
「そもそも、おまえを逮捕できる理由がない。
集めた情報を私利私欲に使っていたならともかく、捜査に協力しているし、外部に漏らしたわけでもない。
俺や真白の個人情報の閲覧や拡散については文句を言いたいところだが、それを理由にすると庁内の職員の半数以上を処分しなければならなくなる。
実質手の打ちようがないから、おまえの協力を得たかったんだ」
吹田さんの言葉は、聞こえてたけど、頭を素通りしてた。
「…………つまり、どういうことですか……?」
「つまり、俺は、おまえにも主計課長代理にも手を出せないということだ」
苦いカオで言われて、ようやく理解できた。
「よ、かった……」
体から力が抜けて、椅子から落ちそうになって、横向きになって背もたれにしがみつく。
「よかった……」
私のせいで、ケイコ先生や【同志】に迷惑かけないですんで、ほんとによかった。
ぐったり椅子にもたれてると、 吹田さんが小さく咳払いする。
「おまえに頼みたいことがある。
こっちを向いて、しっかり聞いてくれ」
「……ちょっと、まだ、無理です、気が抜けちゃって……」
体に力が入らない。
ここがお店じゃなかったら、床に倒れこみたいぐらい、だるい。
「そこまで恐がらせはしなかっただろう」
「懇親会の時の宝塚さんほどじゃないですけど、十分恐かったですよ。
……私のせいで、ケイコ先生に迷惑かかったらって思ったら、もう……」
思うだけで恐くなって、自分の肩をぎゅっと抱きしめる。
「わかった、おちつくまで待つから、気持ちを鎮めろ。
おまえを泣かせたと知られたら、真白に文句を言われる」
なんだか困ったように言われて、きょとんとする。
「私、泣いてないですよ?」
恐かったけど、泣くほどじゃない。
「……自覚がないのか。
鏡を見てみろ」
「えー……」
だるい手を伸ばしてスマホを取って、前面カメラの画面で見てみる。
目元をのぞきこむと、ちょっと潤んでるように見えた。
あれ、ほんとだ。
うーん、気が抜けたからかな。
バッグからハンカチを取って、軽く目元を押さえる。
「……そんなにハニトラ警戒してるなら、普段から声かけられてるんですよね?
女の涙なんて、見慣れてるんじゃないんですか?」
吹田さんて、女性に目の前で泣かれても気にしなさそうなのに。
「他の女ならどうでもいいが、おまえは特別だ」
そう言う吹田さんは、優しいカオをしてた。
なんで?
あ、さっき『真白に文句を言われる』って言ってたっけ。
「シロさんのこと、意外と大事にしてるんですね」
見た目のイメージが偉そうなご主人様と寡黙な従者って感じだから、使用人としか見てないのかと思ってた。
「あ」
あー、今朝の変なメッセージ。
そういうことかー。
「なんだ」
「えーと。
今日ここで私を尋問するってこと、シロさんに話しました?」
「……ああ。
真白から、何か聞いていたのか」
探るような問いかけに、小さく首を横に振る。
「具体的なことは、何も。
ただ、ゆうべ≪明日吹田さんと買い物にいきます≫ってメッセージを送ったら、≪楽しんできてください≫って返事がきたのに、今朝になって≪友達なのに力が及ばず申し訳ありません≫ってきたんです。
≪どういう意味ですか≫って送ったんですけど、返事はないままでした。
たぶん、私をかばいきれなかったって、おちこんでるんだと思います」
シロさん、まじめだから、私と吹田さんの板挟みで悩んじゃったんだろうな。
「……だろうな」
「たぶん今すごく心配してくれてるだろうから、吹田さんからシロさんに連絡してあげてくれませんか。
私からだと、シロさんに気を遣って隠してると思われそうなので」
「……わかった」
うなずいた吹田さんは、スマホを出して手早く操作する。
テーブルの上にスマホを置いて、私を見た。
「真白は俺の部下だが、使用人だと思ったことはない。
だが真白自身は、使用人として教育されたせいで、俺に自分の人生を捧げるのが当然だと思っている。
個人的なつきあいをする相手を作らず、俺のためだけに生きてきた。
『おまえ自身の幸せを考えろ』と何度も言ったが、いつも『お仕えできるのが最上の幸せです』と答えた。
それが、宝塚とつきあうようになって、少し変わった。
さらにおまえと友達になって、ようやく自分自身の意志で発言するようになった。
……真白が俺の判断に真っ向から反対したのは、今回のおまえへの対応についてが初めてだ。
なぜそこまでおまえを信頼するのかわからなかったが」
言葉を切って私を見た吹田さんは、優しいまなざしになる。
「今日、おまえの裏表のない表情を見ていて、わかった。
感情を取り繕うことがばからしくなって、素の自分でいられる。
楽に呼吸ができる。
常に気を張り、相手の裏を探りながら生きてきた俺達にとっては、得難い存在だ」
うーん……?
