お別れ
「さてと」
ぐいっと袖を捲り、布の切れ端で作ったはたきを持つ。
いそいそとエプロンをするエドに食材を任せ、私はササッとはたきで埃を払いながら、リビングの奥にあるパントリーに移動する。
王宮や貴族の屋敷にもある食糧庫。肉、酒、パンなど分けられて収納されているが、一般的な平民の家にあるものはそれら全てごちゃ混ぜで、食器や日用品まで置いてある。
狭くはないけれど広くもない小部屋には棚がいくつもあり、その棚に食材や日用品を片付けているエドに声をかけた。
「足りそう?」
「お、掃除は終わったのか?」
「まだ。取り敢えず今日は換気と埃だけ払っておしまいかな」
「そんなに滞在しないだろうし、それで十分だろ。それより、食事と日用品だよな」
「保存食はそこそこあるよ。干し肉とか、オイル漬けも」
「塩と酒……あとはワインと、生ものは親父が調達してくるとして、あとは」
「石鹸と新しいタオルも欲しい」
「この家に来客なんて来ないから、布団もないしなあ……」
エドと二人で棚を覗きながら足りないものを確認していく。祖母と母と三人で暮らしていたときならまだしも、祖母と二人になってからは必要最低限のものしか置かず、棚はすかすかで……。
「薪も……これだと足りないよね」
「それは明日でもいいとして、やっぱ早急に必要なものが結構あるな」
滞在するといっても、たった数日だけ……だよね?
「お布団とか……必要かな?」
「待て待て、俺や護衛であるリオルガならともかく、国王陛下には必要だぞ」
「でも」
「よし分かった!ひとっ走りして家から色々と持ってくるから……って、え、何その顔。数日だけだし使い古しでいいかもとか思っていないよな?思い出せ、国王陛下だぞ!」
「……」
「なんで笑うの……!?いいか、落ち着け!薪の下に敷いてあるその布から手を放せ。それは布団でもタオルでもない。ぼろの布切れだ!」
さすがに私もぼろの布切れをお布団やタオルにはしない。
そろそろ取替え時かな?と掴んでいただけなのに、妙な勘違いをしたエドが血相を変えてパントリーから出て行ってしまった。
パタパタとはたきを振り、うむと頷く。
エドが任せろと言うのであれば、もう問題はないだろう。
「あとは、部屋だよね」
リビングに戻ると、抱えてきていた荷物を整理しているリオルガと、それをただ眺めているイシュラ王が。背が高く体格の良い男性が二人もいると、我が家のただでさえ狭いリビングがもっと狭く感じる。
「リオルガ。二階の窓を開けてくるね」
「はい。お手伝いいたしましょうか?」
「窓を開けるだけだからお手伝いは……」
大丈夫と口にする前に、ぬっと私の前に壁が。壁もといイシュラ王を見上げ「何ですか?」と訊ねると、二階に続く階段を指差された。どうやら一緒に行きたいらしい。
それならとイシュラ王を連れて二階に。まずは祖母が使っていた部屋に入り窓を開く。
「……」
吹き抜ける涼しい風に頬を緩め、そっと振り返り祖母の部屋を見回す。
祖母が亡くなってからずっと閉じていた部屋は祖母が生きていたときのままで、捲られたままの毛布に、椅子の背もたれにかけられている上掛け。小さな机の上にはまだ途中の編み物も……。
またひとりぼっちになり、辛くて苦しくて、全てに蓋をして平気なふりをしてやり過ごしていた。
「もう大丈夫だよ」
まだ残されていた家族がいるから。
それに、とても頼もしい騎士様と第二の家族だっている。
ニッと笑い、祖母の上掛けを撫でたあと部屋を出た。
「この部屋が、母と私の部屋です」
廊下の端に立ち、壁に寄りかかって腕を組んでいるイシュラ王に向かって手招きする。
「どうぞ」
扉を開けそう促せば、イシュラ王はゆっくりと部屋に入り、すぐに立ち止まった。
部屋の中には二人で寝られる大きなベッドと棚、それと丸テーブルとロッキングチェア。
母がいたときは窓に花が飾られていたのだが、私はすぐに枯らしてしまうので花は置かない。
祖母の部屋と同じように窓を開け、よし!とはたきを振り、ジッと動かずただ一点だけを見つめているイシュラ王に肩を竦める。
視線の先にあるのは、ロッキングチェアに置かれているブランケット。
もとは青いふわふわのものだったのに、けばけばして色が薄くなってしまった。
「母のですよ」
「……そうだろうな」
「どうぞ」
ブランケットを持って差し出すと、イシュラ王はブランケットの端に刺繍されている小鳥を指で撫で、大切そうに両手で持ち上げ胸に抱いた。
「貸してあげます」
顔を伏せ、肩を震わせたイシュラ王を見ない振りして、扉へと向かう。
大切な人を失くした悲しみは痛いほどよく分かるし、お別れの時間も必要だから。
「ご飯の用意をしてくるので、ここで待っていてください」
「……」
「それ、とても大切な物なのであとで返してくださいね」
「……」
「あげませんからね!」
そうしっかり宣言したあと扉を閉め、暫く一人にしてあげようとリビングに戻った。
――それがいけなかった。
夕食もそこそこに母と私の部屋に入り浸り、ブランケットを持ったままロッキングチェアから動かなくなってしまった。
着替えもせず、話もせず、母が愛用していたチェアに座り、ブランケットを抱いたまま目を閉じて微動だにしない。
気持ちはとてもよく分かるから……。
だから仕方がないと目をつむり、放っておいて――二日経った。
「あれは人形か置物だと思う」
母の花壇という名の野菜畑の手入れをしながら、隣で雑草を抜くリオルガに愚痴を零す。
少しだけでも食事は口にしているし、椅子に座ってだけれど眠ってもいる。でもだから問題ないというわけでもなく、心配している人の身にもなってほしい。
「放っておいたらずっとあのままだよ」
「そうですね」
「リオルガはあまり心配していないみたいだけど」
「もともと食事をされる方ではありませんでしたし、お忙しいので睡眠もろくに取れていませんでしたから」
「でも、そろそろ戻らないといけないよね……?」
「一月ほどでしたら問題はないかと。陛下の代わりに激務をこなしている者がおりますので」
それならもう少しだけ様子を見ようかと溜息を吐いた、その翌日。
窓を開けて清々しい朝の空気を吸い込み、「んー」と背伸びをして身体を解す。
慣れ親しんだ我が家に帰って来られて嬉しいけれど、あの王宮のベッドが恋しい。
――ガツ!
一階に下り、起き抜けでボサボサの髪を頭の上で一括りにし、くわっと欠伸をしたあと冷たい水で顔を洗う。
――ガッツ!
ごわごわの布で顔を拭いたあとは朝食。
硬くなったパンを火で炙って、スープは昨夜の残りに水を足して温めるだけ。朝食を摂ったら庭で育てている野菜に水をまいて……と、まだ寝ぼけている頭で色々考えながら裏戸を開け。
――ゴツ!
「……朝から何をしているんですか」
斧を振り下ろしているイシュラ王に向かって、そう声をかけた。




