アフターサービスが過剰
おひさしぶりです。ぽつぽつ続けさせて下さい
すっきりと目が覚めた。
元々私は朝から問題なく動ける方だ。低血圧の人に羨ましがられる。ベッドからなかなか起き上がれないという経験は、病気になった時くらいだ。
でも、今の気分に比べたら、昨日までの私は疲れていたんだなと思う。
横になったままでもわかる。なんだか体が軽い。
が。
ベッドが違う。天井が違う。部屋が違う。
目覚めるとともに思い出したのは、昨日起こった奇想天外な出来事。
続いてる。続いてるよ。
だって、昨日寝た部屋だもの。朝だか夕方だかは分からないけど、部屋に斜めに入ってくる光が、それをはっきりと私に見せつけてくる。
ん? はっきりと?
私は驚いて跳ね起きた。
昨日、歯磨きはしなかったけど、コンタクトはちゃんと外した。
外したよね、と思いながら通勤バッグを探す。ベッドの上にちゃんとある。
そういえば、あの、この辺りの管理人愛ちゃんにした三つのお願いのひとつが、視力を上げてもらうことだった。
念のためバッグの中を見ようと手を伸ばして、私は、動けなくなった。
何、この手。私の手? 毎日見ていた手と少し違う。乾燥気味だった肌はつややかだし、何より形が微妙に違う気がする。
私の手よね。
固まってると、どこかで風が木々をざわつかせている音が聞こえてきた。小鳥だろう鳴き声もする。すずめって最近見てなかったけど、確かこんな鳴き声だった。スズメがチュンチュン鳴いているってことは、朝かしら? 朝に鳴くって私の思いこみ? 動物の生態がわからない。昨日もカエルの鳴き声分からなかったしね。
人の気配も感じた。誰かが土を踏みしめる音。聞こえてくるのは、きっとすべての窓が全開だからだと思う。
人がいると思ったとたん、いつの間にか止まっていた息が吐けた。
そのまま私は三回、大きく深呼吸する。
こんなことくらいじゃ冷静にはなれないけど、行動の区切りにはなる。
手を握ってみる。そして開く。思う通りに動くし、ちゃんと私の腕は肩についている。
私の手だ。とりあえず、これはこれで置いておこう。
ひとつずつ片付けるべし。
通勤バッグの中に、コンタクトレンズがあるのを確認。信じられないけど、これはやっぱり裸眼で見えてるって事だ。
嬉しい! メガネもコンタクトもなし。まったくブレることなく部屋の隅まで見える。
このベッドのスプリングがもっとよければ、飛び跳ねるのに!
が、手が気になる。なので足も確認した。パンプスの中で、いつも窮屈に折れ曲がってた足の指。外反母趾一歩手前だった私の足。
どうしよう。もうその気配は全然ない。くにくにと足の指を曲げてみた。自由とはこういうことかと言いたくなるくらい良く動く。
しかも巻き爪気味だったはずなのに、治ってる。
嬉しい。けど。
いいことなの? これっていいことなの? 何か代わりに大きなものを失っていないだろうか。
念のため、鏡で確かめようと、化粧ポーチから取り出して見て、また身動きできなくなってしまった。
小さな鏡に映っている顔。
何これ、誰これ。私よね。なんだかきれいなんですけど。
小さなしみだとか、小じわだとか、恐ろしくて口にもだせないアレコレが、きれいさっぱり無くなってる。
なにより衝撃的なのが、顔、変わってない?
良くなった目を頼りに、小さな鏡を引いて、顔全体を写してみる。
やっぱり違う。私じゃない。いや、私だ。私だけど、なんだか微妙に目鼻の位置が違う気がする。
化粧の技術でなんとか近づけようと頑張った「きれいな顔立ち」が鏡の中にある。
しかもこれ、若返ってない?
「愛ちゃん!」
反射的に、私はすがるように大声で管理人を呼んでいた。
「高原綾乃さん。」
落ち着いた声で名を呼ばれて見ると、ベッド脇に「この辺りの管理人」愛ちゃんがいた。美少年っぷりは日ざしの中ではまた格別だ。
約束通り、ちゃんと来てくれて、涙が出そうなくらい嬉しい。というか、涙出た。
「愛ちゃん、私、変なんだけど。」
説明不足極まりない私の言葉に、愛ちゃんはにっこり笑って言った。
「視力を上げる時、ちょっと動かしてしまいました。」
「動かした?」
「はい、遺伝子・・」
急に愛ちゃんが消えた。
遺伝子? 遺伝子って何? なんで怖いこと言いっぱなしでなんで消えんの?
