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雪の陰翳  作者: 苳子
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第9章 9

 冬になると王都はいっそう賑わう。

 春から秋にかけては翼波との攻防戦が主となるため、王都は云わば“から”になる。物理的に休戦状態となるしかない冬に各種会議などが集中するため、よう各地から王統家や貴族たちが王都につどう。

 昨年の晩秋に苴州入りした朱華は、赴任初年度ということもあり、その冬の会議の欠席を許された。領主代理として王都の苴葉公邸を取り仕切る留守居るすい役が活躍した。彼はらん家の出身で、列洪の弟でもある。

 二年目からは他の諸侯と同じ役目を求められる。苴州では吹雪はじめたころ、朱華は王都入りした。もちろん、滞在先は苴葉公邸である。はじめて新たなあるじである苴葉公を迎える公邸は、浮足立った活気に満ちていた。

 今回の王都入りには霜罧と夕瑛も同行した。列洪は領主の代理として苴州に残るのが慣例でもあるため、後事を託すに心配はない。王都には彼の弟がおり、彼もまた留守居役としての務めが長いためこちらも頼りになる。会議に備えての根回しや手配はお手の物であり、霜罧も全幅の信頼を置いているようだった。

 はじめて苴葉公の滞在を迎えた留守居役の歓迎を受けながら、朱華は列洪の言葉を思い出していた。

 幼い日に目の前で両親を嬲り殺しにされ、死体の山に潜り込んで生きながらえた彼の弟というのは、この男で間違いないのだろう。そのような地獄をみてきた人物には見えない。列洪より柔和な印象だが、霜罧の評価を聞いていれば言動の端々から有能な男であることが分かる。列洪の長女瑛珂(えいか)といい、浪家は代々すぐれた人物を輩出してきたのだろう。

 苴葉公邸は州の政務が執り行われる「表向おもてむき」と、苴葉公の私的空間である「奥向おくむき」で構成されている。表向には朱華の執務室があり、奥向には寝室をはじめとする私室がある。それは苴州と異なり、王都らしい豪奢なものだった。居間と寝室は別であり、苴州城の私室とは対極にあった。

 表向の朱華の執務室は個室であり、それより一回り狭い続きの間が霜罧の部屋だった。やはりこちらも豪奢であり、朱華は何故だか落ち着かない気分でうろうろしていた。無愛想で質実剛健な、無機質な苴州城が何故だか懐かしく思われた。

 これもまた豪奢な窓掛けの端を掴み、理由も知れないまま溜息を吐いたところに、霜罧が訪ねてきた。これまで執務中は常に同室だったため、新鮮でもあり落ち着かない心地でもある。

 会議の時季を無難に乗り切るため、なるべく感情を顔に出さないよう口酸っぱく忠告したはずだったが、彼の努力は無駄に終わったようである。だが、自分の前では装わず寛いだようすを見せる彼女に喜びを感じるも本当のところだった。

 

「何故だか落ち着かないわ」


 呟きながら、朱華は執務室をぐるりと見渡す。霜罧は目を伏せて微笑んだ。


「それだけ苴州式にお慣れになったということでしょう」

「――それと、あちらの方が私の性にも合っているのでしょう」


 そういって、朱華はくいっと着心地悪げに上衣うわがさねの裾を引っ張った。

 彼女は王都入り直前までは簡素な官服を着用していたが、王都の手前で着替えるよう指示したのは霜罧だ。

 初の女性王統家当主の王都入りは一種の行事であり、華やかに行われた。

 あえて中性的な意匠を取り入れながらも、基本的には女性であることを強調するスカートを採用し、凛々しくも麗しい女神の末裔すえであることを強調する。簡素であることは苴州の民には受けるが、王都では侮りを招きかねない。郷に入っては郷に従うは鉄則でもある。

 機能的でありながら、女性的な身体の線を強調する衣装は、朱華の凛とした美しさを際立たせている。乳姉妹の長所を熟知した夕瑛がその腕を存分に振るい、彼女を飾り立てた。女王も女神の末裔であることを強調したが、朱華ほどにその後裔であることをその容姿から連想させる王女はいないだろう。

 朱華は性質的にも苴州の持ち合わせる風土との相性が良いようだった。霜罧にしてみれば計算外のことだが、一種の美質には違いない。

 前代未聞の元王女である苴葉公の王都入りは大盛況のうちに終了した。媚びるほどではないが、凛とした微笑を浮かべた朱華の雄姿は、特に王都の女性たちの支持を集めた。

 古来から王族、特に女性は奥深く姿を隠し、親兄弟の前であっても素顔を晒すことはなかった。それが女王の代で一転したものの、依然として王族がその姿をさらす機会は少ない。それだけに元王女であり、女神の生き写しと噂される朱華の王都入りは衆目を集めた。凛とした艶やかな姿は人の目を奪うには十分だった。

