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雪の陰翳  作者: 苳子
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第4章 7

お読みになると、ご気分が悪くなるかもしれないような描写があります。

ご容赦のほどをよろしくお願いいたします。

 

 西葉さいは軍に捕らわれた隊長だったが、取り調べの結果じきに解放された。なにも知らない一兵卒に過ぎないことが、じきに明らかになったためだった。

 れい家の軍が突然襲ってきた時に一緒だった者たちは、ほとんど生き残れなかったことも後日明らかになった。苓家軍のみならず、その後翼波よくはの攻撃を受け、一方的な皆殺しにも近かったという。


「私は運だけは強かったようで……」


 彼はそう言って苦く笑った。朱華には返す言葉もない。それがどれほどの修羅場だったのかは、当事者以外には知るすべはない。

 その後、彼は朱華しゅかの父の指揮下に入った。戦況は一進一退を繰り返しながらも、徐々に翼波よくはを押し返していった。その後本格的な冬が来ると、彼らは波が引くように国境の山の向こうに戻っていった。

 明柊めいしゅうも翼波と共にようから去った。その後、西葉を中心とする碧柊へきしゅう率いる軍は翠華すいかに入った。隊長が故郷の惨状を目にするのは二度目となった。


「ちょうど季節も今頃でしたでしょうか」


 彼は遠い記憶を探るように視線を巡らせた。

 今日は風こそ冷たいが、日差しは小春日和めいている。だが、かつて同じこの地では雪のちらつく中、動くものはなにもなかった。


「翼波は建物に火を放ち、隠れているものを燻り出したようです。一度目に殺されたのは抵抗した者だけでしたが、翼波は連れ去るか殺害するかの二択しかなかったようで……見渡す限り焼け跡しかなく、死者をつつく鳥すらおりませんでした」


 穏やかな声音が静かに凄惨な記憶を紡ぐ。

 朱華は先ほどから一言も言いようがなく、押し黙っていた。そんな心の内を汲み取ったかのように、隊長は一人語りのように続けている。

 なんとも表現のしようのない暗澹たる想いを抱えながら、朱華はほぼ並ぶように馬を進めている枳月きげつのようすがなんとなく気になった。

 何故か霜罧そうりんの言葉が気にかかっていた。王族である枳月に、朱華の供のような、いわば雑用をさせるわけにはいかないという、霜罧の主張は理解できる。だが、しかし、果たしてそれだけなのだろうか。霜罧が、枳月を翠華には行かせたくないように感じられたのは、気のせいなのか。

 朱華に翠華を見るべきだと主張したのは、他ならぬ霜罧だ。枳月も翠華を見たことがないなら、彼もむしろ行くべきではないか。しかし、霜罧は枳月を行かせたくないとすれば、その理由は如何なるものか。

 考えてみたところで、見当もつくはずもなく。朱華は小さく溜息を吐いた。縁談の件といい、彼については分からないことが少なくように思われる。

 そっと窺い見ると、枳月は落ち着いた様子で手綱を取りながらも、周囲へさかんに視線を向けているようだった。その様子はいつもと変わりなく見えた。




 やがて、石垣の名残と一段低くなった低地の連なる一角に出た。


「ここから先が東葉の王城となります」


 隊長は崩れかけた一本道の手前で下馬した。

 石垣は東葉の王城の石垣であり、草木の茂る低地は堀の名残であった。城下町と王城をつないでいたと思われる一本の道は半ば崩れかけ、石垣のみが残っている。

 この先への馬での乗り入れは危険という判断は、朱華の目にも明らかだった。

 城門は崩壊し、名残と言えばその石積みのみという有様だった。今や空堀となった低地には草木が生い茂っている。それは崩れかけた、城下と王城をつなぐ一本の道にも迫っていた。

 朱華は隊長に倣い、馬から降りた。先に下馬していた枳月が傍にいて、すぐに手綱を取ってくれた。

 朱華はありがたく思いながらも、いつまでも頼っていてはいけないという自覚はあった。苴葉公ともあろう者が馬の乗り降り程度で他人の手を煩わせていては、戦いの最前線である苴州では示しがつかない。