そう思ってると、部屋の外から近づいてくる大きな足音が聞こえた。ずいぶん速足だ。警戒心が沸いてバッグを抱きしめた。誰か来たのを察して愛ちゃんは消えたのか。
「タカハラ様?」
ノックもなしに入って来たのは、ファーノさんだった。
彼は、勝手に入ってきて、固まって、こっちを見てる。数秒、確かめるようにじっと見てから、ファーノさんは小さく息をついた。
「お目覚めになって、良かったです。」
もしかして夕方か。寝過ぎだね。起こしてくれてもよかったにと思ったけれど、昨日の後味悪い別れ方を思えば、声はかけにくかったのかもしれない。
とすると、彼がやって来たのは、私が愛ちゃんの事を大声で呼んでしまったからか。馬鹿、私。
とにかくこうなってしまったからには、ファーノさんと和解できるかどうか、まず当たり障りのないことから聞いてみよう。
「私、そうとう寝坊しました?」
ファーノさんが、眉をひそめて言った。
「寝坊なんてもんじゃないですね。十日ですから。」
十日?
今度は私がまじまじとファーノさんを見る。
さすがファーノさん、私が動揺したと見るや立ち直ったようだ。遠慮なく部屋に入ってくると、私を見下ろす。
「お目覚めになられませんでしたから、心配しました。」
ものすごく偉そうな態度で、押しつけがましく言ってくる。けれど、彼の声に安堵を感じるから、本当に心配してくれていたんだろう。たぶん。
「ありがとうございます。心配してくださって。」
一応礼を言っておく。
すると彼は深いため息をついて言った。
「目覚めないかと思いました。」
「私は、そんなに寝てると思ってませんでした。」
何故かむっとしたような顔をされた。
「タカハラ様に初めてお会いした時は、夜で薄暗かったせいか、二十代半ばの女性に見えましたが、本当はずいぶんお若かったのですね。」
若い!
「それ!」
日本だったらセクハラ発言ともとられるかもしれないが、無遠慮な率直さが今はありがたい。
私の声が大きくなってしまったせいか、ファーノさんが少し身を引く。あ、私が身を乗り出したからか。
「十日眠ってたって本当なんですよね。ファーノさんは、そんな冗談言いませんよね。私、その間に変わりました?」
あぁ支離滅裂だ。自分でもそう思ったけど、さすが神殿トップの王子様。左眉を一瞬上げただけで、返事をくれた。
「十日眠っていたのは本当です。前例のないことでしたから、放置するしかありませんでした。悪しからずご承知おきください。さっきも言いましたように、最初にお会いした時よりお若く見えるのは確かです。十代半ばというところでしょうか。でも最初にお会いした時は、薄暗いところでしたし、その後あなたは目を閉じたままでしたし、毎日お顔を拝見しに来ていましたからね。劇的に変わったというわけでもないように思いますが。」
「劇的に変わりましたとも、手も足も、肌も。きっちり若返っています。」
力を込めて言うと、ファーノさんは少し呆れたように言った。
「なら、そうなんでしょう。そこまでは気づきませんでしたし、観察してませんでした。」
「そうですか。」
ま、興味ない女をしげしげ見たりはしないか。
「それより何か召しあがりませんか? 私は飢え渇いて死んでしまわないかと、息をしているかどうかを観察してました。」
「え? 飲まず食わずで十日ですか? 普通死にません?」
「タカハラ様は、元気そうですね。」
言葉が返せなかった。
しばらくお互いの間に沈黙が落ちる。
沈黙に押しつぶされたくはなかったので、仕方なく、私は棒読みで言った。
「カミのゴカゴでしょうか。」
説明できないことが起こった時、人は超自然に頼るものである。
「では、神殿にて感謝の祈りを捧げられるのが良いでしょう。」
神殿? そうか、この人は大祭司長だったっけ。
日本人としては、宗教は節目節目に時々お付き合いする程度で十分だ。
神殿は、見学してみたいけど、信者になる気はない。
「あー、ファーノさん。私、お祈りはどこでもできるものだと思ってますから。」
と、言った所で気がついた。あの水晶みたいな結晶の固まり、神の石。あれは神殿にあるのよね。異世界から人が来ると滞在する国の色に変わるという、あれ。
愛ちゃんは、パラレルワールドが出来ると言っていた。でも私がいた世界に、私という存在はそのままいるのよね。
ではここは?
