ジル・ゴルジという人
国王の盾である、ゴルジ家の嫡男。
妹の代わりに後宮に入ったという……。
『全てに秀でて、人当たりがよく柔軟な思考を持つ男だが、好き嫌いが激しく性格がとてつもなく悪い』
そして、自分よりも秀でている者にしか頭を下げない、とか。
下手に媚びれば煙たがられ、拙い挨拶を返せば関心を失われる。だからこれが正解だろうと、
「お会いできて光栄です」
それだけ口にして、微笑みを添える。
すると、ジル・ゴルジは数度瞬きしたあとふっと笑い、もう興味はないとばかりに背を向け、棚に置かれているお酒の瓶を手に取り、グラスに注ぐ。
(凄く綺麗だけど、やっぱり男性だよね……)
後宮に入り、女装していても違和感のない、中性的な可愛らしい男性だと勝手に想像していたのだけれど、背丈の高さ、声の低さ、肩幅の広さなど、明らかに女装した男性である。
「それで、計画は成功したのですか?」
「ああ」
「では祝杯ですね。どうぞ」
「……」
グラスを一気に煽り、口の端を指でそっと拭う姿には艶やかな色気が漂い、同性でさえ思わず見惚れてしまうほど。
顔立ちや体形、服装ではなく、妖艶さの正体は、ジル・ゴルジのまとう空気なのだろう。
「こい」
グラスを受け取ったイシュラ王が、ジル・ゴルジの対面に座り、自身の隣を手で叩く。
そこに座れということだろうと、いそいそとイシュラ王の隣に座れば、対面から熱い視線が。
「……何だ?」
「いえ、わざわざ呼んでまで隣に座らせたので、驚いただけです。娘というものはとても可愛いのでしょうね。私も妹をとても可愛がっているので、その気持ちは分かりますが」
「お前と一緒にするな」
「命を削るように仕事ばかりされ、妻や息子にすら時間を割かない方が、可愛い娘のために仕事を放り、自ら何日も馬車を操り、自身の命を危険に晒すことすら厭わない。とても深い愛情を感じられると思いませんか?」
「……」
「そんな鬱陶しそうにされても、貴方が初めて、終わらせずに放った仕事を、私が処理していたのですよ?」
「暫く仕事を抑えるつもりだ」
「……今、何と?聞き間違いでなければ、仕事を抑えると」
「そう言ったんだ」
驚き過ぎて口をパカッと開けたジル・ゴルジを見て、イシュラ王は普段どれだけ仕事を抱えていたのかと戦慄する。
「他に目を向けるべきことが出来たのと、これから暫く王宮内は荒れる」
「報告は、受けていますが……マルス・オルダーニですか?」
「それを使って侯爵家を揺さぶる。あとは王妃から権限を取り上げられれば上々だろう」
「それらは、王女殿下の為に?」
「誰の為でもない。国益に寄与しないものは不要だ」
グラスに口を付けずテーブルに置いたイシュラ王を見て、ジル・ゴルジが眉を顰めた。
「侯爵家を牽制することに異論はありませんが、王妃を刺激することは避けるべきかと。王女殿下を統括宮の中で囲い守ることは出来ても、永遠にそうしていられるわけではありません」
「リスティアの部屋を、統括宮ではなく王子宮に移す。その為の処置だ」
「……まさかとは思いますが、王女殿下を王位継承の場に立たせるつもりですか?」
「ああ」
「それは……王女殿下のご意思で?」
イシュラ王から私に目を向けたジル・ゴルジに問われコクリと頷く。
すると、小さく舌打ちしたジル・ゴルジが、「いいですか?」と微笑んだ。
「王族は皆、幼少の頃から王位継承に関わる教育を受けます。礼儀作法の基礎、信仰や国の文化、芸術、言語と、早期から習得しなくてはならないものです」
礼儀作法の基礎とは、挨拶、姿勢、言葉遣いに食事のマナーといったもの。信仰は祈りや儀式への参加で、国の文化とはこの国の歴史を学ぶこと。芸術は、音楽、舞踏、絵画などで、言語は母国語の他に他国の言葉を学ぶ。
「王子殿下達は既にこれらを終えられ、知識教育から社交、乗馬や武術に至るまで幅広く修め、さらに軍事訓練や公務にまで取り組まれています」
知識教育は、歴史、哲学、政治学、国際関係などのことだろう。社交といえば、外交儀礼、舞踏会や晩餐会、お茶会での立ち振る舞いや会話術のこと。公務は年齢を考えると、ボランティア活動や国王の補助程度だと思う。
