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雪の陰翳  作者: 苳子
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第4章 5

 野は灰色に枯れていた。

 もともと耕作に向くとは言いがたい東葉にあって、翠華すいか周辺は農地改良や品種の開発などの努力で農業が発達していた。だが、それも今では過去の話である。

 無人の野が果てしなく続いていた。

 街道から離れ、今やすっかり荒れ果てた旧街道の途中で、街道警備隊の隊長が馬を止めた。苴葉そよう公の案内は隊長自ら務めることになっていた。

 朱華も馬を止めた。

 陽射しは暖かいが、遮るもののない野を渡る風は冷たく、耳の先まで赤くなっている。痛みを感じるほどの冷たさに、毛皮の帽子を目深に被りなおす。夕瑛に突き返した襟巻きを持ってこなかったことが悔やまれた。

 気がつくと、少し後方に枳月がいた。未だに気まずさはあるが、馬の件もあり、近くにいてくれると心強いのも確かだった。

 苴葉公邸での一件以来、結婚について触れてくることもない。二人きりで話す機会もないままだった。

 馬を止めた朱華に隊長が近づき、騎乗のまま一礼した。それから片腕を差し伸ばし、水平に大きく動かした。


「このあたり一帯は、内乱以前は耕作地でした。主に翠華に食糧を供給し、村々が点在し、農民たちの姿を見ることができました」


 隊長は五十がらみの地道な印象の男だった。

 落ち着いた声での説明をいったん止め、追想するかのように視線を巡らす。朱華もつられてあたりを見渡した。

 灰色の野が地平まで広がっている。行く手のはるか先に何か建物らしき影が小さく見え、振り返れば遠くに現街道らしき線が見えた。


「内乱時に農民たちは散り散りになり、翼波の侵入や遷都により戻るものもないままとなりました」

「かつての姿を見たことは?」


 朱華は隊長に問いかけた。彼は薄く笑み、頷いた。


「私は翠華生まれですので」


 仮に彼が見た目通りに五十歳だとすれば、内乱時には二十代半ばだろう。往時を懐かしむには充分な年代だった。

 朱華は物心つく頃までは各地を転々とすることが多く、ようやく王都に落ち着いて約十年。その後も王宮も城下も建築が進み、どんどん風景は変化していくものだった。

 王都を出発してまださほど経たたないためか、郷愁を覚えるほどではない。


「人が去ると荒廃するのは驚くほど早いものです」

「……そう」


 朱華が実際に目の当たりにしたことがあるのは、王都周辺と西葉の沃野だけである。人がかつて住まい、今や荒野と成り果てた光景を目にするのははじめてだった。


「では行きましょう」


 隊長が馬首をかえすと、一行はゆっくりと動き出した。

 朱華は手綱を握りなおしながら、なんとはなしにちらりと振り返った。

 枳月の馬が取り残されかけていた。馬上の彼はあたりの光景に気を取られているようだった。

 何故、霜罧は彼にあのようなことを言ったのか。朱華に彼を同行させたくないというより、彼自身を翠華に行かせたくないように、朱華には聞こえた。霜罧もまた何か知っているのだろうか。