さっき、疑ってるってさんざん言われた気がするんだけど?
疑いが晴れたからなのかな?
「それ、褒めてます?」
「ああ。
俺からすれば最上級だ」
優しいカオでうなずかれると、かえって怪しいなあ。
「これからも、シロと仲良くしてやってくれ」
「それは、もちろんです。お任せください」
やったね、上司公認もゲット~!
これでシロさんと気兼ねなく遊べるね。
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カップを取って、すっかり冷めちゃった紅茶を飲み干す。
うーん、あったかいのがほしいなあ。
「おかわりがほしいなら、頼むか?」
「えー、でも、別料金になりますよね?」
確か、紅茶単品で二千円だった。
おごりだとしても、ちょっとためらっちゃう金額。
「三杯目までは、最初の料金に含まれている」
「そうなんですか。
だからあんなにお高いんですね」
それでも、ケーキと紅茶のセットで五千円は、高すぎると思うけど。
イケオジのサービス料金込みなら、安いほうなのかな。
「ここの場合、部屋代も食事代金に含まれている。
内密に話をするには、個室の飲食店は都合がいいからな。
そういう客向けの店の作りと値段設定だ」
あー、飲食店だと、ホテルとかより目立たずに利用できるってことかな。
「キャリアって大変なんですねえ」
誰かと会って話をするだけでも、場所に気を遣わないといけないなんて、大変だよね。
しみじみうなずいてると、吹田さんはなぜか渋いカオになる。
「念のために言っておくが。
今後、男女問わず身元が確かでない者にこういう個室の店に誘われた場合は、絶対に断れ。
もしも騙されて連れこまれたら、隙を見て俺か真白に連絡しろ。
無理ならその場では相手の要求に従うふりをしておいて、解放されてから必ず連絡しろ」
「え、なんですかそれ」
そんなドラマみたいなことが、私に関係あるの?
「『素人を後から協力者に仕立てあげる手法もある』と、さっき言っただろう。
俺や真白を狙っている工作員に、おまえが俺達とつながりがあると知られたら、手駒にするために声をかけられる可能性がある」
「えぇー……吹田さんやシロさんて、そんな危ない立場なんですか?
あ、じゃあ、電車乗ったり徒歩で出歩いたりしちゃ、ダメじゃないですか」
「今実際に狙われているわけではないから、そこまでの警戒は必要ない。
だが、警視庁所属のキャリアだというだけで、目を付けられる可能性がある。
だから、気をつけろと言ってるんだ。
身元がはっきりしない相手から渡されるものにも注意しろ。
盗聴器や発信器やカメラが仕掛けられている可能性がある。
特に飲食物は、薬物が混入されているかもしれないから、絶対に口にするな」
「はぁ……」
こどもに言い聞かせるみたいな口調は、本当に心配してくれてるんだろうけど、実感が全然ないから、素直にうなずけない。
そう思ってるのがわかったのか、吹田さんはため息をつく。
「おまえに何かあったら真白が悲しむから、身辺に気をつけろということだ。
わかったか?」
「……はい」
実感ないけど、友達のシロさんを悲しまるようなことはしちゃダメだよね。
「だったら、おまえからも真白に連絡を入れてやってくれ。
俺の言葉だけでは安心できないようだ」
「え、あ、シロさんから返事きたんですか?」
「ああ。仕事の時並みの速さだったぞ」
苦笑しながら言われて、私もふふっと笑う。
「わかりました」
そんなに心配してくれてたんだ、嬉しいな。
シロさんに≪大丈夫ですよ≫って送ってる間に、吹田さんがベルを鳴らしておかわりを頼んでくれた。
カップから上がる湯気を見ながら、頭の中を整理する。
なんかいっぺんにいろんなこと言われたから、頭がついていけてない。
えーと、大事なことは。
ケイコ先生には迷惑かからなかったってこと。
シロさんに心配かけないよう、身辺に気をつけること。
うん、これだけおぼえとけば大丈夫かな。
「……あれ」
「なんだ」
「えーと、何か頼みたいことがあるって、言ってましたっけ?」
なんかそんなようなこと、言われた気がする。
「ああ」
紅茶を一口飲んだ吹田さんがまじめなカオになったから、あわてて背筋を伸ばして座りなおす。
