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雪の陰翳  作者: 苳子
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第4章 3

 旧東葉とうは王都翠華すいか

 この名を聞いて眉を顰めないものはいない。

 旧王都と呼ばれることが多いが、廃都とも棄都とも、あるいは死都とも呼ぶものもいる。

 その理由は何故なにゆえか。それは訪ねてみれば瞭然である。




 王都と州を繋ぐ街道は、多少北へ蛇行しつつも真っ直ぐ東に繋がっていると言っていい。その街道近くに東葉旧王都翠華すいかがある。

 かつては翠華から東葉全土に向けて、街道が張り巡らされていた。内乱の後、新たな葉の王都は遷され、翠華は破棄された。その際、街道も交通の便の良いように移設された。

 西華の旧王都六華ろっかも王都ではなくなった点では同じだが、今も西華の交通の要衝として栄えている。

 二つの都のその顛末が異なった原因は、一つに被った被害の大きさに尽きる。

 六華ろっかも内乱時に多少の被害はあったが、翼波による落城の憂き目には遭っていない。対する翠華は内乱時に現女王の兄蒼杞そうきによって破壊され、その結果防御機能を失い、翼波よくはの前に落城した。

 翼波による侵略は、後には焼け野原と死骸しか残らないと言われる程に徹底している。雪が降る頃には国境の向こうに引き上げていくため、領土拡大よりも略奪目当ての侵略行為だと思われているが、詳しいことは分かっていない。

 翼波の兵は捕虜になることを良しとしないのか、生け捕りにすることが酷く難しかった。さらに攫われた葉の民が生還することも少なく、戻る者があっても翼波の言葉を習得していることは滅多とない。それ故、生還した上に翼波の言語を解するという枳月の存在は貴重なものだった。

 女王の巡察に同行したことのない朱華は、苴州入りの道中に翼波による侵略の痕跡を巡ることになっている。百聞は一見にしかず。戦禍を目の当たりにすることで、苴州を預かる覚悟を新たにするためである。

 この案は霜罧そうりんから出されたものだが、反対するものはいなかった。時間に余裕のあるわけではないが、それ以上に朱華にとっては得るものがあるだろうという目的があった。

 あれだけ時間を無駄にするなと、強行軍で日程を調整していた彼が言い出した寄り道である。いったいどのようなものだろうと、朱華は前日から落ち着かなかった。




 朝には前日までちらついていた雪が止み、この季節には珍しい陽気だった。

 街道警備隊管理下の王侯貴族用の宿舎で目覚めた朱華は、身支度を夕瑛せきえいにまかせながら、自分は朝食を摂っていた。身支度を済ませてから食事を摂るような時間があれば、少しでも長く眠っていたいというのが朱華の本音だった。日頃そこまでずぼらではない主人が言い出したことに、夕瑛は彼女の疲労具合を実感していた。

 朝の簡単なその日の打ち合わせは、食堂で行われることが多い。今日は移動がないため、人の動きも心なしかゆったりしているようだった。

 寝室から出てきた朱華に、霜罧が気難しげな顔で近寄ってくる。急な予定変更などか生じた時に見せる顔だと、最近朱華は気づくようになっていた。


「また予定に変更でも?」


 朱華に機先を制せられて、出鼻をくじかれる形になった霜罧は、微かに眉を動かした。朱華は彼を出し抜いて優越感を感じたが、同時にそんな自分が莫迦らしくなった。


「はい、本日の翠華巡察には私がお供する予定でしたが、急遽問題が生じまして」


 なにが起こったかまでは報告しないが、霜罧でなければ対処できないことなのだろう。


「その問題は苴州入りに影響が?」

「それはありません」

「ならば構わない。供はそなたでなくとも良いわけだから、すぐに対応するように」

「しかし」


 あっさりと霜罧の供を不要と言い切った朱華に、珍しく彼が食い下がる。


「そなた以外に対処できるのか?」

「……生憎と」


 不承不承という態の霜罧に、朱華は訝しそうに眉を顰めた。翠華の巡察の供など誰にでもできる。案内そのものはこの辺りに詳しい街道警備隊の者が務めることになっている。供などいなくてもいいくらいだった。にもかかわらず、なぜ彼はこれほど拘るのか。


「ならば、それはそなたがやるしかないだろう。供は誰でも良い。珂瑛かえいはどう?」


 朱華はあっさりと霜罧に仕事を押し付け、その背後でまだ朝食を摂っている珂瑛に声をかけた。

 食事を頬張ったばかりのところをいきなり指名され、珂瑛は困ったような顔を上げた。それを見た霜罧がかわりに応える。


「珂瑛殿にも任務があります」

「誰かに任せられないの?」

「……それは無理だな。出発が一日延びてもいいなら構わないが」


 口の中のものを飲み込んでから、呑気な口調で応える。行程に合わせて各自予定を組んでいる。それには一行の旅の手配なども含まれている。


「ならば私がお供しましょう」


 珂瑛の陰に隠れて朱華からは見えなかったが、その隣に枳月がいた。彼はすでに食事を終えていたが、珂瑛が終わるのを待っていたようだった。

 朱華は枳月の申し出に戸惑ったが、じきに思い直した。誰でも良いと言ったばかりなのは自分だった。


「では枳月殿にお願いしよう」

「しかし、枳月殿下にもご予定がおありでしょう」


 枳月の申し出を受けようとした朱華に、霜罧が横槍を入れるように異論を唱える。

 朱華は不愉快そうに眉を顰めた。


「何故そなたが口を挟む」

「霜罧殿、二人きりになるわけでなし、それでも良いのではないか」


 珂瑛の発言に、朝の活気に満ちていた食堂の一角に沈黙が下りた。

 霜罧はそれまで朱華が見たことのないような、表し難い顔をしていた。枳月はなにやら曖昧な表情を前髪で誤魔化し、朱華はどうやら気まずげな雰囲気が生じたことだけは理解できたようだった。


「……」


 珂瑛が息を飲む気配が伝わってきた。つられて朱華がみると、彼の傍らにはいつの間にかその妹が立っていた。夕瑛は主人と目が合うと、空々しく笑ってみせた。余計な発言をする兄の背を、妹が捻り上げたところだった。その手元は朱華からは見えないが、長い付き合いでなにが行われているのか、朱華には察しがついた。その理由まで理解できたかどうかは別として。


「枳月殿下あなたは翠華に行かれたことは?」


 霜罧は用心深く枳月の顔を見つめながら問いかけた。


「ありません」


 枳月は簡潔に応える。表情は見えず、声は平板だった。霜罧は思案するように視線をめぐらせた。


「……やはり、他の者の方が……」

「私ならお構いなく、霜罧殿」


 枳月は彼にしては珍しく、霜罧をまっすぐに見てきっぱりと言い切った。その声はいつもにまして静かに響いた。

 霜罧は瞬時躊躇うような顔をしたが、じきに思い直したようだった。


「では、枳月殿下にお願いいたしましょう、よろしいですね、公」

「私は先程から枳月殿で良いと言っている」


 朱華はうんざりしたように頷いた。

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