私という存在が増えたことで、こちらの世界が枝分かれしていた? 私が来た世界と、来ていない世界に。
異世界人が来るたびに起こる枝分かれ。
私が元いた世界はひとつ。パラレルワールドが増え続けているのは、この世界だけ?
いや、違うか。違う気がする。なにが違う? どこで思考を間違った? いや、情報不足なのかも。
あの結晶の塊。
私を中心に出来る転移の陣。世界を超えることで身に付いた魔力。軽い気持ちで頼んだけれど良くなった視力。若返った体。
全部、世界を渡るのと同じくらい超自然的。これって、世界が枝分かれする理由にならない? これも間違った発想?
「高原さま?」
呼びかけられた我に返った。
ファーノさんが、不審そうな、不安そうな、そして心配の色の混じった複雑な表情でこちらをみている。
もしかしたらこの人は、十日間ずっとこんな顔で、私を見ていたのかもしれない。
「大丈夫です。」
いつのまにか入ってしまっていた肩の力を抜いた。
何の話をしていたっけ? 食事、そう食事だ。
あまりお腹は空いてない。それより。
「あの、お風呂に入りたいです。」
今度の間は短かった。
ファーノさんは、わざとらしくため息をつくと、こっちを見下す感じを隠さず言う。
「風呂ですね。食事より風呂。わかりました。まずは風呂を用意しましょう。それから食事をしてください。」
嫌み? 嫌みが入ってる? でも、十日もお風呂に入ってないなんで、重病人でもないんだから、やっぱり気になります!
はっ! 病人と言えば!
「ファーノさん、病気の王子様! どうなりました?!」
勢い込んで聞くと、ファーノさんの『上から目線』がふっと無くなった。
「お元気になられました。医者たちは、未だにあなたの助言には懐疑的ですが、回復したのには間違いありません。感謝します。」
「お役に立てたのなら良かったです。お医者様が納得できないのもよくわかります。簡単すぎる方法ですから。でも、同じ症状の他の方にも試していただけたらと思います。」
「そのように指示をしていますよ。効果があるかを確かめます。」
「よかった。」
ひとりでも助けられる命があるかもあるかもしれない。
「では。」
ファーノさんが何気ない感じで続ける。
「シズルとメメンに、風呂と食事の用意をさせましょう。」
少し驚いた。
「私、怖い思いをさせたましたよね。二人とも大丈夫なんですか? 強制しないでくださいね。」
「あなたには、世話役が必要ですから。」
にやりと上から目線で笑われた。本っ当に意地が悪い。シズル・エイリさんとメメン・リーラちゃん、ごめんよ。
この世界で生活する上での導き手に、女性はどうしても必要だ。
マイナスからの出発だけど、頑張ろう。
元々の私は怖い人ではない、はず。
「風呂の件、伝えておきますよ。タカハラ様。」
そう言ってから、ファーノさんは真面目な顔になった。
「タカハラ様、この国にいてくださるよう、心から願っています。」
ファーノさんは、とても姿勢よくきれいな後ろ姿を見せて去って行った。
はぁと大きくため息をついてから思った。とにかく情報が足りなさすぎた。
そして思い出した。
昨日、いや、十日前か、険悪な状況になったのは携帯電話のせいだった。
私は慌ててバッグの中の携帯を確かめる。
ちゃんとあった。電源も落ちたままだ。
起動させたけど、彼らが使ったかどうかまではわからない。もし、前に来た人が使い方のマニュアルを残していたら、私が寝ている間、見放題だっただろう。
終わったことは仕方ない。
疑問も不安も課題も一杯だ。
まずは一番頼りになる相手を呼ぼう。
私は、そっと声にした。またファーノさんに踏み込まれても嫌ですから。
「愛ちゃん、来て。」
返事がない。大声じゃないとダメなのかしら、と周りを見回したら、いた。
このベッドは天蓋付きだ。おそらく虫よけだろう薄い布をそれぞれの柱に束ねてある。その柱のひとつの後ろから、こちらを窺うように顔を出してた。小声で聞いてくる。
「怒ってる? 高原さん。」