「おまえに頼みたいことが二つある。
一つめは、主計課長代理と非公式に面談できるよう手配してほしい。
二つめは、おまえ達が利用している情報を、俺と俺が選んだ数名も使えるようにしてもらいたい。
おまえにその権限がないことはわかっているから、実行可能な部署に、俺からの頼みとして連絡をしてくれればいい」
「面談は、直接連絡すればいいんじゃないんですか?」
私に頼むより、そのほうが早いと思うんだけど。
「確かに、直接連絡して面談することは可能だが、庁内では目立ちすぎる。
俺と主計課長代理が接触したと知られると、よけいな派閥争いが起きかねない。
爺どもの権力闘争の相手などしていられるか」
吹田さん、意外と口が悪いなあ。
うんざりしたような言い方だから、普段から苦労してるのかな。
「わかりました。
吹田さんが選んだ数名って、シロさんとかですか?」
「真白と宝塚と、俺の部下数名を想定している。
必要であれば、リストを休み明けにおまえにメールしておく」
うーん、それなら、リストを添付して執行部に連絡すれば、ひきうけてもらえるかな。
【同盟】ネットワークが表沙汰になって使えなくなるよりは、マシなはず。
考えこんでると、スマホがぴこんと鳴って着信を知らせる。
あ、シロさんだ。
「ちょっとすみません、シロさんからきたので」
「ああ」
一応吹田さんに断っておいて、メッセージを開く。
≪よかったです
吹田さんは自分にも他人にも厳しい人ですが、優しいところもあるんです≫
シロさんも、吹田さんのこと、ご主人様ってだけじゃなくて、大事に思ってるんだね。
『優しいところ』、かあ。
職場で呼びだして尋問するんじゃなく、ここで話をしてくれたのは、優しさ、なんだろうな。
なんだかほっこりして、ようやく肩の力が抜けた気がした。
あ、そうだ。
「吹田さん、お願いがあるんですけど」
「なんだ」
「一緒に写真撮らせてもらえませんか?
さっきの頼みごとを連絡する時に、私と吹田さんのつながりがわかる物証があったほうがいいと思うんです」
私がそんな嘘つく意味ないとはいえ、『なんで?』って思われるだろうし。
個人的につながりあるって示すには、お互い私服の写真はちょうどいい、はず。
とたんに吹田さんは不機嫌そうに眉をひそめたけど、しばらくしてからうなずいた。
「一枚だけだぞ」
「はい。ありがとうございます」
スマホを握って立ちあがって、ついでに軽く伸びをする。
うん、大丈夫、ちゃんと動ける。
座ったままの吹田さんの横にいって、腰をかがめて顔を近づけて、スマホを構えた。
眉間にシワが寄ったままの吹田さんが画面に映って、苦笑する。
「笑わなくてもいいから、普通の顔してください」
「…………」
吹田さんは小さくため息ついて、表情を整えた。
笑ってはいないけど、怒ってもいない感じ。
まあこれぐらいならセーフかな。
「じゃー撮りますよー、はいチーズ!」
私はひかえめに笑った感じで、シャッターボタンを押す。
体を離して、写真を確認した。
「んー、こんなもんですかね。
ありがとうございました」
「待て。俺にも確認させろ」
「あ、はい、どうぞ」
スマホをさしだすと、吹田さんはしばらく画面を見つめてからうなずく。
「いいだろう。
ただし、その写真が拡散されないよう言っておけ」
「あー、そうですね」
オフの吹田さんの写真って、すごく需要ありそう。
だからって、データベースに登録されちゃったら、私も一緒に全国の【同志】に見られちゃうもんね。
それはさすがに恥ずかしい。
「じゃあ、この写真添えて、休み明けに執行部、ええと、上のほうの人達に、お願いしておきますね」
「ああ。頼む」
「はい」
自分の席に戻って、もう一度写真を確認する。
あ、そうだ、これシロさんにも送っとこう。
なかよし……には見えないかもしれないけど、一緒に写真撮る程度にはうちとけてるって、伝わるだろうし。
シロさんに写真を送ると、すぐに笑顔のスタンプが送られてきた。
スタンプの使い方を教えたの三日前なのに、もう使いこなしてるなあ。
私も笑顔のスタンプを返してから、スマホをテーブルに置く。
