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雪の陰翳  作者: 苳子
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第3章 2


 朱華しゅかは妹の私室を訪れていた。僅かでも時間が空けば、茜華せんかと顔を合わせるようにしている。西宮さいぐうに最後まで残ることになった五の姫は、姉が去ることを酷く寂しがった。

 他の姉達は結婚したとはいえ同じ王城内にいるが、朱華は遠い州へ行ってしまう。しかもその行き先は、未だに彼女らの父も毎年出陣している国境地帯だと言う。

 流石に不吉なことこそ口にはしなかったが、今生の別れとならない保証はない。

 茜華は、姉の前では以前と変わらず一方的に明るく囀り、よく笑った。そして意のままにならない時には拗ねてみせ、朱華に窘められた。そういう時、五の姫は詫びながらも嬉しそうに見えた。

 午後の遅い陽だまりの差し込む五の姫の私室には、毛織の敷物が敷かれている。二人の姉妹はそこに直接座り込み、向き合っていた。姉姫は肘置きにもたれ、妹姫はクッションを抱えてお喋りに夢中だった。

 妹の方は長い睫毛を瞬かせながら話しているうちに気分が高揚してきたのか、頰を赤らめている。姉はそんな妹の姿に心持ち目を細め、時折相槌を打ちながらも基本的には聞き役に回っている。

 そこへ遠慮がちに五の姫付きの女官が近づいてきた。姉の視線でようやくそれに気づいた茜華が振り返る。話の腰を折られてきょとんとしている主人に、女官がそっと耳打ちした。五の姫は少し驚いたような顔をした。

 茜華は姉を振り返り、心なしか言いにくそうに来訪者の名を口にした。


銀華ぎんか姉上の急なご訪問のようですわ」


 通常、親しい家族間であっても訪問の前には使者をたてるのが礼儀だった。同じ西宮内ならともかく、いきなり直接訪問するなど異例と言ってもよかった。

 朱華は肘置きから顔を上げ、わずかに目を瞠った。それ以上の表情の変化は辛うじて堪えた。


「本当に急ね」


 五の姫に合わせる程度に驚いた声を上げる。

 部屋の隅に控えていた夕瑛せきえいに視線を滑らせると、彼女も目で応じてきた。

 朱華は夏の襲撃を受けて以来、三の姫と二人きりで会わないようにしてきた。元々姉妹同士複数で集まることが普通だったので、不自然ではなかった。

 王太女の宮では長姉と次姉が間に入ってくれるのは今に始まったことではなく、西宮では五の姫も必ず同席し、「銀華姉上、銀華姉上」と盛んに懐いてまとわりつくのも昔からのことだった。

 朱華と銀華は姉妹の中でも、水と油ほどに異なっている。五人姉妹のなかで最も目を惹く華やかな美しさを誇るのは銀華であり、朱華は最も地味だった。外見と中身は比例しているのか、性質も外見と一致している。

 それもあってか朱華は銀華を苦手というほどではないが、他の姉妹ほど親しめずにいた。すぐ上の姉のため、幼い頃からもっとも身近な存在であり、相手をし、世話を焼いてくれたこともあった姉だというのに。

 あまりの差に、本当に血のつながった姉妹なのだろうかと幼心に思ったこともあるほどだった。よく見れば顔立ちに似通った点は多く、はた目には姉妹で十分通用する。けれど、持ち合わせる雰囲気のあまりの違いに、朱華は気圧されていた。

 三の姫が微笑むと、周囲の者達の顔も綻ぶ。軽やかな笑い声が響くと、誰もがつられて笑みを浮かべる。彼女がいく先々では誰もが手を止めて振り返った。

 朱華はそんな姉のすぐ下に生まれた。年が近いため、様々な場面で三の姫と四の姫は同席することが多く、人々の目は当然のようにきらきらしい姉姫に集まり、妹姫はその添え物だった。

 そのことに朱華は特に不満を抱いた記憶はない。未だに衆目は苦手としている。姉の陰に隠れていられるのは、朱華にとっても都合が良かった。

 程なくして生まれた五の姫は、姉とは違った愛らしさで注目を集めた。人の関心が三の姫だけに集まる時は子供らしく泣きわめき、駄々をこねて人の気をひこうとした。それは素直で愛らく、寂しがりや故に少々我儘でもむしろ愛された。

 四の姫は滅多と泣くことも笑うこともなく、我儘も言わなかった。そして気がつくと人垣の後ろでぽつんと立っていることが多かった。それに気づいた母は優しく頭を撫でてくれたし、父は構おうにも反応の乏しい娘に困り果て、挙句幼い娘が太刀に興味を示したことに味をしめ、結局四の姫は女武芸者と揶揄されるまでとなってしまった。両親がいない時は霜罧そうりんが絡んできた。

 そんな過去の経緯もあって、朱華にとって銀華は心情的には遠い存在だった。


 どうしましょうかと目で問いかけてくる茜華に、朱華は「せっかくいらしたのだし」と応じるしかなかった。使者ならともかく、本人がそこまで来ているとなれば、帰らせるわけにはいかない。ましてや三の姫は二人の姉である。

 三の姫は定規ていきを無視するような型破りなやり方はしない。にも関わらずのこの行動に、朱華は嫌な予感を覚えた。苴州に向けて発つ日は迫っている。いよいよ機会を伺ってばかりもいられなくなったのかもしれない。


「お通しするように」


 茜華は女官にそう言いつけると、立ち上がった。朱華もそれに倣う。入り口に向かって佇んでいると、じきに先導の女官が部屋の扉を開ける。それに合わせて二人は頭を下げた。

 

「急に押しかけてごめんなさい」


 明るく澄んだ声が室内に響いた。決して大きな声ではないが、彼女の声はよく通る。


「顔を上げてちょうだいな、朱華、茜華」


 朱華は一瞬躊躇ったのち、頭を上げた。

 午後の日差しを浴びてそこに立つ姉は、秋だというのに盛夏の花のように微笑んでいた。



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