表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪の陰翳  作者: 苳子
46/110

第4章 10

 

 昼食を終えた後、場内の視察は再開された。さすがに隅々まで見て回るのは厳しいということで、主だった場所を見て回ったのち、翠華すいかを後にすることになった。


「こちらが後宮になります」


 塀に設けられた門のあとをくぐると、その先は閉ざされた空間となっていた。塀に沿うように四角く巡らされた回廊と、その中心に塔がそびえていた。

 回廊と塔の間には深い堀があったが、今では水は涸れ、草が生い茂っている。回廊と塔をつなぐ跳ね橋があったようだが、それもとうに朽ちていた。塔の入り口の扉が壊れ、暗い空間がのぞいている。

 空堀となった堀の跡は歩いて渡ることもできそうだが、長年誰も足を踏み入れていないのだろう。一面に生い茂る枯草をかき分けて、塔までたどり着くのはなかなかの難事のようだ。


「あちらの塔は“花柱”と呼ばれていました。今では蔦草がからんでいますが、外壁には美しい文様が施されていたそうです」


 華麗な装飾の施された美しい塔。それが王女を生まない王妃を閉じ込めるための鳥籠だったという話は聞いたことがあった。

 朱華は回廊の端まで歩み寄り、蔦草に隠れた文様が見えないかと目を凝らす。


「女王陛下の身代わりをつとめた女性は、こちらの塔に幽閉されていたそうです」


 隊長が説明する。朱華は小さく頷いた。


「内部も荒らされていたのですか?」

「代々後宮だった場所ですから……」


 彼は言いにくそうに語尾を誤魔化す。略奪するにはもってこいの場所には違いない。現在の王都の内奥とて質素とは言い難い。


「入ったことは?」

「一度だけ――ただ、ここでは殆ど誰もお亡くなりにはなっていないはずですので」


 青蘭王女(実際には身代わりの雪蘭という女性だったが)だけが幽閉されていたため、西葉王太子もここではさすがに粛清の手を緩めたらしい。その後、翼波によって落城する前にすでに主を失っていた後宮は無人となっていた。


 百年にわたり、東葉王家の直系にはついに一人の王女も生まれなかったという。西葉での権力争いで敗れ、東葉に逃れた西葉王家直系の王女ですら、その夫が直系の東葉王族となると男子しか生まなかった。

 それ故に、先の内乱時、朱華の母である青蘭女王は東葉王家直系の王子だった碧柊を夫に迎えても王女を生んで見せると豪語し、実行してみせた。それが東西を統一した葉の女王としての即位の根拠の一つともなった。その後、女王は王女を五人も生み、ついに王子は生まれなかった。

 そのような“実績”があるだけに、東葉王家にとって“必ず”王女を生まない王妃の存在は呪いにも似たものだったのだろう。それ故か、王妃は鳥籠に飼われ、西葉以上に表舞台から遠ざけられた。


「身代りだった女性は最上階に囚われていたそうですね」


 朱華の傍らで隊長の説明を聞いていた枳月が不意に口を開いた。


「はい、仰る通りです」


 隊長の肯定に、枳月は内堀ぎりぎりまで歩み寄って花柱と呼ばれた塔を見上げた。

 朱華にはその話は初耳だった。それよりも、枳月が後宮に興味を持っているのだとすれば意外な気がした。彼には女性関係の噂はまったくなく、どのような立場の女性に対しても馴れ馴れしく振る舞うことはない。。

 彼はいつになく熱心なようすで花柱を見上げている。


「中に入ってみられますか?」


 朱華は思いつきで声をかけると、彼は少し驚いたような顔をした。自分が熱心に見入っていたことに気づいていなかったようだった。

 彼は枯れ草に埋まったような内堀のようすに目をやり、苦笑いした。


「大変なことになりそうですからね」


 確かに内堀は深く、実際のところ足元のようすもわからないような状態だった。

 朱華は浅慮を恥じるように顔を赤らめ、頷くしかなかった。


「……こちらの建物に興味がおありですか?」


 不躾を承知で朱華は問いかけていた。枳月には意外なことだったようだが、間をおいて彼女の質問の意図を察したのか、慌てたように首をふった。


「私は別にそういうわけでは……」


 いつもは前髪で顔が隠れているためわからなかったが、彼は朱華の思っていたよりも表情豊からしい。焦っているようすがおかしく、朱華は微苦笑してしまった。


「殿方としては自然なことように思いますが……枳月殿、大変失礼なことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 ふと思いついたことがあった。失礼極まりないことではあるが、ある意味解決法としてはわかりやすいように思われた。

  枳月はいったい彼女がなにを言い出すのかと不審げな顔をしていた。


「枳月殿は……その……女性に興味がおありではない、というたぐいのことでしょうか?」


 周囲に聞こえぬよう、声を潜めて問いかけた。朱華にしてみればかなり思い切ったことではあった。枳月はなにを問われているのか、瞬時には分かりかねたようだが、じきに小さく咳き込んだ。