ついでに時間を確認したら、店に来てから一時間ぐらいだった。
えー、まだそれぐらいだったんだ。
すっごい疲れたから、三時間ぐらい経ってる気がしてた。
「どうせなら、先に話をしてから、ケーキ食べさせてほしかったです。
せっかく美味しかったのに、記憶が曖昧になっちゃいましたよ」
美味しさの余韻が消えちゃって、もったいない気分。
「……話をした後に、俺と向かいあって平然とケーキを食べられるのか」
呆れたみたいに言われて、思わず笑う。
「それって、取調室でカツ丼食べるみたいな感じですね」
昭和の定番ネタだけど、少なくとも私は捜査員の誰かにカツ丼の出前の手配を頼まれたことないから、今の時代ではネタ止まりなのかな。
「おまえは、神経が太いのか細いのか、よくわからんな」
「えー、細いですよ。
今もすっごい疲れてて、ベッドがあったら倒れこみたいぐらいですもん」
まっすぐ座れるぐらいには回復したけど、やっぱりまだだるい。
肉体的にもだけど、精神的にすっごい疲れた感じ。
吹田さんは、私をまじまじ見つめて、大きなため息をつく。
今度はなんだろ。
「真白から、おまえは中学から大学まで女子校だったから、男との距離感がわからないと言っていたと聞いているが、もう少し気をつけろ」
「何にですか?」
本気でわからなくて首をかしげると、またため息をつかれた。
もー、なんなんだろ。
「……男と二人きりの状況で、『ベッドで寝たい』と言うのは、誘い文句だ」
「…………あー」
ようやく意味がわかって、苦笑する。
「これもハニトラになるんですか?」
もしかして、今みたいに、私自身はそんなつもりじゃなかったことで、誘ってると思われてたのかな。
「相手によっては、勘違いするだろうな。
だから、気をつけろ」
「わかりました」
吹田さんて、意外と心配性なんだなあ。
まあ、私じゃなくて、私を心配するシロさんのため、なんだろうけど。
それでも、心配してくれるって、嬉しいな。
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三杯目の紅茶を飲みながらのんびり雑談して、だいぶ回復したから、クマのぬいぐるみを買いにいく。
実物見ると、テンション上がって、またキャーキャー騒いじゃった。
今回は二個ずつ選んで、また吹田さんが支払いしてくれた。
表通りまで戻って、別れの挨拶をしようとして、店での話を思いだす。
「えーと、今後は、どうします?
さっきの話でいくと、どっかの工作員に目をつけられないようにするには、一緒に買い物とか、しないほうがいいんですよね?」
「おまえの安全のためには、そうするべきだろうな。
おまえは、どうしたい?」
基本命令口調なのに、急に私の意見を聞いてくるの、なんでだろ。
「うーん、吹田さんと買い物するの楽しいから、続けられたら嬉しいです。
でも、吹田さんやシロさんの迷惑になるなら、諦めます」
「……俺も、おまえとの買い物は、いい息抜きになっている。
普段は笑顔で腹黒いことを考えている奴らばかりを相手にしているから、感情のままに行動するおまえを見ていると、心が安らぐ」
「えー……」
優しいカオで、イイ感じに言われてるけど、それって。
「なんか、仕事で疲れてるから小動物で癒されたい、みたいな感じに聞こえるんですけど」
小動物じゃなくて、珍獣扱いかもしれないけど。
庶民でオタクな私は、おぼっちゃまでエリートな吹田さんのまわりには、いないタイプなんだろうし。
「そうだな」
さらっと肯定した吹田さんは、やわらかく微笑む。
「だから、おまえが嫌ではないなら、次もまた誘ってくれ」
「……そういう言い方、ズルイと思います」
断ったら、私が悪いみたいじゃない。
でも、イヤじゃないし、まあ、いっか。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします」
ぺこっと頭を下げると、吹田さんはまじめなカオになる。
「ああ。
ただし、さっきも言った通り、普段から周囲を警戒しておけ。
身の危険を感じたら、確証がなくてもかまわないから、すぐに俺か真白に連絡しろ」
ほんとに心配性だね。
「はぁい、気をつけます」