美少年、分かってやってるのか。かわいいぞ。かわいいは正義で、世界最強なのよ。
私はがっくりと肩をおとして、両手をベッドに付いた。
「とにかく説明して。遺伝子が何だって?」
顔を上げると、愛ちゃんは柱を盾にでもしているつもりなのか、そこから動かないまま言い訳を始めた。
「この世界の適齢期は、二十歳前後なんです。二十歳超えたら嫁き遅れなんです。タカハラさんは、無理やりこちらに召喚されたのだし、最初の国では、醜女だなんて言われてたし、僕、すごく腹が立ったんです。だから、ちょっとだけ、ちょっとだけ、タカハラさんの遺伝子、触りました。素敵な伴侶を見つけて、家庭を作って、良い人生を送ってもらいたいんです。」
黙ったまま愛ちゃんを見てると、彼の目がきょときょととさまよい始める。そこも可愛いけどね、お姉さん、ちょっと怒ってるよ。
「いい旦那見つけて、幸せになれって?」
なんとか声を潜めつつ、私は言い放つ。
「なに言ってんの、愛ちゃん。若返ったって、私が素敵な恋をして結婚できるかどうか分からないでしょう。」
愛ちゃんは、柱を持ったまま、ちょっと引いてる。私は容赦なく問い詰めた。
「ファーノさんに十代半ばって言われたわよ。アジア人は若く見られるのよ、私は、いったい何歳まで戻ったの?」
「えっと、その、十六歳ぐらいです。」
「十六」
大げさに聞こえるかもしれないけど、ちょっと絶望的な気分になった。
世の中、若いころに戻りたいという人もいるけれど、私はごめんだ。思春期なんて、十代なんで一度で充分だ。
「愛ちゃん、二十八歳の自分の記憶はしっかり残ってるけど、私の脳はどうなってるの? 十代って、まだ脳は発達途中よ。ホルモンのバランスも悪い。高校時代の私が、どれだけ短気で、喧嘩っ早かったことか。やっと落ち着いた大人の女性になったっていうのに、脳とホルモンに振り回されて、またあのイライラ時代を送れって言うの!」
しまった。最後は声が大きくなった。これは十六歳という年齢のせいか、それとは関係なく動揺しているせいか。
愛ちゃんが怯えた目をしてこっちをみてる。
「・・高原さん・・・」
情けない声をだすんじゃない、この辺りの管理人のくせして! と言いたいのをぐっと抑える。
私は二十八歳。大人の女。
深呼吸。そう、深呼吸をまず三回。落ち着け私。そして大人になるのだ。
「愛ちゃん、やってしまったことは、もうどうしようもない。」
ため息とともにそう言うと、愛ちゃんが少し身を引いていた柱に、またピタリと体を寄せた。
可愛いね。ほんと、可愛い。でも! なんでも許されると思うなよ。
「素敵なお相手、用意してくれるんでしょうね。」
「それは自力でお願いします。」
即答された。
愛ちゃん! と思わず声を張り上げそうになった時、彼の姿が消えた。
逃げたかと思った約二秒後、ドアがノックされた。人が近づいたのが分かったからいなくなったのか。
「シズル・エイリです。入ってよろしいですか?」
私は、怒り半分残したままだ。私を怖がっているだろう相手にこの顔は見せられない。
大人の私、出て来い。
心の中でそう思いながら、両手で頬をパンとはさんでから、ベッドの上で居住まいを正した。
「どうぞ。」
ドアの向こうに声をかける。
「失礼します。」
ドアが開いて、服だと思われるオフホワイトの布を持ったシズルさんが入ってくる。
シズルさんは笑顔だ。でも少々無理をしているのがわかる。こういう勘の良さは持って生まれたもののようだから、二十八の私でも、十六の私でもよくわかる。十代と学生時代を怒りっぽく過ごした理由もここにあるかもしれないな。
「お目覚めになって、よろしゅうございました。」
これは彼女の本気の言葉だとわかる。たとえそれが、異世界人を失いたくないという気持ちから生まれたものだとしてもだ。
私の方は、どんな顔をしていいのか分からず、素のまま困った顔を見せた。言葉だけは、真っ当だと思えるものを返した。
「心配かけてごめんなさい。」
さて、私、この世界の人たちと、信頼関係が構築できるだろうか。




