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雪の陰翳  作者: 苳子
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第4章 1

 新しい苴葉そよう公の出立式は盛大に行われた。それに先んじて執り行われた苴葉公叙任式でも、朱華は男装はしなかった。王女の叙任は特例措置ではなく、この先も有り得るという、女王の意思表示でもあった。

 恙無く正式に苴葉公となった朱華は、その数日後には王都を後にした。公式行事や会議出席のため、一年以内に王都に戻ることはあるが、完全に居を苴州に移すことになる。

 両親や姉たちは名残惜しげに見送り、茜華せんかは目の幅いっぱいに涙を溜めながらも、それ以上は必死に堪えて姉との別れを惜しんだ。


 出立式の際は、その後騎乗するため乗馬服姿だった。基本は男性と同じ形だが、真紅と紺の落ち着きと華やかさが絶妙な色使いのもの。それは女性にしては上背のある朱華のすらりとした肢体を際立たせ、無駄の無さがかえって彼女の女らしさを強調する。その姿を目にした夕瑛は、自分の見立てに十分すぎる以上の自信を持った。

 当日、朱華の姿を目にした西宮の者たちは、最初にまず押し黙った。

 苴葉公は艶やかな黒髪を高い結い上げ、後ろへ垂らし、あとは装飾品の類は一切ない。派手な化粧は避け、本来彼女が生まれ持った美しさを際立たせる。白い肌と見事な黒髪が真紅と紺の衣装に映え、女らしさと凛とした美しさをこれ以上なく引き出していた。腰に下げた太刀が、中性的な美しさを加える。


 西宮さいぐうまで朱華を迎えに来た霜罧そうりんは、その姿を見るなり、僅かに目をみはって沈黙した。

 朱華は前日まで乗馬に手こずっていたため、てっきり発破をかけられるだろうと思っていたので、いきなりの沈黙に落ち着かない顔をした。


「……失礼しました。あまりの凛としたお美しさに見惚れてしまいました」


 霜罧はあくまで生真面目な顔で言ってのけた。朱華は思ってもみなかった言葉にぎょっとした。動揺を押し殺そうとしても、気恥ずかしさに頰に熱がはしる。


「世辞は結構」

 

 当惑を誤魔化すように、冷たい声で却下したが、彼は引き下がらなかった。


「世辞などではありませんよ。偽らざる本音です。やはりあなたは葉の王女でいらっしゃる。私にとってはあなたが最も美しい、我が姫」


 相変わらずの調子で言葉を並べ、唖然とする朱華の前で片膝をつくと、彼女の片方の手を恭しく押し頂いた。

 朱華は反射的に振り払うようにして手を引いていた。しまったと思ったものの、後の祭りだった。傍らにいた夕瑛が心配そうに二人の様子を見比べた。

 西宮の入り口には、四の姫を見送るために人だかりができている。そのざわめきが静まった。

 人目のあるところで手荒く拒まれた形の霜罧は、片方の口の端を上げ、揶揄うように笑った。


「相変わらず世慣れず初々しくていらっしゃる」


 可愛らしい方だと笑われ、朱華は唇を噛んだ。銀華あたりなら婉然と微笑んで、軽く受け流したことだろう。だか、朱華にはそれができない。

 そして、同時に彼が機転を利かせてくれたことにも気づいていた。衆人環視のなかで、片腕でもある霜罧との不仲を思わせるような振る舞いは避けなければならない。先ほどの朱華の行動は明らかな失態だった。霜罧に非はなかった。にも関わらず、彼はわざと朱華を揶揄い、ありふれた一幕のように振る舞った。この程度の二人の関係は、むしろいつものこととして周知されてもいた。

 霜罧は何事もなかったかのように立ち上がると、朱華に向かって浅く一礼した。


「では参りましょう、苴葉公朱華殿下。そろそろ出立の刻限です」


 仰々しく芝居がかった優雅な仕草に、朱華は現実に引き戻された。今日は自分の出立の日であり、正式に苴葉公として大衆の前に立つ最初の日でもある。霜罧とのやりとりでの動揺を引きずっているわけにはいかない。

 朱華はしゃんと背を伸ばすと、霜罧に頷き返した。




 女王への出立の挨拶は、本宮ではなく、謁見の間で行われる。

 霜罧に先導されて来た朱華は、そこで枳月と顔を合わせた。枳月は王族に籍を置いたまま州に向かうため、朱華と同じく直接女王に挨拶することになっていた。

 共に挨拶することになっていたため、朱華は既に居た枳月に声をかけた。


「お待たせしてしまっただろうか、枳月殿」


 枳月も今日ばかりはきちんと身なりを整えていた。いつもは顔を覆っている前髪は後ろで結ばれ、すっきりと顔を晒している。火傷の跡を覆う仮面がその半分を隠しているが、目に当たる部分に刻まれた隙間の奥に動く瞳があった。てっきり、火傷と共に片方の目も失明しているとばかり思い込んでいた朱華は、軽い驚きで見入ってしまった。

 枳月の方も、何かに気を取られたような容子でいる。その視線の先にいるのは朱華だけだが、朱華の言葉は彼には届いていないようだった。自分を見ているのに、言葉には耳を傾けず、さらには意思が疎通している気配もない。

 さきほどの霜罧も似たような態をさらしていたことを思い出し、朱華はさらに一歩近寄った。


「枳月殿?」


 朱華が顔を正面から覗き込むようにすれば、彼はようやく我に返ったようで慌てて一歩下がった。 

 

「……失礼しました、つい、見惚れてしまい……」


 枳月は顔を伏せてしどろもどろな容子で話す。その仕草は、いつもなら顔を隠してくれている前髪で、その表情を隠すときの動きと同じだった。生憎、今、その前髪は綺麗に結われている。ついつい仮面の方に目が行くが、その反対の端正な顔の方は少なからず焦っているようだった。


「見惚れるようなものがありましたか?」


 朱華は怪訝そうに背後を振り返った。傍らには霜罧が立っているが、まさか彼に見惚れたわけではないだろう。あとは見慣れた、王宮の風景だった。何ら目新しいものはない。


「いえ、その、姫に……」


 枳月の言葉に、朱華は一瞬なんのことだか分からなかったが、すぐに頬を赤らめた。


「枳月殿もあなたのお美しさに目を奪われたということですよ、苴葉公殿下」


 横槍を入れるように、霜罧がわざわざ解説してみせる。朱華は頬を紅潮させたまま、何故か何かに水を差されたような心地で彼を睨み付ける。枳月の方も当惑したように霜罧を見た。

 二人の視線を受けながら、霜罧は澄ました調子で謁見の間へ続く方へ腕を指し示す。


「さぁ、お二人とも、これ以上陛下をお待たせするわけにはいきませんので」


 と、至極まっとうなことを言ってのけた。

 

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