 考えてみたところで、朱華には見当もつかないことに変わりはなかった。

 枳月は自分だけが遅れていることに気づいたようで、ようやく手綱を動かした。その瞬間、朱華と目があったような気がしたが、その表情は分からなかった。




 もともと石畳で整備されていた道も荒れ果てていた。石と石の隙間から生えた雑草が道を酷いものとし、灌木の茂みが半分以上行く手を塞いでいることもあった。

 道沿いに元々は農家だったと思われる廃墟が点在している。焼き討ちされたのか、廃墟の大半は黒く崩れ落ち、雑草に覆われていた。

 朱華は時折振り返りながら、あたりの光景を眺めていた。かつては耕作地が広がっていたとは信じ難い眺めだった。

 やがて前方に石造りの廃墟が見えてきた。じきに崩れた城壁だと知れる。それが何処までも続いている。

 城門も崩れ落ちていた。道を塞ぐように岩が崩落しているが、馬で通れるだけの幅は空いていた。

 隊長は朱華に自分に続くよう身振りで示した。朱華はそれに従ってかつての城門跡を抜けた。

 その行く手にはかつては賑わったと思われる、広い石畳の大路の跡が伸びていた。その両脇には残骸が広がり、まともにかつての姿を留めている建物は残っていなかった。

 大路にはいたる所雑草が繁り、廃墟には雑木がちょっとした林を形成しているところさえある。それさえ冬枯れのなかにあり、時折耳障りな鳥の声が静寂を切り裂く。しかし、鳥の姿はない。

 朱華はその荒れ果てた光景に言葉を失った。


「定期的に見回っていますので、多少手も加えております」


 先頭は他の者に任せ、隊長は朱華の近くで折々説明をしてくれる。


「定期的に?」


 無人の廃墟だと聞いたのに何故、と朱華は首を傾げる。


「治安の面から定期的な見回りが必要ですので。遷都の際に根城になりそうな建物は解体されていますが」

「だからこれほど建物が残っていないのね」


 朱華は合点がいったように頷いた。それに隊長は首を振った。


「復興はもはや不可能なほどでしたので」

「……それほどまでに?」


 こうして寒々しい光景を目にすれば、それも無理ないように思われた。当時はもっと凄まじい様子だったに違いない。


「翠華ではあまりに多くの死がありました。公の 祖父君にあたる前東葉王をはじめ、東葉の王統家や貴族の当主の大半が命を落としました。王族の方々はじめ、この都に暗い記憶の持つ者が多すぎました」

「……お祖父様がお亡くなりになられた場所……」


 知らなかったわけではないが、こうして実際にその地に立つと、会ったこともない祖父の存在を確かなものとして感じる。そして他人事のようだったその死が、現実味を帯びる。


「けれど、それは西葉の六華も同じでは?」


 六華でも母方の祖父である前西葉王はじめ、多くの死があった。西葉の人々の同じような思いはしているはずだった。

 二つの都の異なる末路にいたる経緯は知っているが、詳細な理由にまで関心を持ったことはなかった。


「六華は翼波の侵略を受けたことはあっても、落城はしていません。けれど翠華は一度ならず落城し、最終的には棄都するより他なかったのです」


 隊長はいったん言葉を切り、あたりを見渡した。手近の石壁の残骸には、火により焦げたような跡がうっすらととどまっている。


「落城後、冬が迫り翼波が去ったのちの翠華に生存者は残っていませんでした。逃げ遅れたものは翼波に連れ去られるか、もしくは皆殺しにされました」

「……」


 はじめて聞く話ではない。だが、これほどまでに生々しく感じたことはない。


「いたるところに死骸がありました。主に殺されたのは赤子、年寄り……」


 蒼ざめた顔で唇を噛みしめる朱華に、彼は説明をやめる。


「公、これ以上のご説明は……」

「いえ、続けて」


 朱華は咄嗟に短く返していた。望んで続きを聞きたいわけではない。だが、耳を塞ぐわけにはいかない。


「目の当たりにしたのですね?」

「……はい」

「ならば、その話を」


 朱華の言葉に、彼は険しい顔をみせた。


「お聞かせするにはあまりに……」

「私が知らなければならないのはそういうことです」


 朱華は覚悟を決め、静かに命じた。隊長は気がすすまない様子だったが、朱華の顔を見て「承りました」と首肯した。


「失礼ですが、私にもお聞かせ願いたい」


 朱華の後ろにひかえていた枳月が、遠慮がちに申し出てきた。その声はわずかに強張っているようにも聞こえた。


次話はお読みになるとご気分が悪くなるかもしれないような内容です。

ご了承のほどどうかよろしくお願いいたします。

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