 嫣然とその役割を果たしたのち、表向の執務室でその反動でぐったりする様子を目にしたのは霜罧だけだった。自分と夕瑛だけが彼女の偽らざる姿を目にすることができる。自分のその役割に、霜罧は満更でもない気分だった。


「それを聞けば苴州の民はさぞかし喜ぶことでしょう」

「……誰かを喜ばせるためではなく、私自身が楽だと言っているのよ」


 朱華は眉を顰めた。これ以上誰かのために自分を偽るのはたくさんだった。


「だからこそ、ですよ。姫は根っから苴州との相性がよろしいのでしょう――寒さを除けば、ですが」

「苴州は寒いところよ――根本から相いれないわ」


 朱華は投げやりに呻き、それからよろよろと移動し執務机の椅子にようやく腰かけた。しかし、座り心地悪そうに座りなおす。眉間に皺を寄せてのその姿に、霜罧はうっかり笑ってしまった。


「相変わらず趣味の悪い。人の醜態を面白がるなんて」


 朱華は腕組みをして部下を睨みつける。

 まったくの八つ当たりだが、霜罧はますます目尻の下がる思いだった。益体もないことではけ口にされるのは、まさしく心を許している証でもある。悪い気がしないわけがない。


「本当のところを申し上げたのみです。苴州の民は飾り気のないことを好みます。公のご趣味と一致するではありませんか」

「……それはそうだけど」


 朱華は結局立ち上がり、また室内をうろうろし始めた。


「けれど、王都ではそうはいきません。郷にいては郷に従えですよ、姫。ここにおいては侮られないこともあなたのつとめです」


 苴州とは対極になる公邸の室礼しつらいはその為のある種の武装でもある。朱華を飾り立てるのもその一環である。


「分かっている――だからこそ、このような馬鹿げた格好をしているのでしょう」


 朱華は吐き捨てるように呟くと、耐えかねたように上衣うわがさねを脱ぎ捨てた。勿論、その下にも何枚も着こんでいる。色違いの襟を何層も重ねることも装いの一部だった。


「私の武器はこの容姿と出自。他にできることはないのだから、十二分に活かせなくてはね――あとはそなた頼みだから」

「お任せください」


 霜罧は優雅に身を折り、微笑んでみせる。朱華はそれを睨みつけた後、小さく息を吐いた。


「私にできること、すべきことはどんどん進言するように――それしかできないのだから」


 朱華は自棄気味に言い、再び乱暴に椅子に腰をおろした。随分と疲れて気持ちがささくれ立っているのだろう。しかし、自分と夕瑛の前でなければおくびにも出さない。一年前と比べれば格段の進歩でもある。 

 

「随分と良い意味で開き直られたものですね」


 霜罧は隠すことなくくすくすと笑った。自信無げにびくびくするよりは余程ましだともいえる。


「私は私でしかないのだから、仕方ないでしょう」


 朱華は苦虫を噛み潰したような声で呻き、背もたれにもたれてだらしなくのけぞる。異性として見られていないようなも気するが、これはこれで悪くはない。


「枳月殿下とそういうお話をなさったそうですね」


 朱華は一瞬身を強張らせたのち、体を起こして霜罧を見据えた。


「誰から?」

「枳月殿下からですよ」


 夕瑛にも話していないのにいったいどこから聞きつけたのかと、朱華は眉を顰めたが、当人から聞いたのでは仕方ない。


「そう――開き直りの片棒を担いだなどと思うのは、枳月殿に失礼よ。これは私なりの解釈であり、やり方だから」

「なにも間違ってはおられませんよ」


 おそらく、言葉に意味の解釈は双方ともに間違ってはいない。ただ、活かし方の違いには溜息をつくよりほかない。もちろん、それぞれが置かれた状況の違いもある。それでも、枳月の選択を良しとはできなかった。


「それは嫌味? それとも本音?」


 霜罧の言葉をまずは嫌味と決めてかかっていた朱華だが、意図を確認するようにもなってきた。それはおそらく悪いことではない。


「偽らざる本音ですよ」


 霜罧は微笑しながら、ふてくされたような顔をして疲労を隠しきれない少女を愛らしく感じ、それと同時に異なる解釈をした彼を思わずにはいられなかった。


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