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35、速筆のすゝめ

 さてさて、お客さんが思いっきり凹んでしまったぞ。さあ、どうする……。

 でもねー、お客さん、速筆の何が悪いのか、って話ですよ。それに、今はへたくそかもしれませんけど、そのうちうまくなるかもしれないじゃないですか。

 え、「かもしれない」っていうのがムカつくって?

 いえいえ、「絶対にうまくなります」っていうのは嘘になっちゃいますから。

 ああ、また泣き出しちゃった。

 しょうがないなあ、もう。

 はい、じゃあお客様、こちら、春暁です。はい、日本酒ベースの変わったカクテルですね。

 いえね、筆が速いっていうのは絶対にいいことですよ。


 これ、将棋の羽生善治さんが言っていることなんですが、「直感で決めたことっていうのは結構な確率で最適手」なんですって。いわく、長考するときもあるそうですが、それはあまりにうまい手が頭に浮かび過ぎて怖くなってしまい、「これ、相手の誘いに乗っているんじゃないか?」とか、「慣れた手にはまって相手に読まれてしまうんではないか?」と二の足を踏んでしまう場合が多いみたいです。でも、その最初の直観がたいてい正しい。そう羽生さんは著書の中でおっしゃっておいででした。

 また、同じく棋士の加藤一二三さんも同意見でした。将棋は直感で差すものだ、というのが加藤さんのご意見のようです。その中で加藤さんは「逆に、小学生くらいの頃に長考しているような子を見るとうーんと思ってしまう」ということをおっしゃってました。

 それは将棋のことだろ? 小説と何の関係があるんだよ。そう思う人もいるんじゃないかなあと思うんですが、筆者は小説と将棋は結構似ているんじゃないかと思うのですよ。

 たとえば、将棋には駒があって、各駒にはその駒なりの役割とかできること、できないことがあります。そういった駒たちを用いて敵軍に切り込んでいって、出来るだけ最善の手を尽くしていく将棋。それって、キャラクターたちを配置して次々にゴールに向かって動かしていって、やがて一つの結末を見せる、まさに小説と同じではないですか。

 たぶん、将棋というゲームは、あまりに頭の中で処理することが多すぎるので、頭をフル回転させて手を考えても人の頭では足りないのでしょう。なので、定石なんかを何度もさらって手で覚えて勘で動かせるレベルにまで昇華する、そしてそれを本番で披露するという面があって、それが「直感」と呼ばれるものの正体なのでしょう。

 そして、たぶん、小説の場合はもっと「直感」の正体ってわかりやすいです。

 みなさん、他人の小説を読んでいて、「なんかこれ、違う気がする……」って思うことってありませんか。たとえば読点の打ち方、文章のバランス、リズム、あるいはプロットの分量とか。

 なぜあなたが違和感を持つのかというと、あなたの中に、小説に対する「美意識」が存在するからです。なんとなく、「小説っていうのはこういうもんだよね」というものが無意識の中にあって、それから外れた小説に対して、なんとなくいやーな感じを覚えたりするわけです。

 実は、小説を書く作業というのも、割と考えなくてはならないことが多い作業です。考え出せばきりがない、という方が正しいでしょうか。言葉選び、てにをは、読点のつけ方からキャラクターの心情の移り変わりの把握やストーリーの展開などなど……。

 確かにそれらをすべて計算して書いてらっしゃる作者さんもいらっしゃるのでしょうけど、そんなことをしているといつまで経っても小説は完成しません。

 なので、大抵の作者さんは、一部は勘で、一部は考えながら書いているはずです。たとえば、「プロットは練ってますけどキャラクターの言動なんかは勘でやってます」とか、「キャラクター配置は練りますけど、その後のプロットは割といい加減にやっちゃいます」とか。なんでそんなことが出来るのかというと、一人一人に「美意識」が備わっている結果です。

 さて、ちょっと寄り道しちゃいました。

 速筆な人、というのは、理屈で考える範囲と勘でやる範囲のうち、勘で占める割合が多い人のことなのです。勘で書ける人というのはまさしく即興のごとく文章をつづることができますし、己の美意識のみでプロットをいじることができます。そうなってくると、将棋の早指しのごとくぱっぱと小説が書けてしまいます。

 そしてさらに。

 ほとんどを無意識に委ねることができるということは、逆に意識の部分がお留守ということです。何が言いたいのかというと、無意識で小説を書きながら、「あ、ここはこうしたほうがいいな」と意識的に筆を動かすことができるわけです。要はCPUを二つ積んだパソコンみたいなもんです。ほら、自転車にまだ乗れない人は、ハンドルさばきとかペダル漕ぎに悪戦苦闘しちゃってそれでいっぱいになっちゃいますけど、自転車に慣れた人は周りの景色を楽しむ余裕があるじゃないですか。そういうことです。

 なので、筆者は速筆をお勧めします。というか、「無意識に寄りかかった書き方」を覚えるのをお勧めいたしますです。


 と、いうわけです。速筆な方っていうのはそれが自然にできているんですから、いいことなんじゃないでしょうか。

 あとはその精度を上げるだけです。

 え、どうやって、って? 決まってるでしょう。山のように文章を読んで、山のように小説を書くことです。勘で小説を書いているということは、すなわち勘を鋭くしなくてはなりません。それこそ、減量中のボクサーみたいな精神状態で書き続けてくださいませ。

 うわ、なんかお客様が消し炭のようになってしまった!

 なんかすいませんー!


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