「だ、大丈夫ですか?」


 いきなり咳き込んだ彼に、朱華が眉をひそめる。彼は大丈夫というような仕草を見せ、軽く咳払いをした。


「申し訳ない……思いがけないことで……」


 確かにおよそ女性が口にすべき言葉ではない。しかも、朱華はつい先頃までは王女だったのだ。枳月にしても、まさか朱華の口から出てくるとは想像もつかなかっただろう。


「突拍子もないことで申し訳ありません」


 詫びながらも、朱華は近衛に出入りしていれば自然と耳に入ってくるものなのに、それほど驚くことだろうかという思いもあった。


「……軍では間々あることではありますが」


 枳月は言いにくそうに答える。

 葉においてそういう類のことは表向き認められているわけではないが、禁じられているわけでもない。

 王侯貴族でも、当主がそういう性の嗜好のため、予め養子縁組で後継者を定めることもある。表向きの理由は病弱など健康上の理由が一般的だが、実際はそういう裏事情を足の引っ張り合いが当然の貴族社会では伏せて置けるものではない。しかし、それを公然と攻撃材料とすることは、むしろ攻撃する方の部を悪くするという一面もあり、目くじらを立てて忌まれるほどのことでもない。

 あそこの当主の趣味は多少差し障りがあるという程度の認識が一般的だ。


「……申し上げにくいことですが、そうお考えいただいて構いません」


 枳月は表情を改め、生真面目な顔で静かに話した。

 確かにそれならどんな女性とも結婚する資格はないかもしれない。朱華とて、自分の結婚の最大の目的は子供を得るためだ。子を成せない男性とは結婚できない。だが、それは女王も承知のはずだ。そんな事情があるなら、最初から夫候補にあげるわけがない。

 朱華は彼が嘘をついていることを悟った。朱華の疑問に便乗しようとしているのだろう。

 朱華はじっと枳月の顔を見つめた。


まことですか?」

「はい」


 彼は至って真面目に答えているつもりだったようだが、朱華はかえって確信を深めた。

 嘘をつくなら顔を隠した方がいいですよという言葉を辛うじて飲み込んだ。




 先触れがしてあったのか、宿舎に戻った朱華を夕瑛が出迎えた。

 彼女の隣に霜罧が立っているのを見て、朱華は反射的に顔をしかめてしまいそうになる。王都を発ってからというもの、次第に自分の感情を制御しきれていないように感じることが増え、良くない傾向だとは分かっている。


「姫さま、ご無事で。お疲れになったでしょう」


 帰着が遅かったため、夕瑛は案じていたようだった。


「私があちらもこちらも欲をかいたものだから、ごめんなさい」


 用心しいしい馬から降り、朱華は駆け寄らんばかりの乳姉妹に詫びた。同時に案内してくれた隊長や隊員を労う。握ったままだった手綱をさり気なく枳月に預かられ、朱華は慌てて今日一日の礼を述べた。


「公こそお疲れになられたでしょう。ゆっくりお休みください」


 彼はかすかに笑みを含んだ柔らかい声で言い添えて、浅く一礼すると朱華の馬を連れてその場から去っていった。

 朱華はその後ろ姿を目で追いながら、小さく息をついた。


「如何でしたか?」


 頃合いを見計らって霜罧が声をかけてきた。端正な顔に穏やかな笑みを浮かべ、声音も柔らかい。特に皮肉るような響もないのに、何故か気に障るような気がする。

 朱華は一瞥を返したものの、すっと視線を逸らした。なるべくさり気なくを心がけるが、こういうことほど誤魔化すのは難しい。案の定、霜罧はわずかに苦笑を浮かべた。


「……そなたのいう通りでした。やはり一度は目の当たりにしておくべきね」

「そう感じていただけたなら、お勧めした甲斐がありました」


 霜罧は安心したように頷き、枳月が去って行った方を一瞥した。


「――枳月殿は如何でしたか?」

「……如何、とは?」


 彼の問いの意味を解しかねて、朱華は怪訝そうに眉をひそめた。霜罧は朱華の視線に眉一つ動かさず、無表情で問いを重ねる。


「……なにか仰られておられましたか?」

「……二度と翼波を侵入させてはならない、と」

「他には?」

「……そのためなら命を賭すると――いったい何が訊きたい?」


 思わず苛立って詰ると、霜罧は「失礼しました」とじきに詫びた。


「そういうことではなく……枳月殿になにかあるとでも?」


 そのまま霜罧に誤魔化されそうな気配を察し、朱華は彼の腕を掴んだ。咄嗟の主の行動にも、彼は驚いた顔一つせず、遠慮がちにそっと朱華の手を外した。


「なにもありませんよ。では、失礼いたします」


 すげなく答えると、恭しく一礼して背を向ける。朱華はあまりの対応に唖然とした。


「霜罧!!」


 我にかえった朱華は大声で彼を呼んだが、彼は振り返りもしなかった。


「……姫さま……」


 怒りで言葉もない朱華に、夕瑛は恐る恐る声をかける。朱華は硬く指先を握りこみ、去っていく霜罧の背中を睨みつけている。


「――いったいなにがありましたの?」


 朱華はふぅっと大きく息を吐き、夕瑛に冷ややかな眼差しを向けた。


「私がききたいわ」


 自棄じみた尖った声で応じ、踵を返す。

 夕瑛は戸惑いながら霜罧の去ったほうを一瞥し、慌てて主のあとを追った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