第2章 10
冷静に自賛する霜罧に、夕瑛は小さく笑う。
「他の姫さま方と同じように接すれば良いだけでしょうに。あの方には特別扱いは不要ですし」
「それが出来ていれば、あのように忌み嫌われることもなかったでしょう」
霜罧は仕方ないと言うように肩を竦めた。今さら過去を振り返ったところで取り戻せるものでもない。
「苴州の話が決まってからもお変わりないようですが?」
「姫は、私相手が限定のようですが、焚きつけるには逆撫でするのが最も効果があるようなので」
「――それは霜罧殿の自業自得でしょう。けなされてばかりだった人に急に褒められても、素直に受け入れられるはずがないではありませんか」
呆れたように夕瑛が嗜める。
「ごもっともです」
霜罧は非を認めるように浅く一礼した。そして顔を上げると、片方の口の端を上げる。
「それにしても、私は夕瑛殿にも嫌われているものと思っていましたよ。先ほども随分としつこく姫に私を嫌っていると認めさせようとなさっておられましたし」
「個人的には霜罧殿に悪感情はございません。ただ、いちいち姫さまを逆撫でするような方に大切な方をお任せしたくはないだけです。姫さまは生真面目でいらっしゃるから、役目となれば我慢してその選択をなさるでしょうから」
夕瑛は理由をそのまま霜罧に明かす。それ以外の理由は彼女にはない。霜罧は辛く笑った。
「あなたが姫の一番のお味方だということはわかりましたよ」
「当然ではありませんか。乳姉妹とはそう言うものでしょう。綾罧殿の息男である貴方がなにを仰います」
霜罧の父は、先の内乱時に乳兄弟を庇って命を落としかけ、片足に障害が残ることになった。未だに歩行に支障をきたしている。
「あなたに肩を持っていただくためには如何すればよろしいですか?」
「私はどなたの肩も持つつもりはありません。が、当然姫さまを大切になさって下さる方が良いに決まっています」
「それなりに配慮しているつもりなのですが」
「今日の件は姫さまもお気づきでしたわね」
夕瑛は思わず苦笑した。せっかくご機嫌とりに成功しかけたのに、それを潰したのは霜罧当人だった。
「先ほどのあれは全くの誤解なのですがね」
珍しく穏やかな表情を見せた後、結局いつものように冷ややかな顔を見せた四の姫。それを思い出してか、霜罧は微かに息を吐いた。彼にしては珍しい仕草だった。
夕瑛は彼が何を言おうとしているか察し、同情するように微苦笑する。
「あれは姫さまが悪く解釈されすぎたのでしょう。私にも霜罧殿にそのようなおつもりのなかったことはわかりましたから……ただ、姫さまは霜罧殿に対しては被害妄想が過ぎる面もおありですし。原因を作ったのは霜罧殿ご自身ですけれど」
「文字通り自業自得であることは自覚しています」
霜罧はその点については諦めているようだった。
「……もう一度お聞きしますけれど、何故姫さまにだけあのような言動を?」
夕瑛の問いかけに、霜罧は口を引きむすんだだけで、即答しようとはしない。言葉を探しているようでもあり、答えるつもりがないようにも見えた。彼が何を考えているのか、外から伺い知ることはできない。
しばしの沈黙の後、夕瑛は答えを得るのは諦めた。かわりにこれだけは確認しておきたいことがあった。
「この質問にはお答えください。でなければ、私は枳月殿下の肩を持ちます」
「それは厳しいですね。そのご質問とは?」
「姫さまを虐げることに満足を覚えておられるのですか?」
さすがの霜罧も一瞬唖然とする。特殊な性癖を疑われているにも等しい。ましてや女性が口にするような種類のことではない。
夕瑛の顔を見れば、弁えた上で発言していることはわかる。霜罧は気を取り直し、苦笑いする。
「まさか、そのようなことはありません」
夕瑛はじっと霜罧の顔を見据えていた。親しい人を思いやる顔であり、一女官の顔ではない。じきに伏し目がちに頭を下げた。
「不躾な質問、失礼いたしました。にもかかわらずお答え下さりありがとうございます」
「いや、私こそあなたにまで要らぬご心労をかけ、申し訳ない」
霜罧も素直に詫びる。
夕瑛は顔を上げると、微かに口の端を上げていた。
「霜罧殿が実は今日のような細やかな配慮をしてくださっていることに、姫さまは殆ど気づいておられません。姫さまが少々鈍くていらっしゃるというのもありますが……今後はそれをもう少しわかりやすく示してくださいませんか?」
「せっかくいただいたご忠告ですから、活かせるよう努めましょう――夕瑛殿にも力を貸していただけると助かるのですが」
霜罧が魅惑的な笑みを浮かべた。が、夕瑛はそれを愉快そうに眺めるだけだった。
「ご自分でなんとかなさいませ。仲介者がいなくては円満な関係を築けない方に姫さまをおまかせできません」
「しかし、この先も姫につき従われるのでしょう?」
「行き先は苴州ですよ。いざという時は私が姫さまをお守りする覚悟ですから。終生お側にというわけにいくかどうか」
かつては苴州城まで落城したことすらあるのだ。ここ数年は山岳地帯での一進一退で戦線が固定しているとはいえ、またいつそういうことになるか誰にもわからない。最悪の場合、最後まで朱華の傍らに従うのは夕瑛である可能性が高い。主の盾となって最期を迎える覚悟がなければ、苴州まで付き従うことはできない。
「そのような事態は絶対にありえませんよ、ご安心ください」
自分がいる限りは、と言外ににおわせて、彼は微笑んだ。それは人を魅惑するための笑みではなく、誰か一人に向けられたものだった。
夕瑛は残念そうに肩をすくめた。
「そういうことは姫様に仰っていただかないと――もったいないこと」