これらは王太子を補佐する王太子妃も学ぶので、今から学ぶとしても私にとってはそこまで難しいことではない。
ただ、乗馬と武術、それと軍事訓練に関しては全く教わっておらず、時間が掛かると思う。
「今まで何もされてこなかった王女殿下が、今から学ばれても間に合いません。しかも、第一王子殿下は実家と性格に難があるだけで、とても優秀な方ですよ」
「どうせ学ぶことだ」
「でしたら王女教育で十分では?辛く大変な道を愛娘に強いるのはどうかと思います。既に第一王子に大きく引き離されている状況で、どう競わせると?」
この人は国王の盾であって、オルダーニ侯爵側ではない。それなのにこれほど第一王子を押すということは、クリスは私が思っている以上に優秀なのだろう。
「本人が望んだことだ」
「それしか道がないと思われているだけです。他に生き残れる方法があるとすれば、どうなさいますか?」
他の道?と首を傾げれば、ジル・ゴルジは続きを口にする。
「王女殿下の存在を知るのは、いまだ首脳陣達のみです。とはいえ、お姿を拝見してはおりませんので、矛か盾のいずれかの家の養女として入られ、国王陛下の庇護のもとでお過ごしになることも出来ますよ」
とてもよい案かもしれないけれど、王妃様を侮ってはいけない。
「矛と盾の家は、オルダーニ侯爵家よりも力が強いのですか?」
「……力ですか?」
「貴族社会への影響力、資金力、国政への関与度合いのことです。国王陛下が身体を張って罠を仕掛けた成果が、侯爵家の力と王妃の権力を削ぐことだけですよね?それほど厄介な家を相手に、殺意を抱くほど憎まれている王女を守れると思えないのですけど。あ、もし守るというのが、死んだも同然に息を顰めて生きることを意味するのであれば、可能かもしれませんけど。でもそんな暮らしは嫌ですし、やられたまま大人しくしているのも悔しいですよね」
「今から学ばれたとしても、それが実を結ぶとは限りませんよ」
「どうでしょう、やってみなくては分からないと思いますよ。だって、生まれながらの王族であるソレイル王子や、貴族令嬢であるメリアよりも、私の方がマナーも教養もありますから」
ね?と隣に座っているイシュラ王に笑い掛けると、ほんの少しだけイシュラ王の口角が上がった。
「……では、お試しにならればよろしいでしょう」
そう言ってにっこりと笑ったジル・ゴルジに、私もにっこりと笑い返す。
「容姿だけでなく、性格まで似ているのですね……」
「説得出来ると考えていたのであれば、それはただの思い上がりだ」
「止めるどころか、応援するとは……娘を持てば人は変わると聞いていたが、こうも違うものになるとは」
「その歳で結婚もせずふらふら遊んでいるお前には、一生分からないだろうな。妹が嘆いていたぞ」
高そうなお酒をぐびぐび飲むジル・ゴルジは、低く笑って「結婚に価値を見出せないので」と言う。
その歳で……とイシュラ王は言っていたが、この人いくつなのだろう?
「おいくつなんですか?」
「私に興味が?」
「その歳で、と言われる年齢はいくつくらいなのだろうと、純粋な疑問です」
「……貴方のお父様と同じ歳ですよ」
え!?と驚きイシュラ王を仰ぎ見ると、「同じ歳だ」と返ってきた。
部屋の隅に立つリオルガ、ジル・ゴルジ、イシュラ王の順に見て、頬が引きつる。
(だって、どう見ても二十代前半にしか……)
この国の人達……というか、イシュラ王の周りには人外しかいないのだろうか。
「国王陛下に度々呼び出され、あれこれと使われた所為で妙な噂が立ち、婚期を逃したのかもしれません」
「ほお……昔から、妹に婿を取らせ家に置き、妹夫婦の息子を跡継ぎにするのだと、そう言っていなかったか?」
「どこか壊れている人間は、家族を持つべきではありませんから。貴方も同じですよ」
お前も壊れた人間なのだと言われてもイシュラ王は否定せず、テーブルに置いたグラスを手に取り一気に煽る。
それを見て、ジル・ゴルジが薄く笑った。




