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雪の陰翳  作者: 苳子
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第2章 8


 夕瑛の言葉は、朱華にとっては思いがけないことだった。


「男性としてとは、どういう意味なの?」

「それは身分など関係なく、一人の男性としてという意味です」

「腕も立つし、余計なことも仰らない、おそらく有能なのではと思っているけれど」

「そういうことではなくてですね」

「ではどういうことなの」


 主人の真顔に、夕瑛は頭を抱えそうになる。

 青蘭女王の幼少の頃までは、王女は親兄弟であっても滅多と男性と会うことは無かったと聞く。が、今の王女達は違う。朱華にいたっては男性だらけの近衛にまで出入りしている。彼女の主人にとってはそれが裏目に出たのだろうか。


「さきほどのは人物評価です。男女関係ないではありませんか」

「――そう言われてみればそうね」


 朱華は気づかなかったと笑う。


「枳月殿はお顔にはお怪我をなさっておいでですが、すらりとしておいでですし、高身長には少し足りませんが」

「あら、怪我をなさっておられない方の顔は凛々しいものだったわよ……ただ、誰かに似ておられる気がして――父上かしら」

「お身内なのですから、それは当然なのではありませんか?」

「それはそうよね」


 朱華は依然腑に落ちない表情かおのまま、小さく頷いた。

 夕瑛は話の筋が違う方向に流れはじめていることに気づく。


「夫となさるなら枳月殿と霜罧殿、どちらがよろしいのですか?」

「それは……枳月殿かしら」

「……霜罧殿でなければ、枳月殿でなくともよろしいのでは?」

「……」


 図星だったのだろう。朱華からの返答はない。


「枳月殿でなければお嫌というわけではありませんよね?」

「――まぁ……」


 朱華は曖昧にもごもごと言葉尻を誤魔化す。裏を返せば霜罧だけは嫌だということになる。夕瑛は彼が少し気の毒になった。


「……いつからそのようにお嫌いに?」


 朱華が霜罧を苦手としていることには気づいていたが、そこまで嫌っているとは夕瑛も気づいていなかった。


「嫌いというわけではないわ。苦手なだけで」

「夫として考えるのが苦痛な程度には苦手でいらっしゃるわけですね」

「……苦痛というほどでは……」


 朱華は言葉を濁す。


「霜罧殿でなければ誰でも良い程度には苦手でいらっしゃるわけですね」


 夕瑛が畳み掛けるように繰り返す。朱華はあからさまな言葉に眉を顰めた。


「夕瑛、それは言い過ぎよ」

「事実でございましょう? けれど、だからと言って拒まれるわけにもいきませんけれど」


 往生際の悪い主人に引導を渡すように、夕瑛は遠慮なく言ってのける。

 最後の言葉に朱華の表情がさっと曇る。すぐ隣にいる夕瑛にはそれが見えた。

 朱華は深々とため息をついた。


「そうよ。それが私に与えられた役割ですから」


 自棄に聞こえもなくもないが、自重するような声音だった。


「――どうしてもお嫌なら、枳月殿を口説き落とすしかありませんね」

「……枳月殿こそ私と結婚したくないと仰っているのよ」

「枳月殿の場合は、どなたとも結婚できないと仰っておられましたよ」


 霜罧以外の男性であれば夫は誰でも良いという四の姫と、誰とであれ結婚はできないという枳月。取り合わせとはなかなか上手くいかないものだと、夕瑛は思う。


「大して変わらないでしょう」

「いえ、姫さまのことを拒んでおられるわけではありませんでしょう」

 

 夕瑛の言葉に、朱華はよくわからないという表情かおをする。


「相手が誰であれ結婚したくないということは、同じことでしょう?」

「――少なくとも、“姫さまを嫌っておられる故に、姫さまと結婚したくない”というわけではありませんよ……朱華さまは霜罧殿以外とであれば、誰と結婚しても良いということは、霜罧殿とは結婚したくないということになりますが、枳月殿のそれは姫様のそれとは異なりますでしょう?」


 そこまで話して、夕瑛は眉を動かしあらぬ方を振り返った。そこになにかを見出し、わずかに目を瞠る。それから観念したように目を泳がせた。

 朱華は考え込んでいるせいか、女官の動きには気づいていなかった。もちろん、あらぬ方の何かにも気づいていない。


「……それはそうね。けれど、枳月殿はどういうわけでか、誰とであれ結婚はできないと考えておられるのよ。それを口説き落とすなど無理でしょう」

「――まぁ、それはおいおいお考えになられては? それよりもそろそろ西宮にお戻りになりませんか? すっかり暗くなってしまいました」


 朱華は夕瑛の言葉ではじめて周囲の状況に気づいたようだった。「そうね」と短く応じると、身軽な動きで立ち上がる。

 問題はまったく解決していないが、ここでうだうだしていたところで解決するものでもない。

 何かと思い悩むことの多い主人だが、近頃は切り替えも早くなってきたように夕瑛は思う。

 四阿はすっかり闇に飲まれつつある。四阿に灯りが灯されることはない。夜目のきく二人だからこそ、かすかに残る暮色を頼りに回廊まで戻ることができた。

 先に行く主人の後を追いながら、女官は四阿に向かって小さく頭を下げた。微かな笑い声がかえってきたような気がした。




 西宮さいぐうに戻った朱華は、稽古着を改めた。その頃合いを見計らったように霜罧の訪問があった。短く明日の打ち合わせをすませると、霜罧は下がろうとした。

 いつものことだが、彼はだらだらと話しかけて朱華の気を引こうするような真似はしない。それがかえって朱華の心証を悪くすることは、長い付き合いで理解していた。

 退室しかけた霜罧に、朱華は思い出したように声をかけた。


「霜罧、今日はありがとう」


 珍しく呼び止められた霜罧は、何のことかと問うように眉を上げた。


「午後からの予定をすべて中止にしてくれたおかげで、師とゆっくり話ができた」

「ああ、そのことですか……たまには時間を気にせず語らうことも必要でしょう」

「そうね」


 珍しく穏やかな調子の四の姫に、彼はかすかに口の端を上げる。


「おかげで私も収穫がありました」

「……どういう意味?」

「空き時間を無駄にはしないということですよ」


 朱華はそれをいつもの当てこすりと解したのか、こわばった笑みを浮かべた。


「ならば早く解放して差し上げねばね。下がりなさい」


 霜罧は一礼して、退室した。夕瑛は一連のやりとりを黙って見ていたが、すぐに口実を作ってその後を追った。

 それを予測していたかのように、西宮の外に霜罧は立ち止まっていた。


「あら、お待ちくださっていたのですね」


 夕瑛はにこりと微笑んだ。


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