「枳月殿、いつもご配慮ありがとうございます。ただ、いつまでもお手を借りているわけにはいきませんので……」


 言いにくそうに口にすると、彼は小さく頷いた。


「おっしゃる通りです。これからはお近くに控える程度に致しましょう」


 そう言うと、前髪の影の唇が笑みを形作る。朱華はほっとしながらも、少し心許なくもあった。が、一介の王女であることをやめたのは自分の意志である。いつまでも「姫君」ではいられない。

 隊長以下五十人ほどの一行は、皆そこで馬から下りた。馬はそこに残して行くため、数人が残ることになった。

 先頭は若い隊員に任せ、朱華は隊列の中程で隊長と枳月に挟まれて空堀に渡された道を渡る。半ば朽ちかけた道は、一列になり足元に注意しながら歩くしかなかった。

 見回りの際に道を覆う草木は切り払っているというが、頻繁ではないため歩きやすい足元ではなかった。

 前を歩く隊長が通った後を同じように進んでいるつもりでも、たまに足をとられることもある。


「元々は堀には跳ね橋がかかっていたのですが、焼け落ちてしまったため、この道は土で便宜的につけられたものなのです」


 隊長は躓きかけた朱華に気づくと、振り返りつつ申し訳なさそうに説明した。棄都は決定していたため、最低限の土木工事しか行われなかったのだろう。

 朱華は浅く首肯してみせた。その拍子にずるりと足元が滑った。


「あっ……?」


 道の端が崩れ、踏み場をなくした体が傾ぐ。そのまま斜めの土手を滑り落ちかけた時、ぐっと上腕を掴まれる。力強く引き上げられると、勢い余って相手の胸元に飛び込むような形になってしまった。


「姫、大丈夫ですか?」


  頭上から降ってくる声に反射的に顔をあげると、そこには枳月の顔があった。心配そうに覗き込んでくる眼差しと至近で目が合い、朱華は頭が真っ白になってしまった。

 端麗とも言える整った顔立ちと、引き攣れた酷い傷跡。まっすぐに覗き込んでくる目元だけはどちらも切れ長で涼やかだった。

 成り行きとは言え、二人は抱き合うような形になってしまっている。状況を先に理解した枳月は、慌てて朱華の体から離れた。


「し、失礼しました」


 彼は飛び退くようにして離れながらも、助けた際に掴んだ彼女の腕だけはまだ放さなかった。

 朱華も遅れて状況を理解すると、耳まで真っ赤になった。


「ひ、姫、お怪我は?」

「……な、ない、です……あ、の、ありがとうございました」


 朱華に怪我がないことを確認すると、枳月はようやく掴んでいた腕を放した。

 朱華はまともに枳月を見ることもできなかった。


「公、ご無事ですか?」


 先を歩いていた隊長も慌てて近寄ってくる。


「ええ、大丈夫よ」


 朱華はなるべく落ち着いて返答しながらも、内心ではかなり動揺していた。

 先程の一幕は他の隊員にも見られていたはずだった。足を滑らせての事故とは言え、己の失態と枳月とのことをどう見られるかと考えるだけで狼狽してしまう。

 枳月と朱華のことがどういう風に広まっているかは知らないが、承知している者からすればどう見えたものか。しかも、実質的に朱華は枳月から結婚のことは拒まれているのだ。あまり親しげにしていると看做されたくはなかった。後からどう言われるかわかったものではない。


「姫、歩けますか?」


 枳月が心配そうに声をかけてくる。朱華はそれに内心びくりとしながら頷いてみせたが、彼の顔を見ることができなかった。


「大丈夫です……それから、姫ではなく公と呼んでくださいますか?」


 不自然に思われないよう、足元に注意を向けるふりをしながら返すと、枳月は安堵したようだった。


「失礼しました」


 朱華は首肯し、前を向いて歩き出した。

 そうしながら、枳月の背が予想外に自分より高く、その胸の広かったことを思い出してしまい、一人でまた赤面していた。動悸がおさまらないのが何故なのかわからないまま。


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