31、君に、小宇宙は見えるか?
いやあ、わたし、イソップ童話の「カニの親子」ってお話が大好きなんですよ。
どういう話かっていうと、横にしか歩けないカニの子供に母カニが「おまえ、横にばっかり歩いていないで前に歩きなさい」って注意します。すると子ガニが「じゃあお母さん、前に歩いてみてよ」と返されてしまいます。では、と試してみても、母ガニも前に歩くことができませんでした、というお話です。
これ、いろんな含蓄に富んでますよね。一般には、「自分にできないことを他人に押し付けるな」という風に理解されがちですが、このお話の背後には、「蛙の子は蛙」だとか、自分のコンプレックスを子供に押し付けてしまう親の姿なんかが活写されているように思います。
え、何が言いたいですって? ええ、前回、自分にも出来ていないことを述べているのって、まさに「カニの親子」の図そのまんまだよなあ、というお話です。ええ、自嘲ですが何か。
さ、今日も仕事だ!
おや、カウンター席で一人沈んでいるお客様がいるぞ、飲みすぎかしらん。ではお冷を用意して……どうしましたお客様ー! 飲みすぎちゃいましたか? っておや、あなたはプロ小説家のイノウエさんではないですか。最近賞をおとりになってデビューした期待の新人の。どうしました?
え? 「なんだか最近、小説を書いていると“踏み込んではいけない一線”が見えることがある」ですって?
おや、イノウエさんにも見えますか。
うん、わかりました。では、カクテル・グラスホッパーです。これでも飲みながら、ご相談に乗りましょうか。
まず釘を刺しておきます。今回のお話、分からない方には一生分からない話です。分かってしまった人はある意味でそういう星のもとに生まれてしまったのだと諦めてください、という話ですし、もしこれが分からないからといって凹む類の話でもありません。小説家の中にはこういうタイプの人がいる、程度に捉えておいてください。
将棋の名人・羽生善治さんのエッセイに、こんなお話がありました。「将棋のことばかり考え続けていると、ある一線が見えることがある。この一線を超えればもっと将棋がうまくなる気がしているのだけれども、人間として大事な何かを失ってしまう気がして踏み出せずにいる」というような趣旨です。
そういう話をすると、なにやら「俺は人間を辞めるぞ」的な匂いを感じちゃいますが、これ、仏教の世界なんかでもあるみたいですね。
魔境と呼ばれるものです。
禅宗に伝わる概念で、禅を組み続けていると、時折全能感が襲ってきて、すべてを悟ったような気分になってしまうことがあるようです。しかし、禅の世界ではこれを忌み嫌い、むしろ真の悟りの邪魔をする「魔境」と呼んでおり、その領域に陥ってしまった弟子は師匠がなんとか魔境の心を引き剥がすのだそうです。どうも脳科学的には、禅をずっと組み続けると、ドーパミンがたくさん放出され、いわゆる脳内麻薬がたくさん分泌されてハイな気分になることを指して「魔境」と言っているらしいです。
小説を書くというのは精神労働です。いろんなことを考えまくってあっちこっちに伏線を張り、各人物の心の内を考え、さらにはその人物たちの行く末を考えていく……。はい、とんでもなく精神労働ですね。すると、どうやら禅宗いうところの魔境に至ってしまうようなのですね。
実を申しますと、わたしも、「魔境」が見える時があります。
作者としてのわたしはあんまりプロットを作ったりしない、カンで小説を書く人間です。裏を返せば、意識の部分ではなく、無意識の側を揺り動かして小説を書いているのでしょう。おそらくは小説世界に深く没入して文章を紡いでいます。なので、小説が完成してから「自分ってこんなことを考えてたんだー、へー」と他人事な感想を抱くことも多々あります。そうやって書いている最中に、ふと思う時があるんです。「あれ、これ以上深く没入したら、わたしは戻ってこれるのだろうか?」と。
デンパ? そう思っていただいても結構です。でも、見えるんだからしょうがない。
でもきっと、歴史上の有名な小説家の一群は、その一線を超えてしまったのではないかと思うのですよ。「ただぼんやりとした不安」という漠然とした理由で死を選んだ芥川龍之介、戦前日本と戦後日本の思想の激変に悩み続けついには実力行使に出て割腹の道を選んだ三島由紀夫。悲劇的な結末を遂げてしまった文学者たちは枚挙にいとまがありません。もちろん、通説では芥川さんは神経を病んでいたともいいますので一概に述べるのはどうかという向きはあると思いますが……。
あと、これ、時々感じるんですが、小説を書いていると、自分の文章が放つ毒に自分が毒されちゃうという現象が起こるようになってきます。
もう一度釘を刺しておきますね。これ、分からない人には本当に分からない話だと思います。わたしは脳科学者というわけではないので詳しいことは分かりませんし興味もないところなのでそのメカニズムについてはまったくわかりませんけど、どうも小説を書き続けるうちにコスモが見えちゃって頭のねじが吹っ飛んでしまう、そんな作者さんの一群があるらしいのですね。
もし、その一線が見えてしまったら。
踏みとどまるも進むも、それはあなたの一存です。誰のせいにもできません。
ちょっと投げっぱなしですけど。
え、お前はどうするのか、って?
踏みとどまりますよ。だってそうじゃないですか。わたしはあくまでバーのマスターという一面を持ち合わせているので、やっぱり人間を辞めるわけにはいかないですよ。
もっとも、この顔を捨てて、小説家としてやっていける日が来た時に、どうなるかはわかりませんけどね。




