第3章 1
朱華の出立は初冬と決まった。冬の間は翼波の侵入が止む。その間に苴州入りするためだった。
苴州は葉の中でも北に位置し、更に高地にあるため寒冷な気候である。雪も深くなる。王都でも雪は降るが、生活に支障をきたすほど積もることは稀だった。
家臣団が編成され、それぞれの苴州での配属なども割り振られるが、基本的に朱華がそれに関わることはない。実務は霜罧が中心となって采配を振るっている。
殆どのことは事後報告として朱華のもとに上がってくる。それを良しとしたのは朱華自身だった。朱華に理解させるために一つ一つの物事を説明させた上で、諮っていたのでは間に合わないことは明白だった。
かわりに事後報告に目を通すことで、その必要性を理解するようにしている。その方法を勧めたのは霜罧だった。 朱華は悩んだが、大抵のことは後からでも何とかなると母からも言われ、霜罧の進言を容れた。
実際、全てが「間に合わない」の一言で足りるような状況だった。
これだけの規模の人の移動を受け入れる苴州はもっと逼迫している。真冬に彼らがやってくる以上、間に合わなければとりあえず天幕を張って凌がせるというわけにはいかない。
すでに養子縁組の希望や、絶えた家名の再興の希望もいくつもあがっている。朱華に従い苴州入りする者たちには貴族の次男以下の者たちが多く、彼らも養子縁組を望んでいる。が、その生家の家格との釣り合いもあり、簡単には決められない。
流石の霜罧も余裕のない容子を見せることがあった。
霜罧はいつものように西宮の朱華のもとに報告にやってきていた。
「苴葉家の家令は使える人物のようです。彼がいなければこのように急な事態に対処できたかどうか」
疲労の滲む顔で、そんなことを呟いた。朱華が珍しくそれに反応する。
「そなたが人を褒めるなど珍しいこと。よほど出来る人物なのね」
「不本意なことを仰いますね。私は評価するに値する人物なら素直に認めていますよ」
「ならば、あなたに腐されてばかりの私はよほど低能なのでしょうね」
朱華は辛辣な口ぶりで自己卑下し、皮肉るように低く笑った。
「姫が私をいかように誤解されようが構いませんが、その点だけは正していただきたい」
いつになく神妙な口ぶりの霜罧に、朱華は何を言いだすかと警戒するように眉を顰める。
「その点?」
「失礼な言い草になりますが、私は私なりに姫を買っていますよ。でなければ、わざわざ苴州になど行きません。苴州にお供するということは、中央での将来を諦めるということですからね」
「……」
淡々とした霜罧の言葉に、朱華は困惑したように顔を強張らせた。言葉にしばし詰まったのち、乾いた声を発した。
「私の何を買っているというの?」
主人の言葉に、彼は心持ち目を細めた。あれだけ腐した相手のどこに見所があるというのか。朱華が疑問を抱くのも無理はない。
「貴女はお逃げにならないからですよ」
「どういう意味?」
「今回の苴葉家の件も断らなかったではありませんか。姫の姉君や妹君ならどうなさったでしょう」
「姉上はご結婚なさっているし、茜華も婚約している。適任者が婚約者すらいない私しかいなかっただけのこと」
朱華は今さら何を言いだすのかという気振りだった。それを霜罧が笑う。
「お父上の言葉をお忘れですか? あなたが適任だとおっしゃっていたではありませんか」
「あれは消去法だった」
「違いますよ。あなたしか役目を担える姫君はおられないと言われていたではありませんか」
「……」
朱華は心許なげな顔をする。消去法という彼女の解釈はある意味正しいが、適任者が彼女しかいないというのも正しいのが実情だった。
「それに陛下は断るという選択肢も示されましたが、姫はそれも選ばれなかった」
「苴葉家の処遇についてはそれ以外に手立てがなかった」
「姫が後継者となられるのが最善ではありますが、それ以外に方法がなかったわけではありません。姫もそれはご存知だったはずでは?」
畳み掛けられて、朱華は反問できなくなる。
霜罧の言う通りではあった。
「あなたは昔からそういう所がおありだった。今回の話を陛下から受けた時、朱華さまを支えるという話だったので拝命したのです。陛下は私にも拒否権も示してくださいました」
表情一つ変えずに言葉を続ける霜罧に対し、朱華の困惑はますます深まっていくようだった。
「――苴葉家を継ぐのが私ではなく、姉上や妹だったら?」
「お断りしています」
彼は即答し、解しがたい表情で朱華を見つめる。四の姫は眉間に皺を寄せ、事態が理解できないまま身を強張らせている。
「……何が目的?」
四の姫の言葉に、霜罧は軽くため息を吐いた。
「あなたが私の言葉を素直に受け取れないのは私のせいですから、それは申し訳ありません。が、先ほどの言葉だけは素直に受け取ってください。私が言いたいのはそれだけです」
朱華はまだ疑わしそうに霜罧を見ていたが、それでも不承不承という感じで頷いた。
「そなたがそこまで言うのなら」
全く信用していない容子の朱華に、霜罧はそれ以上は何も求めなかった。
「……近頃は以前ほど嫌味をいう元気もないようね」
疲労のためか、彼の人も魅了する笑みもその効力がいくらか落ちているようにも見える。朱華は皮肉るように薄く笑う。
「そうですよ、いよいよ大詰めですからね」
「そなたの口を塞ぐには、こき使うのが一番のようね」
名案を思いついたと言いたげに口の端を歪める朱華に、霜罧はあからさまな溜息を吐く。
「姫も少し性格が悪くなられたのでは?」
朱華は霜罧の溜息にふっと笑う。
「誰かの悪影響ではないかしら」
「……私に似てこられたということですか?」
霜罧は手元の書類を整えながら、上目遣いで揶揄するように薄く笑う。とたんに朱華は苦虫を嚙みつぶしたような表情をした。そんな四の姫の傍らに控えていた女官は、霜罧に呆れたような眼差しを向けながら、こっそりとため息を吐いた。




